日本料理 まつ山

開業から21年を迎える日本料理の名店。
上品な入口には打ち水がしてあり清涼感に溢れています。店内は落ち着く雰囲気の個室とテーブル席。季節毎に器や掛け軸、飾り花などを変え、料理とともに季節の訪れをそっと教えてくれます。大阪や福岡の料亭などで研鑽を重ねたご主人が振る舞うのは、九州産や地場の食材をふんだんに使った、洗練された京風料理の数々。お客様の料理の嗜好や要望にも対応してくれます。2人の大切な1日をここでお過ごしください。

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ピッツェリア モンテ

注文を受けてから自家製の生地を伸ばし、400℃の石窯で一気に焼き上げるピッツァは、もちもちの食感と香ばしさがたまらない。ピッツァの種類はトマトソース系、クリーム系など30種類以上。パスタやサラダ、ドルチェなどのサイドメニューも豊富で、ほとんどの料理をテイクアウトできるのも嬉しい。手作り感溢れるほっこり空間の店内で味わうのもいいけれど、テイクアウトして、近くの結の浜や小浜、雲仙を目指してもいい。青空の下、青い海を見ながらのピッツァは格別! オープンから1年を迎えて、評判が評判を呼ぶ人気店になっている。

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ビックシェフ

ビックシェフ

海沿いの起伏に富んだ国道251は、ドライブデートに最適! その途中、大きなかめに書かれた「ビックシェフ」の文字を目印に左へハンドルを切ると、山間の一軒家といった風情のこちらに辿り着く。引戸を開けると、祖母の家を思わせる懐かしい空間。床の間には季節の花、縁側の向こうでは野花が風に揺れる。女性オーナーが手作りするハンバーグやチキンソテーを引き立てるのは、特製ソース。小さなお店なので、ぜひ予約を!

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ベイリーフ

ベイリーフ

閑静な住宅街を奥まで進むと、ふいに現れる葡萄畑。そのすぐ側に、自宅の一部を改装した隠れ家レストラン「ベイリーフ」はあります。バリの大理石を敷きつめたフロアと、掘りごたつの大テーブルを設えた小上がりがあり、グループでの会食もゆったりと楽しめます。一流ホテルの料理人を経て、こちらをオープンさせた吉田さんは、「美味しさ」と「安心」を日々追求しています。県内産の新鮮な食材を自ら買い求め、島原地鶏のガラを丁寧に煮込んで熟成させたソースは他では決して味わえない滑らかな美味。テーブルを囲む人同士が、同じタイミングで熱々の料理を味わえるように仕上りを合わせてくれる心遣いにも感激です。

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Trattoria Bar Saltare サルターレ

Trattoria Bar Saltare

潮風が吹き抜ける出島ワーフで、本場の味を再現したイタリアンメニューや、バリスタが提供するカフェを優雅に楽しもう。店内の一角に設けられた「バンコ(立ち飲みカウンター)」では、エスプレッソやカプチーノをバリスタのトークとともに堪能できる。ランチタイムには、食後のエスプレッソが無料というサービスも! ハーバーライトが灯る夕刻からは、リーズナブルなバール(一品料理)とワインで盛り上がろう。これまで長崎になかった昼も夜も気軽に立ち寄れるトラットリアを、2人の行きつけにしてみて。

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蕎家 そばや

蕎家 そばや

細い路地を進むとその先に風情ある佇まいの日本家屋。暖簾をくぐり、温もりのある店内で手打ち蕎麦や天ぷらなどを肴に一献。大人の粋な夜を堪能しましょう。
こちらで味わえるのは、信州産石臼挽の蕎麦粉を使った「二八蕎麦」。今の季節なら香り高い新蕎麦が楽しめます。蕎麦職人の西岡さんは語ります。「蕎麦は、蕎麦粉と水、材料はそれだけのシンプルな食べ物です。だからこそ、それぞれがとても大切。特に水は、本石灰町の豆腐屋から天然の井戸水を分けてもらっています」。こだわりの材料を、職人の熟練の技でしなやかでいてコシの強い蕎麦に打っていくのです。
もり蕎麦、かけ蕎麦、鴨南蛮。蕎麦はもちろん、気の利いた一品料理も充実。姉妹店「御飯」名物「鯛飯」も味わえます。いつもと違う落ち着いた「和」デートはいかが?

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長崎洋和食 のだ屋

長崎洋和食 のだ屋

美味しい料理、体に優しい料理は幸せを運んでくれます。海外や京都で修行してきたオーナーの野田さんが作る料理はまさに「美味しく、優しい」ものばかり。素材は、冷凍、輸入物は一切使わず、旬のもの、新鮮なもの、鶏肉は朝から〆たものを使うなど生きた物にこだわっています。
仕入れによって内容が変わる日替りサービス800円や、手作りのハンバーグ800円などがお昼の人気メニュー。夜は「おすすめコース」2500円〜がデートにピッタリ。予算とリクエストに応じて、2人をほっこりさせてくれるメニューを用意してくれます。
「美味しいものを食べて、仲良くしましょう。料理のアドバイスもしますよ」と野田さん。これから結婚する花嫁の頼もしい味方になってくれそうです。

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パティスリー フェリーチェ

パティスリー フェリーチェ

稲佐山登山道の入口に位置する愛らしいパティスリー。地元産、旬のフルーツをふんだんに使った色とりどりのスイーツは、多くの人に愛されています。オーナーパティシエの江原さんは「ショーケースの中の彩りを考えながら、新作を創るんですよ」。「秋のショートケーキ(380円)」「くりのブリュレ(360円)」など落ち着いた秋色のケーキの中に、鮮やかな赤が映える「ムース・オ・フランボワーズ(380円)」などアクセントも忘れません。「プロポーズ用のサプライズケーキ(指輪を隠したり…)などの相談にも乗りますよ(笑)」。彼女を喜ばせる贈り物に迷ったら、こちらのケーキが強い味方になってくれそうです。

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秋月園 TEA ROOM

秋月園 TEA ROOM

長崎、九州の銘茶と、茶器などの雑貨を取り揃えた〈お茶の秋月園 浜の町店〉の2Fにあり、浜町アーケードの中とは思えないほど静かで落ち着く隠れ家です。オーナーが厳選した日本茶、和紅茶などと共に、手作りのデザートやランチが楽しめるとあってオープン以来、話題をさらっています。日本茶というと「和」のイメージですが、オーナーご夫妻の「和風にこだわらず、現代の雰囲気にあわせてお茶を楽しんでほしい」との思いから、店内はアンティークな雰囲気。デートの途中、お茶から立ち上る香りを楽しみながら、ゆったりとした時間を過ごしてみては?

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イタリアンレストラン ペペローネ

イタリアンレストラン ペペローネ

R206。バイオパークや西海橋などのスポットが点在する絶好のドライブコースに「ペペローネ」はあります。オープンから11年、地場の旬食材をふんだんに使った創作イタリアンは2人のシェフによるもの。「和風仕立のカルボナーラ」や「じゃことキャベツの和風ペペロンチーノ」など他では味わえないユニークなメニューが人気です。お昼の新メニュー「よくばりランチ」はその名の通り、アレコレ味わいたいカップルにおすすめ。ジャガイモの冷製スープ、夏野菜のトマトソースパスタ、自家製デザートなど日替りで楽しめます。デートを楽しく彩る美味揃いです!

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ATELIER PATIO アトリエ パティオ

ATELIER PATIO

静かな住宅街の中に、鮮やかな緑に縁取られた素敵なレストランを見つけました。築140年を超えた日本家屋を、リノベーション。店内にはシェフのお母様が集めた英国のアンティーク家具、食器、キルティングが飾られ、まるで童話の世界に迷い込んだようです。イタリアンをベースにフレンチ、日本料理のテイストなどを盛り込んだコース料理は、シェフの独創性が煌めいています。静かで落ち着いた雰囲気はデートにピッタリ。実際、こちらでプロポーズをして結婚したカップルもいたそうです。シェフの吉田さんは「うちが、お2人の思い出の場所になれたら嬉しいですね」と優しく微笑んでいました。

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洋風御食事処 たかちゃん

洋風御食事処 たかちゃん

左底交差点に佇む「たかちゃん」。オープンして2年目を迎えます。親しみの湧く店名は、オーナーの吉田貴詞さんの名前から付けたもの。「イタリアンではあるんですが、気取らずに気軽に入ってほしいと思って付けました」と、教えてくれました。平日はサラリーマンや主婦、休日は家族連れやカップルも多く訪れます。オーナーのお父さんもレストランのオーナー。直接何かを教わったわけではないけれど、師匠のような存在だそう。「物心ついた頃には、背中を見ていた気がします」と、ほほ笑みながら話してくれました。町の人気のレストランには、温かい心のつながりも味わえそうですね。

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カレーハウス「シェ・てつお」

カレーハウス「シェ・てつお」

野岳湖への坂の途中、自然に囲まれ、海を見下ろすログハウス。オーナーの川添哲雄さんは、高校体育教師時代、20年以上、こだわりのある、おいしいカレーを作り続けてきました。ついに、夢を叶えようと定年を3年待たずに、奥様と二人三脚でお店をオープン。歌、絵画と多才で、自作の風景画が明るい店内に美しく彩りを添えています。おいしい水と、厳選された地産地消の食材、プラス、愛情たっぷりのスパイスで、時間をかけて丁寧にじっくり煮込んだカレーは、まろやかなハーモニーを奏でます。リピーターも多く「結婚しました」「子どもができました」と、報告にきてくれるのが、うれしいですとのこと。おいしいカレーを味わいながら、ぽかぽかハートが暖まるひとときをどうぞ。

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かリィカフェ 藁

かリィカフェ 藁

自然豊かな大村の山間に「かリィカフェ藁」を見つけました。 店内は、食欲をそそるカレーの香りで満たされています。もともと、阿蘇の山奥で始めたお店だったと、オーナーの山城猛さんは教えてくれました。自然の豊かな恵みと、キレイな水がある場所にこだわり、長崎に戻る時、この場所に決めたと言います。店名の「藁(わら)」は、英語で「水(ウォーター)」と発音する時に、聞こえる音から名付けたそうです。大自然に囲まれた、この場所を知ってほしい…そして、来てくれたお客様をカレーでもてなしたいと語るオーナー。「カレーは、家で食べるのが一番。うちは2番目なら嬉しいな」と、最後に笑顔を添えてくれました。ここには、安らぎの空間と味がありそうですね。

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ワラナヤカフェ

ワラナヤカフェ

大村の山奥に位置するワラナヤは、オープンから7年目を迎えます。爽やかな笑顔で迎えてくれたのは、オーナーの霜川ゆかりさんご夫妻。そして、愛らしいヤギと、珍しい対州馬に会うこともできます。「自分たちの作った野菜で来て下さった方をもてなしたい」という思いからスタートしたそうですが、今では小麦も作っているそうです。味はもちろん、心が伝わる自家製小麦で作る料理は絶品。土日は特に、結婚式の打ち合わせをしているカップルを見かけることが多いとか。ゆったり、のんびり、幸せは自然の中から育まれているのを感じますね。幸せのお裾分けがもらえそうです。

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フランパ

フランパ

6年目になるフランパは、フランス料理とパスタの店。大通りからほんの少し離れた場所にあるため、周囲は静かな住宅街に面しています。「千葉県で修行中に出会った、一軒家造りの素敵なお店があったんです。その出会いでフランス料理に進もうと思ったんです」そう話してくれたのは、オーナーの城代さん。特に女性の20代~70代の幅広いファンの方々がいらっしゃるそうです。 晴れの日も、雨の日も、周囲を気にせず、いつでも穏やかに迎えてくれる空間がここにはあります。何気ない日常も、特別なひとときになりそうですね。

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日本料理 実り

日本料理 実り

住宅街の中に、ひときわ目立つメタリックの外観。全ての個室が違う顔を持つモダンな内装。「日本料理」の言葉が持つイメージを覆された気がします。「若い人にも気軽に入ってもらいたい」という思いを語ってくれたのは、オーナーの伊藤正実さん。間もなく10年目を迎える「日本料理 実り」。訪れるお客様の年齢層は本当に幅広い。オシャレでモダンな空間とは逆に、料理は丁寧で、素材の味を生かすことを大切にしている洗練された日本料理そのもの。気軽にランチもいい。今度の特別な日にディナーもいい…一緒に訪れる日が、楽しみですね。

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リストランテ厨

リストランテ厨

特に味わってほしいのは、おいしく楽しく調理された、たっぷりの野菜。女性ファンが多いのは、いつでも食べたくなる味と、雰囲気と、笑顔が素敵なシェフがいるからかもしれません。ほっと一息つきたい時、特別な日常を味わえそうですよ。

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和味 とく永

和味 とく永

周囲を静かな通りに囲まれて、落ち着いた外観に、趣のある入口を進むと、大人の贅沢を感じる店内にたどり着きます。2005年にオープンした「とく永」は、旬のものを、気持ちよく、美味しく食べてほしいという店主の気持ちに包まれています。料理と空間を特別な人とじっくり楽しむひとときになりそうですね。

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無量菴 伊良林 銀鍋

無量菴 伊良林 銀鍋

長崎市伊良林の住宅地に佇む無量菴。「隠れ家」と呼ばれるのも、納得です。オープンして7年目。多くのファンが大人の時間を過ごしているようです。お昼には日射しが降り注ぎ、夜にはほんのりとした光に照らされる店内。どちらも、特別なひと時になりそうですね。

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ハウステンボス

ハウステンボス

至るところにバラが散りばめられ、場内はバラの香りいっぱいに包まれています。男女問わず、人気のバラは、訪れた方々に笑顔と安らぎを与えているようです。見知らぬ人々が「こんにちは」と笑顔で挨拶を交わせるのも、バラの持つ魅力かもしれません。異国の雰囲気さえ持つこの町は、日常の忙しさも忘れさせる温かいひとときが過ごせそうです。大切な2人で過ごすには、1日だけでは足りないかもしれませんね。思い出のひとときでありますように。

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美食空間 音(on.)

美食空間 音

県道251号線のドライブコース、緑と白と赤の大きな看板が目立ちます。お店に立ち寄ると「いらっしゃいませ!」と笑顔で明るい声に迎えられ、思わずこちらも笑顔になります。大きな窓のあるテーブル席と、洋風にはめずらしいお座敷席があります。お客様を待たせたくないという思いから、料理はどこよりも早く出します!と店主の気持ちが表れているおいしい料理はもちろん、こだわりのおもてなしも味わえます。

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ローズとマリー

ローズとマリー

ローズとマリーは、化学調味料を使わず、幅広い年代の方に食べてもらえるようにこだわっています。味も接客も自然なスタイルで行っているそうです。
「“坂の町長崎”を感じる場所を選びました」と話してくださったのは、オーナーの宮川淳さん。言葉通り、斜面に面し、長崎の街を一望できる場所。大きな窓から降り注ぐ日射しを受けてランチを楽しむことができます。そして何より、長崎の夜景がディナーを演出。スタッフのおススメの時間帯は、日が落ちる夕暮れ。「夜景はもちろんですが、夕日が長崎の街並みを染めている様子は感動的ですよ」と教えてくれました。特別な二人の、特別なひとときを味わえる場所です。お店を訪れた日が、二人の記念日になりそうですね。

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平戸オランダ商館

平戸オランダ商館

平戸港の一画にある平戸オランダ商館は、大航海時代を象徴する日本最初の洋風建築で、2011年9月に復元・開館しました。石造り2階建ての美しい外観は、平戸城下町でひときわ目をひきます。東アジアにおける貿易拠点として、1609年に設立された平戸オランダ商館は、江戸時代初期の日本の対外政策を考える上で重要な存在でした。かつては異国の出船入船で賑わった平戸港。大航海時代に思いを馳せながら、ゆっくりとした時の流れを楽しむのもいいですね。

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いい森古民家レストラン DON-greeどんぐり

DON-greeどんぐり

長崎市内から国道251号線に入るとすぐ、右手に見えてくる「どんぐり」の看板。外観は、ログハウス?古民家?店内の雰囲気が想像できない印象です。オーナーの近藤さんは「小屋ですよ」と明るく笑いながら答えました。店内はゆとりのある空間と、BGMはジャズ。外観とは違い、随分オシャレで、贅沢な空間。ここに訪れる人に“間”を楽しんで欲しいという思いが伝わってきます。近藤さんは「あの“梁”が気に入って、ここに決めたんです」と大切そうに天井を見上げます。オーナーと、オーナーの家族の絆が、優しく迎え入れてくれる、そんな「どんぐり」で日常を贅沢に味わえそうですね。

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料亭 青柳

料亭 青柳

丸山の道、少し長めの石段を上がると、料亭青柳の玄関にたどり着きます。歴史の重みを感じる雰囲気に、背筋が伸びます。迎え入れてくれる方々の、にこやかで気さくな雰囲気に、緊張した気持ちもほぐれます。中には、生前よく訪れたと言う彫刻家の北村西望の作品も多くの形を残しています。二人でも、家族でも、味わえるひとときは、特別な日に訪れるのもいいでしょう。訪れた日が、特別な日になるかもしれませんね。心もお腹も満たされる時、日本の文化に触れていることを実感します。どうぞお帰りは、石段を一歩一歩ゆっくりと。飲み過ぎには、お気をつけください。

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N.Y. DINING ニューヨークダイニング

ニューヨークダイニング

長崎市内の街中に、大きく佇むベストウエスタンプレミアホテル長崎。その最上階にあるN.Y.DININGからの眺めは、さらに料理を美味しくしてくれます。お昼は、窓から射し込む光が爽やか。夜は特別な人と、特別な夜景を眺めるだけで、ロマンティックな雰囲気が漂います。レストランのテーマは「食を愉しむ大人の空間」。夜はバータイムになり、それぞれの時間帯でまた違った楽しみ方がありそうですね。本日のご予約は、何時に致しましょうか?

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ピアチェーボレ

ピアチェーボレ

晴れの日はもちろん、雨の日さえも楽しめるのは、長崎の季節を感じられる、中島川沿いの道路に面したピアチェーボレだから。店名はイタリア語で「のんびり」や「リラックスした」という意味があります。道行く人々の表情も、店内の雰囲気を作り出しているようです。特別な人と一緒でも、友人同士でも楽しめそうです。時にはカウンターで、オーナーと話をしながら、美味しい料理を食べることも、思い出になるかもしれませんね。予約した日の天気が楽しみですね。

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ル・パヴェ

ル・パヴェ

店名に長崎らしさを表現しようと思ったのだと、オーナーの川口さんは教えてくれました。眼鏡橋の近くに位置することもあり、フランス語で“石だたみ”の意味を持つ“ル・パヴェ”。料理を作るのが好きで、ホテルを中心に修行し、この場所に開店して9年目。食材にもこだわり、見て食べて、満足してもらえるように意識しているそうです。幅広い年代層にファンが多いことも納得できます。シンプルで清潔感あふれる店内は、幸せのイメージを感じられるようです。

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ヴィヴァーチェ

ヴィヴァーチェ

県道251号線のドライブコース、緑と白と赤の大きな看板が目立ちます。お店に立ち寄ると「いらっしゃいませ!」と笑顔で明るい声に迎えられ、思わずこちらも笑顔になります。大きな窓のあるテーブル席と、洋風にはめずらしいお座敷席があります。お客様を待たせたくないという思いから、料理はどこよりも早く出します!と店主の気持ちが表れているおいしい料理はもちろん、こだわりのおもてなしも味わえます。

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オスタリアバーブ

オスタリアバーブ

33年目を迎えるオスタリアバーブ。“バーブ”はオーナー北川さんのニックネームに由来するそうです。「イタリア料理を気軽に活用してほしい」と北川さんは言います。ランチには主婦の方、週末には家族連れ、ディナーには恋人同士が多く訪れるそうで、幅広い年齢層に愛されています。心地よい光を受ける店内の雰囲気と共に、オーナーの人柄も加わって、厳選した野菜や魚、お肉を使った料理が、さらに美味しくいただけます。

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レストラン ル・オンズィエム

レストラン ル・オンズィエム

幼いころに、初めて作ったラーメンを「おいしい」と言ってくれたお祖父さん。その言葉が嬉しくて「もっとたくさんの人に、おいしいと言ってもらいたい」と思ったのが、きっかけだったと教えてくれたオーナーの松田さん。修業中に出会ったフランス料理があまりにおいしくて、その思いをたくさんの人に味わってほしかった、と言います。

レストラン ル・オンズィエム

ドイツで修業を3年、フランスで6年、その後長崎に戻って「レストラン ル・オンズィエム」を開店したオーナーの松田さん。「いらっしゃいませ」と元気な声と粋な笑顔で迎えてくれるのは、奥様の千嘉さん。「彼女に会いにきているお客さんが多いんです。おいしい料理を作っても、来ていただかなければいけませんから、彼女がいなかったらお店なんてできませんよ」とオーナーは笑います。笑顔の千嘉さんにファンが多いのも納得。おいしいものを食べると、自然に笑顔になりますね。

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ホテルグランドパレス 諫早 レストラン プルニエ

ホテルグランドパレス 諫早 レストラン プルニエ

レストラン内に併設されている、レストラン・プルニエは店名通り“魚料理”をメインに味わってほしいという思いが込められています。インターネットの口コミにより、朝食が大反響。朝食だけいただきたいという方に対応して、予約にて受け付けているそうです。普段より、ちょっと早めに起床して、ちょっとだけ贅沢な朝食から始まるのも、いいかもしれませんね。

ホテルグランドパレス諫早は、諫早駅にほど近い、市内中心部に位置します。ホテルはゆったりと落ち着き感のある客室と、スタッフの細やかなおもてなしが、訪れた人の心を癒します。また、 長崎県の中心に位置することもあり、多方面から婚礼のご予約も多くあるそうです。

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TRATTORIA LA VENTURA

TRATTORIA LA VENTURA

「店内の雰囲気がよくて、料理もおいしかったですよ」と教えてくれたのは、デートに行ったというシンパシーの会員の方々。店名の「VENTURA」には、「偶然、幸運」などの意味もあるそうです。ここで幸せなことが起こった会員の方もいるかもしれませんね。

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Cafe 豆ちゃん

Cafe 豆ちゃん

「気軽に入ってきた人に、自然なかたちでアートに触れてほしいですね。ゆっくりアートを楽しめる場所が、長崎にあればいいなという思いでやっています。」と話す店主兼デザイナーの吉田隆さん。ゆったりとした時間が流れるカフェ&ギャラリーで、充実したひとときを過ごせそうですね。

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カフェ カプリス

カフェ カプリス

カフェ カプリスは、オランダ坂の隣にあります。カウンター8席の小さな店内には、美味しそうな手作りの焼き菓子、ベーグルやキッシュなどが並んでいます。遠くは県外から、この味を求めて訪ねてくるファンもいらっしゃるそうです。心温まる時間を過ごしたいですね。

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ホテルニュータンダ レストラン シーボルト

ホテルニュータンダ レストラン シーボルト

レンガ色の外観が印象的なホテルニュータンダは、大浦の電車通り沿いにあります。ヨーロッパ風のクラシックな雰囲気のレストラン内。オランダ坂を目の前に、美味しいお料理をいただきながら特別な時間を過ごしませんか?喫茶のみのご利用もできますよ。

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フランス料理 アンぺキャブル

フランス料理 アンぺキャブル

料理は、味も質もシェフのこだわりがたっぷりつまったものばかり。特に「長崎の食材」にこだわり、休みの日は生産者に会うため、県内中を走り回ります。生産者と直接会い、気持ちを料理で表現することを大切にしています。まさに「アンぺキャブル」という声が聞こえてきそうです。

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trattoria UGO

trattoria UGO

自分が誇りを持って出せるものしか出さないというシェフ。色とりどりの野菜も、質の高い肉料理もこだわりの逸品です。店内の雰囲気作りやデザインにもシェフの思いが込められています。クリスマスにはスペシャルメニューも用意しているとのこと。早目の予約でクリスマスも待ち遠しいですね。

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田舎茶屋 灯火

田舎茶屋 灯火

オーナーの堺さんは中国西安出身。長崎に来て11年が過ぎました。山の中でも温かさと明るさ、地域の活性化や元気を作りたいという思いから“灯火”は名づけられました。お店の噂を聞き、訪れる人は県内だけでなく、全国各地から集まります。海外から訪れる人もめずらしくないそうです。料理はもちろん、堺さんの魅力に引き寄せられているのでしょうね。

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風びより cafe cozy

風びより cafe cozy

季節毎にエネルギーを貯えた食材たちの力強い生命力とキラキラした存在感を頂き、美味しく楽しく「メニュー」に登場させたいと思っています。中でもオリジナリティの高いパンやスイーツは、植物性の材料を使ったり庭で採れた果実で自家製ジャムを作ったり、カロリーを抑えながら添加物は使わない、などしています。また、脇役のドレッシングやソースもすべて手作りで、保存添加物は入っていません。それぞれの料理やスウィーツを美味しくドレスアップしています。風びよりには、他に生活雑貨アクセサリーショップ、本屋さんなど、見どころがたくさんあります。食事とともに温かい光も感じられます。

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Pleaisir de Vin プレジール・ド・ヴァン

Pleaisir de Vin プレジール・ド・ヴァン

100種類以上あるボトルワインと、10種類のグラスワインを味わえるワインバーです。ワインを1杯だけ楽しみたい方も、お食事を楽しみたい方も、満足です。コンセプトは「大人のカジュアル」オシャレに楽しめる時間を過ごしませんか?

(写真のワイン)赤:ジャン・バルモン・カベルネ・ソーヴィニョン(3,000円)フランス産/白:ウィリアム・フェーブル・シャルドネ(3,000円)チリ産

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花ざしき 和香

花ざしき 和香

島原のドライブコース、オシャレな造りのお店があります。外装、内装、小物に至るまで、店主のこだわりが伺えます。全室海を眺めることができる部屋は、風景もご馳走です。「和香」の店名通り、店内にて“和”が香り、感じることができる空間です。まさに、贅沢な午後が味わえそうです。
和香のお食事は、女性が喜ぶ色とりどりの内容です。たくさんの料理を少しずついただけるのが贅沢ですね。友だちと一緒でも、デートでも、家族と一緒でも、誰もが喜ぶ雰囲気とお料理がいただけます。季節もたっぷり味わえるのが、和食の魅力ですね。

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ステーキハウス おかの

ステーキハウス おかの

多くの人に愛されて、42年の歴史を持つ“おかの”は老舗のステーキハウス。上質な九州の黒毛和牛を、目の前で焼いてくれる贅沢なスタイルです。 3Fと4F併せて45席。雰囲気はもちろん、シェフとの会話もご馳走の一つです。特別な日は贅沢な食べ方でいただきましょう!

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HARBIN

HARBIN

開店して50年が経ったというハルビンは、誰もが知る長崎の老舗レストラン。かつてより多くの人に「ロシア料理」のお店として親しまれています。「お客様を型にはめない」という姿勢と“変わらない味”を守り続けている姿勢で多くのファンを魅了し続けます。おいしい料理はもちろん、店内の雰囲気もご馳走です。特別な人と、特別な会話を楽しむ人でありたいですね。

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ブラッスリー イトウ

ブラッスリー イトウ

日中には明るい陽射しが射し込み、夜は温かい光でゆったりとした雰囲気を作るブラッスリーイトウ。予約の時に誕生日や記念日を告げると、オーナーよりサプライズプレゼントもあります。ここでは嬉しい記念日を迎える方がいるそうです。本格フレンチが気軽に頂けるのはオーナーが持つ雰囲気かも知れませんね。友だち同士でも特別な人とでも素敵な時間を過ごせます。

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レストランバー いわばえ

レストランバー いわばえ

いわばえの内装は全てオーナーのプロデュース。家具もアリゾナから直輸入。ゴルフの後にお食事がいただけるのも嬉しいですね。もちろん、お食事だけの方も多く来店しています。落ちついた店内は大人の雰囲気。ペアメニューはぜひ特別な人と。シニアソムリエの資格も持つオーナーの珍しいワインもいただけます。

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美綵味 vis-a-vis ヴィ・ザ・ヴィ

美綵味 vis-a-vis ヴィ・ザ・ヴィ

落ちついた寺町通りに静かに佇み、大人の雰囲気が漂います。店内はカウンター、掘りごたつ、座敷…と様々な顔を持っています。オーナーこだわりのドリンクメニューは200種類以上。迷った時はオーナーに相談するのも楽しみの一つですね。スタッフの温かなおもてなしは大切な時間を作ってくれますね。

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ル それいゆ

ル それいゆ

長与町の山の中、レストランまでの道のりは、春には桜並木、秋にはみかん畑が続きます。看板が見て、気になる雰囲気のレストランは完全予約制。“ルそれいゆ”は21年になるレストランです。今の場所に移転して5年になります。特別な日に県外を含め遠方から来られるファンも多いようです。「安心してお食事をして頂ける空間を心がけております」とオーナーは語ります。

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森の舎楽

森の舎楽

西海市の森の中を、車でどれくらい走ったでしょうか。空気が澄み、日頃の忙しさを忘れて心地よい気分になって来ると“森の舎楽”の案内板が見えます。澄んだ空気、惜しみなく降り注ぐ太陽…「贅沢なところね」と訪れた人が口をそろえるそうです。本来あるべき自然の時間を贅沢に癒しの空間として過ごして欲しいという思いがあるそうです。

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カジュアルレストラン shi-no

カジュアルレストラン shi-no

住宅街の中に立ち並ぶ家の間にshi-noはあります。玄関のドアを開けるとき思わず「お邪魔します」と言ってしまいそうです。完全予約制ですので、ゆったりと満喫できます。「ひとりひとりを大切にしたいという思いからこのような形になりました」とオーナーは語ります。たっぷり料理は、男性の方も満足できるはず。堅くならず気軽に楽しんで頂きたいという思いから、目の前には箸が置かれています。

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レストラン Toki

レストラン Toki

平成12年に開店したレストランToki。オーナーは開業前の8年間ハーブ園で栽培から調理に至るまで研究に携わっていたそうです。自家栽培のこだわりハーブをたっぷり使った料理は、店内いっぱいに香りが漂い、思わず食欲をそそられます。店内には“ラッキーシート”と呼ばれる席があります。この席でプロポーズし、結婚に至ったカップルが複数。次のラッキーシートでハッピーストーリーを作りのはどんな方でしょう。

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大島アイランドホテル

大島アイランドホテル

広々としたロビーに入ると、窓から射し込む光とともに、たくさんの木彫りのトロール人形がお出迎えです。鈴木猛画伯のユーモアあふれる階がいも楽しめます。全ての客室から海が見え、まさにリゾート気分満喫!清潔感のある室内に「きてよかった~」と思わう発してしまいます。

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Carpe Diem カーペ・ディエム

Carpe Diem カーペ・ディエム

店名の“カーペディエム”はラテン語で「今を生きる」という意味だそうです。さくらの里に移転して3年以上が経過しました。海の見える丘の上でのお食事は気持ちも特別ですね。

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すし・割烹 てん新

すし・割烹 てん新

地元の方はもちろん、長崎市内や県外からも足を運んでくるお客さんも多いそうです。連日大賑わいの店内では、いつも元気な挨拶が飛び交っています。建物の作りだけなく、スタッフの小さな気配りと笑顔もたくさんのファンをつくる秘訣のようです。

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中国家庭料理 紅灯記

中国家庭料理 紅灯記

長崎県庁のすぐ傍にある紅灯記は、30年以上多くの方に愛され続けているお店です。どこか懐かしさを感じるような、あっさりとした温かみのある味に、多くのファンがいるのも納得です。「長崎の旬な食材を季節を感じながら食べてほしい」と話してくれた譚さんの思いが料理に表れているようです。

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Fritz Frats(フリッフ・フラッツ)

Fritz Frats(フリッフ・フラッツ)

“フリッツ・フラッツ”とはドイツ語で「いたずら坊主」「わんぱく小僧」などの意味があるそうです。広々とした明るい店内に、元気なスタッフが迎えてくれました。食材は地元島原の豊富な素材を使っているものがおおくあります。生地から手作りしたこだわりのピザのモチモチ感は、一度食べたらやみつきになりそうです。ドライブの途中、こだわりの料理を堪能したいですね。

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御家紋(おげもん)

御家紋(おげもん)

紅茶をメインにした喫茶店を始めて35年が過ぎました。今では平戸で一番歴史のある喫茶店になりました…オーナーの千北さんの明るい笑顔はどこか懐かしさと深さを感じました。「また来たよ」と県外至る所から集まるお客様の気持ちもわかります。今日も遠方からのお客様や町の人々が気軽に集っています。「おかえりなさい」そんな言葉さえ自然に響いてしまうこの店内で、ほっと一息甘い紅茶で過ごしませんか?

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Fellow’s フェローズ

Fellow's フェローズ

国道251号線のデートスポットと言えば、こちらのお店を思い浮かべる方も多いでしょう。橘湾をそぞ無絶景ポイント。ランチタイムは太陽の光を浴びて輝く海を眺め、ディナータイムはほのかな光の店内を満喫できます。長年愛されるお店には、確かなこだわりと優しさがあふれています。何度も足を運ぶお客さんが多いのも納得です。特別な日、特別な人と過ごす時間を大切にできそうですね。

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梅蓮(ばいれん)

梅蓮(ばいれん)

山の奥、車でやっとたどり着いた“梅蓮”は想像以上に素敵なところでした。純和風の古民家造りの門をくぐると、店内は洋風のテーブルセッティング。全てが調和して、他では味わえない心地よい空間を与えてくれます。ランチの時間は焼きたてのパンを食べたいという客さまが多く、連日大賑わいです。ディナーは完全予約制で、記念日などに来られる方が多いとか。ゆったり店内の雰囲気とご馳走を味わって頂きたいとオーナーは語ります。

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馳走屋 ほてい舘

馳走屋 ほてい舘

八郎川の川沿いに白い外観が見えます。店内は1階が個室になっていて、会話と料理をたっぷり楽しめます。何より豊富なメニューが嬉しいですね。お昼はランチ、夜は少しお酒もいただいて…。

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西欧亭

西欧亭

県道251号線のドライブコース、緑と白と赤の大きな看板が目立ちます。お店に立ち寄ると「いらっしゃいませ!」と笑顔で明るい声に迎えられ、思わずこちらも笑顔になります。大きな窓のあるテーブル席と、洋風にはめずらしいお座敷席があります。お客様を待たせたくないという思いから、料理はどこよりも早く出します!と店主の気持ちが表れているおいしい料理はもちろん、こだわりのおもてなしも味わえます。

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長崎街道 Louise(ルイーズ)

長崎街道 Louise

スイーツファンの間では有名なルイーズ。お勧めは「純生ロールケーキ」!全国からお取り寄せをするファンも多くいるそうです。

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海月 別亭

海月 別亭

玄関の扉を開けると大きな透かし絵に目を惹かれます。大きな鎧兜は5月限定です。玄関には季節に応じたものが飾られています。訪れた時にどんなものが飾られているか楽しみの一つですね。「いらっしゃいませ」と笑顔で迎えて下さる女将の田端さん。庭を眺めるように橘湾を眺めながら、料理と一緒に贅沢な景色も味わえます。粋な笑顔の女将に会えるのも楽しみですね。

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街角のフレンチ スカイベル

街角のフレンチ スカイベル

「料理もワインもうんちくより先に“楽しんで”ほしいです」とオーナーご夫妻は温かい笑顔で語ってくれました。特別な日や記念日に予約してご来店下さるお客様との素敵なエピソード、直接お話しを聞いてみるのもご馳走になりそうです。

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小津季(さつき)

小津季(さつき)

店内は落ち着いた雰囲気で、テーブル席と和室、カウンター席があります。店名には「集う、集まる」という意味を持つ“津”、「季節感を大切にしたい」という思いの“季”を小気味よく合わせて“小津季”としたそうです。料理とともに、器や雰囲気も一緒にゆっくり味わってほしいとオーナーはいいます。和食のおいしさ、美しさを季節感と共に感じられる特別なお店を知っておくことも大切ですね。

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ジョイフル

ジョイフル

店内が落ちついた雰囲気に包まれているのは、照明とインテリアのせいだけではなさそうです。おいしいコーヒーと料理、何よりオーナーご夫妻の人柄に惹かれて、たくさんの方が自然に集まっているようです。いつでもおいしい料理と会話を楽しめるのは、そのせいですね。

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カフェ・ド・ジーノ

カフェ・ド・ジーノ

住宅街の真ん中にあるオアシスのようなカフェ・ド・ジーノ。店内のなどから見える景色は、森林浴をしているような雰囲気になります。以前、こちらでお見合いをした方がいらっしゃるそうで、結果は大成功だったとか。今ではお子さんと一緒に3人で訪れて下さるそうです。店内で癒されるのは、緑の中というだけではなさそうですね。

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史跡料亭 花月

史跡料亭 花月

歴史に名高い史跡料亭花月。門をくぐると、驚くほど大きな提灯が目に飛び込んできました。歴史に名の残る人たちが愛した部屋には、坂本龍馬の刀傷が今でも鮮明に残っています。料理を通して「長崎の文化と伝統を伝えたい」と、変わらぬ伝統のある味を大事に受けついているそうです。長崎の心を表した卓袱料理、美しい庭もご馳走の一つ。特別な日、特別な場所での料理も楽しみたいですね。

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シャトープラージュ

シャトープラージュ

「シャトープラージュ」とは、波打ち際、浜辺の城という意味があるそうです。店名通り、窓から見える景色はまさに浜辺の城からの眺めのようです。あまりの景色のよさに、遠方からのお客様より地元の方が驚かれるとか。贅沢な景色とともに、野菜を中心とした体に優しいヘルシーフレンチがいただけます。

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monne legui moooks

monne legui moooks

「ゆとりある時間を過ごして欲しいです。ただの古民家改装にしたくありませんでした。人と人とがつながる場所をつ売りたいと思っていますよ」とオーナーよりメッセージをいただきました。

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レストランテ クッチーナ

レストランテ クッチーナ

「可能な限り、減農薬や有機にこだわり、水・米・場など基本的な部分からこだわっています。“体にやさしい食事”がコンセプトです」とオーナーより。

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ホテルモントレ長崎

ホテルモントレ長崎

ホテルモントレ長崎は、ポルトガルの修道院をイメージして建てられているそうです。使用しているタイルもポルトガル製。家具は海外より輸入して、外国のイメージを再現しているそうです。時には“違う日常”を味わってみるのはいかがでしょうか。

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elv cafe

elv cafe

中島川沿い、ほぼ眼鏡橋の前に前に位置しているelv cafe。店内は「一人ひとり好きな時間をゆったりとくつろいで頂きたい」というオーナーの中村さんの気持ちが表れています。雨の日でも、二人でのんびり贅沢なカフェタイムが過ごせそうですね。

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カフェバー キャンティ

カフェバー キャンティ

女性一人でも気軽に入れるカフェバーです。オーナーーの山口さんは女性も憧れるステキな女性。他では味わえない雰囲気や会話が楽しめます。

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水辺の公園レストラン

水辺の公園レストラン

ガラス張りで、外の一人が惜しみなく降り注ぐ店内。テラスでゆっくりカフェタイムを楽しむのもおすすめです。昼と夜、違った雰囲気を持つレストランは、また訪れたくなります。

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オーベルジュ あかだま

オーベルジュ あかだま

「大切な人と、自然を感じながらのんびりと過ごしていただき、ここでの滞在が心身ともにリラックスしていただけることを願っております」と店主より。

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ビストロ ピエ・ド・ポー

ビストロ ピエ・ド・ポー

「大切な人と、自然を感じながらのんびりと過ごしていただき、ここでの滞在が心身ともにリラックスしていただけることを願っております」と店主より。

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リストランテ kado

リストランテ kado

長崎市の中心、浜町アーケードの脇道に少し入ったところ、路地に看板が見えます。看板の横の階段を上がって、2Fのドアを開けると、アーケードのにぎわいを忘れさせてくれる落ちついた空間が広がっています。

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自然の味 とるーす

自然の味 とるーす

大村市の山中、ポツンポツンと家が並ぶ道路沿いに『自然の味とるーす』の看板を発見しました。周囲に見えるものは、山と大村湾。「最初は一人でお店の何もかもをするつもりだったけど、今は周りの協力なしにはできないと実感しています。メニューもお客様の声でできています」いつも感謝の気持ちを大切にしている店主とスタッフが温かく迎えてくれるお店です。

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ミュージアムレストラン 銀嶺

ミュージアムレストラン 銀嶺

創業昭和5年、長崎の老舗西洋レストラン「銀嶺」が長崎歴史博物館内に復活しました。季節の食材を用いたオリジナルのメニューや、創業以来の伝統料理を味わうことができます。

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ビストロ ボルドー

ビストロ ボルドー

ボルドーからの提案「時間を食べよう」

長崎県産の質の高い食材を使い、化学調味料やインスタント食品を用いずに、お客様の目の前でひとつひとつ作る料理。おすすめは料理コンテストで高い評価をいただいた“鴨のソテー”音楽やバイクの好きなシェフは大のワイン通でもあります。多くの方々が「飲ムリエ」と称して集うお店。心をこめた手作りの料理は、時の流れを忘れて会話と共に楽しんでください。

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タンシチューの店 TOM’S

タンシチューの店 TOM'S

東京で11年間タンシチューの店として親しまれてきましたが、奥さまの故郷大村に戻り開店しました。ご主人の川崎力(ツトム)さんは小さい頃から父親に「トム」と呼ばれ、店名をTOM’Sに。20歳若い働き者の奥様とアットホームなお店です。

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Sourire スーリール

Sourire スーリール

契約農家から仕入れる有機食材を使った自然はの料理や、フランスの有機ワインなどが揃っています。浜町アーケード付近にあるので、とっても便利。オシャレなレストランでランチはいかが?

