パートナー考

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様々な分野で活躍する人たちが考える、男女の距離感

第3話 「つれあい NO.3」

もう少し両親の話をします。
 80を過ぎた父に認知症の傾向が現れると、母は目に見えて強くなっていきました。
 ある日父が倒れ、病院に救急搬送されました。
 意識はなく、医師からは絶望的と告げられました。
 付き添っていた母が、家に帰って掃除をすると言い出したのは、父が入院して3日目のことでした。
 準備をしなきゃ、と。
 “準備”の最中に、父の遺言状が見つかりました。
 それは遺言状というよりも、恋文でした。
 書き出しは“チャコちゃん”。
 母の愛称です。
 貴女と過ごせて幸せでした、と揺れる文字で綴られていました。
 だから貴女は一日も早く笑顔に戻りなさい・・・。
 私たちには、葬儀の通知先、費用は兄弟で折半すること、そして“お母さんがいつも笑っていられるようにしなさい”との遺言でした。
 その2日後に、父は逝きました。

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第2話 「つれあい NO.2」

ある夫婦の話をしましょう。大正3年生まれの夫と大正13年生まれの妻。
亭主関白を絵に書いたような夫に、妻はただ仕える日々でした。
当時ではごく普通の夫婦のあり方なのかもしれません。
夫は公務員として仕事一筋で、部下の面倒見もよく、順調に出世街道を歩んでいきました。
ただ、4人の子どもがいる家庭は一切妻任せです。
毎晩のように飲み歩き、連れを伴って深夜の帰宅。
そのまま自宅で飲み続け、妻は子守をしながら接待という生活でした。
年に一度の日帰り海水浴が、唯一の家族旅行でした。
それでも子どもの躾には厳しく、無作法をすれば、子はおろか妻にまで激しい叱責が及びます。
彼は、妻にとっては畏怖であり、子どもにとってはこの上なく煙たい存在でした。
時が流れ、子どもが巣立ったり、互いに大病を患ったりするうち、二人の関係が少しずつ変わっていきました。
お茶を入れる、洗濯物を畳むなど家事をする父親の姿に、子どもたちは驚くばかり。私の両親の話です。

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第1話 「つれあい NO.1」

『Partner』を辞書で引いてみると、“協力者”とか“配偶者”という言葉に混じって“つれあい”とありました。
夫や妻というよりも、何となく深みを感じるのは私だけでしょうか?
先日「あなたへ」という映画を見ました。亡くなった妻から夫へ、故郷の海に散骨をしてほしいという遺言状が届きます。
夫は、妻の遺骨と共に、富山から平戸までの旅に出ます。
互いに“つれあい”を想う夫婦の、静かで優しいお話でした。
いつになくしみじみと色々なことを考えてしまいました。
夫婦って結構大変です。
個々のペースで流れていた時間を、結婚を堺に一緒に刻むわけです。
まずは互いの親や親戚、やがては子どもやご近所等々…様々な人の流れが加わり複雑に絡み合い、急流になったり、滞ったりうねったり、これがまあ、かなりスリリング。
互いの流れが自分のペースに溶けこみ、違和感がなくなる頃に“つれあい”と呼べるのかもしれません。
それにはどれほどの時間が必要なのでしょう?

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