林田 義史・賀代子ご夫妻

「奥深い更紗のように」

林田 義史・賀代子ご夫妻 日本料理店経営(長崎市)

林田 義史・賀代子ご夫妻

花や人物などの模様を染め付けた高級布を更紗(さらさ)という。1613年、英国東インド会社の司令官セーリスがクローブ号で平戸へ入港した際に領主へ贈った。義史・賀代子さんご夫妻の日本料理店は、文字通り更紗のように繊細で奥深い味わいの店だ。

 

■サークル室で知り合う

義史さんが岡山県出身の賀代子さんと出会ったのは、大学2年生の時。神奈川県の同じ大学で、カメラ部所属の義史さんと証券部所属の賀代子さんは同じサークル室を使っていたため、自然にグループ交際が始まった。

学内の食堂や大学近くの喫茶店でお茶を飲む程度だったが、そのうち仲間連れで賀代子さん宅へよく遊びに来るようになった。

「みんながいなくなり二人だけになったある時、何となく距離が縮まったみたい」と賀代子さん。義史さんも「自然に親しくなっていった」と振り返る。

大学を卒業して5年後、二人は結婚した。ただ、卒業の時点で既に結婚への思いは熟成しつつあったようだ。義史さんが横浜市内の調理師学校へ入るのに合わせて、賀代子さんも同市内に就職先を決めている。

互いにどこに惹かれたのか? 義史さんは賀代子さんを「頭が良く、思いやりがある」、賀代子さんは義史さんを「本当に真面目」と評す。重ね合わせた青春の日々の中で、互いをしっかりと確かめることができたのだろう。

 

■大学紛争がきっかけに

義史さんの専攻はもともと法律。料理の道へ進むきっかけになったのは、大学紛争だった。「校舎が占拠されて1年間授業がなく、飲食関係のアルバイトを始めた。4年間続けるうちに、お店から重宝がられ、こちらも興味がわいてきた」。大学卒業後、日本料理のある親方の所を拠点に、寿司や天ぷらなど専門の店にも出向いてあれこれと学んだ。

長崎へ戻ったのは30歳近くになってから。「故郷を離れた間に長崎の味を忘れてしまっているのにびっくりした」という。10年ほど学び直し、市内の料亭で厨房を任された。「チャンスが来たので」独立、今の店をオープンした。今年7月で丸20年が過ぎた。

 

■「料理は愛情」胸に刻み

何事にも慎重な義史さんと、生来楽天家の賀代子さん。性格の異なる二人が補い協力林田 義史・賀代子ご夫妻し合って築き上げた店の信条は、「料理は愛情」。寸暇を惜しまず研究を重ね、素材の良さを引き立てる腕を磨き上げた。

長崎県産の天然真鯛を使った鯛めし、天然クエの鍋は特に知られている。今年3月には長崎県特産品新作展で水産加工品部門奨励賞も受賞。最近は東京・銀座や大阪の有名デパートからも新たな引き合いが来ている。

長男拓也さん(37)という後継者も育ち、二人は「これからは若い人にも楽しんでもらえるような店になれば」とさらなる夢を託す。

2016年10月 Vol.140「よろしく先輩134」