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オカモト・シェ・ダムール

オカモト・シェ・ダムール

いつも元気なスタッフが迎えてくれることで有名なオカモト・シェ・ダムール。その活気に引き寄せられて、連日大賑わいの店内。色とりどりのケーキ、今日はどれにしようか迷います。2Fのカフェスペースもゆったりとでき、おいしいケーキと、最高の眺めで、嬉しくなりますね。

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ギャラリーandカフェ からこ野

「窓から見える風景も素敵だと思いますが、手作りの甘いケーキと共に、お二人の時間をスイートにお過ごし下さい」と店主よりお言葉です。温かく天気のいい日は、ドライブの休憩も素敵ですよ。

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結婚相談所の活用、まずその前に

あなたはどうして結婚相談所のことを考えましたか?
『結婚したいから』
『出会いがないから』
『真剣に結婚を考えているから』
『理想の人と結婚したいから』・・・

理由は人それぞれですね。

でも、みなさんに共通しているのは
〝 結婚したい 〟という気持ちがあることです。

すぐ結婚したい人、
結婚相手をゆっくり探したい人。

あなたはどちらでしょうか?

結婚相談所を利用するにあたり、一番大切なことは、
自分自身に合った結婚相談所を利用すること
です。

シンパシーのホームページにお越し頂いたあなたは、
どのような活動をご希望でしょうか?
一度自分自身と向き合うことも必要ですね。

専門家に相談しながら話を進めていくと、糸口も見つけ易いでしょう。
シンパシーでは、あなたがあなた自身と向き合える、
専門スタッフがお待ちしております。

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白石 國男 校長

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(南島原市立見岳小学校)

「小さなことでも目標設定」
現在の児童数が45名の見岳小学校。「“ガキ大将”がいなくなりましたね」と話してくださったのは教職32年になる白石國男校長先生。「昔は子どもたちが親の生き方、生活を黙って見て、強くなった気がします。以前に比べるとたくましさを感じられなくなりました」とどこか寂しそうな表情。
 白石校長先生は児童に対し、子どもだからと言って子ども扱いせず、人として尊重し「真心・感謝・最善」の気持ちで児童に接しています。地域の人を巻き込み、学校全体で森の活動やシイタケ栽培、タケノコ堀りなど積極的にコミュニケーションの場を作っています。どんな小さなことでも目標設定することを意識していると言います。子どもたちと一緒に成長することを積極的に楽しんでいるようでした。

(2011年9月取材)

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山口 厚 校長

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(南島原市立山口小学校)

「楽しめる人になってほしい」
現在児童数が12名の山口小学校。「同級生がいないのはかわいそう」と話してくたのは、山口厚校長先生。運動会などは、卒業した中学生が手伝い、地域とつながって行われるそうです。私が学校を訪れた時、生徒は運動場でかけっこ中。そのうちひとりの生徒が私に気づき、運動場の端っこから大きな声で「こんにちは!」と声をかけてくれました。すぐに、全員が大きな声で挨拶。意外と、分かっているのにいくつになってもできないのが“挨拶”。初めて訪れる小さな小学校は、大きな心が育っているように感じられました。
 山口校長先生は子どもたちに対し「何でも楽しめる人になってほしい」と言います。少ない人数だからこそ、地域とつながり、感謝の気持ちを深く感じられる人に成長できるのかもしれませんね。

(2011年8月取材)

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第44話 「金庫網」

新しい年もそろそろ落ち着いてまいりましたでしょうか。仕事の目標、生き方の決意、人と人との不思議など、学びあり、失意あり、感動あり、そのひとつひとつが人生の心の栄養としてあなたのこころの金庫の中にたくさん貯まりますよう、恐れずにまいりましょうよ。
 こころの金庫と申しますと、金庫網という網のお話を聞かれたことはございますでしょうか。定置網という漁法がございます。石垣のように廻りを網でかこって魚を入れていくのですが、網をしぼっていくまでは出入りはかなり自由です。しかしその奥に金庫網というものがあるらしく、ここへ入ったら最後、もう二度と出られないのだそうです。本土から離島勤務へ転勤赴任する若者たちへよく言われるのがこのたとえです。グランド(定置網)の中だけで存分に泳いでいらっしゃい。でもどんなにおいしそうなお魚さんが居ても金庫網だけは入ったらダメよ、と。
 でも、喜んで金庫網に入り、子供まで連れて意気揚々と帰ってくる人のなんと多いことか。さて、今年は自分の金庫網をしっかり意識して、磨いて、勇気に致しましょう。

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第43話 「今年の決心と覚悟は良い仲です」

始まりはすべて終わりの始まりだとか。自分自身で自分をどれだけ力強くはげまして生きていくかの覚悟を大切に見つめなさい。すべては自分に始まって自分に終わる。結婚なんてまさにこのフレーズにつきるのではないでしょうか。幸せなのか、不幸せなのかは別にしまして、結婚は誰だって一度はするべきものでしょうし、一緒に暮らしながら自分を知り、相手への理解と寛容も生まれてくるものだと思います。うまくいかなければ、失敗も経験。別れてしまえばいいくらいの大らかさでこころを開いてごらんなさい。今は情報があふれ、テレビ、週刊誌で見聞きするような、若くて、かっこ良くて、高給取りの相手なんて、レベルとラベルの比較にもなりません。
 ご自分のまわりの七十才を過ぎたいい方々にお話を伺ってごらんなさい。ほとんどがお見合いで数十年の人生をかけて嫁を迎え、婚家の事情も分からずご縁にすがってきたのです。やる時はやらねば。それが人生です。幸せな年になりますよう祈りあげます。

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第42話 「年賀状」

師走になりますと、賀状の準備にこころせかされます。かつてはパソコンで、プリンターで何の不思議も感じなかったのですが、お世話になった方々のお顔を思い浮かべますとやっぱりおかしい、やっぱり失礼だと思ったりしまして、で、昨年の年賀状から約三百枚表も裏も手書きにと決心し、実行しました。久方ぶりにペンダコができまして(ペンダコというのは、右手の人差し指にタコができるのですが、ワープロ、メールの時代の方々にはご理解いただけないでしょうが、それなりの充実感があるものですよ)コピーライターをしていた頃の情熱がよみがえってまいりまして、実に爽快でございました。今年も手書きにいたします。ご希望の方はどうぞシンパシーへ。私の手書きの文字はとても暖かいと好評なのですよ。お送り申しあげます。このページだけではなく、そんなご縁もあったりしたらシンパシーも私もとても幸せな気持で新しい年への希望、勇気をいただけると思ったりしながら、どうぞハッピーニューイヤー。

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第41話 「船旅をしましょうね、2人で」

最近の朝の習慣として水辺の森公園へ猫缶を持っていくのです。人間によくなれたノラちゃんがいて、たぶん転勤か何かで捨てられた、かつては飼い猫だったのでしょう。品のよい猫です。グレーと名付けて毎朝の面会です。そこでのひと時、いつも思うのです。猫を捨てるような人は、愛する人も自分の都合できっと捨てられるんだろうなと。この日は外国からの観光船が二隻入港してまして、年老いたご夫婦が数組手をつないで散歩しておられました。どこの国から来て、どこの国へ行かれるのでしょう。寒くなったら私もグレーを家に引き取ろうと思っています。
 人の淋しさ、つらさをわかっていたつもりの自分を、年を重ね、重ねますと反省しきりです。生き方の、思いやりの、愛の何が大事なのか、どうぞ変えないものは絶対変えないで、変われるものは素直に変えて、と願うのみです。

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第40話 「風になろう、飛んでいこう」

九月の声を聞きますと、今も風の盆の哀調が耳元によみがえります。越中、富山、八尾(やつお)に伝わる実に静かで、深い男と女のさりげないからみ合いがこころにしみます。三味線と胡弓、そしておはら節の男性の高音。八尾には宿が数件しかなく、夜も10時を過ぎますと、観光客も引いてしまい、本来の風の盆に戻ります。胡弓と三味、足音もなく静かに進む男踊り、女踊り。どこかできっと目と目、こころとこころはからみあっているであろう見事な一対の夢、幻。
 この八尾の風の盆を知ったのは高橋治さんの小説「風の盆恋歌」(新潮社)に出会ってからです。根気のいる小説ですが、大人の恋の不思議に満ち満ちたとても崇高な生き方だと、私は感じいりました。立春から二百十日の荒ぶる日を選んで男と女の無言で通り過ぎて行く風の舞を、もう一度舞ってみたいと思う年になりました。気持ひとつで風になれます。どこへでも飛んで行けます。八尾の風の盆は九月の一、二、三の三日間です。

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第39話 「自分磨きの旅」

7月末の長崎みなと祭りの花火を若い人達と船上からビール片手にカンパイ、カンパーイと見物しました。打ち上げの点火の火も見える、くらいの所から、花火はまさに頭上で開花。見事なものではありましたが思っていたほどの感動はありませんでした。多分、どんなに美しいものでも間近で、これでもか、これでもかと見せつけられると風情(ふぜい)も趣(おもむき)もあったものではありません。日頃の会話もそうですが、ほど良い距離とほど良い音が伝えたいことよりも伝えたいこころがあの方へ届くのではないでしょうか。頭上で花開く花火の破裂音を聞きながら隣の人とロクな会話もできず黙しておりました。昔の人は言いましたではないのですか。
「夜目、遠目、傘の内」と女性が一番美しく見えるシチュエーションをはしなくも見事に言葉にしております。何事も控え目になさいませという先人の警句として胸の内にしまっておきたいものです。生き方に比較の対象など決してありません。つまるところ、この道は自分磨きの旅なのですから。

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第38話 「夏への便り」

夏がくれば思い出す。はるかな恋、遠い人。ウソはなかった、すれ違っただけ。青春色に輝いて、はるかな恋、もう一度。
 あなたのために、良かれと思ってしていたことが、必ずしも望まれていたことではなく、喜んでもらえていなかったことを、すれ違いが多くなるに従って、私にもようやく分かってきました。気を利かせたつもりが、うっとうしいと言われた時、早く切り上げなければと、よぎっては消え、消えては未練が引き止めた。そんな日々からの脱却がはっきりと私の決心になりました。
 人生は何ごとも“なるように”なるようにできているという、あきらめと希望が押したり引いたりしながら、自分自身を自分で理解することがどんなに毎日の手助けになるのかも学びました。またあの夏の日が来ます。がんばります。

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第37話 「ラブ」

相棒という映画が大ヒットだそうです。私は映画、テレビなどの映像文化よりも文字文化の信奉者です。自分の文化として蓄積していけるのは絶対に活字だと信じておりますし、実感もあります。
 と、いいつつも過日、テレビで相棒というおなじみ水谷豊のリピート番組に見入ってしまいました。「ラブ」という名の犬をめぐっての殺人事件でした。妻よりも、夫よりもペットを愛し、大切に思う男と女の愛憎のこころ模様の不思議にただただため息でした。
 愛とは何なのでしょう。人を信じられなくて愛が生きていけるのでしょうか。自信をもって自分を信じ、相手を信頼してこその愛だと思うのです。それでもむくわれない愛もあります。私にもそんなつらい経験が、ひとつやふたつではなくあります。恐れてはなりません。それが人生、それが人間なのです。目をつぶることなく過去を見つめ、明日を信じて自らの可能性を磨いていこうではありませんか。

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第36話 「花のいのちはみじかくない」

今年は例年になく寒さの残る春でしたね。桜が咲いて、散って、ツツジと菜の花の競演も盛りを過ぎて、本当の春が来る前に、花の季節も急ぎ足でございました。「花のいのちは短くて、きびしきことのみ多かりき」(林ふみ子)などと時々思った昔もありますが、どっこい、人の生き方を花にたとえられてもそこまで落ち込むなどということは、非凡な私などには得心できません。
 こころの持ちようで、いつも青春、いつまでも青春。可能性を信じて、それなりに心身を整えていく覚悟を持ち続けていければ、若く、強く輝いていけると私は思います。
 過日、ある女性からカメラをいただきました。私の趣味のはしくれに写真があることをひとことも言わず感じとってくれるやさしいこころの方です。35mmのフィルムカメラで、数十年前の日本を代表するメカニカルカメラです。安易、簡便、ムダなしのデジタルカメラ全盛の今、かつてのご主人との想い出の残像がたっぷりつまったカメラを、なぜ、今私に。彼女の出直しの決意を嬉しくいただきました。デジタルカメラは季節は褪せても、こころは褪せません。どうぞこころの褪せる太陽の季節へ急がず、あせらずご一緒しましょう。

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第35話 「私は私」

店主が居酒屋を営む江戸町界隈は、結構緑の多い地域です。県庁の庭、江戸町公園、出島通り沿いの銀杏並木。ここ数日、一気に春めいてあたたかな日が続いています。木々もいっせいに芽吹きました。殊に銀杏の若芽の浅い緑の連なりは、新しい季節への希望を語りかけてくれています。季節の移ろいは、殊に冬から春への変化には勇気と何かしらの幸せの予感が色に空気に装いに感じられて心が弾みます。全てのことが何とかなりそうな気分に浮き立ちます。心地よい流れに身を任せて、突き進むもよし、やがて来る厳しい暑さ、寒さにどのようにでも身を任せ、平常心で立ち向かえる「私は私」の覚悟を大切に守り続けていくための糧とするのもよし。
 と申しますのは、今の時代は常に新しいこととの追っかけっこをエネルギーとしているのではなかろうかと私は思うからです。新しい形を作っては壊し、壊しては作り、もし自分流または定型(普通の生き方)にこだわりを持ち続けるとコミュニケーションパワーを失くしてしまうのではないかとの不安が、ふと人やモノを見る目に心にジレンマとして生じがちです。私は会社勤めを辞めてから、パソコンときっぱり縁を切りました。いろんな書き物も全て手書きです。情報だ、機器だと興味を持ち、飛びつくのも結構ですが、使いこなせずに使いこなされている人のなんと多いことでしょう。自分に必要なものをしっかりと見極め、自分の価値観を信じて、どうぞ「私は私」を大切に、勇気、元気で新しい季節の扉を開けましょう。

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第34話 「花の盛りは、今日か、明日か」

最近、若いと申しましても30歳前後の方ですがよくお話をする機会がございます。もちろん未婚の方々です。率直に思いますのは、良い年をして覚悟が定まっていないと痛感するのです。しょせん人は一人では生きていけないと思うのですが、その心情が伝わらないのです。「盛りをば見る人多し、散る花の跡を問うこそ・・・(訓戒和歌集)」今が盛りと信じて、自分を、相手を見つめて見たら、結構、納得がいくと思うですが、自分の盛りばかりが惜しくて、あたらしいご縁がご遠慮してしまっています。先日。傲慢は知恵と勇気の行き止まりというお話しをある所でいたしました。傲慢というのは言葉を変えれば思いあがりということだろうと理解していただいてよろしかと思います。自分に自信を持って生きていくというのはとても積極的でそれが幸せの素だと私も思います。その二つの違いを桜のツボミの今日か、明日かに話そうではありませんか。

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第33話 「ときどき雨、のち、ずっと晴」

一月の下旬。一週間ほど雨模様の日が続きました。傘をさして歩くと、どうしても目線は下を向きます。と、道路のアスファルトの割れ目からしっかりと二本の緑が目を出しているではありませんか。大きなショッピングセンターの前の通り、人通りも終日多いというのに、その健気さに、ひたむきさにグルーミーな気分もふっ飛んでしまいました。えっ!あらためて良く見ると、その二本の若芽の周りを小石で囲んであるではありませんか。ご注意、ご注意、踏まないでという、どなたかの優しい気配りを感じました。雨も寒さも忘れて、こころの中はいっきに春らんまんになりました。人目も多くあったでしょうに、傘をさして、小石を集めて周りに置いてあげる。やさしさと強さをバランスよく頭と身体で表現できる、つまり自分をさらすことを恐れない素直な日々でありたいとあらためて学ばせていただいた二本の若芽とどなたかのやさしさでした。幸せさがしの大切なヒントがありそうですよ。

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第32話 「気づかい、金づかい、息づかい」

夜寒くて飲む酒は、身体は暖めてくれますが、こころまでは暖めてくれません。冬の夜の一人呑む酒の淋しさは、どんな居酒屋のべっぴんおかみのおべんちゃらでも空しいものです。さらにさらに、募るるのみです。人のぬくもりは、何にも変え難い人間だけが持つ息づかいです。どんな息づかいでも良いのかというと、そう単純ではないから、またやっかいです。日頃から憎からず思っている女性とも久しぶりに盃を重ねるなんて時は、その息づかいの何とも色っぽいことかと、我が身の人間性さえ疑ってしまうほどに心地良いものです。そこまで到る心は女性も男性もかなりな修行が必要です。そう信じれば日々の積み重ねは何の無為もないのです。今日のためです。明日のためです。「私、結婚します。決めましたの。いろいろとありがとう」突然のひと言にも、たじろがず、「おめでとう」と平然と祝福してあげられる息づかいを会得する。そのためにもできるだけ多くの人と、できるだけたくさんのお話をして、自分なりの息づかいと、息つくタイミングを学ぼうではありませんか。気づかい、金づかい、息づかいの上手、下手が人生を決めるといっても過言ではないと私は思いますよ。

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第31話 「はつ春。結ぶ春。」

新春とか、新年とかいうご挨拶よりも私は、“はつ春”というおだやかで、やわらかな言葉に平穏な年への願いを込めてご挨拶申し上げております。2007年の大晦日は行く年を謝し、来る年を寿ぐ絶好の終夜でございました。
 年を重ねる毎に、ふと我が身を重ねてしまう和装の男・女が華やぎ添えた、希望の振袖、決意の角結び。
 寺町界隈を恒例の鐘付きに廻りました。ゴワン、ゴワンと自らに問いかける鐘の音は、明日ありと信じさせてくれるはげましの絶叫と聞こえました。めり、はりのある日々を送りたいと思う心を励ましてくれる天の声でした。瞬間、瞬間をうめる、無限の人の情け、情愛の深さ。ご縁でございます。見失わないよう目をこらし、こころを澄ましたいはつ春でございます。

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第30話 「今は昔、母のひと押し」

手鍋さげても、という言葉はまだ生きているのでしょうか。あなた無しでは生きていけないくらい好きです。手鍋ひとつ下げてでも押しかけていきたいというおんなごころなのか、何にも要らない、手鍋ひとつでお嫁においでというおとこごころなのか。そんな熱情あふれる男女の出会いがあったのですよ。男から、女から、家族からここまで望まれれば気持も身体もゆるんでくるのが人情。もひとつ、かつて
の母のひと押しを。おまえね、ひとり口は食べれなくても、ふたり口は食べていけるんだよ、と。さて、みなさん。まだまだ安月給でひとりで食っていくのがやっとなのに結婚なんてとてもとてもなどと浮かれた暮らしをしていませんか。小金を貯めて、格好良く結婚式、披露宴としゃれて、こじゃれた住まいで小さな幸せをなどと甘い夢を引きずらないで、だんだん厳しくなっていく現実に向きあいましょう。
家計費なんてひとりもふたりもたいしてかわりやしないし、家賃だって一軒分でOK。何となく豊かな気分にさせてくれる今より、貧しい時代の方が雑念が少なくて、ほんとうのおとことおんなの幸せを見つめてあっていたのかもしれませんね。

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第29話 「こころの潤い」

恋とか愛というものは、気持だとか、言葉のはしばし、それにテンションの高まりだとかを確かめあいながら二人で育てていくものではないでしょうか。こういったプラトニックな部分をもっと見つめ合っていったら、二人のこころを深く静かに育てていけるのではないでしょうか。一度といわず、二度、三度とこういう恋愛を重ねていければ、男も女ももっともっと色っぽくなれるはずです。このプロセスを
めんどうがって、見た目だけでの好き嫌いを重ねていくだけでは、無意味な日々を重ねていくだけの子供の恋だと、私は思うのですよ。何回恋愛しても、お見合いしても物足りなさを感じるのは、きっとこころの潤いが足りないのではないか、と、自問してみてはいかがでしょう。
 現実と理想をほど良く調和させてくれるのは、過去を振り返らず、明日を期待し過ぎないこころの潤いです。言い換えれば、何とかなりそうなら現実に心を開いて、幸せになりましょう。

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第28話 「ふたりだち」

過日、とは申しましても九月の始め、長崎港外の温泉のある島へ参りました。船中で若い方々とお話しする機会を強引に持ちました。熊本県玉名の学生さん達でした。なんの不安も惑いもなく、将来への希望、信念らしきものを、トツトツと語る一人の女子学生にしても好感を。若いということは可能性に感性を重ね、年を重ねた私などにとりましては、とってもうらやましく、まぶしいものでした。明日ありと思うこころのあだ桜・・・などというありがたい句も、まったく関わりなく、未来を、明日を信じて生きていく素晴らしさに、付録の人生の私もとても勇気づけられました。
 自分の可能性を信じ、仲間を信頼し、いや~、実にひさしぶりの素晴らしいひと時でした。
 二人だちという言葉があります。ひとりよりふたり、支えあって生きていきましょうという理解で良いのでしょう。ひとりよりふたり、何とかなるものです。そろそろご決断を!

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第27話 「こころの琴線」

恋というのはすぐ冷めちゃうから、暖めたり、揺さぶったりしなくちゃいけないのよ、とエディット・ピアフはいっています。つまり、恋だ愛だというものはそれぞれを思いやる日々の積み重ねがなければ、つかの間の夢のまた夢でしかないということだろうと理解しましょう。  一目惚れというインスピレーションに掛けてみるのも人生。どこといって欠点はないが、いまいち踏み切れないと思いつつのおつきあいなら揺さぶって、揺さぶって、揺さぶられてみる作戦もおすすめ。男と女の間には理解とか寛容とかといったきれい事では片づかないこころの琴線(こころの奥の感情)の結びつきがキーポイント。これさえあれば多少の誤解や不満があっても許していけるものなのです。今までの人生の中で両親や兄弟や友人関係を深く静かに考えてみればきっとご理解いただけると思います。「心の琴線」良い言葉ですね。味わい深いですね。どうぞ大事にしていってください。こころですよ、こころ。

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第26話 「パラソルの女」

見知らぬ女性と二人きりのバス停。バスを待つ間に、暗い空から耐えに耐えていた雨がポツリポツリ。やがて大粒。よろしかったらどうぞとパラソルが開く。おし気もなく高価そうなパラソルを差し掛けてくれる。俺も男、タクシーに手を挙げる。いえいえ近くですからと女性。雨足が舗道にはねる。どうぞどうぞと背を押す。「あいにくでしたね、どちらまで?」運転手に行き先を告げ、とても好もしいタイプの女性でしたので偶然のなりゆきに甘えて、仕事のこと、趣味のことなど我ながらかなり積極的にアプローチ。やがて彼女の指定した地点へ。「ありがとうございました。また会えると嬉しいですね、さようなら」 やがて翌年の夏になり、同期の友人が結婚するということで仲間うちで彼と婚約者を招いて前祝いをという段取りを私が取りしきりました。会場にいってビックリ。婚約者はなんとあのパラソルの女性ではありませんか。宴の途中、彼が近づいてきて、タクシーの中でしゃべりまくった男はキミだったのか。そして一言、並の男はしゃべりすぎてボロを出す。オレみたいなできる男は目と雰囲気でだまってこころに火をつける、だとさ。

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第25話 「人生、勇気と覚悟です」

過日、男性がひとりでおいでになりました。お話をするうちに数年前に奥さまを亡くされ、淋しい日々などなど話がはずんでおりました。そこへ私も、いつも好もしく感じている女性が、これまたおひとりで来店され、この方もお一人身ということはかねてより承っておりましたが、なぜかひらめくものがあってお二人をお引き合わせし、しばし飲食歓談。お二人の背中を押して、押しまくりました。男性の方は名刺を出し、お酒のピッチもあがります。が、女性の方は良い雰囲気の中で住所も電話番号もかたくなに拒み、奇妙な違和感として今も残っています。昨年、永くお世話をされたお母さまを亡くされ、やっと結婚というテーマを遅ればせながら自覚し、がんばるわとおっしゃっていた彼女の意外な消極的な姿勢におんなごころの不思議をあらためて感じたひと時でした。このひと時の出会いに勇気を持って挑戦してこそ未来が拓け、よしんば実らぬおつきあいだったとしても貴重な糧となってくれると思うのですが。

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第24話 「幸せのおすそわけ」

シンパシーの一文をご縁に、酊主もいろんな方とのご縁を結ばせていただいております。熱情あふれた若いこころ、あぶなっかしい背伸び、もっと自信を持って口説けよ・・・などなど、酊主の青春の光と涙と重なって、多くは語りませんが、所詮あんたの人生、あんたが乗り越えていきなはれといった話をいたします。冷たいようですが、自分を誉め、自分を責め、自分の目線で良きパートナーとの出会いを祈るのみです。
 婚約も整い、結婚式、新生活の話など、これからの永い人生を忘れて、いっときの華やぎにひたるお二人の話は、我が身を振り返り、無理しなさんな、無理しなさんなと思いますが、水は差しません。そんな折、つましく、つましく男性をたしなめ、男の見栄えとこれからの二人の生活のバランスを賢く整え、漂わせる女性のひかえめな自己表現は実にこころがなごみます。幸せだなぁ、この野郎と、酊主の酒もすすみます。幸せのおすそわけは、最高の酒の肴です。人生は永い、感動はいっとき、いっときの積み重ね、幸せ重ねておすそわけのできる二人であり続けていただきたいものです。

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第23話 「共感・反発・学び」

最近、独身男女の集まりに2、3度参加する機会がありました。もちろんお酒を伴う会合でしたが、男女共にあまりお酒が進まない。まさにたしなむといった感じで盛り上がりません。酒の勢いでも借りて、もすこし本音をぶつけあったら、勇気も元気も、悲しみも淋しさも共有できるのではなかろうかと、実にじれったい時間が過ぎていくのみでした。
 飲めても飲めなくても、ひたむきに見つめる、楽しむ、そしてテレないで一生懸命の自分を表現する努力はできるはず。その努力がお集まりの皆さまへのエチケットでは。言い過ぎや後悔があっても、言い足りないよりはよっぽど救われるのではないかと思うのですが。そんなに親しくない仲や、ましてや初対面の人なんかに本音なんぞさとられてたまるか、といった本音の本音でも結構。自己主張のぶつかりあいがあるから、ほんものの共感と反発と学びがあるのです。刺激しあいながら、発想し、変わっていく自分を実感できる喜びを楽しみましょうよ。

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第22話 「遠火の強火」

お料理のお好きな方はご存知だとは思いますが、お魚を直火で、多分炭火なんかで焼いていた頃の母から娘へ言い伝えられてきた生活の知恵だと思うんですが、趣き深い言葉ですね。おいしく、いい色に焼きあげる母の、そのまた母の工夫が伝えられて、大げさに言えば往時の生活文化のひとつとして、今は言葉だけが生き残って、いろんな場面で重宝に使われているようです(ホント?)。強火で、いつも近くであぶられていては人間関係だって火傷します。弱火で近火だとうっとうしい。なにモタモタしてんのよ、とイヤ味のひとつも言いたくなりますよね。近くて遠きは男女の仲とか、まさに言いえて妙です。実証例を二つ、三つ。居酒屋商売をしていますと、お客様同士のご縁もいろいろ。開店最初のカップルは出張でひとりでフラリと入って来られた男性客。数ヶ月してから礼状が、はるか信州から。当店でその時知り合った女性と文通、長距離恋愛の末、結ばれたという嬉しいお便り。未だに賀状のやり取りが続いています。最近は対馬の男と築町の魚屋の娘。これまた想いはるかな日々を乗り越えて、昨年末結婚。“遠火の強火”は今も脈々と生きています。チャレンジのヒントになるのでは。

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第21話 「二枚舌と希望力」

先月、長崎新聞のうず潮という欄に一文を寄せました。レイアウトに関する一考です。仲間うちでは好評でしたので再レイアウトしてここに。タイトルは二枚舌とレイアウト。事の発端は近所の食堂で朝市の魚屋さん達との小宴会中、私の舌に魚の骨が刺さったのです。痛い痛いと大騒ぎしていますと、なかの一人がその舌を切ってしまえと言うのです。えっ?と聞くと、彼いわくあんたにはもう一枚舌があるではないかと。爆笑の後の話題は最近の失言問題や裏金、欠陥商品等の二枚舌騒動へと進んでいったのです。失敗、失言、無理押しなど窮地に陥った時に、とかく後手、後手で傷口が広がってしまってから処理やとりつくろい、信用回復しなければならない場合の多くは、責任逃れの二枚舌が傷を深くしていくという事です。つまるところ問題解決のレイアウトが早期に描けていないからです。レイアウトを間違えたらすべては砂上の楼閣。生き方を含めたすべての生活文化、芸術はレイアウト次第だと思うのです。自分を素直に見つめて日々の暮らしをレイアウトできていれば、一枚の舌を裏表に使ってもきっと安定した日々と希望力がわいてきますよ。

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第20話 「冬の桜」

長崎港外の、その小さな島は冬は温泉、夏は海水浴場として、諸施設が整い、県内だけでなく、県外からもそれなりに集客力を高めています。殊に春の桜は島いたるところに見事です。地域の特色を発掘し、生かしていくということは人間にも通じることで、良いところ、優れていると自信を持てる自分の長所を見つめ自信をつけていくこともとても大事な生き方のひとつではないでしょうか。この日もこの島の桜の木々は冬の寒風に耐えて静かに春を育んでいました。そんな冬の桜の素っ気ないたたずまいながら静かな気品が私は好きです。その桜の木が私に語りかけてくれるものは、花が咲くという結果だけではなく、いかに咲かせるかという過程の大切さを教えてくれているように感じるからです。ありふれた日常の中にも静かに見つめてみると、一瞬のひらめきや小さな輝きを見つけることができるのではないでしょうか。こうした習慣が感性を高め、人生を豊かにする秘訣ではないでしょうか。だから年を取るなどとは決して考えないことです。年は重ねるものです。自分の生きてきた人生を活かせるエネルギーをこれまで蓄えてきたと誇りに思い、生き方がそのまま伝わる人を目指しましょうよ。

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第19話 「行き交う年もまた旅人なり」

新年のご挨拶もひと区切りついて、そろそろ平常心での日々のリズムが戻ってきたのではないでしょうか。
「月日は百代の過客にして、行き交う年もまた旅人なり」芭蕉の「奥の細道」のなんと奥の深いことでしょう。年新たまる度につぶやいて、こころを新たにしています。まさに時は哲学にして歴史。「今何時ですか」と聞かれても絶対に正確には答えられない時の流れの不思議。動きが三秒止まれば地球は爆発してしまうんだそうです。今年は時間の経過の意味を、時の深さを考えながら、そろりそろりとでいい、立ち止まらないで、ダッシュへとつなげていきましょう。月日は百代の過客ですよ。ソツなくムダなくお迎えしつつ、後悔のない年にしたいものです。幸せな結婚を夢みるよりも、幸せになる結婚。つまり二人で幸せを創るための結婚をお考えになれば、気持もラク、可能性もグンと広がると思うのですが。年の始めの軽~いジョーク。恋愛は美しい誤解である。結婚はこんなはずではなかったという理解である。
本年もおよろしく。

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第18話 「年のけじめのシンパシー」

「抱きしめた風はあなたの温度です」
「軽い嘘ふわりと乗ってあげましょう」
川柳作家、やすみ りえさんの作品です。いかがでしたか。はや師走、明日へ続くトキメキや、確かな手応えを感じた年でしたか。「からっぽの私を包むバスタオル」などと落ち込んではいませんよね。今年叶わなかったら、来年を信じてお友達と語りあい、どこかで必ずあなたを見守ってくれている神に今年一年の無事を感謝し、祈りを捧げましょう。せいいっぱい幸せな自分をイメージしてみましょう。幸せの予感を掻き立てることで立ち居振舞も笑顔ももっと素敵になれます。想像力という人間に最も必要なパワーも自ら備わってくるでしょう。目標達成や成功までには孤独にも耐え、自分にしかできない努力や我慢を強いられることも多いでしょう。それを乗り越えていくプロセスの中で、より印象深いあなたが磨かれていくのです。
 来る年が実り多い年となりますよう、ご一緒に喜べることを祈念して、一年の感謝とはつ春祈願といたします。GOOD LUCK!

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第17話 「ご尊敬申し上げています。」

行く道に墨あざやかに、書きあげ文字の長暖簾。いつもの道のその文字は時の流れに華やいで、ほのかに甘く、カステラ縁起を物語る・・・云々。また、手から手へ、こころからこころへ、手づくりの歴史を重ねて馥郁(ふくいく)と・・・云々。一度や二度とはいわず、この5秒から120秒までの数パターンの、いかにもらしい、老舗のラジオCMは何度となくお耳に達しているハズです。ね、ね、ね。老舗に寄りそって、安定感のある、時代の変化にゆらぐことのない落ちついた作品を、というのが、ま、コンセプトといえば格好良すぎかな。もちろんナレーション原稿はすべて私ですぞ。同社のCM、プロモーションのほとんどを手がけていたのが現役の頃の私ですぞ。今は亡きご先代社長のご信頼の厚さに感謝しながら、公私のご交誼の中で学ばせていただいたシーンのひとつひとつが、今も人と人とのおつきあいを考えるうえでの貴重な財産となっています。20数年に及ぶ同社長と青二才の私をゆるがずつなぎ続けてくれたものは口はばったいいかたですが、お互いへの尊敬です。来し方の環境も、学びの道もちがう人間関係を究極で支えてくれるもの、瀬戸際での救いは尊敬しあっているかどうかです。尊敬のない親しい仲は、いっときの馴れ合い、じゃれあいです。信頼はパーツで成り立っていきますが、尊敬は総合力です。学びへの刺激です。愛していますよりご尊敬申しあげていますの方がはるかにこころに響くのは、歴史上の真実です。尊敬は損得抜きで計算もなし。

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第16話 「しっとり感、存在感」

「愛してる?」って聞かれると「キミ以外は考えたことないよ」と、とりあえずはあたりさわりのない反応。歌の文句じゃないけれど、聞くだけヤボっていう台詞が最近スラスラっと多すぎません。ま、じゃれ合いと割り切れば他愛もない事ですがね。
 ところで、愛とか、生きざまとか、こだわりとか、情報とかといった、何でも一言で簡単にひとからげ、情とか、念とか、相といった人間だけが持つ思いを 込めた、さり気なく味わい深く、余韻というか匂いがある言葉が軽んじられているようで、淋しい昨今です。「愛してる?」って聞かれて、こころがゆれますか。かつての長崎言葉だと、「ウチのこと、好いとってくれとるよね」平板ながら、スルリとこころにしみます。こころがつながります。色があります。華があります。つまるところ、人と人とのおつきあいは、殊に緊張感のある男女の仲では、雰囲気ではなく、自分の持ち味で、自分の言葉で、しっとりと気持を伝えていきたいものです。時流のワンフレーズにただ乗りはダメですぞ。

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第15話 「ラブ・スタンダード」

「こんなに遅い時間までドライブだなんて、どこまで行ったの」と母。「どこまでって、お母さん、まだキスまでよ」男と女は行きつ戻りつ、舞いつ、遊びつ、やがて悲しき日もくれば、お見事めでたき日も来よう。シンプルに、シンプルに進んだ方が幸せ確率大。昔も今も、ラブ・スタンダードをどうおふたり流にアレンジしていけるかがご縁、ごめんの合縁、奇縁。
「まだ飲むの?」「もう一杯、もう一杯・・・」この人、意外と意志の弱い人かも?それだけでもう敗戦モード。もう一杯という名前のお酒を飲んでお店を出ようよとか、「これでおしまいっていう酒もあるんだってよ。どう?おしまいにしない?」アレンジはチャレンジごころからの発想。明日へ続くというものです。ハートも大事。言葉はもっと大事。どんなに熱いハートも表現できなければ、ね。スタンダードを大事にしながら、もっと言葉遊びを楽しみましょう。らしくチャレンジ!二人でアレンジ!

