鐘ヶ江管一・保子ご夫妻

「思い出は伏流水に似て」

鐘ヶ江 管一・保子ご夫妻 元島原市長

yoroshiku_19.fwヨーロッパ・アルプスの山歩きをしますと、氷河から解け出した小川のせせらぎを耳にすることがよくあります。 歩き疲れた足を浸し、顔を洗ってしばしの休息。雄大な景色の中でホッとするひと時です。
 でも、冷たく心地好いこの水は飲むことができません。岩肌を流れる硬水のままだからです。

 

 

 

 

 

さて、島原半島に目を移しましょう。
  普賢岳に降る雨や雪が地中に浸透し、やがて裾野の島原に湧水となって現れます。
 その島原で、戦後再開した旅館の経営者だった管一さんがお見合い結婚したのが、やはり雲仙の温泉旅館の娘、高校を卒業して間もない頃の保子さん。
 従業員約八十名の中に、若くして嫁いで来たのですから大変だったでしょうね。
 「三男二女を育てながら頑張ってくれましてね、内助の功には感謝していますよ」そう応えてくれたのは管一さん。保子さんはただ微笑んでいるだけ。
 
 その後、管一さんは島原市長を務めることになります。保子さんは以前にも増して苦労されたのではないでしょうか。
  「いいえ。旅館業をしていた時は私も働いてましたが、市長になってからは養ってもらってましたからね、とても楽になりましたよ」
 しかし、平成三年六月に普賢岳の大災害が起こりました。管一さんは自ら陣頭指揮に当たることになります。
 「あの時も、『災害時ではあるけれど、平常心を忘れずに頑張って下さい』と励ましてくれました」
 管一さんは、しみじみと保子さんの存在の大きさを語ります。
 
 二人が若い頃、まだ島原は全国に知られる観光地ではありませんでした。管一さんは市、観光協会、旅館組合の代表者と宣伝隊を作り、地名入りのハッピを着て旅行代理店回りを続けたと言います。
 その後、県教育委員長、市長と多忙な人生を歩み、引退後には『普賢、鳴りやまず』を上梓し、その印税の総てを義援金として寄付を続けています。

 

 

yoroshiku_19_02.fwそれでも保子さんは表舞台に出ることなく、管
一さんを陰から支えて来たのです。
 もちろん管一さんは、そんな保子さんに感謝
の気持ちを忘れたことはありません。
 「世界のあちこち、殆どの国を一緒に旅行し
ましたよ」
 名水百選の町。二人の愛情も、深く静かに湧
き出ているようですね。

 

 

2006年12月vol.26 「よろしく先輩19」