岩﨑 緋布 (岸代)

No.4 人形とともに生きて

iwasaki_1岩﨑緋布 Iwasaki Hifu
1940年、長崎県大瀬戸町生まれ。
1963年、美容院開業、1987年、(財)人形美術協会入門、
2000年、(財)人形美術協会 師範特級取得。
時代のある古い布に魅せられ人形作りを始める。 2002年には、長崎県大瀬戸町国際交流会理事に就任し、大瀬戸町の姉妹都市であるオーストラリア・ボウエン市に国際交流の一環として、多くの人形を寄贈。2006年には、 書道・七嶋鴎舟氏(玄鴎書道会会長)、日本画・城輝行氏(長崎県美術協会副会長・青羊会主催)とともに長崎市にて三人展開催するなど、長崎を拠点に活動中。

 

 

 


岩﨑 緋布氏の作品
※画像をクリックすると、画像が拡大表示でご覧いただけます。

  • 8_26_シンパシー様サブ_r5_c5
  • 8_26_シンパシー様サブ_r5_c5
  • 8_26_シンパシー様サブ_r5_c5
  • 8_26_シンパシー様サブ_r5_c5
  • 8_26_シンパシー様サブ_r5_c5
  • 8_26_シンパシー様サブ_r5_c5
  • 8_26_シンパシー様サブ_r5_c5
  • 8_26_シンパシー様サブ_r5_c5
  • 8_26_シンパシー様サブ_r5_c5
  • 8_26_シンパシー様サブ_r5_c5
  • 8_26_シンパシー様サブ_r5_c5
  • 8_26_シンパシー様サブ_r5_c5
  • 8_26_シンパシー様サブ_r5_c5
  • 8_26_シンパシー様サブ_r5_c5
  • 8_26_シンパシー様サブ_r5_c5
  • 8_26_シンパシー様サブ_r5_c5

iwasaki_223歳にして、美容室を開業。古典衣装のショーに必要な衣装を調達するため、大阪へ行った際、出会った人形に衝撃を受けたことが人形の世界に入るきっかけとなりました。それからは、仕事をしながら、休みを利用して寝台車で大阪へ通い、23年間の勉強の日々。岩崎先生の人形に対する情熱が伝わってきます。 人形は正面からだけでなく、全ての側面から見える違う表情を楽しんでほしいですね。


iwasaki_3Q.1 作品を創作するときの気持ちは・・・?
人形の顔も一体一体手書き、髪の毛も一本ずつ手作業で結っていきます。ひとつひとつテーマが違うので、それぞれの作品の気持ちになりきって作っています。江戸の人形をつくるときは、時代考証を一番に考えますね。時代をさかのぼる作品になると、着物に使いたい布がなかなか見つからないんです。ですから、「この布いいな」と思えるものに出会った時、何に使うというわけでもなく、買っておくようにしています。前日も、10年前に買っていた布が、最近作っていた人形のイメージにぴったりだったんですよ。

Q.2 なぜ「長崎」という場所なのですか。

もともとの生まれが大瀬戸なんです。23歳の時に、大瀬戸で美容院を開業したこともあり、ずっと長崎です。やはり、地元への思いがあったからでしょうね。


iwasaki_4Q.3 長崎にゆかりのある作品。

「蝶々夫人」
私が所属している人形美術協会は、もともと北白川妃殿下が総裁をつとめていた由緒ある学校なんです。皇室にも、協会から人形づくりの講師として通っている人もいたんですよ。私は特級師範を取得して、研究室に所属、「長崎県 岩﨑」として国民文化祭へ出展することになりました。国民文化祭は、皇室の方も見にいらっしゃる大きな祭典。その時に、長崎らしい作品を!と思ったんです。


iwasaki_5Q.4 岩﨑緋布さんが目指す生き方って何ですか?

10年という短期間で、師範になれたのは現役の美容師をしながら、着付や髪結を培っていたせいかもしれません。生涯、人形と共に生きて行こうと決めています。全て人形にかけてきたので、今があるんです。人形教室も、人と人とのコミュニケーションが楽しい。一人でやっていくのもいいけど、皆で和気あいあいとやっていきたいですね。


iwasaki_6Q.5 岩﨑緋布さんにとって、結婚とは・・・?

環境が違う人同士の出会いなので、ぶつかったりもするけれど、一緒に過ごすことで学ぶことが多いと思います。子どもができて、いろんな意味で自分が育てられたり・・・。子どもたちから学ぶこともたくさんあるんです。途中で終わることがあったとしても、「悪かった・・・」と思うのではなくて、いい人生経験をさせてもらったと思えれば、結婚っていいなと思いますよ。