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第14話 「感じる生き方」

ある団体の登山行に誘われて、福岡県星野村の石割岳という800メートル程度の山行に参加しました。同行の一人の女性の方と意気投合し、おつきあいが始まりました。しなやかな容姿の方ですが、とても
冗舌で、しかしそれぞれに身軽ではないからだですので、お茶をご一緒したり、時にはハイヌーンのジントニックを楽しんだりのおつきあいが続きました。しかし、時を重ね、日を重ねるにつれ、彼女の冗舌
に疲れていく自分を感じるようになって参りました。存在そのものはとても素敵な方なのですが、なぜか疲れるのです。
 ふと思いました。話したり、見つめたり、想いを深くしたりすると、純な気持がだんだん鈍化していくことを、感じるハートが違っていたんですね。心地良いひと時を持続したければそれなりの純な緊張が必要なのです。女は男と一緒に苦労するのが一番幸せなのです。男は女がいなければ生きていけないのです。どうぞ言葉だけではなく感じるこころをお大事に。

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第13話 「ひとびとの跫音(あしおと)」

敬愛する作家のひとり、司馬遼太郎さんの作品の中でも「ひとびとの跫音」という雑感風な一冊は生き方の人間らしさを考えさせる佳作であると何回も読み返しております。その中でも殊にこころに響くワンフレーズ。主人公は忠三郎さんです。「忠三郎 さんは生涯で何をした人でもなかったが、ただ存在しているだけで、まわりのひとびとに何かを感じさせる人柄をもっていた」この一節は日頃の言動を考
えると心に沁みます。読みすすむにつれて、忠三郎さんは聞き上手な人だったのだと得心させられます。おしゃべり上手よりも聞き上手。コミュニケーションの間合いを深く反省させられる一文です。
 私が会社勤めの頃、ポストアップの研修で積極的傾聴法という講座への参加を命じられ三泊四日、鎌倉研修所で学びました。同室に芥川賞作家の新井満という男がおりまして、彼の私への感想です。「所 詮、あんたは実務家やなあ」クリエーターを自負する私がいかに傷ついたか、言うはやすく、聞くは難し。ご自戒を。

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第12話 「まさか?」

かつては想像だにできなかった若年者の異状な振舞いが社会全体を冷えびえとさせている昨今です。まさか、まさかは人生に一度だけで充分。この世の最後にどうしても越えなければならない坂を“まさか”と言われて越えて行くのです。あの人とあの人が、まさか?なんて、ちょろいちょろい。そんなまさかはどんどん踏み越えていったらいい。何度でも越えていけるまさかですから。まさか、まさか、まさか、まさかで人間は強くなっていくのです。えいやっという勇気と素直な立ち直りの連続技と涙をこらえて磨いていってこそ自分らしい生き方、信念らしきものが身につき、人生を支えていってくれるのではないでしょうか。中原中也の詩の結びの一節に「心いっぱいにざんげして、ゆるされたいといふ気持の中に、再び生きて、僕は努力家にならうと思うんだ」(現詩はほとんど難しい漢字ですので失礼ながらカナ表記といたしました)この失礼ながらは皆さまへの挑戦ですぞ。おがんばりなさい。

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第11話 「赤い糸、赤い富士」

敬愛する先輩から一枚の絵が送られてきた。富士の絵でした。しかも赤富士。赤富士は古来より吉兆のきざし、良い事の前兆として崇められ、人々を希望に満ちた幸せな気分にさせてきました。彼女がなぜ今ごろ赤富士を私に。「あなたが少し酔って、少し冗舌になって、ポッと赤らんだ顔で私を見つめていた、かつての日々を懐かしく思い描いてみました。」とメッセージが添えてありました。今は鎌倉に住み、地域の文化を大切にしながらご自分のセンスを寄り添わせ、昔と変わらぬおだやかなペースで、おだやかな日々を楽しんでおられると伺っていただけに、再び、何で今さら。もし彼女がここまで年上でなかったら、誰もがうらやむ才色の人でなかったら、そして何より私にもっと勇気があったなら・・・。誰にも知れず、ひっそりと別れたあの日は無限に遠い。寝台特急“さくら号”の別れの気笛が、時間と距離を遠く遠く引き離し、二人の道は交わる事なく、会う事もなく、それぞれの人生を今に引きずっている。想い出のひとつひとつに、ピリオドを打つ気になった事を彼女は赤富士に託して伝えてきたのだろうか。赤い糸は誰も結んではくれません。覚悟と勇気です。他山の石として、さあ諸君、当って砕けろ。砕けて泣け。後悔するよりはいさぎ良い人生を。

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第10話 「幸せはみんなのために」

海に面した2階のお店のテラス。まだ覚めやらぬ二日酔の脳にビールで元気を注入しながら、山口瞳さんの「酒呑みの自己弁護」という本を開いていた。
「いいお天気になりましたね」の声。私にか?見廻すとひとつ置いた席、同年輩らしき男性がひとり、コーヒーカップを前にこちらを向いている。問わず語りに話がすすむ。近々娘さんが結婚するらしい。挙式間近というのに何の相談もない、マンションの契約も済んだようだ・・・。そういえば最近は結婚式場の下見や予約に二人だけで出向き、何でも決めてしまうカップルが多いとか。金は出さなくていい から、口も出すな、ということですかね、と式場の係の人の感想。後で親御さん達がそっと確めにこられていることなんかも知らないんでしょうね、とも。幸せに酔いしれる二人の周りをシラケ鳥が飛びかっ ていては長い人生のタメになりません。独身最後の親孝行にと考えて、ご両親やまわりの皆さんのご意向にもこころを開いてみてはいかがでしょう。思わぬ知恵やお金もきっと湧いてきますよ。とんだおせっかいでありますように。

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第9話 「のぼせもんのパワー」

江戸町の居酒屋のコート掛けにタバコの煙にまみれてかなり黄ばんだ山笠法被(やまがさはっぴ)がかけてある。
 博多には山笠(やま)のぼせという言葉がある。生半可ではない。入社の条件に山笠期間中は会社を休ませてくれとか、とてつもないのぼせぶりなのである。日頃は気にもとめる人もない山笠法被を見つけた客の話では、某銀行員が長崎勤務にもかかわらず強引に休暇届けをだして、毎年山笠を担ぎに博多へ行くという。山笠の話がはずんで酒がすすんで、やがて悲しき博多暮らしの思い出がよみがえる。
 まだ三十代の美しい人であった。ご主人が早く逝去され、おでん屋を継いでお姉さまと二人でがんばっている、けな気な人であった。そのお店へ通い始めて2年目の山笠の夏を迎えたころ風呂敷包みをそっと私に手渡し「あとで見て」と、その後は無言。帰って包みをといてみると小さな山笠法被が出てきたではありませんか。博多っ子にとっては山笠法被は命より大切なものとか。亡くなられたご主人が中洲流れの山笠のぼせで、ご愛用の法被だったと知ったのは私の転勤が決まってお別れに参上した時であった。もっと早く聞いておれば、と今でもくやまれ申し訳ない気持ちでわが身を責めている。新しいご主人とお子達にも恵まれ、幸せな生活を送られているという。メールではできぬ技である。源氏物語の時代には野の花に愛を託したというではないですか!インドのミテイラ地方では今でも恋心を絵に込めて送るそうです。
 メールや電話ではなく、もっと丁寧に真剣に心を開いてみてはと思う昨今です。

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第8話 「未来は思いのままよ」

夏がくれば思い出す。はるかな恋、遠い人。ウソはなかった、すれ違っただけ。青春色に輝いて、はるかな恋、もう一度。
 あなたのために、良かれと思ってしていたことが、必ずしも望まれていたことではなく、喜んでもらえていなかったことを、すれ違いが多くなるに従って、私にもようやく分かってきました。気を利かせたつもりが、うっとうしいと言われた時、早く切り上げなければと、よぎっては消え、消えては未練が引き止めた。そんな日々からの脱却がはっきりと私の決心になりました。
 人生は何ごとも“なるように”なるようにできているという、あきらめと希望が押したり引いたりしながら、自分自身を自分で理解することがどんなに毎日の手助けになるのかも学びました。またあの夏の日が来ます。がんばります。

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第7話 「口さき女と、口だけ男のまごころ勝負」

相棒という映画が大ヒットだそうです。私は映画、テレビなどの映像文化よりも文字文化の信奉者です。自分の文化として蓄積していけるのは絶対に活字だと信じておりますし、実感もあります。
 と、いいつつも過日、テレビで相棒というおなじみ水谷豊のリピート番組に見入ってしまいました。「ラブ」という名の犬をめぐっての殺人事件でした。妻よりも、夫よりもペットを愛し、大切に思う男と女の愛憎のこころ模様の不思議にただただため息でした。
 愛とは何なのでしょう。人を信じられなくて愛が生きていけるのでしょうか。自信をもって自分を信じ、相手を信頼してこその愛だと思うのです。それでもむくわれない愛もあります。私にもそんなつらい経験が、ひとつやふたつではなくあります。恐れてはなりません。それが人生、それが人間なのです。目をつぶることなく過去を見つめ、明日を信じて自らの可能性を磨いていこうではありませんか。

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第6話 「うすものや ひと悲します 恋をして」

お寒うなりました。この夏、ドキッと素敵な一句に出会いました。真砂女という方の句です。この「ひと」とはどんなひとでしょう。ひとを好きになるという事は、理屈抜きの感情です。
 感とはひと目ぼれ、情とはひとにほれ、人を好きになるのに理屈はありませんが、いざ結婚となるとどうしても自分を見つめ直し、相方を観察し直してみたくなるのは、これ人情。情に流されれば感が勝ち、感を信じれば不安が先に立つ、そういう時は日頃のコミュニケーションのひとつひとつを冷静に思い返し、私の基本といいますか、生き方のテーマといいますか、許せる事、どうでもいい事、絶対ダメな事、そんなシーンのひとつひとつを思い返して、自分なりの価値観を再確認してみる事をおすすめします。
 今回の酊主は我ながら実に冷静です。医者さまに“しきゅうきんしゅ”と言われて、多少めげております。な~に一盃飲めばすぐ立ち直ります。

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第5話 「らしい生き方を」

ユニークでアカデミックなお店をユニアカといいます。しろうとが集まって開く趣味の店をユニシロといいます。ちがう色のお店もありますが、強気に急成長中です。いずれも良品廉価がストアコンセプトです。安物買いのお勧めかとうんざりしないでください。こうゆうお店でのショッピングはたいへんぜいたくな遊びなのです。安くても一級品というものを探すわけですから長年の経験とカン、それに自分のスタイルに自信がないとダメです。何を選び、何を着ればほんとうに自分らしく見せることができるのか。自分自身に問いかけ問いかけ楽しみながら自分のスタイルを育てあげていこうというていねいな努力が必要なのです。もちろん着こなしのアイデアも大切です。価格は正直です。どんなに良い物を選んだつもりでも安物は安物です。選ぶあなたのスタイルがないとダメ。自分らしいスタイルを注意深く育てあげ、物を見る目、人を観る眼を育て、自分らしく生きていきたいものです。
新しい出会いはいつも明日への希望。

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第4話 「80-20の法則」

先日、テレビを見ておりましたら一億円以上の金融資産を持っている日本人が131万人もいるというではないですか。にわかには信じ難い事ですが、この数字、世界のミリオネアーの20%にあたるそうです。この20%という数字、なかなか意味のある数字で、今から100年以上も前のイタリアの経済学者、パレートという人の発見した「パレートの法則」という確率論の柱となる数字です。世の中のいろんな動きや結果をみてみると、ひとつの決まりで動かされているのではないか、というものです。
 例えば会社全体の所得の80%は20%の人々の所得である。
 例えばレストランで注文される80%はメニューの20%の中から選ばれている。会議などでの質疑の80%は20%の人が中心である・・・云々。別名80―20の法則といわれているこの説でいくと、男女100人ずつのパーティなら20人の中にその人が発見できる。10人なら2人のうちどちらかである。こう考えるとターゲットが絞りやすいし、ムダな努力も省けそうである。20%に重点志向すれば8割方うまくいくとも考えられるのでは?
しかし、ご縁は確率論の外の外。信じましょう。

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第3話 「恋するタマシギ」

 今夏は8月に梅雨明けがずれ込み、立秋に記録的猛暑38度を記録するなど、最近の天候には驚いている。
 そんな中、水田など涼しいところでタマシギはせっせと子育てをしている。ふつう、鳥の世界ではオスのほうが色彩的には美しい。しかしタマシギは人並みに(?)メスが美しく着飾り、オスは地味な目立たない色で卵を抱き子育てもする、まさに専業主夫だ。
 メスは流し目を送り、オスはその熱いまなざしに身も心も奪われるが、結婚後、平然とメスは「ダーリンあとの育児は任せたわよ」とばかりに、その場を去って新しいパートナーを求める。人間社会では3面記事になりそうな行動も、生存のためのタマシギのしたたかな戦略である。

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第3話 「結婚 異文化融合」

 「今夜のお月様はきれいだよ~観てごらん!」我が家の携帯メールのやり取りです。年の差26、ボクが中学校の教師時代の元教え子で共通項は月。二人で暮らすということは共同作業。性格の違い・常識の違い…そんなことで葛藤が始りますが、まずはその違いを認め受け入れることです。
「同じやるなら何事も楽しんでやる」「一人で抱え込まず話し合う」それが我が家のモットーです。一人に押しつけることなく話し合い納得して進む。何となくでは溜まりにたまったものがいつか爆発します。一人が我慢をしていてもバランスが崩れ、いつかは崩壊する運命にあります。家事や育児を分担することで共同意識が生まれます。共同作業を通じて次第に共通の価値観が生まれますがこれが大切です。二人で話し合いながら進む、見つめあっているだけでは前に進みません。また自分のイメージだけで進まないこと。共に前を見て会話しながら楽しく進むことが大切なのだと思います。お月さまに見守られながら…。

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第3話 「夫婦風情 その三 「誠心誠意」」

 中国人の場合、夫婦だけではなく、家族の間に何かあったら互いにざっくばらんに話をするのだが、しかし、日本人の場合、互いに遠慮がちなのでいろいろな必要のない誤解が起こったのではないかと常に思った。たまには夫と雑談する時に、「いくら日本語わかっても、日本人の生活習慣と考え方はわからないところがたくさんあるから、教えて下さいね、教えてもらわないといつまでたってもわからないですよ。少し中国の文化、習慣などもわかってもらいたいです」と夫にいった。「そうですね」と夫がうなずいた。それから、互いによく話すことによって、双方の理解もふかくなった。時の流れとともに喧嘩しなくなり、家の中はだいぶ落ち着き明るくなってきた。中国人であろうと日本人であろうと同じ人間同士で、お互いに誠心誠意素直に接すれば必ず仲良くやっていけるとつくづく思った。

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第3話 「目的はひとつにしぼって身の安全」

土曜日の午後、出島ワーフでひとり生ビールを飲んでいますと、聞くともなく聞こえてくる隣のカップルの会話。話はだんだんとややこしくなってきます。話の具合はこうです。
 二人はどうも男の転勤でやむなくの長距離恋愛中。男の趣味はヨット。今回の来訪の主目的は仲間との五島へのセイリング。あらかじめそれを聞かされていなかった彼女の落ち込み、怒りはだんだんとエスカレート。久方ぶりの再会を楽しみにしていた彼女にとって、つかの間のティータイムくらいではとうてい納得できるものではありません。二人のその後の行動は大方の予想どうりと申しておきましょう。
 男と女の仲における男らしさ、女らしさとは、自分本位を戒しめるということに尽きるのではないでしょうか。言いにくい事、都合の悪い事はついつい先のばしになりがちです。なんとか自分に都合よく解決できないかと考える自分本位の発想がそうさせるのでしょう。
 あれもこれも、あっちもこっちもうまくやろうったって、そりゃ無理な相談ですよ。

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第3話 「披露宴のスピーチ」

 仕事柄、教え子の披露宴に招かれる機会は多い。頼まれる私にとって憂鬱の種がスピーチである。第一優秀な成績でもなかった者を在学中は優秀な成績でと褒めなければならないのは、根が正直者の私にとっては苦痛である。しかも参列者を飽きさせない気の利いたスピーチでなければならないし、謝礼をいただくのではなくご祝儀持参でしなければならない訳だから大変な苦痛である。
 最近は結婚に魅力を感じない若者が増えているともいわれる。あるときこんなスピーチをした。「皆さん!独身の 『独』という字を見てください。けものへんですよ。つくりは虫けらですよ。すごい文字でしょう。人間は一人では生きられません。社会の中で生きています。社会の最小単位は家族なのです」。独身男女からはブーイング。年配者からは「なるほどさすが大学の先生のいうことは違う」と感心された。

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第2話 「結婚の知恵」

 若い学生と接していると、実に簡単にペアリングする。授業中にあまりいちゃつくので「そこのアベック」と注意したところ、周囲から失笑。「先生、古いよ!」ときた。いまや「アベック」は死語で、「カップル」というのだそうな。
 若い時に限らず恋愛に熱くなっている時は、この人と一緒にならなければ自分の人生は一生不幸になると考えがちである。私自身の経験からいうと(偉そうにいうほどの経験ではないが)一生に3度くらいチャンスがあるから安心しなさいとフォローする。優秀な学生が恋愛で悩み学業へ影響するのは何故か女子が多い。
 恋愛から結婚に踏み切るに当たって、わざと相手を徹底的に怒らせ、相手が怒りを我慢できるか確かめた上で結婚した友人がいる。いろいろな結婚に向けての知恵があるものだ。

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第2話 「こころ遊ばせて、ごめんあそばせ」

(女) 「何度も電話したのよ、昨晩はどうしてらしたの」
(男) 「そんな昔のことは忘れたよ」
   ・・・・・・
(女) 「今夜のご予定は?」
(男) 「そんな先のことは分からないね。」
 いや、いや男冥利につきるセリフですが、どこかで聞いたような ・・・とお思いの方もきっといらっしゃるのでは。随分前の映画ですが、「カサブランカ」の中のワンシーン。ハンフリーボガードの得意気な顔が今も眼にうかびます。おんなごころを刺激するというのか、嫉妬心をあおるというのか。
 まあ、本気でこんなことを言うマヌケな男もいないでしょうし、女性だって、「じゃご勝手に、さようなら」ですよね。そう理解するとなかなかしゃれたお遊びですよね。そんなしゃれた遊びごころを持った二人でありたいものです。会話もこころづかいもストレート1本では疲れるのも早いと思いますよ。あなたらしい変化球を身につけて、クイックアンドスロースロー。

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第2話 「夫婦風情 その二 「家事分担」」

 「家事性別分担する」というのは日本文化の特徴の一つだとよく指摘されている。男性は家事をほとんどしないのは当たり前のこと。「嫁」は勤めても家事全般をしなければ非難される。こういう「常識」は結婚する前は全く知らなかった。中国では夫婦とも働き、夫婦とも家事をするのは当たり前。これだけの違いは結婚生活最初からの喧嘩のおもな原因となった。夫と彼の両親は勿論「統一戦線」だった。「夫婦とも家事をしなければ…」と私はいくら堂々と主張しても、まったく孤立無援の状態だった。たまに「ストライキ」をするけど根本的問題を解決しなければいけないと思った。いろいろな方法を考えたが、まず、夫と話をすると決めた。一回、二回、繰り返し夫と話しをした結果、夫は少しずつ理解してくれた。時間の流れとともに互いの国の文化を理解し、尊重し、そして互いの信頼も深めたと同時に夫婦の間の対話はとても大事だと互いに切々思った。

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第2話 「結婚 異文化交流」

 わが家は、毎日がスリルとサスペンスといっても大げさではありません。26の年齢差ですから育った時代や文化の違いがあるので当然です。でも、ボクは妻の両親との方が年齢的に近く、彼女はその中で育ったためにまさか知らないだろうと思った歌などを知っていたり…何が幸いするかわかりません。さらに同じ学校に教師と生徒として同じ時代に存在していた点も重要な共通の体験です。
 ただ共通項があるだけでは良好な関係は続きません。生活の細かなところでは双方の努力が必要です。よく「結婚は忍耐と努力」だといわれます。結婚生活のある部分の真実を表現しています。愛はそれを軽々とカバーしてくれますが、愛がなくなると忍耐だけが重くのしかかり苦しくなり逃れたくなります。二人で始めた愛の生活を続けるためには双方の努力が必要です。水や肥料を与え、害虫を取り除くなど愛を育む努力が不可欠です。実はその努力がお互いを成長させているようです。

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第2話 「キジの親子」

 その後どうなっているか気になっていたので、前回ご紹介したキジバトの巣をのぞいてみた。生い茂った青葉の中に枯れ枝で簡単に編んだ巣にヒナの姿は見えない。無事巣立ったようだ。キジバトはふつう二卵を育てる。シジュウカラは数個、キジは十個ほどだ。カルガモは十数個のときもある。また、生まれたひな鳥が全部おとなになるとは限らない。キジやカルガモは、孵化するとすぐに歩けるようになり、親子での愛らしい姿は時折、テレビや新聞などで紹介されているが、ヘビやカラスなどの天敵も多く、生まれてから数日が経過すると半減しているのも珍しくない。
 見晴らしのよい畑でのことである。キジの親子が歩いていると、ヒナを狙いカラスがしつこく襲ってきたが、キジの親はジャンプし飛び蹴りで退散させた。思いやる心は鳥も人も変わらない。男女はましてやも。

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第1話 「夫婦風情 その一 「妻と嫁」」

 夫は日本人で私は中国人だ。物事に対する考え方、生活習慣などの違いによって、結婚した最初のころよく喧嘩した。大学の講師、日本語の通訳などの仕事に長年従事したので、日本語に対する自信が多少あった。しかし、現実はそうあまくなかった。
 中国大陸に生まれ育った私は物事をはっきり言うほうだが、夫はそうではなかった。そのうえ、東京、大阪などの大都会と違い、田舎では「男尊女卑」の思想は思う以上根深く残っている。殆どの場合、女性は相手の「妻」であるとともに、その相手の家族全員の「嫁」であるような気がする。そして、結婚した早々「妻」と「嫁」という言葉の内包する言葉の意味もわかったような気がする。しかも妻になる幸福感より「嫁」になった悲壮感はかなり強かった。家庭内では、「嫁」の立場は想像以上きびしかった。それも今では楽しい思い出になりつつある。

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第1話 「キジバト」

勝山町のシンパシーから歩いて数分のとこにある木立の常緑樹のなかにキジバト(ヤマバト)が営巣している。ランチ時、喫茶店前で見つけた。勢いよく伸びた新緑を掻き分け、巣に入り抱卵している。頻繁に人や車の往来があるが、ここに鳥の巣があることは多くの人が気付かない。
 卵は2個で、夫婦交代で温める。キジバトは普通のハトよりやや小さめ赤茶色で、都会の中で普通に見られるようになっている。野鳥にはキジバトのように夫婦で子育てをするもの、カッコウのように卵を生みっぱなしで、他の鳥に巣立ちまで面倒を見てもらうもの、また、タマキジという鳥は、メスはオスに子どもを預け、知らんぷり。長崎県のシンボルバード、オシドリは、名前のごとく夫婦で子育てをと思いたいが、メスのみが子育てをする。野鳥の子育ては多様である。
 キジバトはピジョンミルクという練り状の食べ物を、メスオスとも口移しに、ヒナを育てる。今月中旬には親子仲良く枝先に止まったほほえましい姿が見られるだろう。

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第1話 「夫婦とは一緒に齢を重ねること」

 結婚して28年になる。私の出身は青森、家内は宮崎。北国と南国の異文化結婚といわれる。
 昨年暮にディズニー映画「カールじいさんの空飛ぶ家」を見た。小さな子供には理解できない深い内容である。とくに冒頭20数分で感動する。夫婦とは何か?何が幸せかを考えさせられた。私は夫婦とは一緒に齢を重ねることだと思うようになった。そして平凡な生活こそが幸せであることに改めて気づかされた。
 13年前、21年間勤務したシンクタンクを辞め、青森の大学に勤めた。単身生活の開始である。東京の実家に帰るのは年数回。
だからといって夫婦仲が悪い訳ではない。どんな仲のよい夫婦も一緒に亡くなることはない。だからこそある程度の距離が必要だと思っている。

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第1話 「おつきあいはジレンマに満ちて楽しみ多し」

カントでしたかショーペン・ハウエルでしたか、ドイツの哲学者としか記憶にありませんが今もジレンマやストレスに関する考察で分かりやすく世に問うた「ヤマアラシジレンマ」というお話です。
 ある寒い夜にヤマアラシのカップルが、あまりの寒さに身を寄せ合って、寒さをしのごうと、身体と身体をしっかりと寄せあったんだそうです。寒さはしのげましたが、おたがいのトゲが、それぞれの肌を刺してとても痛くて、長くは抱きあっていられません。離れるとやっぱり寒い。そんなジレンマを何回か繰り返す内に、寒くもなく、痛くもない、ほど良い距離を会得したんだそうです。
 いろんな人との日頃の行動やおつきあいのシーンを思い返してみると、なんとなく納得できるようなお話だと思われませんか。
 ちょっと強引すぎたかな、遠慮しすぎだったのでは・・・などと思いあたる事のひとつやふたつは、きっとどなたにもあるはずです。
 どうぞ良きパートナーとほど良き距離を大切に。

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第1話 「結婚 異文化との出会い」

 「今夜の月は綺麗だよ、外に出て観てごらん!」会社帰りのご主人から電話がありました。月が綺麗なときはいつも公衆電話から連絡をしてくれました…と。月の美術館にいらしたご婦人から伺ったお話です。そんな優しいご主人もすでに亡くなられたそうですが「お月さまとともに想い出はいつも心の中に残っています」ご婦人は遠い眼差しでお話しされました。ご夫婦の心の通い合いが見えました。
まったく違った環境で育ってきた男女が同じ屋根の下で暮らすということは並大抵のことではありません。我が家の年の差は26歳、ボクが中学校の教師だったころの教え子です。男と女というだけでも異文化ですが、それぞれがその時代の文化の中で育っていますからまさに異文化です。何かしらの共通項が必要です。同じ年代、同じ趣味、共通の体験…それだけでもラッキーなことです。でも異文化交流もなかなか楽しいものです。毎日がスリルとサスペンスなのですから!

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第3話 「結婚の条件は…」

子供は泣くわ、奥さんはパートに出掛けるわ、旦那は毎日練習に出掛けていく。悲しいかな天気が良くても、用事なしって日々でした。一体自分達の人生はどうなるのだろう?と不安でしたが、「子供は自分が生きていくだけのお金は自分で持って生まれてくる!」と言われた時、なるほど!と意識が変わりました。あの日々から随分と時は流れましたが、毎月浮き沈みを繰り返す暮らしは変わりません。でも、僕よりも奥さんの方が、それには慣れたみたいです。腹くくってるといいましょうか…。
世の男性諸君!もう、一人前になってからなんて言わないで、二人で一人前を目指そうではありませんか!世の女性諸君!収入よりも大事なものを見極め、男性を男にして下さい(笑)結婚の条件は、永遠の保障された人生ではなく、永遠の保障が何もないからこそ、夫婦そろって未来に向かい、一生懸命になれるのかもしれませんね~。

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第3話 「ようやく、いい感じの同居人」

人間、誰でも年は取るものだけど、40代から50代になった時は、少なからずショックを受けた。
ところが50代から60代になった時は、開き直っていたので、「まあ、どうぞ、ごゆっくり?」って感じ。
年を取ると、面倒な事はどうでも良いと思ってしまう。
パートナーとの喧嘩も、あまりしない。
というか実際、喧嘩も面倒な出来事だと思うようになった。

うちの場合、ひと回りも年齢差があるので、うちのおっさんは、後期高齢者マークをつけた小舅風。
普段、ほとんど家にいない私に代わって、主夫をやってもらっているものとしては、あまり偉そうなことは言えないけど、口にされると頭にくるわけ。
だからといって、労わり過ぎると「僕は、そんな年よりではない・・」結局、ほどよい放置というか、食事の時以外は、お互いに自由に過ごす。
喧嘩をしても、相手の言葉が突き刺さらない距離を保つ。
夫婦というより同居人、今さらなんだけど、大人の目線で相手を見守る。
そんな感じだろうか。

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第3話 「余裕がある人の方がモテる」

 これは事実だと思います。でもどうして?余裕がある人の特徴をまとめてみると、答えが見えてくるかも知れません。
・毎日の暮らしを楽しんでいるように見える。
・「○○さえ手に入ったら幸せ」というような欠乏感がない
・おしゃれ、手入れが行き届いているなど、自分で自分を大切にしている感じが漂っている。
・コンプレックスを隠さず、自分でそれを笑えるくらいの度量がある。
 つまり、自分に満足している、人生を楽しんでいるというわけですね。人から大切にしてもらう一番の近道は、自分で自分を大切にすることと言いますが、モテている人は、自分を認めて、人生を楽しんでいる結果、他人からも好意を寄せてもらえるというわけです。ズルイ!!こんなステキな方法は、是非とも真似せねば!!あ、これが余裕がない人って言うのかしら…。合掌。

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第3話 「山びことコトダマ。」

一度は皆さん経験があるだろう『山びこ』。
向かいの山に向かって「やっほー」と言うと山が「やっほー」と返してくれる。

私は、自分の発する言葉は自分に返ってくると両親に教わりました。
だから出来るだけマイナスな発言はしない、夢は多く語るようにしてきました。
言葉には本当に不思議な力が宿っていて、言霊と言う言葉がある程です。
ご縁に恵まれない人の会話の中で、この前会った人はこうだああだとマイナスな発言ばかりが目立つ気がします。確かに愚痴を言いたくなるような出会いだったかもしれませんが、だからといって世の中の男性(女性)全てが自分に合わない人ばかりではないのに、次の出会いを諦めてしまう人がいます。
自分に合わない人とたくさん出会うことは自分にとってマイナスでしょうか??
自分と結婚できる人は一度に一人です。その一人と出会うために、自分とはあまり合わないタイプを分かっておかなくてはいけません。
合う人ばかりとたまたま出会えば最高ですが、そんな簡単にはいきません。
自分には合わないタイプを知っておくことこそが、結婚への近道のような気がします。
ですから言葉の持つ力を信じ、出会いが欲しければ口に出して下さい!
愚痴を言いたくなるような人と出会ったときには、「今回は最悪だった!だけど勉強になった!次は必ず良い人に出会う!」と。

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第3話 「帰り道の幸せ」

 暇つぶしに雑誌を広げたり、TVを眺めたり。そんな時にふと出逢ったフレーズが妙に心に残って忘れられない…、そんな経験ありますよね。長崎の方はよくご存知の市川森一さん。著名な脚本家の彼が、女優の柴田美保子さんと結婚したての頃。ある雑誌のインタビューにこんな一節がありました。「市川さん、新婚生活、如何ですか?」「生活がそんなに大きく変化したという事はないのですが…。恋人どうしの頃は映画を見たり、芝居に行ったり、食事をしたりとデートの帰り道。面白かったね、美味しかったねとたわいもなく話しながら、またね!とそれぞれの帰り道を辿ったものです。でも結婚後は同じような会話をしながら当り前のように同じ道を辿り、同じ玄関をくぐる…、こんな日常がとてもいとおしく幸せです」と。
 当時まだ若く愛だの恋だのに妙に敏感になっていた私は、この一節にふと泣きそうになったものでした。

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第3話 「つれあい NO.3」

もう少し両親の話をします。
 80を過ぎた父に認知症の傾向が現れると、母は目に見えて強くなっていきました。
 ある日父が倒れ、病院に救急搬送されました。
 意識はなく、医師からは絶望的と告げられました。
 付き添っていた母が、家に帰って掃除をすると言い出したのは、父が入院して3日目のことでした。
 準備をしなきゃ、と。
 “準備”の最中に、父の遺言状が見つかりました。
 それは遺言状というよりも、恋文でした。
 書き出しは“チャコちゃん”。
 母の愛称です。
 貴女と過ごせて幸せでした、と揺れる文字で綴られていました。
 だから貴女は一日も早く笑顔に戻りなさい・・・。
 私たちには、葬儀の通知先、費用は兄弟で折半すること、そして“お母さんがいつも笑っていられるようにしなさい”との遺言でした。
 その2日後に、父は逝きました。

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第3話 「パートナーとのイノベーション」

今、“イノベーション”という言葉がニュースなどで飛び交っています。イノベーションとは、新しい価値の創造で、社会を豊かにする原動力です。イノベーションを生み出すためにどうすればいいか、経営学者は考え続けています。そのなかで、最も成功しやすいイノベーションは「顧客や社会の観察」→「アイディア発想」→「試作」のサイクルを何度も繰り返す中から生まれるという考え方があります。自分勝手な思い込みで何かを生むのではなく、また、顧客(パートナー)に何が必要かを聞くのではなく、よ〜く顧客(パートナー)を観察して、何に困っているかをしっかり想像し、それを解決できる画期的なアイディアを考えて、それをすぐに試作してみて、反応を見てさらに観察す るということです。
 ここで基本になるのは観察です。いつも一緒に暮らしているパートナーですが、パートナーとして観察していますか? 僕もこの週末、静かに妻を観察してみたいと思います。

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第3話 「教会結婚式」

 ある調査ではキリスト教徒でもない日本人の約60パーセントが教会結婚式を挙げるとか。でも外国のキリスト教の教会で結婚でもしない限り、これだけでは結婚は成立しません。ご存知の通り、日本での結婚は書類を自治体の役所に届けたときに成立します。
 先日「本物の」日米カップルの結婚式の司会をしました。場所は教会ではなく基地のレストラン。米海軍に所属する牧師さんが軍服を着て、二人の前に立ちました。「病める時も健やかなる時も死が二人を分かつまでお互いを愛し、大切にしますか」と聞き、新郎新婦がそれぞれ「誓います」と答える、例の結婚式です。違うのは、その後牧師さんが招待客に「二人の結婚を認めますか?」と聞くことです。指輪の交換、キッスが済めば、二人は正式な夫婦です。結婚式は神聖なものなので、通訳でさえ途中で邪魔をすることはできません。一応招待客に説明してから式に入ったのですが「認めます」と答えたのはアメリカ人だけ。沈黙をもって「是」とするのが日本式なのか?大きな声でI do.と答えて欲しかったと思います。

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第3話 「ひとあい~思いやり」

ひとあい=想いやり
友人が私の誕生日に贈ってくれた言葉をご紹介しましょう。
<人生を思い通りに動かす七つの言葉>
1「今日は人生でもっとも重要な一日である」
2「最後まで絶対に妥協しない」
3「何歳からでもやり直し出来る」
4「人を羨むより自分を磨け」
5「時間はいくらでも作り出せる」
6「積極的にうごいてみる」
7「考え方をポジティブに変える」
この七つを胸に一日をスタートしましょう。
素敵な今日を心から応援しています。
一言でいえば「何事も自分の心持ち次第」ということでしょうか。
たしかに雨が降って文句をいう人は、晴れれば晴れたで「暑い!」「陽に焼ける!」などとぶつぶついう。
それよりも雨が降れば「ああ、今日こそ気になっていた書類の整理ができる」と感謝する。
「ああ、よかった」「わあ嬉しい」「有り難い」「幸せ」などと、ささいなことにも感謝しながら過ごすことが出来れば、これこそまさに「日々是好日」ではないでしょうか。
相手にたいする「ひとあい」は「想いやり」。
わたくしを想ってくれる人がいることを嬉しく、そして感謝する想い。
そんな「今日」が綴られてパートナーとの素敵な一年が完成するのではないでしょうか。

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第3話 「結局女は不思議よねの巻」

 皆さんは、渡辺淳一先生の「恋寝」という短編をお読みになったことがありますか?
 奥さんが子宮がんの手術をした中年夫婦の赤裸々な話で、夫婦のあり方をよく読ませます。それまで夜遊び大王の亭主が、奥様の手術を機にぴったり遊びをやめ、かならず定時に帰宅し毎夜奥様を抱きしめて添い寝するという、まじめな人には当たり前の話ではあるのですがね。
 かくいう小生も、男と女について考えさせられることはよくあります。たとえば、反対されて結婚を諦め、別の方と結婚して25年。その後、今は脳梗塞で車いす生活を余儀なくされているその「昔の男性」と、わざわざ幸せな今を捨てて再婚された女性。「この人の杖になります。」と淡々とおっしゃる奥様に、なぜ?どうして?と思わず問いかけそうになるおバカ藪医者。以後、彼女は献身的に介護をされてます。ああ、素晴らしきは人生と男と女!
 ところで病気をした時、夫婦力の強いところは治りが早い!これ実感です。

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第3話 「愛が怖い」

 「本当は、愛してくれる人がいいのに、冷たくする人を選んでしまうのです。
私、愛が怖いのかな。」
あなたは、無条件で受け入れられると、何か怖いような気がしたことは
ありませんか?
そんなはずはない。
どこか無意識に自分が無条件で受け入れられるはずがないと
思っているのかもしれません。あなたがもし、目に見えない愛情が、
温かいと感じられないのであれば、これからでも大丈夫。
温かくて、ほっとして、安心を感じる力は、
私たちに生まれつき備わっているから。
愛情を感じないようにしていたのは、感じてしまうと、
感じられないのが辛いから、
傷つかないように「愛情を感じないようにしよう」と決断しただけ。
あの頃の辛さと向き合い、愛情を感じられるようになれば、
愛は怖いどころか、心地よく、幸せと自信を感じられるものだということ、
生きていくのにかけがえのないものだということを実感できるようになります。そうなれば、本当に愛情ある人を選ぶように変わるのです。

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第3話 「ゴンチチのCD」

「壊してもいいから中のCDだけは取り出して欲しいの」古いラジカセはゴンチチのCDを飲み込んだまま動かなくなっていた。外せるネジは全て抜き取ってはみたものの部品と本体がガッチリ組み込まれていて分解することができなかった。あきらめて近所の電気店に持ちこんだ。数日後、取り出してもらったCDを久しぶりにステレオで聴いた。懐かしい。新婚のころ一緒に過ごしたあの日の情景が浮かんでくる。音楽ってアルバムのようだ。マンションから今の家に引っ越して、片付かないダンボール箱が積まれた部屋の真ん中で妻が作ってくれたゆで卵を食べたっけ。こうして振り返ってみると、ふたりにしか見えない懐かしい思い出がいくつも増えている。思い通りにはならなかったり、失敗することの方が多かった。それでもがんばって今日までやってこれたのは、いつも隣に彼女がいてくれたから。恋人、戦友、女房? 微妙に違う。今は、もうひとりの自分のような気がする。

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第3話 「相手の【話をよく聞く】こと」

 誰でも自分の話をただ聞いてほしいことがあります。「どうしたらいいか」との助言を求めているわけではないのです。せっかく話をしているのに「要するになにが言いたいのです」と遮られると、「あっ、聞く気がないんだな」「もういいや」と反射的に思ってしまい、話す気が一瞬にしてなくなってしまうのです。だから、相手の話は最後まで聞くことが大事です。そして、話を聞き終わった時に「話してくれて勉強になってよかったです」「また聞かせてください」との一言を付け加えたほうがいいです。そしたら、相手に聞いてもらうだけ、苦しみと楽しみを分かち合って、満足できます。話の内容によって、相手の気持ちが違いますが、ずいぶん楽になって、前向きに物事を運んで、苦しみや悲しみを乗り越えられます。また、話を聞いてもらって、楽しみが倍になります。すると、また聞いてほしくなり、話したくなり、共に笑いながら、泣きながら、少しずつ愛を深められて、楽しい人生を一緒に歩んでいけることでしょう。

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第2話 「ダメ男に惹かれる理由」

「ダメ男ばかり好きになってしまいます。」
という女性、珍しくありません。
なぜ、ダメ男に惹かれるのでしょう?
子どもの頃、叩かれて育ったある女性は、
優しい男性とお付き合いしていると不安になって来ると言います。
叩かれると、なぜかホッとするのです。
つまり、私たちは、もう二度とあんな思いをしたくないと思っているのに、
あの嫌な気持ちを無意識に求めてしまうのです。
だから、お父さんや怖かった男性に似ている人を選んでしまうことが
多いのです。
子どもの頃の心の傷を癒すとダメ男に惹かれなくなっていきますよ。

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第2話 「製品ライフサイクルとパートナーとの関係」

 「製品には寿命があるが、会社は製品の寿命よりも長く存続したいと思っているので、ある製品が売れている間に次の商品の芽を育てなさい」というのが製品ライフサイクルの考え方です。スマホでもAKBでも、売り出すには大変な投資が必要で、しかも最初はうまく行きません。だから、すでにうまく行っている商品の利益や労力を新商品に回しなさいというものです。
 パートナーとの関係も、結婚前、子育て期、熟年期では、それぞれ違う役割や価値感を持っています。特に子育て期には大変な気力、労力を使うので、次の関係を築いていく準備を怠っていませんか? 大変な子育て期の後半には子育てが終わってからの二人の関係について準備をしておく、たとえば、月に一度はお昼にご飯を食べて映画を見に行くとか、子供の世話を両親にお願いして二人でできる趣味を始める・・・。大変かもしれませんが、子育てが終わってから新しい関係を築こうとすると“倒産”するかも。

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第2話 「人愛~ひとあい」

 友人H氏の奥様は何ともいえない明るさが素敵です。奥様のどこに惚れたのかという質問に対して彼は「君はどうしていつもそうニコニコしているの?とたずねたら、私が不機嫌な顔をしていたら回りまで不機嫌になるでしょうと答えたので」とのこと。
 「ひとあい」とは人付き合いや、人に対する愛想のことで、「人愛」とも書きます。時には腹もたつ、時には癇癪を起こす。しかし側にいる人がいつもニコニコしていると自然にも笑顔ができる。まさに人との関わり方が「人間」そのもの。人間関係が一番自分を磨いて、そして育ててくれるものなのですね。ダイヤモンドはダイヤモンドでしか磨けないように、人間も人間によってしか磨かれないものなのです。

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第2話 「見つめる」

結婚当初、妻は美人でスタイルがよくて、それこそ食べてしまいたいくらい可愛かった。2年前に銀婚式を迎えた妻の肌はいつの間にかハリを失いシミやシワが目立ちはじめ指先は家事で荒れていた。これまで散々苦労をかけてきた証拠だ。妻にとって最大のストレスは私が48歳のときに長年勤めていた会社が倒産したことだ。50歳を目前にして収入源を失った不安は恐怖に近い。再就職は予想を超えて厳しかった。ハローワークで何ができるのかと聞かれ「営業です」と答えた。「募集は30代までですね」とあっさり断られた。起業すると覚悟を決め「やる」と宣言した。妻は文句も言わず「はい」と言ってくれた。最初は苦しかった。思うようにいかなくて落ち込んだり、収入が不安定になった時もあった。それでも前を見てコツコツと積み上げてきた。今は新婚時代の頃のようにお互いを見つめ合うことはないが、気が付けばいつもふたりで同じ未来を見るようになっていた。

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第2話 「【素直になる】こと」

 自分の気持ちを素直に相手に伝えましょう。人間は色々な気持ちを持って、素直に相手に伝えないと、誤解を招いたりします。その反対に、相手に素直に伝えれば、誤解を避け、お互いを少しずつ知り、歩み寄ります。例えば、誰でも不安な気持ちを持っています。その不安な気持ちを相手にきちんと伝えられることによって、相手に自分の気持ちを分かってもらって、それなりのアドバイスももらえるかもしれません。そのアドバイスは自分の気持ちに合うかどうかは別にして、相手の考え方が分かるいい機会です。また、話すことによって、自分の気持ちが整理され、緊張感を和らげて、現実と冷静に向き合うことができます。自分が持っている力が十分に発揮できて、よい結果につながります。そしたら、知らないうちに、お互いがいろいろな話を通じて、相手のことを少しずつ分かって、歩み寄りながら愛を深められて、一つ一つの試練を共に乗り越えられて、充実した人生を一緒に送ることができます。

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第2話 「良妻賢母」

 「私はただ、仕事で疲れている夫を気遣って子供を静かにさせ、そっとしてあげただけなんです」米海軍の軍人である夫から突然離婚を切り出された日本人妻はよよ、と泣き崩れました。一方夫は「付き合っていた頃は二人で食事に出かけたりして楽しかったのに、子供ができたとたん妻が僕を無視するようになったので寂しかった。そんなときに今の彼女に会ったんです」
 カウンセリングに来た国際結婚カップルのそれぞれの言い分です。アメリカでは幼い子供のいる夫婦でも子供を預け二人で出かけます。メディアが発達し、それを知識として知っている現代の日本人女性でさえ、子供を預けて夫婦で楽しむのには抵抗があるようです。
 「文化の違い」と言ってしまえばそれまでですが、お二人はそれを超えて結ばれたはず。もう少しうまくコミュニケーションが取れていたら、と悔やまれます。みなさんも、これを人事(ひとごと)だと思わずに、夫、妻、恋人と積極的にお話しましょう。

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第2話 「その時、両親は!?」

僕らは15年前東京で、1ルームに同棲してました。狭いのなんの!
で、ある水曜日二人の休みが合ったその日、入籍しました。おいおい、弟子入りの身分で結婚しちゃったよ。
順番は逆になりますが、そろそろ結婚とかするか~なんて話になったのでしょうかね。あんまり覚えてませんが。プロポーズすら覚えてない。
でも、相手のご両親に挨拶に行った事はよく覚えてます。お父さんは、聞く耳なしって感じ。お母さんは、不思議と前向き。
皆さん想像して下さい。かわいい娘が結婚相手として、ちんどん屋を連れて来るってどうです??
ご親戚からも「なんであんた、吉本芸人でなく、ちんどん屋なの?」なんて聞かれたり、職業そのものの説明から必死にやりました。
でも、結婚は遊びじゃない!夢でもない。現実にこれから生きていかなくてはならないんだ。自分のすべき勉強はまだ終わらない。でも、そんなの待っちゃあいられない。なんせ半年後子ども授かったんだから!

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第2話 「第一印象を決めつけない」

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私は24歳で結婚しました。
初めて恋をしたのが15歳。「24-15=9」9年。
え? これから仮に80歳まで生きられるとして、私自身の人生において80年のうち、たった9年しか恋愛をしてこなかったということです。その9年の中で私は色々なタイプの男性を見てきましたが、その人の第一印象を自分で決めることはやめました。なぜなら、その人が実は凄く優しく誠実な方かもしれないのに、第一印象が悪かったばっかりに運命の相手を見逃している事も考えられるからです。
運命の分かれ道というのは、二回目に会った時だと私は考えています。一度目に嫌な印象だった人が二回目はかなり好印象なのか、一回目と変わらず嫌な印象か、それは二回目で明らかになります。一回目で自分を100%分かってもらえる人なんていないのですから。
人生の中で恋愛できる期間って改めて振り返ると短い…。だから、一期一会を大切に、第一印象は二回目で明らかにしてみませんか?

