浅尾 賢次・千穂ご夫妻

「離れても心はそばに」

浅尾 賢次・千穂ご夫妻 団体嘱託(長崎市)

浅尾 賢次・千穂ご夫妻

賢次さんは東京出身、千穂さんは長崎出身。今は千穂さんの実家で、千穂さんの90歳の母親を看ながら一緒に暮らしている。

東京の大手海洋開発会社に勤めていた賢次さん。同じ職場の千穂さんと結婚したのは、44年前。賢次さんは「自分は母一人子一人で育ったので、家庭とはどんなものか、早く結婚したかった。彼女のさっぱりしているところがよかった」、千穂さんは「彼は先輩や同僚に対しても気を配り優しかった」と語る。

 

■金曜帰国、火曜は成田

結婚生活はしかし、離れ離れの日々の連続だった。賢次さんの仕事は石油掘削船の回航やパイプラインの敷設など、国家的プロジェクト。「金曜に帰り火曜に成田へ」の繰り返しだった。千穂さんは、1年の半分が息子二人との暮らし。どのようにして耐えたのか。

「子どものことで相談したくてもできない。友達に聞いたりして乗り切りました」。千穂さんの口ぶりは屈託がない。淡々としている。少々のことには動じない性格なのだろう。

現実を受け入れつつ、自分にできる範囲のことを一つ一つ実行する。柔和な顔の裏に、芯の強さがうかがえる。そんな千穂さんに好きな言葉を尋ねたら「今しなくてはいけないことをこなす。できるだけ後悔しないように」と答えた。

賢次さんは海洋開発の会社に20年間勤めた後、流通大手のセゾングループへ。それから、50歳台半ばで会社を興した。モナコの海洋博物館の特殊な水槽を、日本各地の水族館へ導入する仕事だった。

 

■自分の親は自分で見る

こうした充実した仕事をやり遂げてきた賢次さん、それを家庭で支え続けた千穂さん。だが、二人は2004年、またしても離れ離れの生活に入る。お互い納得の選択だった。「それぞれが自分の親の面倒を見よう」と。

賢次さんは東京で、千穂さんは長崎で、ともに自分の母親と暮らすことに。5年ほど前、賢次さんの母親が亡くなり、3回忌を終えてから千穂さんのいる長崎へやってきた。賢次さんは今、近所の人の誘いを受けて県中小企業団体中央会の嘱託として働いている。

「中小企業が補助金を受けられるようお手伝いしたり、企業同士が有機的に結び付くよう業種間交流を広げたい」と、まだまだ意欲的。ビジネスの第一線で長年培ってきたノウハウを、第二の故郷・長崎のために役立てられたら、との思いが伝わってくる。

 「自分はシンプルにものを考える。そして、やるからには、どうしたら楽しくやれるか、も」と賢次さん。一方の千穂浅尾 賢次・千穂ご夫妻さんはこれまでの結婚生活を「家族が病気やケガをすることなく無事に過ごせたことが一番」と振り返る。

 最後に「賢次さんにとって千穂さんは」と問うと、「相棒」と歯切れ良い答えが返った。

2016年9月 Vol.139「よろしく先輩133」