第9話 「のぼせもんのパワー」

江戸町の居酒屋のコート掛けにタバコの煙にまみれてかなり黄ばんだ山笠法被(やまがさはっぴ)がかけてある。
 博多には山笠(やま)のぼせという言葉がある。生半可ではない。入社の条件に山笠期間中は会社を休ませてくれとか、とてつもないのぼせぶりなのである。日頃は気にもとめる人もない山笠法被を見つけた客の話では、某銀行員が長崎勤務にもかかわらず強引に休暇届けをだして、毎年山笠を担ぎに博多へ行くという。山笠の話がはずんで酒がすすんで、やがて悲しき博多暮らしの思い出がよみがえる。
 まだ三十代の美しい人であった。ご主人が早く逝去され、おでん屋を継いでお姉さまと二人でがんばっている、けな気な人であった。そのお店へ通い始めて2年目の山笠の夏を迎えたころ風呂敷包みをそっと私に手渡し「あとで見て」と、その後は無言。帰って包みをといてみると小さな山笠法被が出てきたではありませんか。博多っ子にとっては山笠法被は命より大切なものとか。亡くなられたご主人が中洲流れの山笠のぼせで、ご愛用の法被だったと知ったのは私の転勤が決まってお別れに参上した時であった。もっと早く聞いておれば、と今でもくやまれ申し訳ない気持ちでわが身を責めている。新しいご主人とお子達にも恵まれ、幸せな生活を送られているという。メールではできぬ技である。源氏物語の時代には野の花に愛を託したというではないですか!インドのミテイラ地方では今でも恋心を絵に込めて送るそうです。
 メールや電話ではなく、もっと丁寧に真剣に心を開いてみてはと思う昨今です。