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第2話 「つれあい NO.2」

ある夫婦の話をしましょう。大正3年生まれの夫と大正13年生まれの妻。
亭主関白を絵に書いたような夫に、妻はただ仕える日々でした。
当時ではごく普通の夫婦のあり方なのかもしれません。
夫は公務員として仕事一筋で、部下の面倒見もよく、順調に出世街道を歩んでいきました。
ただ、4人の子どもがいる家庭は一切妻任せです。
毎晩のように飲み歩き、連れを伴って深夜の帰宅。
そのまま自宅で飲み続け、妻は子守をしながら接待という生活でした。
年に一度の日帰り海水浴が、唯一の家族旅行でした。
それでも子どもの躾には厳しく、無作法をすれば、子はおろか妻にまで激しい叱責が及びます。
彼は、妻にとっては畏怖であり、子どもにとってはこの上なく煙たい存在でした。
時が流れ、子どもが巣立ったり、互いに大病を患ったりするうち、二人の関係が少しずつ変わっていきました。
お茶を入れる、洗濯物を畳むなど家事をする父親の姿に、子どもたちは驚くばかり。私の両親の話です。

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第2話 「だだもれの会話」

 結婚を控えた若いカップルが、ベテラン夫婦に「結婚すると何がいいですか?」と尋ねてきたという。夫婦はすかさず、「会話がだだもれで、いいことだね」と答えました。“だだもれ”というのは、頭に浮かんだ事を水道の蛇口を開けっ放しにしたように、ダラダラおしゃべりする事だそうです。夫婦2人でいる時、ほとんど独り言のように自由に口にする。TVを見てはアレコレ言い、食べすぎた、疲れた、眠たい、果ては悔しい、腹立たしい等々と漫然と話すけれど、大した返事は求めず、だだもれしゃべくりで、これが結構ストレス解消になるという。「ああ、また彼の(彼女の)だだもれが始まった!」くらいの苦笑でお互い目をつむる、これが夫婦円満の秘訣かもしれません。 でも、これから結婚という若い2人は、好きな人と一緒に暮らせるのだから、それだけで幸せ!だと。そうだ、そうなんだ、ベテラン夫婦は、そんなシンプルなことをすっかり忘れかけていたのでした。

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第2話 「男女のエネルギー有効利用」

「大変だったねって言ってくれるだけでいいの!!」女性は、身の上にトラブルが起きたとき、喋ることで気持ちの整理をつけようとします。うんうんと頷いて、大変だったねと共感してもらえれば、案外簡単に心の切替えが出来るものです。
ところが、大切な人が辛い想いをするのが堪えられない男性は、ついつい
「君がこうしていたら、そんな風にならなかったんじゃないの?」なんて言ってしまう。せっかく親身に話しを聞いていても、
「あなたは私の話を何も聞いていない」と言われてしまうことに…。その真意は、「心の奥の、“いたわって”、という声が聴けていない」ということでしょう。こんな時は、「君のこと、好きだから心配してしまうんだ」と本心を明かして、優しく抱擁してみて下さい。
「大変だったね」と話しの続きを聞いてあげてみて下さい。男女間の平和が実現されることうけあいです!!

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第2話 「大誤算もあったけど、沈黙が平気!?」

晩年の寂しさを考えて結婚を決めたけど、もし考えなかったら、未だにひとりでいたかもしれない。
それでも3年余り同居の猶予?期間を持った。
最終的な理由は、趣味が同じ目線、そして沈黙が平気だったこと。

 付き合っている頃「今日、シチューを作ったから来ないか?」の電話に、「もしかして私、結婚しても料理をしなくてもいいかも・・」と勝手に思い込んだが、これが大誤算。
「僕は結婚してまで料理はしない」。
お陰で?私は、徐々に料理が大好きになった。

 うちのおっさん(今では、こう呼ぶ)は、ひとまわり以上も年上。
多分?母親から「男子厨房にいらず」と教えられた世代。
ひとり暮らしが長く、キレイ好きで机の上も整理整頓。
私は、と言えば机の上は雑多な物で山積み。
2,3日、掃除機をかけなくても死ぬわけじゃない・・・の人。
性格も正反対、でも沈黙の時間が少しも嫌ではなかった。
結婚をするというより、気をつかわないで、一緒に暮らしていけるかなと思ったのだ。

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第2話 「それでも女は可愛いの巻」

 病院というのは人生の縮図です。
 小生が老人病院で仕事をしていたころは、まだ介護保険などなく、介護の主体は家族、とくに奥様でした。その妻というものも色々で、大半は献身的なのですが、中には第三者のような方もおられます。そうなった理由があると言われれば、他人には反論できないのですがね。
 68歳の癌の末期の会社社長の男の患者さまに、毎週定期的にひっそりとお見舞いに来る女性がおられました。病院関係者としての立場で言えば、当男性のご家族は日ごろからかなり身勝手で、奥様もあまりお目にかからなかったので、彼女はなおさら律儀に感じられたのです。ある時、病院の通路でばったり会ったので、「御親戚ですか?」とよけいなことをつい聞きましたら、「いえ、社長には若いころからずいぶんお世話になりました。せめてもの恩返しと思って・・・」どれほどのお世話になったのかは知りませんが、感動したのは小生がやはりおバカ男だからでしょうね。

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第1話 「悪魔のささやき」

カウンセリングに来られた20代の女性。
「好きな人が出来たのに、近づくことが出来ない。好きなのに。恋愛が出来ないのが辛いです。先生、私は、男の人が信じられない。」
そう、恋愛がうまくいかない原因があるのです。性的トラウマ、虐待、両親のけんか、不幸そうな母親、過保護な親。小さい頃からの経験が原因となり、恋愛を邪魔する“悪魔のささやき”が心の中に住むようになるのです。
「男は信じられない」「男はどうせ裏切る」「男は狼」「女は損」「男性に甘えてはいけない」「目に見えない愛情なんてない」「人と親密になると傷つけられて生きてはいけない」「親と離れては生きてはいけない」
 もし、両親の仲が良く、愛し合って、幸せそうだったら、こんな“悪魔のささやき”は聞こえてこないはず。心理療法で「決断」と呼ぶ
“悪魔のささやき”=インナーメッセージを
追い出す方法があり、「男性を信じる」「目に見えない愛情が信じられる」「男性に甘えられる」ように変わることが出来ます。

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第1話 「モテる秘訣」

「モテる秘訣、知ってる?」
“特別美人というわけではないけれど、すごくモテる”という踊りのお師匠さんが言いました。どんな奇策か期待に胸が膨らみます。
「相手の話しをよく聴くことよ」
奇策どころか、基本中の基本…。
「自分の話しを熱心に聴いてくれて、せかしたり、お説教したりしない女が、男の人は大好きなのよ。相手が言葉に詰まったとしても、ゆったりにっこりしていること、自分の意見や知識をひけらかそうとしないこと。優しい眼差しで頷くこと。」
実績大のモテ女の言葉、ということで、友人5、6人と最速実践してみることにしました。
なんとも思っていなかった男性からは、告白されるのに、本命とは皆×。よく思われたい、理解して欲しい、と思って喋り過ぎるのが原因という結論に達しました。「相手が惚れるまで待つの。男が女を大切にしたくなるようにリードするのが女の大事な役割よ」と師匠。嗚呼、モテ女への道は遠い…。

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第1話 「しぶしぶの縁」

 それは3年前の2月22日。ニャンニャンの猫の日にちなんで、「猫の話を肴に婚活しませんか」そんな呼びかけで私の小さな居酒屋に集まった男女10名。その中に、いま話題の草食系とは正反対のいかにも体育系、店の入り口を腰を半分に折りながらしぶしぶと、入ってきた男性がいました。親友に無理やり誘われたとか。その彼が何とその日、赤い糸を見つけたのです。一年半後の夏休み、2人揃って結婚の報告に来てくれました。こんなに嬉しい事はありません。ログハウス風の新居も建築中との事。おせっかいな私は「あとはベビーね、どっちに似ても美形よ、きっと」。でも彼女は子宮の病気で子供は難しいとお医者様に告げられたそうです。ごめんね!と困惑する私に2人は「大丈夫。じっくり話しあって、それもこれも2人の縁、運命だから、2人で助けあって生きて行こうと決めたのです」と。気軽に始めた婚活のお手伝いでしたが、その先には重い人生の道のりがあることを痛感したものです。

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第1話 「秘密基地」

妻のスケジュール帳にビッシリと小さな文字が並ぶようになったのは高齢の母親の介護に追われる生活になってからだ。
家に人が来ない日は週に一日だけ。
ヘルパーさんが週二回。
ケアマネジャー、看護師さん、そして医師の往診日が日替わりでやってくる。
その合間に掃除、洗濯、買い物、食事の支度をこなす。
私も時間に余裕のあるときは手伝うが全てはカバーしきれない。
一日の予定がこま切れにされ自分の時間が奪われていく。
このままでは妻のストレスはたまる一方だ。
そこで近所の居酒屋を秘密基地にして時々避難することにした。
私はひたすら話を聞き続けるだけだが妻にとってはストレス解消になるらしい。
そう言えば創作料理が食卓に並ぶようになった。
料理好きの妻が居酒屋の肴を参考に自己流にアレンジしたものだ。
これが美味い。
ささやかだけど秘密基地で過ごす時間を楽しむようになった。
妻はスケジュール帳に記入した居酒屋の名前を嬉しそうに見ている。

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第1話 「パートナーのモティベーションを引き出す」

 モティベーション、よく聞く言葉ですが、日本語では「動機付け」と訳されているこの言葉は、僕が大学で教えている経営学のなかの大きなテーマの一つです。人はどうしたらやる気を出すか?ということを経営学では考え続けています。様々な理論がありますが、今日は目標設定理論を取り上げてみたいと思います。これは、「人は“具体的で困難な目標”を与えられたときにもっともやる気を出す」という理論です。僕らはパートナーとの関係について「具体的で困難な課題」というのを持っているでしょうか?
 子どもを育てる、家を建てる、などの遠大な目標はありますが、なんとなく漠然としています。もっと細やかな具体的な目標をパートナーと話し合って決め、達成できれば二人で褒め合う、これによって人は満足感を感じ、さらに次の目標を立てようと思う。この理論はそのようなことを教えています。僕も、今度の週末、具体的でちょっと困難そうな目標(夢)を妻と語り合ってみようと思います。

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第1話 「結婚とは三つの道」

結婚は二人が歩み寄って一つになり、一つの“道”作っていくと考えがちではありませんか?
私は、独身の頃はお互いの道を歩んできて、結婚した途端、相手と新たな二人の道を設け自分のこれまでの道を行き止まりにし、子どものために、とか旦那のためにとか家族なしでは何も考えてはいけないように思うのが結婚だと思っていました。
でも結婚して名前が変わっても、私は私。結婚したら、大好きな仕事ができなくなるとか、一人の趣味が出来なくなるとか、結婚して今まで出来ていたことが結婚を犠牲に出来なくなると言う人が少なくなれば、若者の結婚離れも減るでしょう。結婚しても、お互いがお互いを尊重してあげられたら、仕事だって続けられるし、自分のしたい事、夢も叶えられるんではないかと思います!
それどころか、心強い味方がそばに居てくれるのだから独身の時よりもはるかに夢は広がるんではないでしょうか?
まずは結婚に対する重い、嫌なイメージはどこか遠くに置いていきましょう!

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第1話 「やはり女は怖いの巻」

 老人病院に勤めていた若いころの話です。当時70歳のその男性患者様は脳梗塞で入院されていました。片麻痺で体が不自由、感情が高ぶると大声を出して泣く「感情失禁」という症状がありました。
 奥様は頻繁に見舞い世話をしておられましたが小生が回診に行ったとき偶然おかしな行為に出くわしました。
 彼女は、「お茶」と要求される患者様に、「はいはい」とおっしゃってコップのお茶を一旦ご主人の口元に近付けてさっと引かれました。ご主人は、「う~」と唸って泣かれます。はやくくれと感情失禁されたのです。奥様は同じ行為をもう一度繰り返したのち、十分に泣かれたご主人に「はいお茶ですよ」といって飲ませました。
  「奥様、なにかのおまじないですか?」と尋ねる小生に、彼女は「先生、主人には若いころずいぶん泣かされましてねえ!この人の泣くのを見るのが楽しいわ!」

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第1話 「一人で【抱え込まない】こと」

 私は中国出身なので、国際結婚。
 日本に来て初めて社会人として勤め、子育ても初めて。どちらも分からないことが一杯でした。子育ては保育園の先生に相談にのっていただき、お陰さまで順調に進んでいます。けれど、何でも一人でこなすのは大変です。ですから、家では子育ても家事も主人と一緒にやっています。最初、お互いに要領が分からなくて思ったようにならなかったのですが、諦めずに試行錯誤を繰り返すうちに、だんだん噛み合うようになって来ました。
 もともと生活環境や習慣が全く違いますが、結婚後、何でも一緒にすることによって多くの共通点を見つけ、支え合い助け合って生活をしています。お互いに欠かせない人生のパートナーなのだと実感しています。

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第1話 「ああ、結婚」

 アメリカ海軍佐世保基地ファミリーサポートセンターで日本文化講師を務める川原です。自分が結婚もしていないのに結婚情報誌に文章を寄せることになりました。ウチの事務所には結婚問題、家庭内暴力、児童虐待、金銭管理など米国人カウンセラーが働いています。もちろん国際結婚カップルのお世話をすることもあります。そのあたりの話を3回にわたりご紹介いたします。
事務所に相談に来るカップルを見て思うこと。そんなに気が合わないなら、なんで結婚したの?「あの時はお互いが運命の人だと思ったの」きっと、そうなんでしょうね。
父に言わせれば「結婚生活の難局を乗り切ってこそ人間的に成長できる。だから、結婚するのが自然」なんだとか。ま、自然に逆らうヤツもたまにはいますけど。
恋に落ち、盲目となってする結婚。裏を見て、表を見てする離婚。難局を乗り切れば良寛さんの辞世の句「裏をみせ、表をみせて散るもみじ」の心境に達するのでしょうか。命短し。恋せよ、みなさん。

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第1話 「条件は永遠の保障では無いよ NO.1」

ちんどん稼業は、浮き沈みの激しい仕事で、決まったお給料なんてありません。
先日うちの女性メンバーに聞いてみました。「結婚希望とかいうけどさ、相手に求めるもの、一番はなに?」すると、「ぶっちゃけ収入は外せないです。」と。そうよね~。
今世の中、結婚に踏み切れない若い男女が増えているようですね。男の立場でいうと、一人前になってないのに、嫁さんなんかもらえない。収入が上がる見込みないのに、家族なんて養えない。もちょっと待って~みたいな。女性の立場からは、よくわかりませんが、自信をもったプロポーズがなかなか来なくて、一体いつになったら、、、?なんて待ち疲れてません?僕の場合は、当時、東京の親方に弟子入りの身分で、アルバイト掛け持ちのフリーター同然でしたから、結婚なんて無理無理無理と思ってました。なのに、気付けば結婚14年。結婚の条件は永遠の保障では無いですよ(笑)

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第1話 「つれあい NO.1」

『Partner』を辞書で引いてみると、“協力者”とか“配偶者”という言葉に混じって“つれあい”とありました。
夫や妻というよりも、何となく深みを感じるのは私だけでしょうか?
先日「あなたへ」という映画を見ました。亡くなった妻から夫へ、故郷の海に散骨をしてほしいという遺言状が届きます。
夫は、妻の遺骨と共に、富山から平戸までの旅に出ます。
互いに“つれあい”を想う夫婦の、静かで優しいお話でした。
いつになくしみじみと色々なことを考えてしまいました。
夫婦って結構大変です。
個々のペースで流れていた時間を、結婚を堺に一緒に刻むわけです。
まずは互いの親や親戚、やがては子どもやご近所等々…様々な人の流れが加わり複雑に絡み合い、急流になったり、滞ったりうねったり、これがまあ、かなりスリリング。
互いの流れが自分のペースに溶けこみ、違和感がなくなる頃に“つれあい”と呼べるのかもしれません。
それにはどれほどの時間が必要なのでしょう?

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第1話 「人間~ひとあい」

 新年おめでとうございます。
 年頭にあたり私の心に残る「人間」の話をさせていただきたく思います。昨年27回忌をむかえた当山檀家のIさん。私の母と小学校で同窓でもあり、親しいお付き合いをさせて頂いておりました。私の大学在学中に先代住職が逝き、父に代わり、寺を守り檀家の月参りを務めてくれたのは母でした。多忙な毎日の中で、お参りでお邪魔したIさん宅でのしばしの語らいは、母にとって、どれだけ心の安らぐひとときだったことでしょう。そして私が修行を終えて住職をついだのが、24歳のとき。Iさんは「方丈様、方丈様」といって私を大変大事にして下さいました。このことは、新米の若僧にとってどんなに心丈夫であったか、またどんなに勇気を与えてくれたかは到底言葉にすることが出来ません。いつも感謝の念で一杯でした。
 人は一人では生きていけないものです。人間と書いて「ひとあい」とも読みます。人と人とのつながりがあるからこそ、人は生きていけるもの。だから人との関わりあいが大切なのだと思うのです。今年が皆様にとって素晴らしい一年でありますように願ってやみません。

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第1話 「動機は、不純で簡単明瞭」

私の20~30代は、仕事がとても充実していた時期で、ひとりが良かったというわけでもなく、ただ毎日が楽しくて忙しくて考える暇がない。
でも本音を言えば、もともと結婚に関心を持ってなかった。
30代半過ぎ、周囲の目線がなんとなく痛い「どうしてしないの?」よく聞かれた。
理由はないけど…と答えても納得してもらえない。
女性がいつまでも結婚をしないでいると、どうも遊んでいるように見られていた。
毎晩、仕事で帰りが遅い私に、両親が、いつも何か言いたそうだった。
それでも全く気にしない。
するかしないかは、自分が決めることだから。
あと少しで40代を迎える頃、何故かふと考えた。
「年をとって縁側(イメージはやっぱり縁側?)でお茶を飲もう思った時に、振り返ったら誰もいないって寂しいかも・・・」
今は、それなりに恋人はいるけど晩年の自分には全く自信ない。
それなら、30代最後で決めておこう。
そういう意味では、私の結婚の動機は、簡単明瞭で、不純だったかもしれない。

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桶屋町 本踊(おけやまち ほんおどり)

1375499344_M 桶屋町は、桶職人たちが多く住んでいたことに由来しています。 
 奉納踊りは、傘鉾の「象」にちなんだものを基軸とした古式ゆかしい本踊。傘鉾は、白象の珍しいからくり時計の飾りで、エキゾチックな雰囲気が皆の目を引きます。飾り、垂ともに文化財の指定を受けているのはこの町だけです。

 

 

 

1375499411_M「新しい次の世代へ継承していくこと、世代交代も考えなければいけない時期にあると思います。私は庭先廻り担当として、踊り子さんをサポートしながら、ひとりでも多くの人に見てもらえるように、藤間金彌先生、そして町の人と協力して、作り上げていきたいと思っています。」と原さん。くんちがきっかけとなって、町がひとつに繋がり、新しい世代へと伝統が継承されていくのですね。(堀田)

 

 

 

お話・写真:原 喜一郎さん
協力:長崎くんち塾

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船大工町 川船(ふなだいくまち かわふね)

1372385523_M 船大工町は、当時、船の繋ぎ場ということで、船の修理を専門とする船大工が住んでいたことに由来しています。

 

 

 

1372385479_M奉納踊りは、網打ち船頭も華やかな古式ゆかしい川船。根曳の着物の波柄が本物の波となり、スピード感のある船廻しで、激流に立ち向かう迫力がこちらにまで伝わってきます。船廻しの時は後方が船に体重を乗せ、前輪を浮かせて、2輪で廻るというから驚きです。
「船大工町は、伝統を大切にする町です。私達は、伝統を引き継いで、次の7年後にバトンタッチしていく役目だと思っています。大人も子供と一緒に成長しながらとにかく無事で怪我なく終りたいですね。」と語る久保さん。囃子をしていた子供たちが大人になり、根曳となって戻り、船大工町の伝統は脈々と受け継がれていくのですね。(堀田)

 

 

 

お話:久保弘一さん
写真:久保弘一さん
協力:長崎くんち塾

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丸山町 本踊(まるやままち ほんおどり)

1374642510_M丸山町は、寛永19年(1642)頃にできた町で平成18年に41年ぶりに踊町に復帰しました。この町は、長崎くんち踊町の「露払い」として格別の存在です。奉納踊りは、もちろん長崎検番の芸子衆による伝統格式のある本踊。花街の歴史を担って舞うその姿は、実に艶やかです。

 

 

 

1374642530_M「丸山町らしさをどう出していくのか、粛々と動いていますよ。くんちを通じて傘鉾の方、しゃぎりの方、加勢に来て下さった方を含め、本当によかった!と感動で町がひとつになるんです。丸山町は、花街だからこそ“おもてなし”の心を大切にしています。庭先廻りでは、多くの人と触れあって、コミュニケーションを大切にしたいですね。」と山口さん。これからもくんちの原点として、本来の形を守りつつ、進化していく丸山町から目が離せませんね。

 

 

 

お話:山口 広助さん
写真:山口 広助さん
協力:長崎くんち塾

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万屋町 鯨の潮吹き(よろずやまち くじらのしおふき)

1362119631_M万屋町は、本鍛冶屋町と呼ばれていましたが、雑貨商が増えたことから延宝6年(1678)に万屋町と改称されました。
奉納踊りは、234年の伝統を誇る鯨の潮吹き。潮を吹きながら大暴れする大鯨は圧巻で、古式捕鯨の様子を3日間のストーリーで表現しています。

 

 

 

1362122350_M「僕たちは234年の歴史の中の1ページです。古い歴史ということにおごりがないよう、誇りを持って後世に伝えていきたいと思っています。歴史が深い分、皆の期待は大きいので、さすがと言われるような奉納をしたいですね。」と有谷さん。他の町内とも繋がり、踊り町全体が一つになることで、今後のくんちへの大きな原動力となっていくのですね。さて、いよいよくんち本番。勇ましい男達が、諏訪の大海原を泳ぐ大鯨へ挑みます。

 

 

 

お話:有谷 将哉さん
写真:有谷 将哉さん
協力:長崎くんち塾

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金屋町 本踊(かなやまち ほんおどり)

1374647173_M金屋町は、諸説ありますが、金物の日用品を取扱う金物業者・金属商が多く住んでいたことに由来しています。 
奉納踊りは、古典調の本踊「秋晴勢獅子諏訪祭日(あきはるるきおいのすわのまつりび)」。前に獅子舞を奉納していたことにちなみ、歌舞伎踊り勢獅子を奉納しています。駆け踊る女性2人の息の合った勇壮な獅子が見どころです。

 

 

 

1374647128_M「マンションが増えて、実は金屋町には子ども達が増えたんです。所望踊りにも子ども達を参加させていますよ。町の人との交流もくんちがきっかけで深まりましたね。町が一致団結して取り組んでいます。」と武藤さん。子どもから大人まで、色んな行事を通して町が一つになり、くんち本番を迎えるのですね。

 

 

 

お話:武藤 耕嗣さん
写真:武藤 耕嗣さん

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五嶋町 龍踊り(ごとうまち じゃおどり)

1354500510_M五嶋町は、本五嶋町と浦五嶋町に分かれていましたが、昭和10年(1935)に合併。五島の人たちが移り住んだことに由来しています。
 奉納踊りは、スピードと高さが特徴の龍踊り。以前は、本踊を奉納していましたが、平成12年より龍踊りを奉納、若い龍ならではの迫力があり、見ごたえ満点です。

 

 

 

1354500525_M「普段の生活の中では、なかなか繋がらない人間関係の広がりもあります。くんちを通して大人から子供までひとつになり、成長していきますね。私たちも教えられている部分も多いんですよ。」と中村さん。
 若い力と皆の想いが龍に宿り、五嶋町の新たな歴史として、次の世代に受け継がれていくのでしょうね。(堀田)

 

 

 

お話:中村 重敏さん
写真:五嶋町さん
協力:長崎くんち塾

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興善町 本踊(こうぜんまち ほんおどり)

1349583069_M興善町は、町を開いた博多の豪商、末次興善氏に由来しています。奉納踊りは、能「石橋」を基にした「時秋宮日宴獅子賑」。牡丹が咲き誇る石橋で、文殊菩薩の愛獣である獅子が胡蝶と戯れる様をあらわした豪華な舞いです。約3キロ程の重さがある獅子頭の豪快な毛振りは力強く、圧巻です。

 

 

 

1349583053_M「町の人数は少ないですが、皆助け合ってここまできました。私たちは“技術の伝承”ではなく、“伝統”を次の世代に受け継いでいくことが大切だと思っています。時代とともに変化していく、これが伝統ですね。」と話す浦川さん。町の期待を一身に受けた若者たちは、その思いをこれからも次の世代へと受け継いでいくのでしょうね。(堀田)

 

 

 

お話:浦川 一孝さん
写真:山下 純一さん
協力:長崎くんち塾

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魚の町 川船(うおのまち かわふね)

1347786545_M魚の町は、中島川沿いにある町で、魚市橋が現在でも残っているように魚市場があったことに由来しています。 奉納踊りは、速さと美しさ、そして伝統を受継いできた歴史ある川船。メリハリのある船廻しの豪快さ、伝統のなかでの魅力が光ります。「今の人達が精一杯やることで、次に繋げていきたいですね。七年に一度の年の巡りあわせ、これもご縁ですし、大切にして広げていきたいと思います。

 

 

 

1347786566_Mくんちで培ったことは、色んなことに通じているんです。伝統にこだわった時に残るものがあります。追及していきたいですね。」と話す山口さん。こだわりながら、本筋は変わらずに変化していく魚の町の川船。ひとりひとりの想いが、川の流れとなって、長崎の街に感動の波を起こします。(堀田)

 

 

 

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今博多町 本踊(いまはかたまち ほんおどり)

1347781868_M今博多町は、博多商人が移り住んで、町を開いたことに由来しています。寛永11年(1634)に、今博多町の遊女である高尾と音羽の二人が神前にて「小舞」を奉納したことが、くんちの始まりとされています。
奉納踊りは、「長崎くんち本来の踊り」という優美な本踊。美しい鶴の舞は観ている人を魅了します。

 

 

 

1347781891_M「町も昔と変わり、旧来の方が少なくなりました。後継者をどう育てていくか、いつも考えていますよ。他の町との協力があるからこそ、今まで続けて来られたんです。とにかく、怪我なく無事奉納できるようにと思っていますね。」と話す岡部さん。奉納踊りのルーツといわれる今博多町の本踊。朝日を浴びた美しい鶴たちが、諏訪神社に舞い降ります。(堀田)

 

 

 

お話:岡部 栄一さん
写真:山下 純一さん
協力:長崎くんち塾

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玉園町 獅子踊(たまぞのまち ししおどり)

1347777105_M玉園町は、諏訪神社がある玉園山のすぐそばにあるということに由来しています。奉納踊りは、ダイナミックで愛嬌たっぷりな獅子踊。獅子が伸び上がって牡丹の蜜を吸い、さらに上体を回転させるアクロバティックな「花しぶり」は圧巻です。「くんちは奉納ですから、神様に対して尊敬の念を日頃から皆持っていますよ。踊りも裏方も、お互いに伝統を引き継いでいく必要があります。

 

 

 

1347777122_M次の人を育てていくこと、若い人にバトンタッチしていく時期ですね。人数が少ない町だからこそ、人との関係を大事にしていきたいと思っています。」と松永さん。諏訪神社の御膝元である玉園町。神様に見守られながら伝統を繋いできたからこそ、町の人の素晴らしい笑顔があるのですね。(堀田)

 

 

 

お話:松永 光司さん
写真:山下 純一さん
協力:長崎くんち塾

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江戸町 オランダ船(えどまち おらんだせん)

1338431096_L江戸時代に入る直前の頃に誕生した町で、江戸のように栄えることを祈願して名づけられました。
現在は長崎県庁の所在地として、出島に隣接する異国情緒豊かな町です。
 奉納踊りは、鮮やかなオランダ国旗と、マリンブルーの船体がひときわ美しいオランダ船。
口伝の歌とコンミシャーレ!の勇ましい掛声が長坂に響きます。

 

 

 

1338431114_L「くんちの稽古は、いわば修行の場、道場ですね。学校でも教わらない、大切な礼儀・作法、人間関係を学ぶ場でもあります。子供達が曳くオランダ小舟は、前回曳いた子供達が後輩の子に自ら教え、自然と絆が強くなっていますよ。」と話す三瀬さん。
先輩から後輩へ、子供の頃からのバトンタッチができているからこそ、江戸町の絆はとても強いのですね。
本番へ向けて、いざ出航。(堀田)

 

 

 

お話:三瀬 清一朗さん
写真:山下 純一さん
協力:長崎くんち塾

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万才町 本踊(まんざいまち ほんおどり)

1douza_1万才町は、元亀2年(1571)に拓かれた6つの町の一つで島原町と称される町でしたが、明治5年に明治天皇の長崎行幸を記念して万才町と呼ばれるようになりました。
 奉納踊りは、「祭礼祝長崎万歳」を中心に和洋折衷で目が覚めるような本踊。シンセサイザーと三味線をミックスした現代風の音楽は、懐かしさと新しさが入り交じります。

 

 

 

1336631347_M「オフィス街なので、居住人口が少ないのが現状ですね。少ないからこそ、普段から連携を深めています。お蔭さまで、参加する子ども達が増えているんですよ。これまで裏方だった男性陣もコーラスとして参加し、町民一体となって盛り上げています。」と話す山口さん。伝統を守りながら新しいことに挑戦をして進化し続ける万才町。これからもますます目が離せませんね。

 

 

 
1336631320_M
お話:山口 定夫さん
写真:山下 純一さん
協力:長崎くんち塾

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榎津町 川船(えのきづまち かわふね)

1333097102_M榎津町は、筑後国榎津(現在の福岡県大川市)の家具商、指物の職人が移り住んだことに由来しています。
 奉納踊りは、嘉永2年(1849)から川船を奉納し、現在の川船は昭和26年に作られ長さ6メートル・重さ約3トンあります。
 現在、川船は7カ町が奉納していますが、その中で一番古いものといわれています。

 

 

 

1333097117_M「青年会だけではなく、子供と女子の会もあり、日頃から交流していますよ。くんちだけではなく、日頃の積み重ねが原点になっていますね。地域のコミュニティー、絆を深める様な町の在り方をいつも考えています。」と話す中尾さん。
 囃子を経験した多くの子供達が根曳となり、くんちを支える榎津町。
 町づくりの基礎となる強い絆は、きっと子供の頃から育まれた場所にあるのですね。(堀田)

 

 

 

お話:中尾 直己さん
写真:中尾 直己さん
協力:長崎くんち塾

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第3話 「ご祝儀倍返し条例」

私は今まで数えきれない程の披露宴に呼んで頂いた。花嫁は美しくその笑顔が私を幸せな気持ちにさせてくれた。その為ならご祝儀は当たり前。が…、その3分の2のご夫婦が知らない間に他人になっていた。ここで、もうはっきり言いたい!別れるのは仕方がない。一緒になるよりも別れる時の労力は半端で無く大変である事も重々承知している。が…、あの時の私の「気持ち」はどうしてくれる!はっきり言おう!「金返せ!」である。「別れたらご祝儀倍返し条例」は無いものか!?…まあ、無理か…。では「北海道方式」にしてはどうか?つまり「会費制」だ。これはかなり合理的だ。勿論、私の本音はお金を返して欲しい訳では無い。ご祝儀とは「二人が幸せになって欲しいと願う気持ち」の成就の形なのだ。年を重ね子供が旅立ち老人になった時、笑顔で一緒にいて欲しいと願う「想い」なのだ。そう考えると夫婦で一緒にいる人生は長い。どうかそれを理解した上で好い伴侶を見つけて頂きたい。

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第3話 「ほろ苦い恋愛を次に活かす方法」

あなたは過去の女性を覚えていますか?
 というのも、男は昔の彼女が鮮明に残っている「名前をつけて保存」。一方、女の恋愛は「上書き保存」とよく言います。
 「元カレのことを忘れていた」と言う女性は多いようですが、男性はなかなか忘れられない生き物なんだとか…。
 別れても、昔の彼女のメールを大切にとっていたり、写真もなかなか捨てきれません。思い出が美化して「心のフォルダ」に残り続けます。男というものは、なんて未練たらしいんでしょうか…。
 あなたは過去の女性を覚えていますか?
 もしそうなら、あなたは過去の恋愛を次に活かすタイプかもしれませんね。前の恋愛はここで失敗した…あの一言で泣かせてしまった…そんなほろ苦い経験を活かして、「かっこいい男」になりたいものです。そして、、
次こそは最良のパートナーを見つけたいですね。せっかく男に生まれてきたんですから、これからも思いっきり恋愛を楽しみましょう!

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第2話 「キャンプしよう」

この時期はお薦めできないが、冬以外なら男女混合でキャンプをしよう。場所は出来るだけ何も揃っていない不便なキャンプ場が良い。電気があっても冷蔵庫など無いような、ロッジではなくテントを張らなければならないような、水はあっても1か所しか無いような、管理所があってもコンビニではないような、だ。何故か?そう言う場所では本来の人間性が出るからだ。これだけ何もないところで皆で楽しくやるには色んな事を考え行動しなければいけない。テント張りから食事の支度等、必然と知らない内に想像し頭も体も使い役割分担が出来て来る。男女に限らず率先してやる者やらぬ者が出て来るがそれは優劣ではない。それがその人の人間性と言うものだ。「非日常に身を置く」と色んなものが見えて来る。それは不便であれば有る程自分自身さえも見えて来る。「便利」は時にして「不便」なのだ。しかし、残念な事にそんな不便なキャンプ場は今や無いに等しい。

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第2話 「結婚に対する古臭い価値観」

僕の価値観は「男は稼いで女を守るのが当然」「女は育児、家庭を守るべき」。だからこそ自分の家庭を養えるくらいの収入がないといけない。絶対に。そんな価値観を持っているからこそ、収入にはこだわるし、仕事もバリバリこなす。起業家というのもあいまって、一日中、仕事、仕事。そんな僕が求める女性……それは、癒やしを与えてくれる女性。自分の事業のことを理解してくれて、不安な時は落ち着かせてくれる、そんな女性。先輩の社長方に聞くと、同じような意見を持っていることが多いです。やはり社長はみんな精神的に疲れている、ということなんでしょう。もちろんこんな僕だって、いつかは家族を持ちたいし、生涯孤独で終わるつもりもありません。
 だからこそ、今、僕には目標が2つあります。
・自分の事業での目標を達成すること
・そんな素敵な女性を見つけること
 この2つの目標を叶えるように、今日も相棒のMacBookをパチパチとはじいています。
 はたして僕に結婚する時は来るのだろうか?

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第1話 「宇宙人」

元々未だ独身の私がこの場所に出て来る事からが大顰蹙であり、またおこがましいも甚だしい。しかし、何故か依頼があったのでお断りする大きな理由も無くお受けしてしまった事をお許し願いたい。この歳にもなると多くのご夫婦にお会いしているので「結婚が素晴らしい!」と、大きな声では言えないところがあるのも正直な話だ。「結婚生活とは何でしょうか?」と問えば大体の方が「辛抱と妥協」とお答えになる。そりゃあそうだ。全く違った環境で育った者同士が生活するのだから摩擦が生まれない訳がない。しかし、元々分かり合えない男女の性別の違いを無視することは出来ない。だから私は考えた。相手を「宇宙人」と思えばいいのだと・・。そうすれば、「宇宙人だから分かり合えないのは仕方がない。」つまりそれは「分かってあげよう」「許してあげよう」と言う究極の「慈愛」と言うものではないか。そう、愛は地球も救うが、まずは家庭を救うのだ。

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第1話 「あげまんとさげまん」

 男は女で成長する。これは、男性であれば誰もが共感する言葉なんじゃないかな? 僕もそんな経験をしてきた。眼中の女を落とす為にプレゼントを用意して、手間暇をかけてデートを考えた。気に入られようと服装にも気をつけた。男らしくあろうと振る舞いを気をつけた。そんな存在がいるだけで、毎日の生活にも「ハリ」が出た。そしてそれが自分の成長に直結してきた。だからこそ、いい女とは、手に入りにくい女なんじゃないかと思う。成長させてくれる女。それがあげまんであり、常に向上心を持たせてくれる。その子が笑うだけで一瞬で疲れが吹っ飛び、他の男の影がチラつくだけで、何も手につかなくなる…こう考えると、いつだって男は、女の手のひらで転がされるバカで単細胞な動物だ。でも、それでいいじゃないか。ある有名な作家が言った「いい女は学校だ。女にかかるお金は授業料。めんどくさい手間暇は全部宿題。そう考えると合点がいくだろ?」
 そんないい女「あげまん」は、存在だけで価値があると思うのだが、あなたはどう思う?

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紺屋町 本踊(こうやまち ほんおどり)

26kouya_1 紺屋町は、慶長2年(1597)頃、中島川沿いにつくられた町で、染物屋を営む人々が集まったことに由来します。
 奉納踊りは、紺屋の布染めを再現した本踊。最初に奉納をする一番町に相応しく、優雅にたなびく真っ白なさらしが、澄んだ秋空にひときわ映えます。

 

 

 

26kouya_2「く んちでの達成感、充実感が7年間の毎日に繋がっていますね。奉納が第一ですが、文化となった今では受継ぐ責任が私達にはあると思います。それによって人の 輪が生まれるという楽しみもありますよ。一番の宝ですね。」と話す北村さん。70世帯の小さな町の中に、踊りと地方の師匠、傘鉾職人が居住する紺屋町。だ からこそ、くんちがより身近な存在として町の人の心に息づいているのですね。

 

 

 

お話:北村 直樹さん
写真:北村 直樹さん
協力:長崎くんち塾

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諏訪町 龍踊(すわのまち じゃおどり)

25suwa_1 諏訪町は、天文24年(1555)氏神様である諏訪神社が長崎で最初に勧請された場所であったことに由来します。
 奉納踊りは、青龍に白龍と子ども達の子龍、孫龍も登場する龍踊。百年以上の歴史を誇ります。

 

 

 

25suwa_2「学校では教えない子ども達の教育を大切にしています。くんちを通じて、長崎に生まれ育ったという誇りと生まれた故郷に感謝する心を忘れないでほしい。諏訪町の龍踊に出演して厳しい稽古と本番を経験し、自分自身が成長したと言われるようにしたいですね。」と話す山下さん。
 くんちで年を重ねることを実感しながら、町が子ども達を一人前に育てていく。だからこそ、次の新しい世代へのバトンタッチができるのですね。

 

 

 

お話:山下 寛一さん
写真:山下 寛一さん
協力:長崎くんち塾

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銀屋町 鯱太鼓(ぎんやまち しゃちだいこ)

24ginya_1 銀屋町は、江戸時代初期、銀細工職人がこの一帯に多く住んでいたことに由来します。
 奉納踊りは、「蓬莱鯱伝説」にちなんだ、勇壮にして華麗なる鯱太鼓。長崎大水害のような災害が再び訪れませんように、大水害から復興に立ち向かう人々に 吉祥が訪れますようにと願いを込め、昭和60年に初めて奉納されました。

 

 

 

24ginya_2「50 年先を目標に、限界に挑戦していますよ。大人も含めて笑顔であいさつできること、これが原点だと思います。原点を理解して日常となることで、コミュニケー ションが取れ、町が一つにまとまっていくことができるんです。」と語る高木さん。2007年に町名が復活した銀屋町。金色に輝く鯱が、皆の思いを乗せて天 に舞い上がります。

 

 

 

お話:高木 忠弘さん
写真:高木 忠弘さん
協力:長崎くんち塾

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八幡町 弓矢八幡祝い船・剣舞(やはたまち ゆみやはちまんいわいぶね・けんぶ)

SONY DSC 八幡町は、天台宗の山伏が正保3年(1646)に京都山城国から八幡宮をここに祀ったことに由来します。
 奉納踊りは、八幡神社の開祖・大覚院存性坊が山伏だったことにちなんだ、弓矢八幡祝い船・剣舞。八幡さまの御遣いである白鳩が矢箱から放たれ、舞い飛ぶ なかでの力強く豪快な船廻しには圧巻です。

 

 

 

23yahata_2「学 校では教わらない、しきたりを子供たちに教えていますよ。くんちが縁で繋がっている人もたくさんいます。くんちは、人づくり、町づくり。町一丸となって取 り組んでいきたいですね。」と話す橋本さん。将来を担う子供たちが、町に、地域にあたたかく育まれてきたからこそ、心を一つに進んでいくことができるので すね。

 

 

 

お話:橋本 清さん
写真:橋本 清さん
協力:長崎くんち塾

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西濱町 龍船(にしはまのまち じゃぶね)

22nisihanomachi_1 西濱町は、寛文12年(1672)に濱町を分割して出来た町で、現在は浜の町と銅座町に合併されていますが、昔の町名で出場しています。
 奉納踊りは、長崎くんち最大級の曳物、龍船。屋形が開き、舞台となるほか、龍が口から煙を吐きながら豪快に廻る様子は迫力満点。その大きさとスピードに圧倒されます。

 

 

 

22nisihanomachi_2「“く んちに出るのが当たり前”ではないんです。年長者になるにつれて重みも違いますし、町の看板を背負ってたつプレッシャーはありますね。」と語る木下さん。 薄れてきた町内のコミュニケーションが、くんちによって深まり、強い絆となる。龍船に込められた熱い思いは、ずっと消えることはないでしょう。

 

 

 

お話:木下 政幸さん
写真:木下 政幸さん
協力:長崎くんち塾

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麹屋町 川船(こうじやまち かわふね)

21koujiya_1 麹屋町は、かつて大きな泉や井戸があり、水が豊富で麹を作る店などが多かったことに由来しています。
奉納踊りは、緋鯉と真鯉の乗った豪華な川船。現存する川船では最大級であり根曳は総勢22名、演技の途中で水を噴く趣向も川船では麹屋町だけの演出です。

 

 

 

21koujiya_2「町の団結力はとても強いですよ。世代から世代へ伝統を引き継ぎ、繋がってきているんです。県外に出ても、また長崎に戻ってきたいなと思えるようにしたいですね。」と語る楊さん。学校では味わえない経験、感動がくんちにはあるといいます。自治体での教育が、子供たちを育て、今日まで繋がってきたのでしょうね。

 

 

 

お話:楊 爾嗣さん
写真:山下 純一さん
協力:長崎くんち塾

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本古川町 御座船(もとふるかわまち ござぶね)

20motofuru_1 本古川町の前身である古川町は、中島川沿いで最も古い外町のひとつとして、くんちが始まった寛永11年(1634)に早くもくんちの当番町として歴史に記されている町です。
奉納踊りは、和楽の伝統から生まれた格調あるしらべにのせて曳かれる御座船。かつて諏訪神社の雅楽師達が住んでいたこの町は「お囃子の本古川町」として有名です。

 

 

 

20motofuru_2「本古川町は現在、町名として残っていませんが、七年に一回だから、伝統を守っていく気持ち一筋でやっています。どの町も同じですが、並大抵な努力じゃないんですよ」と語る古田さん。くんちにかける強い思いがあるからこそ、今日まで、伝統が受け継がれてきたのですね。

 

 

 

お話:古田 滋吉さん
写真:山下 純一さん、古田 滋吉さん
協力:長崎くんち塾

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小川町 唐子獅子踊(こがわまち からこししおどり)

19kogawa_1 小川町は、立山から流れる岩原川が小川(こがわ)と呼ばれたことに由来しています。 奉納踊りは、東長崎の中尾地区に200年以上も伝わる獅子踊りと、庭清めの意味を込めて子供達が踊る唐子踊り。華やかで、どこか愛嬌のある獅子の息の合った舞いが見どころです。「伝統芸能を継承していくという強い思いがあります。

 

 

 

19kogawa_2中尾の芸能を奉納させていただいて、こういう素晴らしい芸能も近くにあるんだと知ってもらえたら嬉しいですね。」と語る中山さん。元々途絶えてしまったこ ともあり、くんちを理解する人も少ない中、平成9年に復活。本気で残していこうと、人が人を動かしているからこそ、素晴らしい伝統芸能が今日まで継承され ているのですね。

 

 

 

お話:中山 正道さん
写真:山下 純一さん
協力:長崎くんち塾

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樺島町 太皷山 コッコデショ(かばしままち たいこやま こっこでしょ)

18kabashima_1樺島町は、天正3年(1585)にできた町で、長崎港外樺島の人達が移り住んだことに由来しています。
 奉納踊りは、勇壮で豪快な太皷山(コッコデショ)。堺から長崎までの航海の様子を再現しています。約1トンの太皷山を空中に舞い上げ、片手で受け止めた時の迫力は、圧巻です。

 

 

 

18kabashima_2 「演技している人たちの太皷山に対する思い、気迫を見てほしいですね。伝統を受け継ぐことで、自分の生まれた町を大切に思い、皆が協力することの素晴ら しさを感じてほしいと思っています。」と語る山崎さん。町の熱い思いが親から子へと継承され、大きな期待を一身に受けながら、太皷山は長崎の空に力強く舞 い上がります。

 

 

 

お話:山崎 猛さん
写真:山下 純一さん、山崎 猛さん
協力:長崎くんち塾

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出島町 阿蘭陀船(でじままち おらんだぶね)

17dejima_1出島は、寛永13年(1636)にできた扇型の人工島です。慶応2年(1866)からは外国人居留地に編入され、市街の一町として扱われるようになりました。
 奉納踊りは、出島にゆかりの深い阿蘭陀船。オルゴールのネジを巻くように40秒かけて一回転する、静と動の調和は見事で、美しさ、優雅さの中に力強さがあります。

 

 

 

17dejima_2「感謝の心を持って参加したいですね。裏方も含めて色んな人たちのサポートがあるからこそ、今の自分たちがあるんだと思います」と語る馬場さん。出島町には青年部がないため、縦のつながりを大事にしています。小屋入りも終わり、いよいよ本番。今から楽しみですね。

 

 

 

お話:馬場 政隆さん
写真:山下 純一さん
協力:長崎くんち塾

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東古川町 川船(ひがしふるかわまち かわふね)

16higashifurukawa_1東古川町は、昭和41年(1966)の町界町名変更で本古川町の一部などと合わせて古川町となっていましたが、平成19年(2007)に41年ぶりに東古川町の町名が復活しました。
 奉納踊りは、ししとき川と中島川にちなんだ川船。 本 物の葦の飾付けが印象的です。船頭の網打ちの際に根曳衆が唄う「船唄」、そして、スピード感のある船廻しには圧巻です。

 

 

 

16higashifurukawa_2「町名が復活してから初めてのくんち。町自体の人数は少ないですが、一丸となって、思いも新たに頑張りたいですね。」と語る荒木仁さん。東古川町の新たなスタートとなる今年のくんちを通して、さらに町の絆は深くなるのでしょう。

 

 

 

お話:新ヶ江 憲和さん
写真:山下 純一さん 、新ヶ江 憲和さん
協力:長崎くんち塾

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大黒町 唐人船・本踊(だいこくまち とうじんぶね・ほんおどり)

15daikoku_1大黒町は、寛文の大改革(1672年)により恵美須町から分かれ、恵美須・大黒の縁起により町名がつけられました。 現在の大黒町辺りが長崎港の奥の入江 で、そこに唐人船が入港していたことから、明治15年より唐人船を奉納。今年は長崎検番の芸妓衆と唐人船の調和が最大の見どころです。

 

 

 

15daikoku_2「町内に新しいお店が増 え、くんちをきっかけに新しい人達との交流を図りたいと思っています。とにかく、自分たちができる最高の奉納となるよう、本番に向けて頑張っていくだけで すね。」と語る藤本伸さん。新しい人達にも、くんちの参加を積極的に呼び掛けています。くんちがあるからこそ、町が一つにまとまるのですね。

 

 

 

お話:新ヶ江 憲和さん
写真:山下 純一さん 、新ヶ江 憲和さん
協力:長崎くんち塾

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新橋町 本踊(しんばしまち ほんおどり)

14shinbashi_1新橋町は、はじめ毛皮屋町、のちに「東新橋」が架かったことにちなんで町名を新橋町と改称しています。
 奉納踊りは、本踊り。オランダさんのコミカルな掛け合いの踊りが見どころの阿蘭陀万歳。長唄舞踊「おらんだ万才」が町検番に伝わり、昭和26年(1951)に新橋町が初めて長崎くんちに奉納しました。

 

 

 

14shinbashi_2「くんちも、変わらないように変わっていかなければと思っています。続けることの大切さを実感しますね」と語る本馬さん。町内の人口、子供も減ってきたといいます。町を超えた、人と人との繋がりがあるからこそ、次世代へくんちを継承していくことができるのですね。

 

 

 

お話:本馬 健三さん
写真協力:山下 純一さん
協力:長崎くんち塾

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賑町 大漁万祝恵美須船(にぎわいまち たいりょうまいわいえびすぶね)

13nigiwai_1賑町は、昭和38年(1963)に、材木町や今下町、周囲の町の各一部が合併して新しく誕生した町です。
 奉納踊りは、町内に恵美須神社が祀られていたことに由来した恵美須船。曳き物は川の船が多い中、唯一の海の船で、最大級の大きさ、重さを誇ります。

 

 

 

13nigiwai_2「町自体が大きな家族のよ うな感じですね。町の活性化だけではなく、長崎も元気にしていきたいと思っています」と語る青年部の皆さん。様々な踊り町の練習場所となる中央公園のお世 話を、毎年ケガなく練習できるよう、賑町の人が中心となって行っています。町の結束力が強いからこそ、息の合った豪快な船廻しがきまるのですね。

 

 

 

お話:賑町青年部
写真協力:山下 純一さん
協力:長崎くんち塾

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西古川町 櫓太鼓・本踊り(にしふるかわまち やぐらだいこ・ほんおどり)

12nishihuru_1西古川町は、中島川沿いにできた町で、寛文12年(1672)に「古川町」を西古川町、本古川町、東古川町に分割されたことに由来しています。
 奉納踊りは、相撲の閉開幕を合図する櫓太鼓、弓取り式など、相撲ゆかりの踊り。江戸時代に九州で唯一、長崎で大相撲が行われており、西古川町がその興行を一切取り仕切っていたことに因んでいます。

 

 

 

12nishihuru_2「西古川町は、史料が残っ ていないことも多いのですが、町の伝統を次世代へ繋いでいきたいと思っています」と語る岩永さん。伝えられる櫓太鼓の音曲には譜面がなく、過去の演奏から 全てを復元。「今後は、貴重な財産である櫓太鼓の音曲も残していきたいですね」。くんちをきっかけに“町”として地域との繋がりができてきたからこそ、今 の踊り町があるのでしょうね。

 

 

 

お話:岩永 和之さん
写真協力:山下 純一さん
協力:長崎くんち塾

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油屋町 川船(あぶらやまち かわふね)

11aburaya_1油屋町は、元和2年(1616)頃、油座として町が形成され、長崎一帯の油の販売権を取り仕切っていたことに由来しています。
 奉納踊りは、力強い根曳唄が印象的な川船。油屋町の囃子は一度打ちだすと、奉納の最後までとまることがありません。

 

 

 

11aburaya_2 「荘厳さ、素朴さ、豪快さの3つをテーマに、メリハリをつけています。川船の奉納は、まだ6回目。これから確立していく部分も多いですが、いいところは 伝えていってほしいですね」と語る松尾さん。昭和55年に何か新しい事をと考え、取り入れた「根曳唄」は、松尾さんが作詞作曲を手がけています。「諏訪っ こくんちがある諏訪小学校が校区ということもあり、くんちが子供達の身近にあることは素晴らしいことだと思います。先達の意思を受け継いで、形を変えない ように頑張るだけですね」小さい頃から培ってきたくんちへの思い、町の仲間との意思の疎通があってこそ、豪快に船は大きく廻るのですね。

 

 

 

お話:松尾 小太郎さん
写真協力:山下 純一さん
協力:長崎くんち塾

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新大工町 詩舞・曳壇尻(しんだいくまち しぶ・ひきだんじり)

10shindaiku_1 新大工町は、長崎の町の発展に伴い、本大工町に加えて新しく大工職人が集まって造られたことに由来しています。
 奉納踊りは、袴姿の若い女性が吟詠に合わせて凛と舞う詩舞と、囃子を奏しながら山車を豪快に曳き廻す曳壇尻。川船とは違い、“式打”というお囃子の奉納をします。

 

 

 

10shindaiku_2 「お諏訪さまの御膝元と して、皆誇りを持っていますよ。7年間でどれだけのことができるか、次回の奉納がより良くなるよう話し合い、勉強を重ねています。7年は あっという間に来ますよ」と語る山口さん。平成17年に“新大工町くんち研究会”を立ち上げ、町を挙げてくんちの継承に力を入れています。「くんちは町の 総合力が如実に表れます。だからこそ、くんちを通して町民の絆を強めていきたいですね」。全盛期は12ヵ町も奉納していた曳壇尻。詩舞も含めて現在唯一の 奉納町として、大切に将来へ繋げたいと力が入ります。町の結束力が強いからこそ、脈々と受け継がれてきたものがあるのですね。

 

 

 

お話:山口 康平さん
写真協力:山口 康平さん・山下 純一さん
協力:長崎くんち塾

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籠町 龍踊り(かごまち じゃおどり)

9kago_1 唐人屋敷に隣接する籠町は、竹籠の職人が、集まっていたことに由来しています。
 奉納踊りは、300年以上の歴史を持つ勇壮な龍踊り。籠町が長崎の龍踊りの原点です。

 

 

 

9kago_2「どの町も同じだと思いま すが、目標は、お諏訪さんで素晴らしい踊りを奉納すること。とにかく体に覚えこませることですね。稽古の時の皆は、とても生き生きしていますよ。」と語る 白水さん。籠町の人が少なく、他町の人がほとんどのなか、気持ちを一つに奉納したいと声を強めます。他町の力があってこそ、くんちで奉納ができるのです ね。  「昔からの龍踊りを伝えていってほしいと思います。皆のくんちへの思いは、とても強いんです。龍踊りに携わらせてもらえることを、誇りに思っているんで すよ。」伝統を守っていくこと。代が変わっても、その熱い気持ちは子供たちへ受け継がれていくのですね。

 

 

 

お話:白水 仁さん
写真協力:山下 純一さん
協力:長崎くんち塾

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馬町 本踊(うままち ほんおどり)

8uma_1銅座町は1724年(享保9年)、鋳銅所があったことから「銅座町」と呼ばれるようになったと言われています。
 奉納踊は「南蛮船」でポルトガル船を再現した5トンにも及ぶ大きな船を豪快に引き廻します。船は平成15年奉納時に長崎大学の協力により本物に忠実な装 飾で再現され、ランプや船尾に使用されている色付ガラスなど、細部にまでこだわった美しく勇壮なものになっています。お囃子や先曳きの子供達の衣装は一人 ひとり違い、南蛮屏風からそのまま抜け出したようで、とても綺麗です。銅座町は以前、引きだんじりを奉納しており、南蛮船は平成22年で4回目の奉納とな ります。
 今回、長采を務めることになった新ヶ江さん。銅座町が、くんちをきっかけに盛り上がり、 町内の一人ひとりが一丸となっ て一生懸命に取り組みたいと話 します。

 

 

 

8uma_2平成15年に新ヶ江さんは、添根曳として参加。しかし初日の演技で肉離れをおこし、注射を打ちながら痛みをおしての演技となりました。今年は怪我をし ないよう、余力を持って体力面、メンタル面を仕上げて挑みたいと力が入ります。「お囃子をしていた子供達が、今では根曳の主力に成長しました。時間が経つ のは早いものですね。町内の人間関係は最も大事なこと。くんちに関わることで皆に地域をより好きになってもらい、町に愛着を持ってほしい」と語ります。
 新ヶ江さんの話をきいて、外から見ているだけではわからない、くんちに対する思い、熱い心が伝わってきました。今年のくんちはいつもとはまた違う気持ちを感じられそうです。

 

 

 

お話:川内 修さん
写真協力:タシロフォート
協力:長崎くんち塾

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築町 御座船 (つきまち ござふね)

7tuki_1八坂町は、明治4年(1871)、今石灰町と新石灰町が合併され、八坂神社の名前に因んだことに由来しています。
 奉納踊りは躍動感溢れる川船。三つの車輪を持つ船体は砲台のあとを利用しており、方向が変えられる前輪には舵がついています。他の川船にはない、スピードのある船廻しは圧巻です。

 

 

 

7tuki_2「町全体の仲が良いので、息があったところを見てほしいですね。船は一人では廻せませんから。」と語る脇山さん。日頃から他の活動も一緒にしているた め、アットホームな町の雰囲気が伝わってきます。「私達がくんちに出られるのは皆のおかげなんです。踊り町だけではなく、長崎の街全体で盛り上げていきた い。見てくれて、盛り上げてくれる人たちがいるから私達がある、ということを忘れないでほしい」と笑顔で話します。一つの目標に向かって、練習を積んでい る皆さんは輝いていて、まるで大きな家族のように感じました。

 

 

 

お話:中嶋 毅さん
写真:山下 純一さん
協力:長崎くんち塾

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八坂町 川船(やさかまち かわふね)

6yasaka_1八坂町は、明治4年(1871)、今石灰町と新石灰町が合併され、八坂神社の名前に因んだことに由来しています。
 奉納踊りは躍動感溢れる川船。三つの車輪を持つ船体は砲台のあとを利用しており、方向が変えられる前輪には舵がついています。他の川船にはない、スピードのある船廻しは圧巻です。

 

 

 

6yasaka_2「町全体の仲が良いので、息があったところを見てほしいですね。船は一人では廻せませんから。」と語る脇山さん。日頃から他の活動も一緒にしているた め、アットホームな町の雰囲気が伝わってきます。「私達がくんちに出られるのは皆のおかげなんです。踊り町だけではなく、長崎の街全体で盛り上げていきた い。見てくれて、盛り上げてくれる人たちがいるから私達がある、ということを忘れないでほしい」と笑顔で話します。一つの目標に向かって、練習を積んでい る皆さんは輝いていて、まるで大きな家族のように感じました。

 

 

 

お話:脇山 信人さん
写真:山下 純一さん
協力:長崎くんち塾

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筑後町 龍踊り(ちくごまち じゃおどり)

5tikugo_1銅座町は1724年(享保9年)、鋳銅所があったことから「銅座町」と呼ばれるようになったと言われています。
 奉納踊は「南蛮船」でポルトガル船を再現した5トンにも及ぶ大きな船を豪快に引き廻します。船は平成15年奉納時に長崎大学の協力により本物に忠実な装 飾で再現され、ランプや船尾に使用されている色付ガラスなど、細部にまでこだわった美しく勇壮なものになっています。お囃子や先曳きの子供達の衣装は一人 ひとり違い、南蛮屏風からそのまま抜け出したようで、とても綺麗です。銅座町は以前、引きだんじりを奉納しており、南蛮船は平成22年で4回目の奉納とな ります。
 今回、長采を務めることになった新ヶ江さん。銅座町が、くんちをきっかけに盛り上がり、 町内の一人ひとりが一丸となっ て一生懸命に取り組みたいと話 します。

 

 

 

5tikugo_2平成15年に新ヶ江さんは、添根曳として参加。しかし初日の演技で肉離れをおこし、注射を打ちながら痛みをおしての演技となりました。今年は怪我をし ないよう、余力を持って体力面、メンタル面を仕上げて挑みたいと力が入ります。「お囃子をしていた子供達が、今では根曳の主力に成長しました。時間が経つ のは早いものですね。町内の人間関係は最も大事なこと。くんちに関わることで皆に地域をより好きになってもらい、町に愛着を持ってほしい」と語ります。
 新ヶ江さんの話をきいて、外から見ているだけではわからない、くんちに対する思い、熱い心が伝わってきました。今年のくんちはいつもとはまた違う気持ちを感じられそうです。

 

 

 

お話:新ヶ江 憲和さん
写真:山下 純一さん 、新ヶ江 憲和さん
協力:長崎くんち塾

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鍛冶屋町 宝船・七福神(かじやまち たからぶね・しちふくじん)

4kajiya_1銅座町は1724年(享保9年)、鋳銅所があったことから「銅座町」と呼ばれるようになったと言われています。
 奉納踊は「南蛮船」でポルトガル船を再現した5トンにも及ぶ大きな船を豪快に引き廻します。船は平成15年奉納時に長崎大学の協力により本物に忠実な装 飾で再現され、ランプや船尾に使用されている色付ガラスなど、細部にまでこだわった美しく勇壮なものになっています。お囃子や先曳きの子供達の衣装は一人 ひとり違い、南蛮屏風からそのまま抜け出したようで、とても綺麗です。銅座町は以前、引きだんじりを奉納しており、南蛮船は平成22年で4回目の奉納とな ります。
 今回、長采を務めることになった新ヶ江さん。銅座町が、くんちをきっかけに盛り上がり、 町内の一人ひとりが一丸となっ て一生懸命に取り組みたいと話 します。

 

 

 

4kajiya_2平成15年に新ヶ江さんは、添根曳として参加。しかし初日の演技で肉離れをおこし、注射を打ちながら痛みをおしての演技となりました。今年は怪我をし ないよう、余力を持って体力面、メンタル面を仕上げて挑みたいと力が入ります。「お囃子をしていた子供達が、今では根曳の主力に成長しました。時間が経つ のは早いものですね。町内の人間関係は最も大事なこと。くんちに関わることで皆に地域をより好きになってもらい、町に愛着を持ってほしい」と語ります。
 新ヶ江さんの話をきいて、外から見ているだけではわからない、くんちに対する思い、熱い心が伝わってきました。今年のくんちはいつもとはまた違う気持ちを感じられそうです。

 

 

 

お話:新ヶ江 憲和さん
写真:山下 純一さん 、新ヶ江 憲和さん
協力:長崎くんち塾

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元船町 唐船祭(もとふなまち とうせんまつり)

3motohuna_1元船町は、1904年に大波止海岸前の海を埋め立てて作られ長崎港開港当時、唐蘭船の寄港する大きな波止場で、元は船町だったことに由来しています。

 奉納踊りは、鎖国時代の唐船貿易を再現した異国情緒豊かな「唐船祭」。航海安全の神として媽祖様が乗った唐人船と、子ども達の明清楽の舞で構成されています。

 

 

 

3motohuna_2「人と人との繋がりが、日々くんちへ向けての町内活動の延長線です」と語る中川さん。昔からの人がいなくなり、くんちへの参加者も少なくなってきたと言 います。「若者達には先輩の背中をよく見てほしいと思います。そして、目標に向かってチャレンジしてほしい。くんちを存続させるのも“人”です。全てにお いて人間関係が大切だと感じています」と力が入ります。人と人との強い繋がりがあってこそ、その延長線上に今の長崎、そして私達があるのですね。

 

 

 

お話:新ヶ江 憲和さん
写真:山下 純一さん 、新ヶ江 憲和さん
協力:長崎くんち塾

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東濱町 竜宮船(ひがしはままち りゅうぐうせん)

2higashihama_1東濱町は、長崎の港に面した浜辺にあり、1672年に東西に分割されたことに由来しています。

 奉納踊りは、優雅で女性的、美しい曲線の白龍が印象的な
「竜宮船」。デザインは、かっぱの絵で有名な長崎市出身の漫画家、清水崑氏によるものです。重厚な廻しは圧巻で、車輪と石畳が擦れる音は、龍がないているかのように諏訪神社に響きわたります。

 

 

 

2higashihama_2今回が4度目の参加となる本田さん。 「目立つポジションだけが決してスターではない。個人ではなくみんなで作り上げ、それぞれが支えあって尊敬しあう 関係でありたいと思っています。みんな一生懸命だから輝いてみえる。若者達には自分がやることに関しては手を抜いてほしくないし、くんちに対する熱い思い を持ってほしい」と語ります。積極的な若い人たちが増え、東濱町がより活気づいてきたそうです。

 

 

 

お話:本田 時夫さん
写真:山下 純一さん
協力:長崎くんち塾

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銅座町 南蛮船 (どうざまち なんばんせん)

1douza_1銅座町は1724年(享保9年)、鋳銅所があったことから「銅座町」と呼ばれるようになったと言われています。
 奉納踊は「南蛮船」でポルトガル船を再現した5トンにも及ぶ大きな船を豪快に引き廻します。船は平成15年奉納時に長崎大学の協力により本物に忠実な装 飾で再現され、ランプや船尾に使用されている色付ガラスなど、細部にまでこだわった美しく勇壮なものになっています。お囃子や先曳きの子供達の衣装は一人 ひとり違い、南蛮屏風からそのまま抜け出したようで、とても綺麗です。銅座町は以前、引きだんじりを奉納しており、南蛮船は平成22年で4回目の奉納とな ります。
 今回、長采を務めることになった新ヶ江さん。銅座町が、くんちをきっかけに盛り上がり、 町内の一人ひとりが一丸となっ て一生懸命に取り組みたいと話 します。

 

 

 

1douza_2平成15年に新ヶ江さんは、添根曳として参加。しかし初日の演技で肉離れをおこし、注射を打ちながら痛みをおしての演技となりました。今年は怪我をし ないよう、余力を持って体力面、メンタル面を仕上げて挑みたいと力が入ります。「お囃子をしていた子供達が、今では根曳の主力に成長しました。時間が経つ のは早いものですね。町内の人間関係は最も大事なこと。くんちに関わることで皆に地域をより好きになってもらい、町に愛着を持ってほしい」と語ります。
 新ヶ江さんの話をきいて、外から見ているだけではわからない、くんちに対する思い、熱い心が伝わってきました。今年のくんちはいつもとはまた違う気持ちを感じられそうです。

 

 

 

お話:新ヶ江 憲和さん
写真:山下 純一さん 、新ヶ江 憲和さん
協力:長崎くんち塾

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佐々田つよし・裕美
ご夫妻

「恋のマジシャン」

佐々田つよし・裕美ご夫妻 マジシャン・ドゥー

yoroshiku_106.fw手品の起源は諸説あるようですが、最も古いのは紀元前二千五百年頃のエジプトの洞窟壁画。ただし確証はないそうで、最近では紀元前千七百年頃の古代エジプトのパピルスにある記述とされているとか。
いずれにしても、日本では縄文・弥生などの時代ですから、かなり古いのは確かなようです。

 

 

 

 

 

二人は夜間高校の先輩後輩だったそうですが、印象はどうだったんですか。
「僕には単に後輩の一人にしか過ぎませんでした」
つよしさんは無表情で応えます。
「私の方は、一目惚れでした。彼は生徒会長もしてたし素敵でしたしね」裕美さんは目を輝かせます。
互いに印象は随分違ったんですね。
「ええ。私は三回ほど告白したんですけど、振られましたよ」裕美さんは何故か微笑みながら話します。

そんな二人が接近した理由は何だったのでしょう。
「僕が大学生になってから、時々高校を訪ねてたので何となく仲よくなって、それに周囲の仲間に押されて・・・」
つよしさんは、やはり無表情。
「私は・・・、どうでしたかね、理由は解りませんでしたけど」裕美さんも無表情で応えます。

ところで、つよしさんは最近プロ・マジシャンとして活動を始めたそうですが、師匠とかいるんですか。
「いいえ、十歳の頃から独学なんです」
勉強や仕事の合間に特訓してたんですね。
「そうではなく、昔から人を楽しませたり驚かせるのが好きで、音楽もやってましたし、印刷会社でデザインの仕事もしたし、そんな中の一つがマジックだっただけなんです」

その後、つよしさんは東京に行ったそうですね。
「ええ。実は二年ほど同棲してたんですが、どうしてもバンドをやりたくて。上京する前日に婚姻届を出して・・・」
「私は妊娠してたんですけどね」裕美さんは微笑みます。
どう言うことですか。
「僕がバンドをやって、子供が生まれたら東京に呼ぶつもりだったんです」
でも一年で長崎に戻ったのはなぜですか。
「まあ、淋しかったんでしようね」つよしさんは照れ笑いをします。

「実を言いますとね・・・」裕美さんが席を外した時、つよしさんがポツリポツリと話してくれました。
「大学生の時、久し振りに彼女と会ったら、他の男の人と付き合っているのを知ったんです。そしたら急に彼女が気になり出したんですよ」
なるほど。三回も振られた裕美さんがマジックを使ったんですね。奥さんは貴方より腕のいいマジシャンかもしれませんよ、つよしさん。

 

 

2014年5月vol.113 「よろしく先輩106」

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木下健悟・和子ご夫妻

「心の瞳」

木下 健悟・和子ご夫妻 長崎県商工会青年部連合会 会長 ニュートラル+ オーナー

yoroshiku_105.fw“ものごとはね、こころで見なくてはよく見えない。いちばん大切なことは、目に見えない”世界中で今も読み継がれているサンテグ・ジュペリ「星の王子さま」の一節です。普段にはなかなか理解しがたいかもしれませんが、恋をしたり伴侶と連れ添うようになると、折に触れて沁みる言葉ですね。

 

 

 

 

 

二人が知り合った経緯はなんですか。
「飲食店の忘年会の時に。経営者だけでなく、その店のお客さん達も参加してまして」と健悟さん「私は、あるお店のお客として行ったんです」と和子さん。
お互いの印象はどうでしたか。
「彼女は純粋そうでしたね」
「主人は、何でもチャレンジするキラキラした感じでした」

すぐに交際に発展したんですね。
「いいえ・・・」健悟さんはあっさり否定し「一年後くらいからでした」にっこりと続けます。
「私は書店に勤めていたんですが、そこに主人がたまたま本を買いに来て、再会したんです」と和子さんは笑います。
健悟さん、それは偶然だったんですか。
「さあ、どうなんでしょうか」言葉を濁します。
傍らで和子さんも微笑んでいます。

それから一年半ほどで結婚したんですね。
「僕は昔から二十八歳までに結婚したいと思ってましたし」
「そう、会う度に主人はそう話してましたよ」
それは健悟さんの作戦ですか、暗に結婚を即していたのでは。
「いえ、本当に二十八歳までにと。早く独立したかったんです」

結婚してから互いの印象に変化はありますか。
「彼女はフラダンスをしたり習字、料理なんかもしてますが、きちんと家を任せられるしっかりした女性ですね」
「主人は多角的に仕事をして忙しいけど、とにかく子煩悩なんですよ」互いに微笑み合います。

 

 

yoroshiku_105_02.fw多忙で子煩悩と言えば、国民的アイドルだった
坂本九ちゃんを思い出します。彼の最後の歌は
観客の前で歌うことがなかったそうですが、と
ても素敵な歌なんです。YouTubeで聴くことが
できますよ。
健悟さんは和子さんと再会するまで、この歌の
心境だったのではないでしょうか・・・。

 

 

2014年4月vol.112 「よろしく先輩105」

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深山繁樹・友里ご夫妻

「実を言えば…」

深山繁樹・友里ご夫妻

yoroshiku_104.fwイチゴは誰でも知っていますが、食べている実は赤く膨らんだ部分と思っていませんか。正しくは表面にあるゴマのような粒々が実なのだとか。赤い部分は花床と言って、めしべの土台だそうです。「実」をジツと読めば「本当の」の意味になりますね。ですから、これは本当の話なんですよ。

 

 

 

 

 

繁樹さんと友理さんは同い年。同級生だったんですか。 
「いえ、全然違います。僕が洋服を買いに行った店で彼女が働いていたんです」 
「一週間後に、補正した服を彼が取りに来たんですが、私はお休みの日で・・・」 
「それで他の店員さんに僕の電話番号を伝えて貰ったんです」 
友理さんには抵抗がありませんでしたか。 
「いいえ。仕事柄、お礼の電話を入れることはよくありましたから、すぐに掛けました」  
 
 繁樹さんは一目惚れしたんですね。 
「はい。」素直に認めます。 
友理さんはどうでしたか。 
「電話で話していると共通の友達がいることが判って、皆で食事に行くことになったんです。でも友達の都合が悪くなったと、彼一人だけ来て。でも、食事をしてて素敵な人だと思いました」 
それは最初から繁樹さんの作戦だったのでは。 
「うーん、まあ・・・そうですね」

 

 

yoroshiku_104_02.fw交際半年で結婚を決めて、さらに半年後には結婚したそ
うですが、友理さんや家族は農家に嫁ぐことに問題はな
かったんですか。 
「世間では、よくそんな話を聞きますが、私も家族も何
も抵抗はありませんでしたよ。むしろ親はモノ作りなん
ていいじゃないかと喜んでくれましたよ」 
 それにしても、出会い方から初デートまでとてもスム
ースだったんですね。繁樹さんは大学を出て一年ほどアメリカに遊学していたそうですが、その時代に女性の口説き方を学んだのではないですか。 
「いえ、いえ・・・、とんでもないですよ」 
「あら、そうかもしれませんよね」 
二人はイチゴの花のように笑います。 
本当はどうだったんでしよう。まさにイチゴ一会ですからね。あれれ、このシャレだけは使わないつもりだったのに・・・。

 

 

2014年3月vol.111 「よろしく先輩104」

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平田賢史・順子ご夫妻

「海路の日和」

平田賢史・順子ご夫妻 株式会社 米粉屋

yoroshiku_103.fw広大な海の中に見え始めた小島に飛行機が着陸する。何度経験しても不思議な感慨に捉われる瞬間です。一体、島の人達はどうやってこの島に辿り着いたのだろう。無謀な冒険心からか、あるいは何某かの目的のある探検・・・。飛行機も大型船もない時代、彼らは海の果てに何を求めたのだろうかと。

 

 

 

 

 

賢史さんは五島の出身。その後、国内外の旅をしたそうですね。
「二十歳の頃にニューヨークに行って、最後は二十五歳の時に神戸から九州一周をしようとシーカヤックで出掛けました」野性味のある目で話します。
順子さんと知り合ったのもその頃だとか。
「彼がシーカヤツクで長崎に来たときに、私が働いていた知人の飲食店で出会ったんです。
一目惚れしたんですよ私」順子さんは明るく話します。
「僕は二回目に会った時にビビッと来ましたね」賢史さんも穏やかに笑います。

その後、賢史さんは福岡までシーカヤックで行き、旅を終えたんですね。すぐに結婚したんですか。
「いや、そのつもりでしたけど彼女の両親の反対に遇いましてね。なにせ無職でしたから・・・」
「彼は大工見習いなどしながら、一年後に結婚しましたよ。待っても同じことですからね。実は私は失恋したことがあって、その先はやりたいことをしようと考えてたから、困難とは思いませんでしたし」順子さんは、爽やかに笑います。
「僕たちは人生観が似てたんですよ」
「二人でワンセットかな」
「訳もなく旅をしましたけど、その体験が日常生活の目に見えない部分で生かされてる気がします。人生にムダなことはないんですね」
「そうね。それに言葉にすれば実現するものなんですよ」
今は順子さんの御父さんの始めた米粉卸から開発へと拡張していますが、将来の夢は。
「私はカフェを開きたかったから、チャレンジしたいですね」と順子さん。
「僕も応援して実現したいですね」賢史さんは野生の目に戻ります。

 

 

yoroshiku_103_02.fwところで、冒険と探検はどう違うのでしょう
か。辞書的には前者は成功の見込みのないこ
とをすることとあり、後者は未知の地域を探
ることとあります
ただ、どちらにも共通するのは“危険を冒して
”するものだとか。
二人は夫婦になったのですし、子供も生まれ
て来るかもしれません。そうなると“危険を冒
す”わけにはいかないでしょう。天候と風を読
んで、安全な人生探検をしてくださいね。

 

 

2014年2月vol.110 「よろしく先輩103」

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矢ヶ部健・千春ご夫妻

「集中力とスピード」

矢ヶ部 健・千春ご夫妻 有限会社 茶蔵 源氏園

yoroshiku_102.fwアリストテレスの論理学や数学でなじみの三段論法。A=B、B=C、よってA=Cである。中学時代に習ったような記憶があります。数学の苦手な向きには頭の痛くなりそうな世界ですが、卑近な例を挙げますと“笑点”の“なぞかけ”も同じ構造なんですね。○○とかけて××と解く、その心は・・・。 

 

 

 

 

 

健さんは学生時代にサッカーをしていたとか。
「ええ、ゴール・キーパーでした」 
千春さんは元銀行員で、珠算の全国大会では三位入賞の経験があるそうですが、何段ですか。 
「一応、八段です」謙虚な笑顔で応えます。 
その体育会系の健さんと、文化会系の千春さんが知り合ったきっかけは何ですか。 
「銀行の先輩が、主人の姉と結婚しまして」 
「その後、なぜか私も銀行の飲み会に誘われて」二人は相好を崩します。 
 
お互いの印象はどうでしたか。 
「彼女は楽しい人でしたよ」 
「主人は真面目で優しそうでしたね」
健さんは大学を出てすぐに会社の後継ぎとして働いていたんですね。千春さんは銀行員のままだったのですか。 
「付き合って一年で結婚したんですが、三か月して父が病気になりましたから・・・」 
「それで私は行員を辞めて手伝うことに」 
 
結婚生活はどうですか。 
「彼女は頑張り屋で、私がブレーキ役ですね」  
「主人は、母や子供たちに優しい家族思い」 
「彼女は、こう見えても酒が強いんですよ」 
「店にいるだけだと人との接触が少ないから、積極的に外に出る機会を持つんです」と千春さん。 
日常生活では、体育会系と文化会系が逆転しているような感じですよ。旨く補い合っているんですね。

 

 

yoroshiku_102_02.fwさて、そんな健さんと千春さんの心の共通点を
三段論法・・・、いえ“なぞかけ”で探ってみま
しょうか。「サッカーとかけて、珠算と解く、
その心は?」

 

 

2014年1月vol.109 「よろしく先輩102」

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川上暢久・照美ご夫妻

「至上の愛を求めて」

川上 暢久・照美ご夫妻 CHEZカワカミ

yoroshiku_101.fw 墓に入るまでは、人間は幸福なりと称すべきにあらず” とは、変身物語で知られる古代ローマの詩人オヴィディウスの言葉。目先の幸不幸に一喜一憂してみても始まらないんですね。或いは辛い人生であっても、やがては最高の世界が待ち受けているのだから力強く生きよと解釈すべきなのでしょうか。

 

 

 

 

 

二人が知り合ったのはいつですか。 
「私が高校を出てホテルで修業をしている時に」暢久さんは昨日のことのように話します。 
「私は経理をしていたんです」照美さんも同じ表情で語ります。 
「彼女は溌剌とした人で気に入ったんですが、告白の勇気がなくて先輩に頼んだんです」 
「彼は仕事姿が格好良かったですね。それに美味しい物が食べられるかなって・・・」照美さんは笑います。 
 
知り合って四年半で結婚。交際は順調でしたか。 
「いや、デートで毎晩帰りが遅かったものですから、彼女の父と兄からは猛烈な反対を受けましたよ」 
「母と姉は陰から応援してくれましたけど」 
「それで、怒鳴られるのを覚悟して彼女の家に行って結婚したいと言ったんです。そしたらあっさりと許してくれましたよ」暢久さんは笑います。
「いつも遅くまで会ってたから父や兄は気がかりだったようですが、本気と判って安心したんですね」 
 
普段の生活は。 
「私は子育てをせずに彼女任せで・・・」 
「でも、食事は全て彼が作ってくれますよ」 
「あとは旅行をしたり」 
「仕事も兼ねてレストランにもよく行きます」 
将来の夢はありますか。 
「私は“出会いの店”をやりたいですね」と暢久さん。 
「私は総菜屋さんかな」と照美さん。 
「高校での仕事で、お握りを作ってたんですが、何年か経って口にした人が、高校時代に食べたのと同じだと言われて驚いたりします」暢久さんは幸せそうに微笑みます。 
「そうね。当時130円だったのが、消費税が付いて137円になってたり・・・」照美さんも笑います。

 

 

yoroshiku_101_02.fwところで、照美さんの御父さんに会う前に、プロ
ポーズはしていたんですか。 
「勿論ですよ。“一緒に墓に入ろうね”って言いま
したよ」暢久さんは真顔。
なるほど。オヴィディウスの言を借りれば、この
上ない幸福な時を迎える約束をしたんですね。

 

 

2013年12月vol.108 「よろしく先輩101」

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山下祐之介・真紀子ご夫妻

「初心」

山下 祐之介・真紀子ご夫妻

yoroshiku_100.fw六世紀後半、百済から渡って来た工人は様(ためし)と呼ばれる模型を作ってから建築物を建てたと言われています。世界最古の木造建築物群として知られる法隆寺の西院伽藍も、これによって作られたようです。平安期になると指図(さしず)という図面と模型を用い、図面だけで建築されたのは鎌倉円覚寺の仏殿だとか。

 

 

 

 

 

二人が知り合った切っ掛けは。 
「知人の紹介でした27、8の頃に」と祐之介さん。
「その時に判ったんですけど、私達は学科が違いますが同じ高校だったんです」と真紀子さん。
 印象はどうでしたか。 
「一目惚れかな、押しの一手でしたね僕は」 
「彼は、爽やかな感じでしたね」 
「弁当が上手かったから家庭的かなと…。実は母親が作ってたらしいんですけどね」祐之介さんは苦笑い。 
「彼は何でも率先してする人でした。メール交換で気に入りました」真紀子さんは照れ笑いします。
 結婚して何かお互いに変化しましたか。
「喧嘩が絶えませんね」祐之介さんは腕組み。 

「最悪の事態も考えましたよ、私は」 
「家を建てようって話になって、場所や間取りでね」
「私は、小さな家でも交通の便を優先したいのに…」
「僕は、不便な場所でも大きな家にしたかったんです」
「それで険悪な雰囲気になったのよね」
「ところが、ふと思ったんです。幸せになるために結婚して、素敵な家を建てようとしてるのに、これじゃ本末転倒ですからね」 
「それで、人生設計から逆算して考えるようにしたんです」

 

 

yoroshiku_100_02.fwプロポーズにエピソードがあるとか。 
「友人が、僕の誕生日のサプライズDVDを作っ
たから彼女に出来栄えを見て欲しいと手渡しま
してね」 
「私は騙されて、見てみたら彼からのプロポー
ズだったんです」二人は懐かしげに笑います。 

 あの頃を忘れずに、祐之介さんの理想とする
模型と、真紀子さんの描く図面を上手く照合しながら、幸せな家庭、素敵な家を築いて下さいね。

 

 

2013年11月vol.107 「よろしく先輩100」

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廣田亮作・友理ご夫妻

「名画のように」

廣田亮作・友理ご夫妻

yoroshiku_99.fw ゴッホは「人の本当の仕事は三十歳になってから始まる」と言っています。彼の年譜を見ますと、なるほどその頃から本格的な絵が生まれています。 
 ゴンクールの小説に触発され日本趣味を持ち、浮世絵の収集を始め、その後に有名な“ひまわり”を描く時期を迎えています。

 

 

 

 

 

亮作さんは対馬、友理さんは長崎の出身だそうですが、知り合った経緯は。 
「僕が京都伝統工芸専門学校の陶芸コースに在籍していた時、友人から長崎の女性がいると紹介されまして。十九歳の頃です」 
「私は総合工芸コースで金属工芸を専攻してて」 
 印象はどうでしたか。 
「彼女はね可愛かったですね」 
「私は、何となく結婚するのではと予感がしました」 
二人は穏やかに振り返ります。 
 
どんな交際だったのでしょうか。 
「僕たちは近くのマンションに住んでいましたから
週末のデートでしたね」  
「二十四歳の時、お金が掛かるから一緒に住もうってことになって、結婚しました」 
長崎にお店を開いたのはなぜなんでしょうか。 
「来年生まれる子供を長崎で育てたくて…」 
「そう、やはり長崎がいいですからね」  
 
 仕事は一緒にしていますが、役割分担は。 
「僕がロクロを廻して…」 
「私が絵付けをしています」 
「僕は彼女のカンバスになりたいんです」 
「そのカンバスに私は絵を描かせてもらうんです」

 

 

yoroshiku_99_02.fw同い年の二人は三十歳の節目を迎えます。
まさに本当の仕事が始まるんですね。 
ゴッホは「夫婦とは二つの半分になるので
はなく、一つの全体になる事だ」とも言っ
ています。 
二人は協力して一つの陶芸品を作っている
のですから、まさに「一つの全体」になっ
ているんですね。 
勝手な想像ですが、お店の名前“花と風” の
「花」は、ゴッホがユートピアの象徴とし
たヒマワリなのかもしれませんね。  

「花と風」
住所 長崎市諏訪町6-21永井ビル1F 電話 090-7384-8617

 

 

2013年10月vol.106 「よろしく先輩99」

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秋月徹雄・陽子ご夫妻

「Tea for two」

秋月徹雄・陽子ご夫妻 お茶の秋月園オーナー

yoroshiku_98.fw 現在、お茶の学名はカメリア・シネンシス。椿の仲間なんですね。でも1753年に植物学者リネンが命名したのはテア・シネンシス。このテアはオランダからヨーロッパに拡がった茶のこと。英語ではティーになっています。大雑把に言いますと、船でヨーロッパに伝えられたのはテア、陸路で伝播したのがチャなんです。

 

 

 

 

 

二人が知り合ったのはパーティーだそうですね。
「ええ。入籍はしていて結婚式をしてなかった友人のパーティーの席でした」徹雄さんは話します。
印象はどうでしたか。
「主人は優しそうな人でしたよ」と陽子さん。
「でも、博多に住む彼女に会いに行くときにBMWに乗ってましたから印象は悪かったかも・・・」
「そんなことはないですよ」陽子さんは微笑みます。

陽子さんは対馬の出身ですね。
「はい。高校を出て医療事務をしたくて博多に行ったんです」
では知り合ってからも離れ離れですね。
「私は対馬で育ちましたから、主人が連れて行ってくれる山とか洞窟でのデートは楽しかったですよ」
陽子さんは自然が大好きだからと笑います。
結婚以来、陽子さんは専業主婦だったんですか。
「はい。子育てもありますから」
「でも、この店を出すときに、女性の感性が必要だと思って手伝って貰うことにしたんです」
生活が変わったでしょうね。
「そうですね。でも改めて主人の仕事の大切さを知りましたし、お客さんとの会話方法は学ぶことが多いですし楽しいですね」
「女性の感性が導入できて助かりますよ」
双方とも互いの存在の大切さを改めて感じた様です。

 

 

yoroshiku_98_02.fw将来の夢は、のんびりと自然の中を旅する
こととか。
子育ても仕事もありますから、ずっと先に
なるのでしょうが、二人とも生き生きして
いますよ。
その時には、特別にブレンドしたお茶を楽
しんで下さいね。“ふたりでお茶を”を聴き
ながらね。
因みに高齢の方ならマリオン・ハリスの歌
声を、シルバー世代ならドリス・デイ、若
い世代だと同名異曲ですが東方神起でしょうか。

 

 

2013年9月vol.105 「よろしく先輩98」

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山田満・智春ご夫妻

「春の来た道」

山田満・智春ご夫妻 ねぎ坊主

yoroshiku_97.fw 男女は物理的な距離が近いほど、心理的な距離は狭まる。ボッサードの法則などといった難しい事は知らなくても、誰しも納得のいくことですよね。
殊に、遠距離恋愛の経験者なら“もっと近くに住んでいられたら・・・”と、別れ際に涙したことが少なからずあることでしょう。

 

 

 

 

 

満さんと智春さんは友人の紹介で知り合ったそうですね。
「その頃に働いていた店に、私の友人と一緒に来て」
満さんは大きな目を見開いて話します。
印象はどうでしたか。
「そう、彼女は佐世保出身なんですが、方言が可愛かったですよ。素朴だし」
「彼は、明るく楽しく優しい人でした」
いつでも会えて、ずっと幸せだったんですね。
「いいえ。知り合って半年後に僕が名古屋に働きに行ったものですから・・・」
「二年間は遠距離だったんです」
智春さんは笑顔で話しますが、辛かったでしょうね。
「三、四か月に一度は大阪で待ち合わせてましたよ」
「あとは、彼が毎日電話をくれましたから、繋がっていましたけどね。別れ際はやっぱり・・・」

これからの夢はありますか。
「店を増やしたいですね」と満さん。
「時間があれば旅行をしたいですね」と智春さん。
「そう。新婚旅行をしてないから東京か・・・。」
「スペインね」智春さんが間髪を入れず話します。
「でも、子供は四人欲しいから、難しいけどね」
「ずっと先の楽しみにしてますよ」と智春さん。
「ふたりともスポーツを見るのが好きですから、暫くはそれを楽しみますよ」二人は見詰め合って、ほのぼのと笑います。*以下一行の余白を*
ところで店名の由来は、満さんが大のネギ好きだからだそうです。メニューにもネギを使ったものが多いんです。
このネギ、私たちが食べている部分は葉なんですね。俳句の季語では冬。でも、先端にできるネギ坊主は花で、こちらは春の季語。
文字通り、長い長い冬の先に春が訪れる。まるで満さんと智春さんの、これまでの人生みたいですよ。
ボッサードの法則も、真の愛情には当てはまらないんですね。むしろ、心理的な距離を近づけると物理的な距離は狭まると、二人を見ていると思います。

 

 

yoroshiku_97_02.fw「ほろ酔い酒場 ねぎ坊主(ねぎぼんず)」
住所:長崎市船大工町5-39 睦美ビル2F
095-823-9336

 

 

2013年8月vol.104 「よろしく先輩97」

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吉田太・綾子ご夫妻

「真実は…」

吉田太・綾子ご夫妻

yoroshiku_96.fw往年の映画「ローマの休日」で知られる“真実の口”
サンタ・マリア・イン・コスメディン教会の片隅には、今も多くの観光客が訪れ記念写真を撮る長蛇の列が並びます。嘘偽りがあれば、差し入れた手を食いちぎられるというジョークが人気の理由ですね。

 

 

 

 

 

二人が知り合った経緯は。 
「私は佐世保の銀行に勤めていたんですが、研修で長崎に来る時、何度かここに食事に来ていたんです」 
穏やかに綾子さんが話ます。 
印象はどうでしたか。 
「僕の方はお客さんの一人としか・・・」と太さん。 
「そうね、言葉を交わすことはなかったわね。でも、ある日、先輩に焚き付けられて・・・」綾子さんは微笑みます。 
 
 
「彼女は人柄が良く、気を使わずにすむ感じでした」 
「彼は知識が豊富で頭のいい、私とは違う世界の人」 
結婚してから相手の印象に変化はありますか。 
「彼女はもともと喧嘩をしたことがないって人だったようですが、でも強くなりましたね」太さんは苦笑いを浮かべます。 
「彼は、結婚前に思っていた以上に私とは遥かに違った世界の人みたいですよ」と綾子さん。  
 
ところでプロポーズの言葉は。 
「僕は何も言ったことないんですが・・・」と、太さんは綾子さんの表情を窺いながら応えます。 
「いいえ、ちゃんと言ったんですよ。でも彼は覚えがないって言い張るんです」綾子さんは少し不満げに太さんを見つめます。

つまり、太さんが忘れたってことですか。
「いえ、本当に言ったことはないんですよ」
「言われました。でも記憶にないの一点張りですから、その言葉はお墓まで私一人の心に仕舞っておくことにしているんです」綾子さんは教えてくれませんでした。

 

 

yoroshiku_96_02.fw“真実の口”の顔は、海の神トリトンだと言われ
ます。 
法螺貝を吹いて、波をたてたり鎮めたり・・・。 
そうだ、太さんが以前料理の勉強に行ったイタ
リアに二人で出掛けませんか。その時、どちら
の言い分が正しいかトリトンの口に手を入れて
みては。 
但し、波風が立っても知りませんよ、ご両人。

 

 

2013年6月vol.103 「よろしく先輩96」

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渡瀬俊英・靖子ご夫妻

「恋のシャッターチャンス」

渡瀬俊英・靖子ご夫妻

yoroshiku_95.fw先年、テレビドラマを切っ掛けにブームとなった坂本竜馬。懐手の写真はあまりにも有名ですね。以前は撮影者は上野彦馬とされていましたが、最近では彼の弟子の井上俊三が撮ったものだと言われます。 
当時は感光するのに時間が掛かったようですから、撮る方も撮られる方も大変だったでしょうね。

 

 

 

 

 

俊英さんの御祖父さんは彦馬の一番弟子だそう。 
「1901年に開業したんです。父が跡を継ぎ、私も高校を出て父の許で働くようになりました」 
気のせいか、俊英さんの顔つきは歴史上の人物写真のように見えます。 
ところで、二人はどんな経緯で知り合ったんですか。 
「私は日銀長崎支店に勤めてましてね。そこに主人が出入りしてまして」靖子さんは微笑みます。 
「支店長の交代する時とか、集合写真を撮ることがありましてね。その時に出会ったんです」
お互いの印象はどうだったんでしょうか。 
「まあ、一目惚れですね。一週間でプロポーズをしましたよ」峻英さんは相好を崩します。 
靖子さんに戸惑いはありませんでしたか。 
「いいえ。私もこの人と結婚するのではと、予感がしましたから・・・」肖像写真のような笑顔です。

仕事柄、休みが取れないのではありませんか。 
「そうですね、家族には申し訳ないですが」 
将来、のんびりできるようになったら、何か夢はありますか。 
「沖縄に行きたいですね」 
「そう。明るい日差しの中で過ごしたいわね」 
二人は息も夢もぴったり一致しているよう。

 

 

yoroshiku_95_02.fw写真を取り巻く環境も、昨今は大きく変化して
います。アナログからデジタルに、勉強も怠れ
ませんね。 
「まあ、仕事ですからね。頑張らないと」 
俊英さんは凛々しく語ります。
それにしても、出会いからプロポーズまでのス
ピードは凄いですよね。御祖父さんの渡瀬守太
郎から受け継ぐ進取の気性は、写真の世界に留
まらず、恋の道にも行かされていたんですね。
ピントもシャッターチャンスも、いやはやお見事です。

 

 

2013年4月vol.102 「よろしく先輩95」

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川添哲雄・満子ご夫妻

スパイシー・ラブ

川添 哲雄・満子ご夫妻 カレーハウス「シェてつお」オーナー

yoroshiku_94.fwマングローブや菜の花が一つのものではなく総称であるように、カレー粉も幾種類ものスパイスを混ぜたもの。だから組み合わせや量の加減を考えると無限に近く、一口にカレーと言ってはいますが奥の深い世界なんですね。

 

 

 

 

 

二人が知り合った経緯を教えて下さい。
「私が島原高校で教鞭をとっていた頃、知人の紹介で知り合いました」と哲雄さん。 
「だけど主人は器械体操部の顧問をしてて忙しいものですから、進展がなかったわね」満子さんは笑います。

その後はどうなったんでしょうか。
  すると満子さんは改めて笑顔で答えます。
「先輩に助言を受けて暑中見舞いの葉書を出したんです」
  「私は字が下手だから返事が書けなくて、思い切って電話で誘ったんですよ。その方が早いから」哲雄さんは照れながら話します。

初めてのデートはいかがでしたか。
「私は父から“お前はお金を貯めなさい”と言われて育ちましたから、結婚は考えてなかったですし、彼女の顔も見なかったですよ」 

「私もそうでしたけど、別れ際にチラリと彼の顔を見た瞬間“結婚しよう”と思いました」と満子さん。 
「それからは、会う度に好きになっていきましたね」

哲雄さんは照れ笑い。
「こちらも、多忙な主人のために毎朝弁当を作って届けました」 
「それが凄い弁当で、三段重ねだったりして…」 プロポーズの言葉は覚えてますか。 
「まあ…、私が五島に転勤がきまった時に」 
「一緒に来ないかって…。あれですよね」
   知り合って三か月で、哲雄さんは満子さんの両親に挨拶に行ったそうです。

 

 

yoroshiku_94_02.fwところで、先生が何故カレー店を出したんです
か。「昔から私はカレーが好きでしてね。でも
奥さんは苦手で作らないから自分でよく作って
たんです」
「諫早でカレーのコンテストがあった時、参加
を勧めてみたんです。そしたら見事に優勝して
…」「退職したら店を出そうと決めてたんです
が、待ちきれなくて、三年を残して開店したん
です」
「私の誕生日にね」満子さんは微笑みます。  
 将来は、沖縄か東南アジアに移転して、多くの人達と出会いたいと話す二人。せめてレシピだけでも教えて欲しいのですが、これは企業秘密でしょうね。いえ、例え教えられても“満子さんへの愛”というスパイスは哲雄さんしか持っていませんから、無駄ですよね。お御馳走さまでした。

 

 

2013年3月vol.101 「よろしく先輩94」

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八木一郎・道子ご夫妻

「さん、さん、sun」

八木 一郎・道子ご夫妻 長崎さるくガイド

yoroshiku_93.fw「人の行く裏に道あり花の山…」京都で過ごした学生時代、観光客の訪れることもない山里で満開の桜を見つけたときに、ふと思い出した千利休の言葉です。細い疏水の一面を覆うピンクの穏やかな流れは、文字通り”春の来た道”のようでした。

 

 

 

 

 

知り合ったきっかけは何だったんですか。
「道子さんも私も教員でした」
「一郎さんが二十二歳、私が二十歳の時でした」
「二部授業と言いましてね、一つの教室を使って、午前中が私で、午後からは道子さんのクラスが授業をしました」
「それがきっかけかしらね」
二人は、目を細めて微笑みます。
印象はどうだったんでしょうか。
「私が道子さんに、まあ、一目惚れでしたね」
「一郎さんは、ちょっと不良っぽかったわ」
どんなお付き合いだったんでしょう。
「しばらくは同じ小学校の勤務だったんですが、そのあと三年間一郎さんが五島に赴任することになりました」
「当時、遣り取りした手紙が二千通以上もあるんですよ」道子さんは若い娘さんのように笑います。
「大きな段ボール箱に一杯ありますよ」一郎さんも青年のように語ります。
単純計算しても、お互いにほぼ毎日手紙を書いたことになりますね。

共働きだと、家事、育児など大変だったのでは。
「若い頃は一郎さんの母もいましたから、助けて頂いてましたけど、あとは分担してきましたよ」
「料理も育児もね。こどもを寝せつけるのは僕は上手ですよ」
「私たちは、二人で一人前なんです」と道子さん。
「結婚ってのは忍耐力ですね。これ人生に通じますよ」一郎さんは、言葉を確かめるように頷きます。

共通の趣味はありますか。
「私も道子さんもビールやお酒が好きでしてね」
「よく喋り、よく笑い、よく飲みます」
「あとは旅行かな。定年後しばらくは、日本列島の主な半島、岬を北から南と巡りました」
「奥の細道の旅では、東京深川から、岐阜大垣までと芭蕉の足跡にこだわりました」

 

 

yoroshiku_93_02.fw二人の話を聞いていますと、互いに「さん付
け」でよんでいます。そんなところにも、人
知れぬ思いがあるのでしょうね。まるで穏や
かな春の光のように目を輝かせていますもの。
「…いずれを行くも、散らぬ間に行け」
先の、利休の言葉はそう続きます。
二人の春は、まだまだ続きが長くありそうですよ。

 

 

2013年2月vol.100 「よろしく先輩93」

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久松徳伸・万佐子ご夫妻

「愛の真向勝負」

久松徳伸・万佐子ご夫妻 久松鮮魚店

yoroshiku_92.fw空手を習っていた頃、師範がよく口にしていた言葉に「空手に先手なし」があります。血気盛んな高校生でしたから、街を歩けば、誰彼なく喧嘩を挑みたくなるもの。そんな無謀な心を戒める、今にして思えば有難い教えだったのですね。 二人は法政大学の出身だそうですが。 「ええ、空手部の先輩後輩でした。彼女は学生連盟の日本初の女性有段者(黒帯)なんです」穏やかに徳伸さんは話します。

 

 

 

 

 

当時の印象はどうでしたか。 「彼女は愛想が良くて、でも芯の強いタイプで、まるでリンゴみたいな女性でしたよ」 「彼は、駆け引きをしない男らしいタイプですね」 万佐子さんは奥ゆかしく話します。 卒業後、七年間は東京住まい。 徳伸さんは各種アルバイトをし、万佐子さんは四年間ほど都の職員として養護学校に勤めたと言います。 「魚屋の跡継ぎは決まっていましたから・・・」と、徳伸さん。それまでの執行猶予期間だったんですね。

万佐子さんは福島県・猪苗代の出身だそうですが、長崎に嫁ぐのに抵抗はありませんでしたか。
「そう・・・、正直に言えば不安もありましたけど」
「でも彼女の母親が強く後押しをしてくれまして」
「仕事も不慣れで大変でしたけど、なんとかなるものなんですよ。だから四人娘たちにも“好きな人と一緒になりなさい”と教えて来ました」
数年前に徳伸さんが病に倒れ、それ以降は役割を入れ替えて仕入れをするようになった万佐子さんは白虎隊の剣士のように凛々しく話します。それもそのはず、高校時代はスキーで国体に出場経験があり、剣道も有段者なんです。

 

 

yoroshiku_92_02.fw学生時代は、周囲の目がありますから、大っぴ
らに付き合うのは難しかったようですが、それ
でもこんなに強い愛を育んで来た二人。
空手に先手なし”とは言いますが、愛に関して言
えば“先手必勝”なんでしょうね、徳伸さん。

 

 

2013年1月vol.99 「よろしく先輩92」

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桝田憲二・安子ご夫妻

「背中合わせの愛」

桝田 憲二・安子ご夫妻 長崎市在住

yoroshiku_91.fw「愛とは、見つめ合う ことではなく、同じ方向を見ることである」と言います。恋人同士にはなかなか難しいですよね。でも、そんな二人なのに背中合わせに座って、互いにまったく反対を向いている光景を目にすることもあります。背中は熱を取り入れる場所ですから、温もりを感じているのでしようね。

 

 

 

 

 

憲二さんは、国見の出身。安子さんは、佐世保の出身。お二人の出会いは佐世保だったのですか。
「私が友人宅に泊まりに行った時に出会いました。彼の妹だったんですよ」と憲二さん。 
「私が高校三年の時でした」安子さんは微笑みます。
印象はどうでしたか。
「可愛い娘さんでしたね」
「私は、この人と結婚するんだと、ひらめきました」
「当時、私は会社勤務で、彼女がその前を通学してまして・・・」
「卒業してすぐにプロポーズして結婚しました」

いきなり、同じ方向を向いたわけですね。
それでは何もかも二人一緒に過ごす毎日だったのでは。
「いや、ほとんど別行動ですね」
「主人はソフトボール、年をとったらゴルフとか野球とか出かけてばかりで」
「殆ど不在でしたよ」二人は平然と笑います。
共通の趣味は無いんですか。
「強いて言えば・・・」
「スナックでカラオケを楽しむくらいかしらね」

将来の夢はなんでしょうか。
「私はギターをやりたいし、英語とか中国語を習いたいですね。それと、一人で日本一周」
「私は友達と四国八十八か所の巡礼をしたいわ」
あれ、二人一緒にではないんですか。
「お互いに好きなように生きればいいでしょ」
「そう。それが一番素敵じゃないかしらね」
これまた、二人揃って平然と微笑みます。

 

 

yoroshiku_91_02.fwどうやらこの二人、出会った時から同じ方向を
眺め、すぐに背中合わせになったみたいですね。
背中に互いの温かさを感じながら・・・。

 

 

2012年12月vol.98 「よろしく先輩91」

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光藤数也・明美ご夫妻

「人魚の歌声」

光藤 数也・明美ご夫妻 横浜市・長崎市在住

yoroshiku_90.fw“遠くて近きは男女の仲”といいます。清少納言の枕草子に出て来る言葉ですから、古今を問わず恋心とは普遍的な世界なんですね。この場合の遠近は物理的であるより心理的な距離なんですが、昨今は交通網の発達も手伝って、遠距離での交際も珍しくありません。恋する二人にはさぞや辛いことでしょう。

 

 

 

 

 

数也さんは横浜在住、明美さんは長崎。夫婦なのに何故なんですか。
「僕は船の仕事をしていますが、会社が川崎なので」数也さんは淡々と話します。
「私は女性対象のセミナーをしていますから・・・」明美さんも、さらりと話します。
知り合った経緯が知りたいですね。
「特別な出会いではありませんよ」
「私が知人の飲食店を手伝っている頃、彼がお客として時々来てくれたんです」

 同居したいとは思わないんですね。
「まあ、僕が定年したら考えますが・・・」
「休暇を利用して長崎に来るから、それでいいです」
「二、三ヶ月に1回くらいですかね」
「この間、昨年の日数を計算したら合計で九十六日でした。一年の約四分の一でしたよ」
 二人は新鮮な笑顔で見つめ合います。
 それじゃ、一緒にいる時は、ベッタリですね。
「いいえ。僕は一人でシーカヤックに乗りに行くことが多いですよ」
「あとは二人で温泉によく行きますけど」
これまた不思議ですね・・・。

 数也さんを見た第一印象は、“変わった人”だったと明美さん。
そして明美さんの印象は“実年齢より若い人”と思ったと数也さん。
そんな二人が、知り合った時のままの距離で生活をしているんですから、新鮮さは誰にも負けないのでしょうね。

 

 

yoroshiku_90_02.fw話を聞いていると、ギリシャ神話のセイレーン
を思い起こします。航海者を美しい歌声で惹き
つける人魚。二人に生活圏の距離があっても、
数也さんと繋がっていられるのは、他人には聞
き取れない明美さんの心の中の歌声があるから
かもしれませんね。

 

 

2012年11月vol.97 「よろしく先輩90」

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松下卓生・香代子ご夫妻

「言葉は要らない」

松下 卓生・香代子ご夫妻 画家(二紀会会員)・会社勤務

yoroshiku_89.fw人類を他の動物と区別するものに言語の存在があります。さらには絵を描くこと。絵画は、古くは四万年前の旧石器時代まで遡るとされます。絵画には、遠近法という距離感を表現する手法がありますが、これも古くは紀元前五世紀、古代ギリシャの舞台美術に用いられていたといいますから驚きですね。

 

 

 

 

 

二人は島原出身。知り合ったのは地元ですか。
「妻は私の同級生の妹なんです」と卓生さん。
「特に意識していたわけではないんですが・・・」香代子さんは明るく続けます。
「ある時、主人が画廊で個展をしていまして、花を持って観に行ったんです。そしたら何か勘違いしたみたいで・・・」
 交際して一年も経たずに結婚されたとか。
「ある時、妻を送る途中でうちの実家に寄ったら、親戚が集まって宴会の真っ最中でしてね」
「あれよあれよって間に、皆に乗せられまして」

 卓生さんは会社勤めの傍らに絵を描いていますが、奥さんの内助の功を感じますか。
「不満も言わず、いつでも制作がしやすうように対応してくれています。私は結婚を機に絵画制作にはまってしまった。だから妻にはとても世話になっているし、感謝してますよ」神妙な面持ちで卓生さん。

 二人の共通の趣味はありますか。
「私は絵だけだし・・・」
「私は宝塚ファンで、よく観に行きます。今は水泳にも凝ってますが」
 それでは、バラバラなんですね。
「ええ。私は二階で絵を描いてますし、妻は一階で過ごしてて・・・」
「夫婦の会話なんて、制作に追われている日など、それこそ二言か三言なんですよ。それに私には絵なんて解りませんし」
 実家が商売をしていたせいか、私は愛想が良いんですよと、香代子さんは自ら話しおおらかに笑います。
 なるほど、離れているようで実際の気持ちは近いところにある、まさに“心の遠近法”ですね。

 

 

yoroshiku_89_02.fw夫婦も長年連れ添っていますと、確かに若い頃
と違って会話を楽しむ機会が減り、傍目には心
が離れていると思われがちですが、以心伝心、
これが本当の夫婦なんですね。
 

 

 
 
 

 
 

 

2012年10月vol.96 「よろしく先輩89」

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谷本寛之・澄江ご夫妻

「パンとミルク」

谷本 寛之・澄江ご夫妻 (有)谷本自動車

yoroshiku_88.fwバスケットボールの歴史はそれほど古いものではないそうでうすが、それでも当初は人数制限がなく大勢が入り乱れていたと言いますから、今では想像も着きませんね。ロングシュートが入れば壮快。でも、醍醐味は何と言ってもスラムダンク。ジャンプ能力が生み出す見事なプレーです。

 

 

 

 

 

二人はどこで知り合ったのですか。
「どちらも社会人バスケットをしていましてね」寛之さんは穏やかに話します。
「男女でチームは違うんですけど、混成で練習したり、飲み会もありましたからね」澄江さんは歯切れ良く続けます。
 お互いの印象はどうでしたか。
「友達・・・かな」「そう。友達感覚でした」

 結婚に至った経緯は。
「私は、付き合うなら結婚を前提と決めてたから」
 澄江さんはさらりと話します。
 寛之さんは婿養子だそうですね。
「ええ。うちは男四人兄弟ですから、何も問題無く」
 それまでの仕事を辞めて、畑違いの世界に入るのは大変だったのではありませんか。
「二級整備士を取るまでは、ずっと勉強ばかりでしたよ」宙に視線を泳がせ、寛之さんは回顧します。

 結婚して互いに変わった点はありますか。
「特に・・・ないですね・・・」と寛之さん。
「そうね。知り合った頃から、何もかも私が言い出して、彼が私に付き合ってくれる。スキーとかミュージカル鑑賞とか」
 バスケットボールは、もうしてないそうですが、共通の趣味はありますか。
「旅行・・・ですかね」
「そう。子供が出来るまでは九州内をあちこち旅行してました」
 一番印象深い場所はどこですか。
「僕はハワイですね」
「新婚旅行で行って、素敵でしたから、私も」
「将来は、一か月くらい過ごしてみたいですよ」
「時間がゆっくり流れてるしね」

 

 

yoroshiku_88_02.fwスラムダンクの“ダンク”とは、パンをミルクに
浸す意味から来たそうです。二人を見ています
と、まるで“愛のダンク”のようですよ。澄江パ
ンが、何でも穏やかに包み込む寛之ミルクに浸
っているようにね。

 

 

2012年9月vol.95 「よろしく先輩88」

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寺田亮介・雅子ご夫妻

「流れのままに」

寺田 亮介・雅子ご夫妻 長崎市在住

yoroshiku_87.fw『時は偉大な医者である』とは、イギリス・ビクトリア朝期の政治家、ベンジャミン・ディスレーリの言葉。確かに、失恋の痛みや、ショッキングな出来事も時と共に感覚が薄れ、淡い思い出になるのは誰しも経験しますね。
時の流れは、あらゆるものを平坦にしますものね。

 

 

 

 

 

雅子さんは、亮介さんの大学時代の二年先輩だそうで。
「僕には先輩ですから、対等に口を利くなんて出来なかったですよ。あくまで上下関係」亮介さんは当時のような目で雅子さんを見つめます。
 そんな二人が交際を始めた経緯は何なのでしょうか。
「僕は学生時代からバーテンダーのアルバイトをしていたんですが、そこに彼女が友人たちと来店してて」
「特に彼を意識してたわけではないんですが、私の友人が後押しをしたんですよ」雅子さんは淡々と。
 でも、先輩と後輩ですから難しかったのでは。
「そう。彼女の友達も僕には先輩ですからね」
「でも、次第にそんな意識はなくなってました」
 どうしてなのでしょうか。
「たぶん。時の流れでしょうか。三年半で自然にね」
「いつの間にか年の差なんて感じなくなってましたね」
 結婚して変わったことはありますか。
「初めの頃は喧嘩もしてましたが・・・」
「子供が出来てから少なくなりました」と雅子さん。
 秘訣は何かありますか。
「僕たちは、結婚前にいろいろ話し合ってたから」
「そうね。将来に対するリスクも覚悟してたし」
 これから夢はありますか。
「僕はファイナンシャルプランナーとして」
「私は社労士として・・・。二人で事務所をと」

 

 

yoroshiku_87_02.fw『誠実に君の時間を利用せよ』とはゲーテの言
葉。見つめ合う二人の間には、これまでの時間
を掛けて培ってきた愛が、小川のせせらぎのよ
うな爽やかな音をたてて流れているようですよ。

 

 

2012年8月vol.94 「よろしく先輩87」

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東智亮・茂子ご夫妻

「万年の愛」

東 智亮・茂子ご夫妻 長崎市在住

yoroshiku_86.fw言い伝えは様々にありますが、海亀はハワイの守護神で神聖な生き物。正しくはアオウミガメです。日本でも、これを食べると洪水が起こると言われる地域があるようです。時空を超えて似たようなシンボルであるのは不思議ですね。

 

 

 

 

 

智亮さんと茂子さんはお見合い結婚。東京オリンピックを挟んだ、日本経済の高度成長が始まった頃。
 当時、智亮さんは防衛庁(現・防衛省)の職員で、海上自衛艦に載っていたそうです。
「一度出航すると二十日くらいは戻らない生活で」智亮さんは凛々しい表情を浮かべます。
「見合いした時は、六か月の航海を終えたばかりでしたから、話しが早かったのかもしれませんね」茂子さんはシーブリーズのように爽やかな笑顔。
 ところで、茂子さんはハワイアン・フラの講師をしていますが、きっかけは何だったのですか。
「友人に誘われて老人ホームのボランティアをしていて・・・。
でも、出鱈目なのは嫌ですから、カルチャーセンターで習い始めたんです」
「私は、フラより前に立派な社会人たれと言いました。でも、この人はそれまで専業主婦でしたから知らなかったんですが、人の良い点を見る優しいところがあるのに気付いて見直しましたね。交際上手」智亮さんは、さらりと茂子さんを褒めます。
 そんな智亮さんの趣味はゴルフ。現役時代は航海が多く、一緒に過ごす時間は限られていたでしょうし、老後の活動も別々。
 若いカップルには考えられない関係かもしれませんね。
「私は専業主婦ですが、結構いい加減なんですけど、主人は几帳面で今は助かっていますよ」と茂子さん。
「まあ、互いにマイペースなんですよ」と智亮さん。
 人生も日常生活も、実に見事に補い合っているんですね。

 

 

yoroshiku_86_02.fw古希を過ぎて、益々若く明るい二人。
智亮さんのシャツには海亀の模様が、茂子さんの
首元には、やはり海亀のネックレスが・・・。
“鶴は千年、亀は万年”とは長寿の例えですが、話
しをする二人の表情からは“愛は万年”と感じさせ
られる、ほのぼのとした雰囲気が漂っていますよ。

 

 

2012年7月vol.93 「よろしく先輩86」

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松田孝英・千嘉ご夫妻

「末広がりの心」

松田 孝英・千嘉ご夫妻 レストラン ル・オンズィエム

yoroshiku_84.fw ヨーロッパの青空を見上げていると、無数の飛行機雲が縦横に走っているのを見掛けます。ラッシュ時だと、まるで航空ショーを眺めているように次々と増えていきます。それほど多くの人や物が、国境を越えて運ばれているんですね。

 

 

 

 

 

孝英さんは飯盛の出身、千嘉さんは奈良の出身だそうですが、二人が知り合った経緯を教えて下さい。
「僕が大阪の調理師学校に通っているときに友人がいたんですが、彼女は、そのお姉さんだったんです」
「弟の友達だっただけですし、両親も知ってましたから、特別に意識したことはありませんでしたね」互いに顔を見つめ、懐かしそうに話します。
その後、孝英さんはドイツに渡ったそうですが、結婚に至ったのは何故ですか。
「一時帰国した時、食事の後で飲みに行って・・・」
「そう、パスティスをね。その時に彼が熊のぬいぐるみをプレゼントしてくれたんです」
「その後、僕はドイツに渡り、彼女もイギリスに短期留学したりして別々だったんですが、手紙や電話で繋がってました」
「私がドイツに遊びに行ったりもしましたけど」
「その後、僕はフランスに渡ったんですが、そこで結婚しました」孝英さんはとつとつと話します。
「別に彼を意識していたわけではないんですが、加点的に少しずつ好きになっていったんですね」
「彼女も気さくな人でしたし・・・」

 家庭ではどちらが料理を作るんですか。
「基本的には彼女ですが・・・」
「あれこれ言われながらね」
「でも、この十年で彼女は腕を上げましたよ。いつも僕の文句を聞いてますからね、当然ですが」
「あら、嬉しいわ」千嘉さんはヒマワリみたいに笑います。

 これからの夢はありますか。
「僕は、子供が跡を継いでくれたらと思います」
「そうね、先は見えないけど、どうにかやっていければいいですね。今までと同じように」

 ところで、孝英さんが料理の道に進んだのは何故。
「小学三年生のある日、祖父にインスタント・ラーメンを作ってあげたら“旨い”と喜んでくれましてね・・・。だから、将来は料理で人様に喜んでもらえたらと思ったんです」
お祖父さんの、何気ない一言が、波紋のように拡がったおかげで、二人も出会えたんですね。

 

 

yoroshiku_84_02.fw今日も、ヨーロッパの青空には多くの飛行機雲
が膨らんでいるのでしょうね。中には、あの頃
の二人のように、将来を夢見て互いを訪ね合う
人も乗っていることでしょう。

 

 

2012年5月vol.91 「よろしく先輩84」

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北川智浩・麻衣子ご夫妻

「香る愛」

北川 智浩・麻衣子ご夫妻 サンキタガワ(有)

yoroshiku_83.fw 街を歩いていると、どこからとなく美味しそうな香りが漂って来る事がありますね。
鰻屋の店先、惣菜店、コーヒーショップ、そしてパン屋さん・・・。
香りに釣られて衝動買いをした経験は、きっとどなたでもあるでしょう。
香りって不思議ですよね。

 

 

 

 

 

「私たちは、高等技術専門校の商業デザイン科で知り合ったんです」智浩さんはナイーブそう。
「龍馬展をする時のチームが同じで、親しくなったんです」麻衣子さんは明るく笑います。
印象はどうでしたか。
「彼女は、電話なんかでもよく笑う人でした」
「彼は蛍光色のパーカーを着てて、変な人だと思いましたけど、話してみると親友といるように楽しかったですよ」

 お付き合いを始めて十か月くらいで結婚を決めたそうですね。
「パン屋をしたくて、その修行には数年掛かりますし、一緒に行こうって誘ったんです」
「私はかなり悩みました。まったく違う世界だから」
「だけど、今は家庭でも仕事でも一緒に過ごせますし・・・」
「だから、一般の夫婦を超えた感じがします」
 二人は蒸しパンのように柔らかく笑います。

 これからの人生は、どんな風に過ごしたいですか。
「まず、健康ですよね」
「後は、夢とか目標が同じなので頑張りたいです。絵本の“からすのパンやさん”みたいにね」
「そう、優しい家庭にしたいよね」
 この本は、ネットで検索すると、読み聞かせの動画もありますから、関心のある方は覗いて下さい。
 ところで、自分をパンに例えると、何パンですか。
「ウーン・・・、まだ未熟ですからパンと言うより生地玉でしょうかね」
「あら、そうなの。だったら私はイーストかしら。生地を膨らませてあげるために・・・」

 

 

yoroshiku_83_02.fwある大学の研究者が、工場や店でパンを焼く時
に出る香りを何かに固定して有効利用できなか
と考えたそうです。
この時に、香りの殆どが放出されてしまうから。
残念なことに、吸着剤が見つからず現実はして
ないようですが。

 

 

2012年4月vol.90 「よろしく先輩83」

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黒田成彦・和子ご夫妻

「海に抱かれて」

黒田 成彦・和子ご夫妻 平戸市長

yoroshiku_82.fw日本は島国ですが、物の本によりますと6852の島があるのだそうです。
島のガイド・ブック「SHIMADAS」ですら1100島しか掲載されていませんから、気が遠くなるほど多いんですね。
しかも、長崎県には971島あるといいますから驚きます。

 

 

 

 

 

成彦さんは生月島、和子さんは度島の出身。
そんな二人はどのようにして知り合ったのでしょう。
「佐世保にいる時に、知人の紹介で」長身の成彦さんは子供のような笑顔で応えます。
「もともと、お互いの親同士が知り合いでしたし」和子さんも頬を赤らめます。
印象はどうでしたか。
「とにかく、とても良かったですね」と成彦さん。
「この人と巡り合うために生きて来たのかなって」和子さんは、さらりと話します。
そして「でも、あの頃の主人は実年齢より上に見えましたね」
「政治家の秘書をしてましたから、老けて見られたかったんですよ」見つめ合って微笑みます。
落選も経験していますが、その間はどんな生活だったのでしょう。
「PTAで人脈を広げたり、交通整理をしたり、出島ワーフでラーメン店を営ったり・・・、民間経営者の辛さが解りましたね」
「私は結婚前に幼稚園の先生でしたから、保育所で働きました」もともと、成彦さんが政治家になることに反対だったという和子さんは、爽やかに当時を振り返ります。
でも、再び政界を目指したのは何故なんでしょう。
「私は辞めようかと思ったこともあるんですが、彼女が逞しい判断をしてくれて、今があるんです」
「いつの間にか、こちらは応援するようになってましたよ」和子さんは、体内に秘めたエネルギーを、蝋燭の炎のような微笑みにして話します。
将来、政治の世界から身を引いたなら、塾を開いたり教育分野へ進みたいと話す二人。
これから結婚を目指す人達に、何か助言は。

 

 

yoroshiku_82_02.fw恋愛は自己責任ですが、紹介は、初めから周りも
味方ですからね。安心感がありますよ」
「素敵な出合いを求めて頂きたいものですね」
離島出身同士の二人は、周囲の海なる知人を味方に
愛を育んで来たんですね。
 

 
 

 

2012年3月vol.89 「よろしく先輩82」

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岡嶋 慎之介・真理恵
ご夫妻

「家庭が一番」

岡嶋 慎之介・真理恵 ご夫妻

yoroshiku_81.fw人生には“もしも”が付き物。過去は諦めるとしても、将来に向かっては大事なこと。往年の名作『オズの魔法使い』の中で、案山子は“もしも知恵があったなら”を、ブリキ男は“もしもハートがあったなら”を、そしてライオンは“もしも勇気があったなら”を歌い、旅の終わる頃には夢を実現します。

 

 

 

 

 

結婚した時まだ学生だった慎之介さん、三歳上で看護師をしていた真理恵さん。双方の親から反対はありませんでしたか。
「何もありませんでしたね」と慎之介さん。
「私は七人姉妹ですが、ほとんどが学生結婚ですし」真理恵さんも優しく微笑みます。
 第一印象はどうだったのでしょう。
「妻は、高嶺の花みたいでした」
「主人はとても爽やかな人でした」

 将来の見えない状態、不安はありませんでしたか。
「お互いに未熟な時代を知っている方がいいと」
「私を愛してくれた母のようになりたいとだけ」
「苦労によって絆が強まって来るんです」
「主人は向上心があって素敵ですしね」
東京で生まれ育った二人。半年前、長崎に来るまではどんな生活だったのでしょう。
「お金が無いから新婚旅行は日光に行っただけで」
「家も築四十年以上で、隙間だらけでした」
ほんの少し前までの暮らしが、既に懐かしい思い出になっていると、二人は目を見合わせて微笑みます。

 結婚をためらっている人達に助言はありますか。
「婚期を遅らせると時間が過ぎ去るだけで、思い出が生まれません。長い目で見ると、苦労はしても早い方がいいと思います」と真理恵さん。
「家庭を優先して、家庭のために仕事をして行く。楽しい思い出が一杯出来ますよ」と慎之介さん。

 

 

yoroshiku_81_02.fw部屋に飾られたプレートには“There’s no place
like home”と、あります。二人の好きな『オズ
の魔法使い』の中で、主人公のドロシーが何度
も口にする言葉。
 これからも二人は、前向きな“もしも”を積み
重ねながら、虹の彼方へ向かって人生を謳歌し
て行くことでしょう

 

 

2012年2月vol.88 「よろしく先輩81」

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町孝・郁子ご夫妻

「二度目の春」

町 孝・郁子ご夫妻 JR九州高速船(株)代表取締役社長

yoroshiku_80.fw「世界最古の港は、イスラエルの古代都市ヤッフォにあり、紀元前3300年に遡るそうです。英語のポートには「受け渡し」、ハーバーには「避難所」の意味合いがあるといわれます。男性は船に、女性は港に例えられることがありますが、何となく解るような気がしますね。

 

 

 

 

 

知り合った経緯は何ですか。
「大学の一年先輩後輩だったんです」と孝さん。
「当時、主人は陸上部で、私はテニス部でした」
お互いの印象はどうだったんでしょう。
「彼女は素朴で、結婚するには相応しい女性だと」
「主人は、かなりモテる人で、憧れてました」
孝さんが26歳、郁子さんが25歳で結婚とか。
「当時は、それ位の年齢が当然でしたし、結婚して一人前の時代でしたからね」孝さんは、昨今の結婚事情に眉をひそめます。

 結婚して35年。振り返って、どんな感慨ですか。
「私は仕事人間で、単身赴任が多くて、家も子供達も妻や祖父母に任せ切でしたからね・・・」
「私は小学校の教員をしてましたし、二人きりの思い出は殆どありませんよ」
「去年、知人に誘われてトルコに出掛けたんですが、一緒に旅行するのは新婚旅行以来でしたね」
殆ど、背中合わせの生活だったんですね。でも、孝さんが各地を転々として仕事に専念出来たのも、郁子さんという頼もしい“港”があったからなのでしょうね。

 それでは、これから先の夢は何でしょうか。
「そうですね、リタイヤしたら生まれ故郷の下関に戻って、日韓交流の手伝いをしたいですね」
「主人がよく韓国の歌を口ずさむんですが、意味を知りたくてハングルを勉強しているところなんです。将来、何かお役に立てばいいですね」
「今は妻の方が旨いかもしれませんよ」

 

 

yoroshiku_80_02.fw話の内容からだと、擦れ違いの多い人生を送っ
て来たような印象を受けますが、背中合わせで
も阿吽の呼吸でピッタリと心を通わせていたん
ですね。定年後の生活を“第二の人生”などと表
現しますが、孝さんの凛々しい表情と郁子さん
の包擁力ある笑顔を拝見していますと、どうや
ら二人には学生時代以来の“第二の春”が待ち受
けているみたいですよ。

 

 

2012年1月vol.87 「よろしく先輩80」

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竹馬庸裕・幸子ご夫妻

「同行二人」

竹馬庸裕・幸子 ご夫妻 ちくばクリニック院長

yoroshiku_79.fw漢字表記は、同じ文字でも読み方が異なれば意味の違うものが少なからずありますね。「人間」はニンゲンとジンカイ。「十分」はジップンとジュウブン。「正気」はセイキとショウキ。「名跡」は、同じ意味も含みますがミョウセキとメイセキで異なります。日本語も結構難しいですね。。

 

 

 

 

 

庸裕さんは56歳、幸子さんは33歳。実に23歳の年の差婚。知り合った経緯から伺いましょう。
「知人の紹介です」庸裕さんは顔を赤らめます。
「教会でね」幸子さんはあどけない微笑み。
特に問題はありませんでしたか。
「いや、彼女の両親からは反対されましたよ」
「私の父と主人は、一日違いの同い年なんです」
では、結婚までには長い道程だったのですか。
「いいえ。一月四日に知り合って・・・」
「四月二十九日に結婚しました」
これまた随分スピード婚ですね。
「私は開院直前でしたから・・・」と庸裕さん。
「主人より先に、お義母さんからプロポーズがあったんです」幸子さんは微笑みます。嫁姑と言えば犬猿の仲みたいなイメージですが、逆なんですね。

 年の差があると、お互いに甘え合うのでは。
「とんでもないですよ。かなり喧嘩をしました」
「いろいろ食い違いがありましたから」
「でも、結果的にはそれが良かったんです」
「ぶつかり合ったから、解り合えたのね」
「彼女は聡明で慎重な人なんです」
「主人は新しいことにチャレンジするタイプで、私は尊敬していますし・・・」
あれ、おのろけになって来ましたよ。

 これからはどんな人生にしたいのでしょう。
 「私は本来、カウンセリングがしたかったし、結婚サポートにも関心があるんです。でも本業がありますからね。将来は二人で宣教師になろうと話し合っています」庸裕さんは真顔に話します。

 

 

yoroshiku_79_02.fwさて、「同行二人」は一般にドウギョウニニン
と読み、西国巡礼者が弘法大師と一緒であるこ
とを意味しますが、普通にドウコウフタリと読
めば、そのまま二人が一緒に連れ立って歩く意
味になります。
 いつの日か、庸裕さんと幸子さんは、後者の
方の意味で宣教をしていることでしょうね。

 

 

2011年12月vol.86 「よろしく先輩79」

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松尾 彰・恵里 ご夫妻

「愛はストレートで」

松尾 彰・恵里 ご夫妻 松尾コーヒー株式会社 専務取締役

yoroshiku_78.fw「焦げ臭くして味ふるに堪えず」1804年、長崎奉行所に勤めていた大田南畝はコーヒーについてこのように書いています。天明年間にオランダ人が出島に持ち込んだとされていますから、日本人にはまだ味も香りもなじめなかったのでしょうね。

 

 

 

 

 

二人が出会った経緯は。
「赤い糸で結ばれていたんでしょうね」彰さんは多くを語りません。「友達に誘われて、行きたくもないのに出掛けた所で出会ったんです」と照れ笑い。
では、印象はどうでしたか。
「彼女は輝いてましたね」
「彼は、体格が良いから格闘技をしていると・・・」恵里さんは笑います。

 結婚を意識したのはいつ頃なんでしょう。
「僕の方は半年位で決めてましたよ」
「なんとなく流れじゃないでしょうか」
何か決定的なことがあったのではないですか。
「実は、ドライブで白木峰に行ったんですが、彼女が弁当を作ってくれてましてね、それがまだ温かかったんです。エビフライもハンバーグも・・・」
「朝から作りましたからね」
「それで、家庭的な女性だと思ったんです」
「今は、しっかり手抜きをしてますけど」
ふたりは顔を見つめ合って笑います。
では、プロポーズの言葉は。
「特に・・・」
おや、肝心なことは秘密ですか。

 ところで店は開店したばかりですね。
「もう、12年前から計画してたんですが」
「なかなか良い場所もなく、慌ただしかったから」
これまでは製造だけだったのに、販売を始めたのはどうしてなんですか。
「日本のコーヒーは長崎が発祥の地ですし、もっと広めて行きたいと思いましてね」彰さんは真顔。
これからの夢は何でしょうか。
「ゆっくりした時間が欲しいですね」
「彼は歴史が好きだから、史跡巡りの旅とか」

 

 

yoroshiku_78_02.fwコーヒーは、保管の仕方、挽き方、抽出法など
の影響で、同じ物は二度と飲めないと言います。
何だか人生に似てますね。ところで、プロポー
ズの言葉は。
「まあ・・・、率直に“結婚しよう”って」
彰さんは大いに照れて言いました。やはり、告
白とコーヒーはストレートが基本なんですね。

 

 

2011年11月vol.85 「よろしく先輩78」

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関根志朗・めぐみご夫妻

「こだえらんねー」

関根 志朗・めぐみご夫妻 長崎市在住

yoroshiku_77.fwアウロラをご存じですか。英語の堪能な方ならお解りでしょうが、そうでない皆さんは頭を抱え込むかも知れませんね。でも、日本語の発音にすればどなたも頷かれるでしょう。“オーロラ”のことなんです。ほんの少しでも発音が変わると、言葉は意外に解りにくいことがあります。

 

 

 

 

 

志朗さんは、もともと茨城新聞社の営業マン。めぐみさんは長崎新聞社。遠く離れた地に住む二人がどうして知り合ったんでしょうか。
「全国の新聞社に勤める若手の合同研修が、大阪でありましてね。僕の誕生日、2月13日に」
「その時、座敷の同じテーブルで、たまたま彼の隣に座ったんです」
「翌日はバレンタインデーでしょ。すると彼女がチョコレートをくれたんです。これは気があるなと」
「とんでもない。皆で食べるために持って行っただけなんです。他意なんてありませんでしたよ」
「何だ、僕の勘違いだったのか」
「そうよ。それなのに、ホワイトデーには茨城から、イチゴが届いたんです。それも品種が“ひとめぼれ”なんです。これは気があるんだろうなと思いました」
「ああ、それは偶然だよ。他人任せで送ったから」
「あれ、私の勘違いだったのね」
その後は、インターネットで頻繁にメールの交換。まだ携帯のメールはありませんでしたから。
「あとは、月に一度、東京で会ったり、互いを訪ねたり・・・。5月には彼女の家に・・・行ったよな」
「8月には私が茨城の家に行ったし・・・ね」
旅費もかなり掛かったでしょうね。
「交通費が、毎月10万円ほど掛かってたよな」
「お互いにね。だから、それほどの価値があるかどうか、よく話し合ったよね」
「価値観の擦り合わせをね、したよな」
「志を同じにするべきよね」
「次の世代の子どもたちが、日本に生れてよかったと思える社会を作っていきたいよね」
「そうよね・・・」

 

 

yoroshiku_77_02.fwさて、目的地に着いたサンチャゴ少年。近付い
て来た男達に教えられた宝の在り処は、羊飼い
と羊の眠る古い教会にある一本のイチヂクの木
の根元でした。そこは、サンチャゴ少年が旅立
った場所でした。宝物とは、彼が経験した様々
な出来事のことだったのです。
遺伝学者の太田朋子の言によれば、「人は出会
いによって作られ、能力を引き出される」とか。
あなたの素敵な人もイチヂクの木の根元にいる
のかも。

 

 

2011年10月vol.84 「よろしく先輩77」

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梅本雄史・和子ご夫妻

「宝の在り処」

梅本 雄史・和子ご夫妻 長崎市在住

yoroshiku_76.fw羊飼いの少年サンチャゴは、アンダルシアからエジプトのピラミッドまで旅に出ます。彼を待つ宝物が隠されているという夢を信じて。
そして、漸く辿り着いた時、少年に近付いて来た男達が言いました。
「宝物の在る所に、お前の心も在る」と。

 

 

 

 

 

紹介で知り合ったそうですが第一印象は。
「彼女は真面目そうで、おとなしい感じでした」
「彼はとても優しそうに見えました」
どんな交際でしたか。
「始めの二、三か月は、月に一回か二週間に一回程度で会ってました」
「その後は、毎週。多い時は週に二、三回ね」
「ドライブが中心でしたけど、僕はペーパードライバーでしたから、運転は主に彼女がしてましたよ」
「今は慣れて、会社の車も運転してるようですが」
結婚を意識し始めたのは、いつ頃でしたか。
「知り合って二週間くらい後に彼女は誕生日だったんです」
「その時に、お花とハンカチを贈られました」
「結婚しようって言葉も添えてね」
十一月にお互いの両親に紹介して、翌年の七月には結婚。知り合って一年も経ってませんね。
「家族に対する考え方が共通でしたし・・・」
「一緒にいて楽しかったし、なんだか昔から知ってる人みたいな感覚でしたね」
なるほど、相性が良かったんですね。
「趣味はまったく違いますけど」
「彼はロックバンドでドラムを叩いたり、ピアノを弾いたりしますが、私は家の中で本を読んだり、図書館に行ったり、静かに過ごすのが好きですね」
喧嘩になったりしませんか。
「彼女は色々と言いますが、こっちは聞き流して」
「だから喧嘩にならないんです。こんな人が身近にいたなんて、不思議です」

 

 

yoroshiku_76_02.fwさて、目的地に着いたサンチャゴ少年。近付い
て来た男達に教えられた宝の在り処は、羊飼い
と羊の眠る古い教会にある一本のイチヂクの木
の根元でした。そこは、サンチャゴ少年が旅立
った場所でした。宝物とは、彼が経験した様々
な出来事のことだったのです。
遺伝学者の太田朋子の言によれば、「人は出会
いによって作られ、能力を引き出される」とか。
あなたの素敵な人もイチヂクの木の根元にいるのかも。

 

 

2011年9月vol.83 「よろしく先輩76」

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吉田龍雄・稔子ご夫妻

「二人禅」

吉田龍雄・稔子ご夫妻 長崎市在住

yoroshiku_75.fwZAZEN is my best dance.
ずっと以前、テレビの英会話を見ていると、日本で体験して座禅に魅せられた白人女性が、こう表現していました。静と動の対照的な世界ですから、不思議な比喩ではありませんか。

 

 

 

 

 

知り合ったのはどこなんでしょうか。
「男ですからね、不純な動機でダンスを始めたんですが、そこに彼女が通って来るようになって」
「私は痩せたい一心で、友達と行ってたんです」
「ちょうど競技ダンスに魅せられた頃でした」
「主人は私より二年ほど早くからしてまして、とても旨く見えたものですから、教えてもらおうと」
お互いの印象はどうでしたか。
「どちらもグループでしたから、まあ何となく」
「私も上手になりたいってだけで・・・」
なるほど、そのあたりの事情は詳細には聞けませんね。
どんなデートだったんでしょう。
「とにかくダンスですよ。グループ交際ですね」
「練習が終わってから友人達と一緒に食事したり」
「ダンスがデートで」「その前後がデートかしら」
そこまで没頭する競技ダンスの魅力は何なのですか。
「私達はアマチュアですが、級がありましてね。やるからには勝ちたい、優勝したいですから」
「負けたり、休んだりすると級は下がるんです」
まるで大相撲みたいですね。
「昔は空調なんてありませんから、汗まみれで」
「勝ちたいですからね。そう言えば大相撲ですね」
二人は穏やかに笑います。

稔子さんは子育てや仕事でブランクがあったとか。
「そうですね。主人も仕事の関係で競技に出なくなった時期があります。それで私が定年したのを機会に、再チャレンジをしようと」
「やはり競技ダンスは最高ですよ。健康にもいいし」
「だけどダンスをすると喧嘩が絶えませんよ」
「そうだな。タイミングが合わなかったり、ふらついたりすると勝てませんからね。互いに譲らないんですよ」
「でも、そうやっていくうちに一体感が出るんです」

 

 

yoroshiku_75_02.fw二人の表情を見ていますと、そう、座禅をした
後のような穏やかさが伝わって来ます。もしも
ペアで踊るダンスを漢字にすると、二人で踊り
ながら悟りを開く座禅のような表記になるのか
もしれませんね。テレビで見た白人女性の言葉
が理解できそうですよ。

 

 

2006年3月vol.17 「よろしく先輩10」

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蘇栄忠・和恵ご夫妻

「愛の炎」

蘇 栄忠・和恵ご夫妻 平和樓

yoroshiku_74.fw“医食同源”と言いますと、多くの人が古くからある中国語だと思っているようですが、実はこれ日本語なんです。四十年ほど前に、臨床医だった新居裕久氏がNHKの料理番組で使った造語。温州ミカンの故郷は中国なのに、突然変異で違った果実になって原産地が鹿児島県の長島とされたのに似てますね。

 

 

 

 

 

二人が知り合った経緯を教えて下さい。
「僕は大学を出てすぐに、福岡の同名店の“平和樓”で修行をしていたんですが、その頃ふらりと食事で立ち寄った店に彼女がいたんです」
「両親同士が知り合いだったんですけどね」
第一印象はお互いにどうでしたか。
「とにかく彼女は綺麗でした。いきなり結婚したいと思ったほどですよ」二人は見つめ合います。
「育った環境が似てましたし、金銭感覚や嗜好も同じで、アットホームな雰囲気を持ってましたね」和恵さんはリスのような目をして話します。

どんなデートをしていましたか。
「食べ歩きをしてましたよ」と栄忠さん。
「将来は二人でお店をするつもりでしたからね」
「総てが、その事に繫ってたんです」
「食べて、学んで・・・、修行ですね」
長崎で三代続く平和樓と言えば、知る人ぞ知るギョーザの名店ですが、他に何か拘りはありますか。
「僕は、タンタン麺を極めたいですね。修行時代から味を追求して来ましたし、自信はありますが」
「それと食材ですね。地元の物を使って、手作り」

余談ですが、栄忠さんの得意とするタンタン麺も、実は日本生まれの料理なんですね。
中華の鉄人として知られる陳健一さんの父、陳健民さんが考案したのだそうです。四川省には古くからありますが、これはスープの無い物だとか。

 

 

yoroshiku_74_02.fw学生時代に剣道をしていた栄忠さんは、一見す
ると強持てタイプなのですが、「酒が苦手で子
煩悩な人ですよ」と、和恵さんは言います。そ
の和恵さんは、学校を出て暫く保母をしていた
そうで、「今でも子供の様子を見ると微妙な変
化を読み取れる」のだと栄忠さんは感心します
。そんな二人を眺めていると、まるで、タンタ
ン麺を作る強火とギョーザを焼く弱火の関係み
たいですよ。さすがに夫婦間の火加減もプロで
すね。

 

 

2011年7月vol.81 「よろしく先輩74」

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宮本明雄・敬子ご夫妻

「ここに幸あり」

宮本 明雄・敬子 ご夫妻 諫早市長

yoroshiku_73.fw諫早の“市の木”は肥前眞弓。種類は多少異なるかもしれませんが、ニシキギ科の眞弓は古くから弓の素材だったとされます。そのせいでしょうか、眞弓は弓の美称でもあります。

 

 

 

 

 

まず、知り合った経緯を教えて下さい。
「私は弓道をしていたのですが、後輩を指導するために高校の弓道部に出向いていて、そこで知り合ったんですよ」眼鏡の奥で目を細めて明雄さん。実家が諫早神社の宮司ですから、神事との関係で始めたのでしょうが、敬子さんはなぜ弓道を。
「私は不器用で運動が苦手でしたから、弓ならあまり動かないでいいだろうと思いまして」

 七つ違いの先輩と後輩。その後の交際は。
「年に二、三回くらいグループで付き合ってました」
「スキーにも行きましたね」
 穏やかな声で敬子さん。結婚を意識し始めたのはいつ頃だったのでしょう。
「私が二十八、彼女が二十一の頃でした」
 何か切っ掛けがあったんですか。私の父が司法書士で、そのお手伝いで市役所に出入りしてましたから・・・」と敬子さん。「まあ、ごく自然にね」明雄さんは照れ笑い。

 お互いの性格は似ているんでしょうか。
「いや、まったく正反対でしょうね。私は計画好きで、外に出るのが好きですが・・・」と明雄さん。
「苦手ですね、私は。それに出不精なんです」
明雄さんは日曜大工が好きで、かなりのレベルだと敬子さんは話します。そして「私は不器用で」と謙遜。
「でも、神社の仕事や、両親の介護では彼女の頑張りに感謝していますよ。大変なのに、よく頑張ってくれて・・・」明雄さんは言葉を噛み締めるように敬子さんを称えます。

 

 

yoroshiku_73_02.fwところで、弓矢のことを、古くは幸(サチ)と呼ん
だそうです。獲物が捕れるのですからね。そして
更に、“幸”の字は“短命の逆”つまり長寿を表しま
す。食べ物に恵まれて長生きできるのなら、文
字通りに“しあわせ”ですよね。二人の様子を窺
ってますと、なんだか敬子さんが弓で、明雄さん
が矢のような関係のように思えます。力を合わ
せ、心を寄せ合う二人の先には、どんな的がある
のでしょうか。因みに“的”は、これまた古くは“い
くは”と読み、弓と矢を表すのだそうです。二人
の目標は、きっと“二人らしさ”なのでしょうね。

 

 

2011年6月vol.80 「よろしく先輩73」

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市原浩一郎・ゆかり
ご夫妻

「風薫る」

市原 浩一郎・ゆかり ご夫妻 長崎かゞみや おかみ

yoroshiku_72.fw主人公がマドレーヌを紅茶に浸し、その香りをきっかけに幼年時代を思い出す・・・。プルーストの“失われた時を求めて”の一節です。このことから、或る匂いによって古い記憶が甦る現象を“プルースト効果”と言うのだそうです。

 

 

 

 

 

二人は何処で知り合ったんですか。
「僕がサラリーマン時代に赴任していた福岡で」
「私はイベント会社に勤めていたんですが、彼の会社との関係で合コンがありまして」
そこで意気投合したんですね。
「実は、二人だけが取り残された恰好だったんです」
「それで、私は旅の話をしたんです。それまで東南アジアを中心にバッグパッカーをしたりしてましたから」ゆかりさんは牡丹みたいに微笑みます。
「僕も、近い所ですが旅が好きでしたから。彼女の話に吸い込まれたんですよ」浩一郎さんも笑います。

 そんな二人が“宿とアンティークキモノ”を始めたのは何故でしょう。
「知り合って八か月で、僕が愛媛に転勤になって」
「私は、仕事を辞めてついて行ったんです。だけど専業主婦はつまらなくて、ある日、昔着物の試着体験に出掛けたら、そのまま虜になってしまって」
「二度目は僕も行ったんですが、やはり同じように魅せられてしまいましてね」
「私は、いつか昔着物に関わる仕事がしたいと思うようになり、昨年、思い切って開業したんです」
「僕も、もともとサラリーマンを続けて行くつもりはありませんでしたし、そのことは結婚するときに彼女には話してましたから、あとはトントン拍子で」

 これからの夢はありますか。
「僕は長期間インドを旅したいですね」
「私も、ずっと旅をしていませんから、一緒にね」
「そのためには、スタッフを充実させて」
「そう、暫く留守ができるようにならないと」

 

 

yoroshiku_72_02.fw旅の楽しみは、色々な人たちとの出会いだと口
を揃えます。今は、訪れるお客さんとの出会い
を楽しんでいますが、やがて、新しい出会いを
求めて出掛ける日が来ることでしょう。
 爽やかな五月の風は、二人に旅の香りを運ん
でいるのかもしれませんね。
 誰ですか、着物に足袋(旅)は付き物だなんて
言ってるのは・・・。

 

 

2011年5月vol.79 「よろしく先輩72」

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向浩二・ナターシャ
ご夫妻

「心と心が出会う時」

向 浩二・ナターシャ ご夫妻 長崎市在住

yoroshiku_71.fwグラズノフの管弦楽曲に“君が代の主題によるパラフレーズ”があります。1900年のパリ万博で初演されたのだそうですが、その翌年の万博で人気を得たのが、同じくロシアのマトリョーシカ。これは箱根の“入れ子人形”の影響を受けたとの説があります。どちらも、民族を越えた不思議な出会いを感じさせられますね。

 

 

 

 

 

長崎生まれの浩二さんと、ハバロフスク出身のナターシャさん。知り合った経緯は何ですか。
「僕が、外国人との交流パーティーに参加している時に出会ったんです」
「わたしは、長崎大学などでドクター達の通訳をしていました」
その頃、浩二さんは船に乗っていたとか。
「タンカーの船長をしていました」
「わたしは、ハバロフスクに帰ったんです」
それでも結ばれたのは何故でしょうか。
「船に乗っていると一緒に過ごせませんから、僕が陸に上がったんです」
「そして、わたしも日本に戻りたくなって・・・」
なるほど、あとは聞くまでもありませんね。
 でも、食べ物や習慣の違いなどの壁があったのでは。
「いいえ。ナターシャは見た目はロシア人ですが、中身は日本人よりもっと日本的な女性なんです」
「子供の頃、父の知人から日本土産を貰ったりしていて、日本が気に入ってましたから・・・。和食も大好きです」白い笑顔でナターシャさん。
では、結婚に際しても何も問題はなかったんですね。
「ええ。僕の父がナターシャをすごく気に入ってくれましてね。むしろ背中を押されたくらいですよ」
「浩二さんは、とても優しい人ですし安心でした」
これからの夢はありますか。
「僕はサッカーが好きなんですが、子供たちに外国のDNAが入ったから、プロのサッカー選手にしたいですね」
「わたしは、皆で仲良く過ごせたら幸せです」

 

 

yoroshiku_71_02.fw取材を終えて、車窓から手を振ると、ナターシ
ャさんは軽く会釈を返しました。まるで和服の
女性みたいに・・・。マトリョーシカの中身が、
次第に日本人形に変わっていくような印象でした。
 言葉の壁は、完全に払拭されているわけではな
いそうですが、二人は理屈を越えた世界で愛を育
んでいるんですね。

 

 

2011年4月vol.78 「よろしく先輩71」

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松尾五郎・あいご夫妻

「楽園」

松尾 五郎・あいご夫妻 マグロ漁師 壱岐市在住

yoroshiku_70.fw“蠅が多くなると、マオリ人は皆それをよろこんでいた。マグロが来るからだ。子供も女達も三週間かけて、椰子の葉の網を使って珊瑚礁で餌の魚を捕る”画家ポール・ゴーギャンは、二年余り滞在したタヒチでの暮らしを紀行文『ノア・ノア』に書いている。彼自身も、島人と共に二匹のマグロを釣り上げた。

 

 

 

 

 

「先ず、餌のイカを捕るんです。それからマグロを狙うんですよ」
漁の話になると、五郎さんの目は輝きます。一般に漁師の人達は、先を競い情報も秘密にするのが普通だと聞きますが、五郎さんは誰にでも話すそうです。
「生きているのは自分だけじゃないですからね」
さて、そんな五郎さんとあいさんはどこで知り合ったんですか。
「高校の同級生だったんです」
「私は芦辺町で、主人はここ勝本でしたけど」
お互いに、どんな生徒だったのでしょうか。
「僕は野球をやってましたね」
「私はバレーを」

 交際を始めた頃のエピソードは、二人とも見つめ合うだけで多くを語ろうとしません。でも、大方の推察は出来ますよ。すらりと背の高い五郎さん、対照的に小柄だけど、その名の通り何とも愛らしいあいさん。当時から、傍目にも似合いのカップルだったことでしょう。

「高校を卒業して、僕は遠洋に三年出てました」
「私も福岡に二年ほどいて島に戻りました。主人との約束でしたから・・・」

 夜中に漁をする五郎さんと、昼間ヘルパーをしているあいさん。すれ違いが多いのではありませんか。
「シケや天候の関係で、漁は一年の約半分くらいですから、それほど問題はありませんね」
「だから、主人は子供の面倒をよく見てくれます」
「結婚して一番いいと思うのは子供がいること」
「そう。大変だけど子供が一番大切ですね」

 

 

yoroshiku_70_02.fw“さようなら、情け深き土地よ、心よき土地よ、
美と自由の国よ”
ゴーギャンは、タヒチを去る心境をこう綴って
います。壱岐の埠頭をフェリーで離れる時、ふ
と、この一文を思い出していました。毎年、卒
業生のうちで島に残るのは二、三人程度だそう
ですが、都会に出て行った若者たちには、いつ
までも壱岐は心の支え、素晴らしい島であるに
違いないでしょう。

 

 

2011年3月vol.77 「よろしく先輩70」

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中村広明・美紀ご夫妻

「海辺のふたり」

中村 広明・美紀ご夫妻 海カフェ オーナー

yoroshiku_69.fw満月と新月は正反対の天文現象です。地球が月と太陽に挟まれた時が満月、月を挟んだ時が新月ですから。でも、どちらも大潮になりますし、この場合、地球の裏側も同じ。この時に、南米アマゾン川では潮が押し寄せて上流に向かう“ポロロッカ”が起きるのは有名ですね。

 

 

 

 

 

広明さんと、三才年下の美紀さんは、学生時代に知り合ったのだそうです。
「僕は、それ以前にオーストラリアとハワイに留学してたんですが、結局は金が無くなりましてね、それで帰国してアルバイトをしてる時に、彼女と一緒だったんです。その頃から既に結婚は意識してましたよ」
「そう、自然に・・・」美紀さんも小声で応えます。
 でも、結婚までに八年間ありますね。
「まだ僕には経済力がありませんでしたから、結婚なんて彼女の親に失礼でしょ」
 その後、広明さんは商社に勤め、ダイヤモンドのバイヤーとして国内外を飛び回ったとか。
「福岡で新婚生活に入ったんですが・・・」
「暫くして、私の母が病気になりましたから・・・」

「それで僕が商社を辞めて、一緒に暮らすことにしたんです。家族は大切ですからね」
美紀さんの生活も大きく変わったんですね。
「ええ。いつも一緒に過ごせるようになりました」
「素敵なチビ達にも恵まれたし、家族で過ごせるって最高ですよ。アイ・ラブ・マイ・ファミリー」

 ところで、二人には共通の趣味があるとか。
「海が好きなんですよ。モルジブとかタイとか、よく出掛けましたね。僕はシュノーケルがしたくて」
「私は泳げませんから浜辺で過ごすだけですけど」
まるで正反対の楽しみ方なんですね。今も海に出掛けるんですか。
「男の子が三人いるんですが、まだ手がかかりますから、近くにしか行けませんね」
「でも、大きくなったら家族で行きたいわ」
「若い頃に二人で行ったタイの海にね」

 

 

yoroshiku_69_02.fw店の脇に小川があります。水は殆ど流れていま
せんが、先程、下流の暗渠に海水が満ちて来ま
した。それが、小一時間すると店の所まで昇っ
ています。この辺りが、埋め立て前の砂浜だっ
たようです。
そう言えば、この日は大潮。満潮に向かって、
海が二人の愛情のように押し寄せていますよ。

 

 

2011年2月vol.76 「よろしく先輩69」

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松本崇・文子ご夫妻

「ついてくるかい」

松本 崇・文子ご夫妻 大村市長

yoroshiku_68.fw笹百合は日本固有種。その名の通り葉は笹に似て、素人目には淡いピンクの花が咲くまでは笹と区別がつかないとか。新芽は鹿に、蕾は猿に食べられることが多く、自生しているものを庭に植え付けても育たないと言います。その上、環境も変化していますから、今や希少植物。

 

 

 

 

 

崇さんと文子さんは、共に再婚同士。過去の日々は括弧に入れて、知り合った経緯から伺いましょう。
「市長の座を離れている頃でした」
「私が真珠店で働いている時に、知人の紹介で」
初対面の印象はどうでしたか。
「彼女は純粋で、聞き上手な女性でしたね」
「主人は暗いイメージで、でも話すと純粋でした」
「それまでに色々あったから暗かったんだろうね」
「お互いに、そうだったのかもしれませんが」
「でも、カラオケ店で二人きりになった時に、結婚は六割ほど決めてましたよ」
「私の方から“毎日会って下さい”って言いました」
「何だか、青春時代に戻ったようだったね」
「それからは、よくテニスをしたり・・・」

 崇さんが六十才に近く、文子さんが五十才目前の時のことですから、素敵な出会いだったんですね。
「だけど、結婚して一年少しで難病に罹りましてね」
「主人が、多発性筋炎で足を悪くして・・・」
「まさに、一難去ってまた一難ですよ」
「お互い、花を咲かせては、また散って行く・・・」
文子さんは目を潤ませます。
それでも頑張って来た原動力は何なのでしょうか。
「結婚は価値観が大事なんですよ。それまでの人生で互いに苦労しましたから、理解し合えるんです」
「主人は発想が凄いんですよ。だから楽しいし」
「彼女は賢い人だから安心だし、再婚してなければ市長選にはもう出なかったでしょうね」

 

 

yoroshiku_68_02.fwためてゐし言葉のごとく百合ひらく(稲垣きくの)
笹百合の一茎一花の孤愁かな(吉野義子)
崇さんの言葉を聞き、文子さんの表情を見ています
と、そんな句を彷彿とさせます。
「これからの人生、まだまだいろんな事があるでし
ょうが、これまでの事を思えば乗り越えられますよ」
「そうね、頑張って行けますよ」

 

 

 

 

今回の表題は、ご存知、小林旭の歌。初めて会った日にカラオケで崇さんが文子さんに贈った曲なんです。今も二人の心にこの歌詞が流れているんですね。

 

 

2011年1月vol.75 「よろしく先輩68」

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野元博幸・和美ご夫妻

「メロン日和」

野元 博幸・和美ご夫妻 壱岐市在住

yoroshiku_67.fw“物言わぬは腹膨るる業なり”とは、古文で馴染みの言葉ですね。我慢をすると文字通り“腹が立つ”ことになりますので、適度なガス抜きは必要です。堪忍袋の緒が切れて爆発してしまえば、元も子もありませんから。

 

 

 

 

 

和美さんは小浜出身だそうですが、博幸さんとはどのようにして知り合ったんですか。
「私が、或る企業に実家から通っている時でした」
「僕は農大を出て、小浜の農協に勤めてまして」
 でも、接点がありませんね。
「主人と共通の友達がいまして・・・」
「グループで付き合って行くうちに・・・」
 それが、二人だけの交際に発展したんですね。
「主人は優しい人でしたし」
「彼女は明るい、しっかり者で」
 そんな二人が壱岐でメロン農家を営んでいるのは。
「僕が跡取り息子ですから実家を継いだんです」
和美さんは農家の嫁になることに抵抗感は。
「いいえ。私の実家も農家ですから」
 仕事柄、いつも一緒なんでしょうね。
「ええ。目を開けて、閉じるまで一緒です」
和美さんはメロンの花のように笑います。
 喧嘩はしないんですか。
「些細な事なら毎日ですよ」と博幸さん。
「でも、仕事は両親を含め役割分担をしてますし、年に一回は親子別々ですが、旅行に行くように決めて、気持ちの切替えを心掛けているんです」和美さんは応えます。そして、「この仕事は楽ではありませんので、どこかで区切りをつけないとやって行けませんもの」
 明るく、でもしっかりとした口調で続けました。

 

 

yoroshiku_67_02.fwネット系のメロンは、成長過程で果肉が果皮よ
り大きくなろうとしてヒビ割れて来ます。それ
を塞ごうとして出来たコルク層がネットになる
のだそうです。その都度に旨く修復しているん
ですね。
 何だか最良の夫婦関係、そう、温和で優しい
博幸さんと、明るくてしっかり者の和美さんに
似ています。ハウスの中では、二人が両親と共
に丹精を込めたメロンが収穫期を迎えていまし
た。空は穏やかに晴れ渡り、心身共に清々しい
ひととき。思わず伸びをしてしまいました。

 

 

2010年12月vol.74 「よろしく先輩67」

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鈴木章悟・みゆきご夫妻

「塩のように好き」

鈴木 章悟・みゆきご夫妻 長崎市在住

yoroshiku_66.fw三人の娘を持つ王様がいました。ある時、王様は「私のことをどれだけ好きか」と三人に尋ねました。長女は「私の命ほど」と応え、次女は「宝物以上」と。そして三女は「塩のように」と言いました。すると王様は「何だと、お前はワシを塩ほどにしか好きではないのか」と怒り、末の王女を追放しました。

 

 

 

 

 

二人が出会ったのは佐世保だそうですが。
「仕事で住んでいた時に」
「私は幼稚園に勤めてました」
では、仕事関係ではないんですね。
「異業種交流のイベントで知り合ったんです」
「そのイベントや活動をこなしていくにつれて一緒の時間が増えていったんです」
お互いに、どんな印象でしたか。
「一緒にいてたのしいなあ、くらい」と、章悟さん。
「主人は良く話しますし、年上に見えましたけど」
結婚を意識したのは、いつ頃、何が決め手でしたか。
「特に・・・何もなかったですね」ここでも章悟さんは淡々と話します。
「しっかりした人だと思いましたから、・・・」
二人の会話は自然なまま。
でも、結婚するまでに二年も経ってませんね。
「長崎に転勤が決まりまして、それを機に」
「両親にも既に紹介していましたから、いい機会かなと思って」
「もし、転勤話が無かったら、もう少し先に延ばしていたんでしょうけど・・・」章悟さんはやはり淡々と言います。
 性格は、お互いにどう受け止めているんでしょう。
「たまに細かくいろいろ言われるんですよ」
「主人は逆に、大雑把で積極的ですね」
「だけど、最終的には奥さん任せですけどね」
 これからはどんな人生を歩みたいのでしょう。
「家族や周りを楽しませられるようにがんばりたい」
「家庭を大切に」
「つまり、今のままだね」

 

 

yoroshiku_66_02.fwさて、追放された王女は、或る国の王子と結婚。
披露宴には、自分の娘とは知らずに招かれた父
の王様の姿も。誰もが美味しそうに料理を食べ
ていますが、王様にはちっとも美味しくありま
せん。王女がわざと塩を入れてなかったのです。
そこで王様は三女が言った“塩のように”の意味
を悟ったのでした。平凡だけど無くてはならな
いもの。スペインの昔話は、真の愛をこのよう
に教えているのです。

 

 

2010年11月vol.73 「よろしく先輩66」

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川良武徳・智笑ご夫妻

「いつまでも」

川良 武徳・智笑ご夫妻 かわら畳店 代表

yoroshiku_65.fw“女房と畳は新しい方がいい”などと申しますと、“こっちだって新しい亭主の方がいいわよ”と応酬されることがあります。でも、これは“古いものはダメ”という意味ではなく、いつまでも新鮮であって欲しいとの願いを込めた言葉だそうです。意外に誤解されてるんですね。

 

 

 

 

 

ああ、申し遅れました。私は川良家で大切に保管されておりますオート三輪でございます。主人の武徳さんは42歳、奥さんの智笑(ちえみ)さんが39歳。本日は、私が最後に活躍していた昭和40年代半ばに生まれた二人の馴れ初めなどをお話し致しましょう。
 武徳さんは三代目なのですが、高校卒業と同時に、特に跡取りになるつもりもなく、京都に修業に出ました。
「ところが、次第に仕事が面白くなりましてね、7年後に実家を手伝うようになったんです」
そんな折り、知人から紹介されたのが智笑さん。
「彼女とは学生時代のアルバイト仲間だったんですよ。私が大村に勤めている時でした」
それから2年後に、取り敢えず入籍。
「父が病弱でしたから急いだんです。でも、その後あっと言うまもなく亡くなりました」
ですから結婚式を挙げたのは、さらに1年後でした。
「父とは仕事のやり方で、何度も言い争いましたけど、一緒に働いたのは僅かの間でしたね」
お互いに職人気質ですから、無理もありませんが。

智笑さんも、その点について語ります。
「主人は偏屈で、人付き合いも苦手。趣味らしいものもなくて、家にいるのが好きなんですよ。古い物ばかり集めて楽しんでますけど・・・」
「古い物って、ほのぼのとしていいですよね」
そう、ここには懐かしいラジオや品物が数多く置いてあるんです。
「そのせいか、主人は子供っぽくなって来ました。だから私がいないと、この人は溶けちゃいますよ。仕事以外は何も出来ないんですから」

 

 

yoroshiku_65_02.fwでもね皆さん、ここだけの話ですが、独身時代
の武徳さんは、何かと託つけて大村の智笑さん
のもとに頻繁に通い詰めていたんですよ。智笑
さんがいつまでも初々しく、そして古い私が今
もピカピカなのは、あの頃と変わることのない
慈愛に満ちた武徳さんのお陰なんです。有り難
いことですよ。女房と畳とオート三輪は、新し
い方がいいですものね。

 

 

2010年10月vol.72 「よろしく先輩65」

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大堀哲・富子ご夫妻

「生きる」

大堀 哲・富子ご夫妻 長崎歴史文化博物館館長

yoroshiku_64.fw海底火山が噴火して小さな島が誕生します。溶岩の燻る不毛な世界。でも時が経つと、黒い岩肌のあちこちで緑が生えているのを見掛けます。地球のエネルギーの偉大さは素より、植物の生命力には驚嘆するばかりです。種子は遥か遠い陸地を離れ、風や鳥に運ばれて来るのでしょうから・・・。

 

 

 

 

 

哲さんは福島県会津の出身。富子さんは東京生まれで千葉育ち。
お見合い結婚だそうですが、第一印象はどうだったのでしょうか。
「この人は洗練された人でしたね」
「主人は東北訛りが凄かったんです」
それから僅か半年で結婚。早かったんですね。
「お互いに身上は解ってますから。私は当時、猪苗代に設置された文部省の青少年教育施設に勤務しており、この人は東京で通訳をしてたんです。見合い写真を見た時から決めてました」
「あら、初耳ですねそれは。私は主人が農村の若い人を集めて作った吹奏楽団の演奏会に誘われ、主人が指揮するのを見た時に決めました」
哲さんはその後、教育研究のためイタリアへ、家族ともども3年間滞在。帰国後、国立科学博物館勤務、各地の国立大学で教鞭を執り、定年後には茨城の私立大学学長、そしてそれまで考えたこともなかった長崎へ。あちこちを転々としたんですね。
「イタリアでの生活を含めると13回引っ越しました」富子さんは虹のように笑います。
長崎の印象はどうですか。
「人も食べ物もイタリアに似てますね。」
「そう、人は優しくて、食べ物は美味しくて」
哲さんは博物館の仕事を中心に、富子さんは数々のボランティアを通じて長崎の地に広く深く根を張り巡らせつつあります。
「様々な人と関係を作るって大切な事なんですよ」
「そうね。それを通して親が結婚の良さを醸し出すと、子供たちも自然に結婚していくんですよね」

 

 

yoroshiku_64_02.fw明治21年に会津磐梯山が水蒸気爆発。長瀬川
が塞き止められて、五色沼などの湖沼群が形成
されました。
哲さんの優しげな、それでいて気骨の漂う笑顔。
きっと、富子さんと出会って“水蒸気爆発”をした
のに違いありませんよ。そしてそのお陰で、富
子さんの“五色沼”のように美しい笑顔が生まれた
んでしょうね。

 

 

2010年9月vol.71 「よろしく先輩64」

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船橋修一・佐知子ご夫妻

「出会い記念日」

船橋 修一・佐知子ご夫妻 九州教具株式会社 代表取締役社長

yoroshiku_63.fw“一目惚れ”に関する研究があるそうです。原因は、大まかに別けて二つ。先ず、容姿が似ている人。親近感を持ちます、似た者同士ですね。もう一つは、生物学的解釈で、細菌やウイルスに対する防衛遺伝子の型が正反対の場合。この方が子孫を残しやすいからではないかと言います。つまり異質な人です。

 

 

 

 

 

「私とこの人は、まったく正反対の性格なんです」
開口一番、修一さんはそう話します。
「主人は“切替え型”ですから、仕事と趣味のバイクを旨く別けていますよ。それに、何事も無計画で行動に移すタイプなんです」そう話す佐知子さんは、総務・経理の仕事柄か、計画的なのだとか。これまでに修一さんのバイクに乗ったのも一、二度くらいで、普段は短歌の本を読む程度の室内型だそうです。

 そんな二人が、どんな経緯で知り合ったんですか。
すると、その質問には私が応えますと、佐知子さんが身を乗り出しました。
「私は大学を出て、ある会計事務所に就職したんです。4月1日に初出勤。その翌日に、経理の杜撰な会社があるから貴女が担当しなさいと言われて、上司に連れて行かれたのが、主人の経営するモータースポーツウエアの販売店だったんです」
お互いの印象はどうでしたか。
「いきなり主人から“君は僕と結婚するよ”って言われましたよ」
一目惚れですね、修一さん。
「まあ、そうでしょうが、直感がしたんですね」
「私も、帰りのJRの中で“この人とは一生の友人になれる”と思いましたよ」
生まれも育った環境も大きく異なる二人。それでも「良きビジネスパートナーなんですよ」と修一さんは言い、佐知子さんも「お互いに尊重し合えるように努力してます」と、大人の顔を覗かせます。

 

 

yoroshiku_63_02.fw二人とも仕事が多忙で、結婚記念日を忘れてい
ることがよくあるそうですが、でも、“4月2日”
だけは忘れたことがないと言います。よほど強烈
な印象だったんでしょうね。
それにしても、その時に、二人の防衛遺伝子同士
が正反対であることに反応したんでしょうかね。
男と女の摩訶不思議な一面を垣間見た思いがしま
した。

 

 

2010年8月vol.70 「よろしく先輩63」

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橋口明敏・純子ご夫妻

「生命の水」

橋口 明敏・純子ご夫妻 五島市役所職員

yoroshiku_62.fwギルガメシュ叙事詩などによりますと、ワインやビールなどの酒は紀元前4、5千年前からあったようです。飲み方によって毒にも薬にもなりますけど、
日本では漢書にある“酒は百薬の長”が有名ですね。
でも、意外に知られていないのが後半部の、“されど万病の元”です。もちろん、酒好きな人には前半だけでいいんでしょうけどね。

 

 

 

 

 

二人は、中学校の同級生だったそうですね。
「ええ、彼女は優しい感じの人でした」明敏さんは無表情に話します。
「私には、ワンマンみたいな印象が強かったかな」
純子さんは、対象的に終始笑顔。
では、その頃からずっと交際を続けてたんですね。
「そうでもないんですが・・・」
「たまに会うくらいでしたけど・・・」
違う高校を出て明敏さんは四年制の大学へ、純子さんは短大に進学。離れ離れではないですか。
「同窓会なんかで何度も再会はしましたけど」
「それで、二次会、三次会と進んで、結局は最後には私たちだけになるんです。いつも・・・」純子さんは口許を両手で覆って笑いました。
つまり、二人とも酒が強いんですね。
そこから結婚への経緯は。
「私は、四年間の大学在学中に相次いで両親を亡くしましてね、しかも卒業して福江に戻っても就職が決まらずに、一年間ほどフリーの時がありまして」
「私の方は短大ですから彼より二年早く福江に戻って、しかも両親の営む衣料品店で働いてましたので、何だか気の毒で、彼のお世話をするようになったんです」
「市役所に勤めが決まってからは、弁当を作ってくれたり、身の回りの事をしてくれたり・・・」
そして一年後に結婚。プロポーズの言葉は何ですか。
「いいえ、そんなのはありません。彼が市役所に入ったら結婚してくれると思ってましたし」純子さんは身を捩って笑います。
「価値観が同じでしたし、互いに解ってたんですよ」
ここでやっと明敏さんに笑顔。子供が生まれた頃からワンマンを卒業、優しくなったと純子さんが微笑みます。

 

 

yoroshiku_62_02.fw二人にとっては“酒は百薬の長”のままみたいで
すよ。きっと後半部は、“されど、恋愛病の元”
と続くんでしょうね。お互いを見詰め合う瞳は
、五島の海みたいに生き生きと澄んでますもの。
 
 

 
 
 

 

2010年7月vol.69 「よろしく先輩62

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田中栄一郎・真理ご夫妻

「道を拓く」

田中 栄一郎・真理ご夫妻 佐世保市在住

yoroshiku_61.fwイタリアのスキャパレリは、火星表面の筋模様をカナリ(溝)と名付けましたが、フランスの天文学者フラマリオンがカナル(運河)と誤訳してしまいました。溝は自然ですが、運河は人工的なものですから、人々の間では火星人がいると信じられるようになったといいます。今では他愛のないロマンですが、一言の重みを感じさせるエピソードですね。

 

 

 

 

 

栄一郎さんと真理さんは友達の紹介で知り合ったそうですが、お互いにどんな印象だったのでしょうか。
「彼女は優しそうな女性でした」
「私は、楽に付き合える感じでしたね」
「自然に・・・」「そう、自然体でいられた・・・」
主に、どんな所でデートしていたのでしょう。
「最初は出島ワーフでした」
「そうだったわね。あとは、雲仙とか小浜に・・・」
「食べ歩きをしてたね」二人は和やかに笑います。
プロポーズは、どちらからどんな風に。
すると、真理さんが応えました。
「付き合い始めて約一年経った私の誕生日に、婚約指輪をプレゼントに求めました」大きく笑います。
かなり大胆な一言ですね。
「でも・・・」と、栄一郎さんは言います。「こちらも気持ちは判ってましたからね、自然に」
結婚後、何かお互いの印象に変化はありますか。
「彼女は明るくなりましたよ」
「彼は特に変わりなく、思いやりがあって、おとなしいけどドッシリした、怒らない人のままですよ」
「お互いに無いものを持ち、補い合ってるんですね」
昨今は、二人と同じ世代で晩婚化、未婚化が進んでいるようですが、何かアドバイスはありますか。
「学歴とか収入とか・・・、理想が高すぎるのは良くないと思いますね。先ず、会ってみること」真理さんは言います。
「”個”を大切にし過ぎて、相手の中に入らず、こちらも近付こうとしないんですよ。もっと、一歩踏み込むことをしないといけませんよね」栄一郎さんが続けます。

 

 

yoroshiku_61_02.fw自然体であることは大切なのですが、やはり”こ
こ一番”の場面では意識的な言動、人工的な運河
も必要なんですね。
『開けゴマ!』と、願うだけでは道は拓けませ
んから。
 

 
 

 

2010年6月vol.68 「よろしく先輩61」

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辻松淳二・美幸ご夫妻

「桜便り」

辻松 淳二・美幸ご夫妻 佐世保市亜熱帯動植物園 獣医師

yoroshiku_60.fw春ですね。全国各地を桜前線が北上する季節。皆さんの今年のお花見はいかがでしたか。
 ああ、申し遅れてました。私は辻松桜と言います。淳二パパと美幸ママの間に生まれて、まだ三カ月の女の子。今日は私がお腹の中にいた頃から聞いていた、パパとママの馴れ初めをお話し致しましょうね。

 

 

 

 

 

パパは、東京生まれの神奈川育ち。北海道大学の獣医学部を出て、今ではすっかり有名になりました旭山動物園に勤務していました。でも、海外協力隊で働きたくて四年で退職。ところが協力隊員になれなくて、札幌の動物病院に勤めました。
 そこで働いていたのが、江別市出身の動物好きでトリマーをしていたママ。お互いに一目惚れと言う訳ではなかったようですが、それでもパパは可愛い女性だと思ったそうですし、ママも風変わりだけど自分に無いものを持った良い人だと思ったそうです。 そんなある時、パパはどうしても夢を諦めきれず、再び海外協力隊に応募。そして南米グアテマラに二年間の予定で派遣されました。知り合って間もないのですから、ママはちょっぴり不安だったようですが、メールの遣り取りで地球の裏側のパパと心を通わせていたそうですよ。
 帰国後、パパは千歳の動物病院に勤務。この時にママと結婚しました。そして四年ほど前に大牟田にやって来ました。そこでママは、去年の今頃に私を身籠もったのでした。突然のことでしたし、ちょうど桜の季節でしたから、この名前を付けたようですよ。

 佐世保に移り住んで、パパは佐世保市亜熱帯動植物園の獣医をしています。まだ半年なのですが、私はここで生まれましたから、佐世保っ子なんです。パパもママも佐世保の人達はとても穏やかで大好きだそうですから、私も嬉しい限りです。
 だから、いつまでもここで暮らせたら幸せなんですけど、パパは単に動物好きなだけではなく、人、特に子供たちと動物の触れ合うことに関わるのが目的なので、またいつか、どこかに移り住む日が来ることでしょうね。

 

 

yoroshiku_60_02.fw桜の花は、九州では三月中旬から咲き始め、マ
マの故郷辺りでは五月中旬頃に見頃を向かえま
す。いつの日か、私たちが佐世保を離れること
があっても、お花見の時には思い出して下さい
ね。パパもママも、もちろん私も、日本のどこ
にいても佐世保の皆さん、長崎の皆さんの暖か
い笑顔の花を忘れませんから。

 

 

2010年5月vol.67 「よろしく先輩60」

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下田智博・佐代子ご夫妻

「初めの一歩」

下田 智博・佐代子ご夫妻 シモダアメニティーサービス

yoroshiku_59.fw1968年、日本時間の7月21日未明に、アポロ11号の着陸船が月面に着陸。数時間後、アームストロング船長が人類初の足跡を残しました。日本の子供たちの多くが夏休みに入った日のことです。

 

 

 

 

 

二人が知り合ったのはいつですか。
「高校三年の時、隣のクラスに可愛い人がいましてね。思い切って声を掛けたんです」
と、智博さん。
「二学期が始まった九月一日でした」
智博さんは一目惚れのようですが、佐代子さんは。
「苦手なタイプの男子でしたね」
それでも交際が始まったのは何故なんでしょうか。
「ラグビー部のキャプテンであり、詩を作り、自費出版するなど多才な人だと解りましたから・・・」
こんな話をするのは照れますねと、二人は見つめ合います。でも、笑顔は制服姿の時のように新鮮です。
その後、智博さんは東京の大学に進学。暫くして佐代子さんも東京で働きはじめますが、
すれ違いに智博さんが卒業して長崎の銀行に就職。
「手紙のやり取りで付き合ってましたよ」
「長距離電話なんて、とても高い時代でしたから」
それでも、心変わりをせず二十四歳で結婚。
プロポーズの言葉は覚えていますか。
「特に何も言いませんでしたね」
「もう、自然の流れのままですよ」
と、佐代子さん。
 “2対7対1の法則”ですと、十人のうちの一人は相手を無条件に嫌うのだそうですが、
佐代子さんの心境が変化して結婚に至ったのは何故なんでしょうか。
「主人は、とても冷静ですし、自分に無い物を持っている人ですから。結婚ってそういうものですよね」  
 ストレス解消のため、佐代子さんは英語検定や漢字検定を受け、
ガーデニングの資格も取ったのだそうですが、さて、これからの二人の夢は何でしょうか。
「共通の趣味が魚釣りですから、現役引退して釣り三昧の生活がしたいですよ」
「船でタイ釣りにね・・・」
 ここでも、二人は若々しい笑顔で話します。

 

 

yoroshiku_59_02.fw世界中がアポロ11号の快挙に沸き立っている
頃、日本の片隅では若いカップルが誕生してい
たんですね。月面にあるアームストロング船長
たちの足跡は百万年経っても消えないと言いま
す。二人の、あの日の思い出も生涯消えること
は無いでしょう。夫婦の歴史の第一歩ですもの
ね。

 

 

2010年4月vol.66 「よろしく先輩59」

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山本啓文・麻衣子ご夫妻

「夢料理」

山本 啓文・麻衣子ご夫妻 Kitchen K-bun オーナー

yoroshiku_58.fw“誰もやったことがない仕事にこそ、やり甲斐がある”真珠の養殖に生涯をかけた御木本幸吉の言葉です。天然物が殆ど取り尽くされた時代に、世界中の女性の首を輝かせてみせると豪語し、見事に成功したのですから大変な努力家なんですね。

 

 

 

 

 

啓文さんは宇和島の出身だそうですが。
「ええ。大阪に出て行ったんですが、縁あって諫早の居酒屋で働くようになりまして」
 そこで麻衣子さんと知り合ったんですね。
「彼が働いている店でアルバイトをしてる時に」
 お互いにどんな印象でしたか。
「彼女は接客上手な、さばけた女性でした」
「周りに厳しい人が多い中で、彼は優しい人でした」
 それから長崎市内に移って来たのは、どうして。
「こちらの店の店長になったものですから」
 それで、麻衣子さんも一緒について来た訳ですね。
「いいえ。私は少し前から長崎で仕事をしてました」
「そのうち、同棲するようになったんです」
 二人は顔を見合わせてほほ笑みます。
「結婚することは決めてましたから」啓文さんは補足しました。

そして、一年半後の八月に結婚。十一月に独立開業。
 慌ただしい日々だったのではありませんか。
「何から何まで大変でしたね。今もですが・・・」
「でも、毎日が楽しくて私は幸せです」
「苦労を掛けて申し訳ないけどね」と啓文さん。
「私は苦労だなんて感じたことないですよ」麻衣子さんは、啓文さんの言葉を優しく包み込むように笑顔で応えます。

これからの夢は何ですか。
「やはり、男ですから、この店で頑張ることです」
「取り敢えず、三人で毎日を楽しくね」
 三人ですか。
「五月に出産予定なんですよ。守るものが増えますし、誰かの為になると思えば頑張れるんですね」
 家庭でも啓文さんは料理に精を出すのだとか。
「宇和島の実家から味噌などを取り寄せて、新しい創作料理の試作をするんです」と笑います。

 

 

yoroshiku_58_02.fw誰も作ったことのない料理は、麻衣子さんの味
覚にも支えられているんですね。お店が女性客
に人気があるのもうなづけます。
 カウンター上では、これも実家から取り寄せ
た真珠小物の販売もしています。そう言えば、
夢を語る二人の瞳も、真珠みたいに輝いていま
すよ。

 

 

2010年3月vol.65 「よろしく先輩58」

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沖中義明・祐子ご夫妻

「らんらん、ラン」

沖中 義明・祐子ご夫妻 長崎市在住

yoroshiku_57.fw”私たちはみな生まれながらのランナーであるが、多くの人はその事実に気づいていない”
 生物学者で自らもランナーであるベルンド・ハインリッチは、著書でそのように述べています。四十一歳で100キロ・マラソンに挑戦し、マスターズの世界記録も持つそうですが、チーターに瞬発力を、渡り鳥に持久力を、ラクダに水分の使い方を、カエルにペース配分を学んだと言います。

 

 

 

 

 

知り合ったのはどんな経緯からですか。
「職場の研修で知り合いました」と義明さん。祐子さんは元気のいいスポーティーな印象だったとか。
「私はスポーツが好きで、職場の陸上部に入って彼と走りました」祐子さんの目には真面目な男性として映ったそうです。
 結婚十五年だそうですが、今の世代では早いですね。
「私が二十五歳で彼女が二十一歳の時でした。病弱な父に言われて、早く決めたんです」
「価値観が一緒でしたから、何のためらいもなくね」
 プロポーズの言葉は覚えていますか。
「何だろう・・・、単に“結婚しよう”って」
「そう、私はその場で“はい”とだけ」
 さすがにランナー同士、話も早かったんですね。

 結婚して良かったと思うことは。
「子供が四人いますから、家族が増えて幸福です」
「そうね、私もやはり子供がいてくれるから・・・」
 これまでの生活を振り返って何か感想はありますか。
「私のわがままを許してくれますから感謝してます」
「主人が三年間ほど単身赴任した時、存在の大きさに気付きました。離れて初めて判るものですね」
祐子さんは目を潤ませます。

 

 

yoroshiku_57_02.fw今は、義明さんと子供たちが走り、祐子さんは
サポート役をしているそうですが、二人を、子
供たちを見ていますと、祐子さんは心の中で一
緒に伴走しているのが判りますよ。何だかハミ
ングが聞こえて来るようですもの。辛く厳しい
スポーツですが、家族揃って“生まれながらのラ
ンナー”なんですね。
 誰ですか、“その事実に気付きたくない”なんて
言ってるのは・・・。

 

 

2010年2月vol.64 「よろしく先輩57」

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前田稔・沙都ご夫妻

「恋は思案のほか」

前田 稔・沙都ご夫妻 株式会社 前田商会 代表取締役社長

yoroshiku_56.fw物の価値はどのようにして決まるのでしょう。定価は生産コストなどから計算されますが、抽象的な物や美術・工芸品、あるいはアンティーク、ヴィンテージ、ブランド物となりますと素人には想像すらつきませんね。
 では、参考までに専門家に尋ねてみましょう。

 

 

 

 

 

「ブランド物は本物を見て勉強することですね。表面的なことだけでなく、仕上げ方や裏側等一見、見にくい所を丁寧に見ることです。これは人を観察するのと同じですね」
稔さんは、仕事口調で熱弁します。
ところで、二人はお見合い結婚だそうですね。
「父の友人から紹介を受けたんです」
「十二月にお見合いをして、翌年の四月に結婚しました。今年で二十年になります」
沙都さんは、しっとりとした笑顔で話します。
印象はどうでしたか。
「彼女は明るくて、いい人だと思いました」
「私は、話が合う人だと感じましたね」
「でも、翌日電話を二回掛けたのに不在でしてね。父から、居留守をつかわれてるんだろうと言われてショックでしたよ」
 「私は本当に外出してただけなんですけど・・・」
二人は懐かしげに笑います。
 結婚後、お互いの変化を感じることはありませんか。
「彼女は強くなりましたね」
「私は、新婚旅行の時に主人がお土産のネクタイを値切るのを見て驚きましたよ。そんな事が出来るなんて知りませんでしたから・・・」
「でも、今は彼女の方がはるかに交渉上手になりましたね。それから最近、彼女が始めたストレッチ体操と社交ダンスの影響を受け始めたことが大きな変化です」
「認知症の予防にも、健康にもいいですよ」

 

 

yoroshiku_56_02.fw話は戻りますが、お見合いの時に稔さんは沙都
さんの裏側まで調べて見抜いたんでしょうね。
「いや・・・、あの頃は若かったですし、そこ
まではね・・・」
あれ、先程の話と随分違いますね。つまり見合
い恋愛なんですね。
「正直に言いますと、一目惚れでしたから」
 稔さんは少年みたいな笑顔を浮かべます。
 本物と偽物を見抜くプロでも、生涯の伴侶を
選ぶ時、殊に恋愛となりますと、難しい理屈は
通用しないようですね、皆さん。

 

 

2010年1月vol.63 「よろしく先輩56」

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橋口晋・紀子ご夫妻

「流れのままに」

橋口 晋・紀子ご夫妻 長崎市在住

yoroshiku_55.fw“人生は全て次の二つから成り立っている。したいけれど、できない。できるけど、したくない”これはゲーテの言葉。さて、皆さんの人生はどうですか。「したいけど、できない」なんて諦めてはいませんか。“案ずるより産むが易し”と言うではありませんか。では、今日の二人に登場して頂きましょう。

 

 

 

 

 

お見合い結婚だそうですね。
「正確には、双方の親戚同士が知り合いでして、紹介を受けたんです」四年前を懐かしむように晋さん。
 印象は、お互いどうでしたか。
「主人は優しそうで、真面目な感じでしたよ」
「彼女は、体型と同じようにコロコロとよく笑う女性でした」そう話す晋さんの横で、紀子さんは既に笑っています。
 それから結婚までに二年半ほどありますが、年齢を考えると少し長い期間の交際ですね。
「臨床心理士の資格を取る勉強がありましたから」と、晋さん。
 その間、紀子さんは不安を感じませんでしたか。
「特に何も感じませんでした。私はのんびり屋ですし、人生は成るようにしか成りませんからね」
 紀子さんの笑顔は絶えません。
 結婚当初から、奥さんの両親と同居しているとか。
「ええ、私の母は脚が不自由ですから、同居は最初から条件でしたので」
 紀子さんは、ここでも笑ってます。
 晋さんは、それでも問題なかったんですね。
「ええ。紹介される前から聞いてましたから」
 
 結婚後、お互いに変化はありますか。
「なにも無いですね、彼女は相変わらず笑ってばかりいますし・・・」
「主人は真面目なままですけど、でも意外に面白い人だと気が付きましたよ」
 
 まだまだ、経済的に大変だと晋さんは話します。
 それでも結婚して良かったと、今しみじみ感じるのだとか。
「先のことは考えても始まりませんからね。結婚は自然な流れのままでいいと思いますよ」

 

 

yoroshiku_55_02.fw“未来を予測する最善の方法は、自らそれを作り
出すことである”パソコンの父と呼ばれるアラン
・ケイは、そう述べています。現代を生きる我
々には、考えさせられる言葉だと思いませんか、
皆さん・・・。
 それにしても紀子さん、よく笑いますね。こ
れが二人の“未来を予測する最善の方法”なんで
しょうね。

 

 

2009年12月vol.62 「よろしく先輩55」

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原田正樹・翠ご夫妻

「青い鳥」

原田 正樹・翠ご夫妻 (有)エス・アンド・エイチ・ラボ 代表取締役

yoroshiku_54.fwチルチルとミチルは、魔法使いのお婆さんに頼まれて青い鳥を探しに出掛けます。思い出の国、夜の御殿、未来の国へ。けれども、どこにも青い鳥はいませんでした。   
 クリスマスの朝お母さんの声で目覚めると、家の鳥かごの中に青い羽が落ちていました。ふたりは、青い鳥は一番身近な所にいたことに気がつきます…。

 

 

 

 

 

正樹さんは高校を卒業すると十九歳で東京に出ました。 
「ロック・ミュージシャンになりたかったんです」 そして、三十四歳まで頑張り長崎に戻りました。出島でコンサートを開くこともあったそうですね。
「でも、そろそろ親孝行をしないといけないと考えて、企業家のセミナーに行きました」 
 一方の翠さんは、お父さんが転勤族であったため、神奈川で生まれ、その後、下関、神戸、長崎を転々としました。東京で専門学校に通い、それから長崎で事業を始めていたお父さんの許に戻ったのだとか。
 そして企業家のセミナーに通い、経営の勉強を。
「今は、その会社の社員として働いてます」

  では企業家のセミナーで知り合ったんですね。 
「僕の方は、彼女のお父さんを仕事関係で知っていたんですが、まさか、あの小父さんの娘だとは思いませんでしたよ」 
 それから交際が始まったんですね。 
「うちの社員と二人で、クリスマスに彼女を誘ったんです」 
「私も予定がありませんでしたから、友だちと行きました」 
 結婚を意識したのはいつなんでしょう。 
「彼女は成績優秀だったんですが、その発表会が三月に高島であって、二十人ほどで泊り掛けで行った時に、いいなと」 
 正樹さんは素直に語ります。 
 そして八月に入籍、十二月に挙式。かなりスピード婚ですね。 
「私の母が、“結婚は勢いだから”と後押しをしてくれましたから」翠さんは得心したようにうなづきます。

  さて、これからの夢は何ですか。 
「仕事に共通性がありますから、一緒にやれれば楽しいと思いますね」と、正樹さん。 
「それに一軒家を手に入れたいですよ。私は、父が転勤族で、ずっと社宅住まいでしたから。それにペットも飼いたいですし」翠さんの笑顔も夢のように広がりましたよ。

 

 

yoroshiku_54_02.fwなるほど。お互いに昔から身も心も転々として
来たんですからね、ここらで家族だけの“鳥かご”
を手に入れて欲しいものですね。

 

 

2009年11月vol.61 「よろしく先輩54」

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田上富久・和代ご夫妻

「ハーモニー」

田上 富久・和代ご夫妻 長崎市長・(株)愛collectionノア代表

yoroshiku_53.fw二人の高校生、小柄な少女チッチと、細く長身な男の子サリーの話をご存じですか。1962年から始まった漫画“小さな恋のものがたり”です。どこか甘く、せつなく、誰もが一度は経験しそうなお話です。今でも完結していないそうですから、随分長い高校生活なんですね。

 

 

 

 

 

富久さんと和代さんが知り合ったのは高校時代。
「一年生の時は隣のクラスでね・・・」長身の富久さんが話し始めると、「三年生で同じクラスになりました」和代さんが、懐かしそうに続けます。
 その後、富久さんは福岡の大学、和代さんは長崎の大学に進学。それから交際が始まりました。今ほど交通事情はよくありませんでしたから、遠距離恋愛ですね。結婚を意識し始めたのはいつ頃なんでしょう。
「大学生になって三年ほど、私には暗い時代がありましてね・・・」富久さんは、五月病の症状が長く続いたのだそうです。「でも、彼女はその間精神的にずっと寄り添ってくれてましたから、有り難かったですよ。その恩返しにというか・・・」
「恩返しで結婚したの?」和代さんが詰め寄ります。そして二人は苦笑。

 結婚後、お互いの印象に変化はありましたか。
「私から見ると、最初は恋人で、その後母親で、中だるみがあって、今は友達みたいな感じですね」
「私は、ずっと“同志”みたいな感じです」
「結婚すると間違いなく人生経験の幅は広がりますね。」「質も深まっていくみたいな」
 夫婦生活上で何か約束事とか信条はありますか。
「約束ではありませんが、互いに束縛しないように心掛けてますね。好きな言葉は“悠々として急げ”かな」
「私は何があっても“大丈夫”をモットーにしています」

 もし、違う人生を歩めるとしたら、どんな生き方をしたいですか。
「才能があったらシンガー・ソングライターですね」
「私は昔から合唱をしてましたし、ハーモニーの歌声が好きですから、子守歌の歌手になりたいかな」

 

 

yoroshiku_53_02.fwそれなら今からでも出来そうですね。富久さん
が作詞・作曲して和代さんと歌う“長崎の子守歌”
なんていかがですか。
 自然にほほ笑む二人。まるでチッチとサリーの
ように、今でも永遠の高校生みたいに見えますよ。

 

 

2009年10月vol.60 「よろしく先輩53」

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上戸英俊・理枝ご夫妻

「赤トンボ」

上戸 英俊・理枝ご夫妻 長崎市在住

yoroshiku_52.fw昼下がりの公園。緑濃い木々から沸き立つ蝉時雨をよそに、無数の赤トンボが飛び交っています。夏は山の方で過ごし、秋口になると再び平野部に戻ると言います。この頃には、片仮名の”キ”の字みたいに雌雄が繋がって飛んでいる光景を目にしますね。

 

 

 

 

 

二人が知り合った経緯を教えて下さい。
「同業だけど違う会社の入っていたビルで働いていた時に見掛けたんです」英俊さんは目を細めます。
 それで自然に交際が始まったわけですね。
「いえ、ある時に突然彼女の姿を見掛けなくなって、それで彼女の先輩だった人に連絡先を教えて貰ったんです。ずっと、気になる存在でしたから」
「私は転職したんです。彼は特別な存在ではありませんでしたから、連絡を受けて驚きました」二つ年上の理枝さんは穏やかに話します。

 結婚までの五年間は、どんな交際だったのでしょう。
「波乱万丈でしたね・・・」理枝さんが英俊さんに語りかけるように視線を合わせ、続けます。
「・・・実は、その間に三回も別れたんです」
 原因は何だったんですか。
「まあ、僕のわがままだったんですね」
 それでも、最終的に結婚に至ったのは何故ですか。
「三回目は一年ほど別れてたんですが、ある日、私の家の近くで彼と偶然に出会いましたから、“これからどうするつもりなの”って言い寄りました」
「彼女が一番素敵だったことに気付きましたよ」
 少し時間と距離を置いたのが良かったんですね。今は幸せですか。
「勿論です」「彼は一緒にいて楽しい人なんです」

 

 

yoroshiku_52_02.fwそんな過去を振り返る二人も、結婚七年目。共
働きなので一緒に過ごす時間が少ないのが今の
最大の悩みだと言います。“人には添うてみよ”
とは申しますが、互いに心底から理解し合うの
はなかなか難しい事なんですね・・・。
 おやおや、インタビューは終わったのに、二
人は車を置いたまま仲良く手を繋いで歩いて行
きますよ。まるで、秋口の赤トンボみたいに・・・。

 

 

2009年9月vol.59 「よろしく先輩52」

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濵松和夫・美香ご夫妻

「風の来た道」

濵松 和夫・美香ご夫妻 (株)浜松建設 代表取締役

yoroshiku_51.fw風はどこで生まれるのでしょうか。子供の頃は不思議でなりませんでした。空気は、高気圧から低気圧に向かって流れます。その気圧を決めるのは気温。同じ温度になろうとして空気が移動するんですね。
では、ここ深江の“風びより”にはどんな風が吹いているのでしょう・・・。

 

 

 

 

 

どのようにして知り合ったのですか。
「主人の従姉妹と私が友達だったんですが、ある日その家に主人が遊びに来て・・・」
「22歳の時です。とにかく可愛い女性でしたよ」
 それで、どのように接近を試みたんでしょう。
「男女7~8人の友達を集めて飲み会を開いたんです」
 勿論デートの口実ですがと、和夫さんは笑います。
 当時は、島原で銀行に勤めていた美香さん。深江で材木店を営む和夫さんとは、よく会えたのでは。
「いいえ、月に一回くらいでした」
「商売をしてましたから、結構忙しくて」
 どんなデートをしてたんでしょうか。
「喫茶店に行ったり・・・」「お好み焼きとかな」

 25歳で結婚したそうですが、直後に普賢の災害がありましたね。大変だったでしょう。
「それを機に諫早に移って建築業を始めました」
 森山の“風の森”深江の“風びより”の原点ですね。
「主人は、何をするにもギリギリまで私には話さないから、いつも驚くことばかりなんですが」
 眼鏡の似合う美香さんは、それでも爽やかな笑顔で和夫さんを見詰めます。
 ところで、話は前後しますが、結婚を決めたポイントは何だったのでしょうか、和夫さん。
「はあ・・・それはですね、何だろう・・・」
 高校時代にはサッカー選手を目指していたそうですがこの質問は“パス”で逃れるつもりですかね、美香さんに目で助けを求めてますよ。

 

 

yoroshiku_51_02.fw建物の間を散策していますと、剪定挟みを片手
に和夫さんが手当たり次第に小枝を切り落とし
始めました。
「木は、こうして目線の前を透かしてやると風
が通るんです」
 なるほど。無闇に切ってるんじゃないんです
ね。
 美香さんが、その後をついて歩きます。する
と木々の梢を揺らして風が吹いてきましたよ。
きっと、知り合った日と同じ風かもしれませんね。

 

 

2009年8月vol.58 「よろしく先輩51」

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林智彦・典子ご夫妻

「ああ、われら若く」

林智彦・典子ご夫妻 リズムワン 代表

yoroshiku_50.fw航空・宇宙工学の権威であり、自らチェロ・バイオリンを演奏していた故・糸川英夫は「ボーンコンダクション理論」を提言しています。
音は耳で聴くだけでなく、それが振動として体表から骨を通して聴覚系に伝播されるために、恍惚感や陶酔感をもたらすのだとか。

 

 

 

 

 

智彦さんは、2005年の第9回“熱血おやじバトル”でグランプリに輝いたグループ、ファンク・ステーションでドラムを担当しています。
「若いころからファンク・ミュージックが好きでしてね、博多にいた時もグループで活動してましたよ」
青年のままの笑顔を浮かべます。
その頃、典子さんと知り合ったんですか。
「ええ、私の通っていた大学の学園祭にファンクのグループが来たんです。皆さん生き生きとしてて素敵でしたよ」
それで智彦さんと恋に落ちたんですね。
「いいえ、その時のドラマーに憧れてたんです。でも、その人が辞めて、後からドラマーとして入って来たのが主人なんです・・・」
典子さんは含み笑い。
第一印象はお互いにどうだったんでしょうか。

「主人は、痩せていて可愛い人でした」
初ライブが終わって、談笑してたんですが、一目惚れしましたよ。とにかく可愛い人でしたから

それなのに智彦さんは佐世保に戻ったんですか。
「ええ。私はプロになる夢を諦めましたから・・・」
「それで、一年ほど遠距離でした」
でも心は繋がっていたんですね。
「私の父が転勤族で、佐世保に住んでたことがありましてね。とても素敵な街で好きだったし・・・」

 

 

yoroshiku_50_02.fw典子さんは百合のようにほほ笑みます。
そのまま、智彦さんは音楽を続けて来たんですね。
「やっぱりファンクは手放せませんでしたから。オリジナル曲も十三ほど作詞・作曲しましたよ」
私は今も、主人のファンなんです

ファンク・ミュージックと言いますと、やはり16ビート。智彦さんのスネア・ドラムは、典子さんの体表から聴覚へ、そして心にまで届いているのでしょう。
今回のタイトルは、典子さんの出身校の校歌の最後にある歌詞なのですが、いつまでも若々しいのは、ラブ&ファンクがあるからなんですね。

 

 

2009年7月vol.57 「よろしく先輩50」

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横田修一郎・博美ご夫妻

「ナンジャモンジャ」

横田 修一郎・博美ご夫妻 元島原市長

yoroshiku_49.fwアオスジアゲハの幼虫は、クスノキの葉を食べて育つといいます。虫除け成分が含まれているのに、これは不思議な事ですね。このクスノキを始め、見慣れない立派な樹木は、昔から“ナンジャモンジャ”の愛称でよばれます。島原の「市の木」もクスノキです。  

 

 

 

 

 

お見合い結婚だそうですね。
「県庁の職員の時に、下宿先の奥さんの紹介で」
「その方と私の母が知り合いでしたから。双方の両親と私たちの3対3でお会いしました、私の家で」
 印象はどうでしたか。

  「ひとり娘と聞いていましたが、おとなしくてしっかりした人だと思いました」
「私は、真面目な方だと感じましたね」
 二人とも遠くを見るような面持ちで振り返ります。
九月に見合い、十月に結納、そして翌年の二月に挙式。スピード婚ですから、よほど相性が良かったんですね。
「どうでしょうか。奥さんは、のんびり屋ですが」
「主人は、せっかちなんですよ」

 好きな音を尋ねてみますと、修一郎さんは“シシオドシ”の竹の音。庭園にある、水が溜まると竹筒が撥ねる、あの音だそうで、博美さんは、沸騰した茶釜に水を差した一瞬の静寂なのだといいます。
 どちらも詫び寂びの世界であることは共通していますが、音を発するのと途絶えるのは、これまた正反対ですね。 「ところで、私達の時代は、男も三十歳までには身を固めるのが常識でしたけど、今は晩婚化・非婚化してますね」
「そうね。私達は主人が二十六歳、私が二十三歳の時にお見合いをしたのに・・・」
 博美さんのお父さんが熱心に推し進めてくれたのもスピード婚の要因なのだそうですが、昨今は、当事者を取り巻く家族や上司の薦めも減っているのが懸念されますね。

 

 

yoroshiku_49_02.fwさて、世の中には“似た者夫婦”も多いのです
が、二人のように“正反対夫婦”も少なからず
見受けます。でもそれは、アオスジアゲハと
クスノキのように、不思議な縁でしっかりと
繋がっているのでしょうね。まさに“ナンジャ
モンジャ”ではありませんか。

 

 

2009年6月vol.56 「よろしく先輩49」

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池田功・京子ご夫妻

「丘の上に咲く花は」

池田 功・京子ご夫妻 愛野町在住

yoroshiku_48.fw夏を代表する花、ヒマワリ。その名から、いつも太陽に向かって咲いているイメージがありますが、正しくは、蕾の時期から小さな花になる間だけのことだそうで、大輪の花は東を向いたままだとか。
 この北アメリカ原産の黄色い花を、愛野のジャガイモ畑で見かけた人も多いのではありませんか。

 

 

 

 

 

男女それぞれの数人のグループで交際をしていたそうですが、その中からお互いを選んだ決め手は、どんな点だったのでしょうか。
「さあ・・・、どうだったか」「そうですね・・・」
 わずか十年前の、大切なこと。教えて下さいよ。
「初めから、仲間内でカップルにされてたようで」
功さんの口調は、笑顔と裏腹に素っ気ありません。京子さんも思い出せませんか。
「私も、記憶にないですね」これまた淡々と一言。
 京子さんの実家は商売をしていると伺いましたが。
「ええ、スーパー・マーケットを営ってます」
 農家に嫁ぐのは大変だったのではありませんか。
「どんな仕事も大変ですし、嫁いでみないと判りませんから、気にはなりませんでした」
「何があっても俺が味方になるからって、言いましたから、不安は与えなかったと思います」
 功さんは、表情を変えることなく話します。どうやら、“決め手”は二人の心に肥料のように埋めてあるようですね。

 それにしても、お祖父さんと両親、三人の子供達の四世代、八人家族。毎日、慌ただしいでしょうね。
「私には子供のこともありますが、誰もが理解してくれて、助けてくれますから有り難いですよ」
 京子さんは家族への感謝の言葉を忘れません。
 ジャガイモは一月に植えて五月に収穫。そして九月に植えて十二月に収穫する二期作だそうですが、夏の間はどうして過ごすんですか。
「ヒマワリを植えて、枯れたら肥料として畑に鋤き込むんです」
「七月には、旅行に行ったりもしますよ」

 

 

yoroshiku_48_02.fw北海道に次いで、全国で二番目の収穫を誇る長
崎のジャガイモは、こんなに明るく微笑ましい
皆さんの汗と努力が生み出す宝物。品種も、そ
の名の通りに“アイユタカ”なのだそうです。
 子供達は元気に走り回っていますが、功さん
と京子さんは、大輪のヒマワリのように同じ方
向を見詰めて生きているんですね。

 

 

2009年5月vol.55 「よろしく先輩48」

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岡本彰・典子ご夫妻

「ハートにキッス」

岡本 彰・典子ご夫妻 オカモト・シェ・ダムール オーナー

yoroshiku_47.fwアランは「人間語録」で次のように語っています。“夫婦の社会では、それぞれの仕事で各自が自分を助け、あるいは相手を支配する。だから、夫婦は対等だが、異なっている。彼らは異なるからこそ対等なのである”と。では、二人に伺ってみましょう。

 

 

 

 

 

国見で修行をしていた彰さん。その師匠の子供を送り迎えする保育園の保育士だったのが典子さん。お互いの印象はどうだったのでしょうか。
「僕は、とにかく美しい人だと思いましたね。なんとしてでも結婚したいと・・・」
「私には、いい人に見えましたけど、すごく積極的で断って断っても誘ってきました」
デートはどんな所に行ったんでしょう。
「アー君は、あちこちのケーキ屋さんに連れて行ってくれました」
「経営のノウハウを学び取りたかったですからね」
 そして、いよいよプロポーズですね。ケーキのように甘く切なくでしたか。
「とんでもありません。“独立して開店するから店番になってくれ”って言われたんです」
「典子の両親にも、そう言いましたよ。女房だったらタダで済みますから」
「あとで考えたら、ケーキ屋巡りのデートで、私を仕込んでたんでしょうね」

 これまでの結婚生活を振り返ってみて、どうですか。
「喧嘩ばかりして来たよな」「殴り合いもね」
 穏やかではありませんね。でも、そう言いながら見詰め合う眼差しは恋人同士のままではありませんか。
「女房は宝物ですからね。好きで好きで一緒になったんだから。子供たちにも、“お父さんには典子が一番大切な人。お前たちは二番目”だって・・・」
「夫婦があって、それから家庭になるんですからね」
「お互いにそのことを忘れていないから、殴り合いもできるんですよ」

 

 

yoroshiku_47_02.fw“夫婦は、愛し合うと共に憎しみ合うのが当然で
ある。かかる憎しみを恐れてはならぬ。正しく
憎しみ合うのが良く、鋭く対立するがよい”
 坂口安吾は「悪妻論」でそう述べています。
 目の前の二人、正しく憎しみ合ってるんです
かね。
 見えないのをいいことに、お互いの心にキッ
スいてるように思えてならないんですど・・・。

 

 

2009年4月vol.54 「よろしく先輩47」

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楠田喜熊・三春ご夫妻

「言わぬが花」

楠田 喜熊・三春ご夫妻 株式会社雲仙きのこ本舗代表

yoroshiku_45.fw“きのこ”は、種を作らず胞子で殖える植物。日本では縄文時代の遺跡からも発掘されているそうですので、古くらからある食材なんですね。これまでは栄養価の無い物とされていましたが、最近では制癌効果があることが判ったと言います。まさに美味養生。

 

 

 

 

 

お見合い結婚だそうですね。
「当時の社員さんの中に私の親戚がいまして、その人から話があったんです」と三春さん。
「うちの父と姉が、その頃この人の勤めていた職場を訪ねて行って気に入ったんです」
 喜熊さん自身が決めたのでは無いんですね。
「私は忙しいし、総て父に任せてましたから」
 三春さんは、それで良かったんですか。
「ええ。主人は明るい人でしたし、仕事が出来る人なら家庭も大切にしてくれると思いましたから」

 結婚して、お互いに思い違いをしていたなんてことはありませんか。
「奥さんは、強くなりましたよ」
「私は特に何も感じません。尊敬出来る人で良かったですね。そうで無かったから、例えばトイレのスリッパのまま外に出て来たりしたら幻滅でしょ。でも、尊敬する人なら許せますから」三春さんは、若い人たちへのメッセージを込めて、そう話します。
「とにかく、夫婦に大切なのはブレない考え方ですよ」
「そう。そして肯定的に生きるってことでしょうね」

 多忙だと、二人でのんびりする暇もありませんね。
「どちらも温泉が好きですからね、僅かな暇を見つけては雲仙に行くんです」微笑みながら喜熊さん。
「それも。車の中で仕事の話をして、宿に着いたらお互いに無言なんですけど。そのほうがのんびり出来ていいでしょ」三春さんも笑います。

 

 

yoroshiku_45_02.fwなるほど、“きのこ”作りのベテランですね。二
人の愛情には“種も仕掛け”もないようですよ。
 ちなみに、皆さんは“きのこ”の花をご存知で
すか。“子実体”と言いまして、私たちが口にす
る部分が、他の植物の花に相当するのだそうで
す。
 素敵な人をみれば、愛だの恋だのと口にした
くなりますが、本物の花は“きのこ”のようなも
のなのかもしれませんね。

 

 

2009年2月vol.52 「よろしく先輩45」

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市川森一・柴田 美保子ご夫妻

「線路は続くよ・・・」

市川 森一・柴田 美保子ご夫妻 脚本家・女優

yoroshiku_44.fwJRの線路は総延長19881.6キロ。私鉄と合わせると約28000キロに及ぶと言います。全線を時速100キロで走っても、およそ12日間かかることになりますから、大変な距離なんですね。

 

 

 

 

 

 

脚本家と女優さんですから、知り合ったのはやはり撮影現場なのですか。
「ええ。宝塚で撮った“マキちゃん日記”というテレビ・ドラマの仕事でした」美保子さんは、テレビの中と同じ白い笑顔で話します。
「ボクは近くの旅館に籠ってシナリオを書いてたんですが、撮影所に行った時に出会いましてね」森一さんも聞きなれた歯切れのいい口調です。
「主人は結構ひょうきん者なんですよ」
「彼女はね、女優さんだから美人なのは当たり前ですが、気立ての良い女性だなって印象でしたね」
森一さんは冷静な表情のまま続けます。
「彼女は大阪住まいでボクは東京なんですが、ある日、偶然に阪急の宝塚線で一緒になりましてね。梅田駅を降りて、すぐそばの大阪駅まで送ってくれたんです。しかも、新大阪までの切符も買ってくれて」
美保子さんの作戦だったんですか。
「いいえ、とんでもない。構内は広いし、切符を買う場所も判りにくいでしょうから・・・」
「ひと駅間だけですけど、気の利く女性だなと思いましたよ。新大阪で降りた時は、その切符を野球のウイニング・ボールみたいにずっと持っていたかったんですが、駅員さんに取り上げられましたからね」
目の前の出来事のように、悔しそうな森一さん。
わずかひと駅間の切符でも、愛する人から貰うと宇宙の果てまで行けるものなんですね。

それから三年後に結婚。人目がありますから、思うようにデート出来なかったのではありませんか。
「特に気になるようなことはなかったですね。ときどきお茶でも飲みに行く程度でしたから」
「東京からの電話代が、当時の家賃と同じ7万円くらい掛かってましたけどね」
どんな話題だったんですか。
「夫は、仕事の話ばかりしてましたよ」
「何とか彼女を逃さないように、いかにも仕事がたくさんあるように言ってましたね」

 

 

yoroshiku_44_02.fwそんな二人も、もう結婚35年を過ぎたそうで
す。
そして今でも、毎朝起きたら笑顔で“おはよ
う”の挨拶を欠かさないのだとか。人生の片道
切符で、レールのように並んで歩み続けてい
るんですね・・・。
そうだ、あの日の切符は、きっと神様が預
かっているに違いありませんよ、森一さん。

 

 

2009年1月vol.51 「よろしく先輩44」

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坂田幸利・由紀美ご夫妻

「ピーナッツ同盟」

坂田 幸利・由紀美ご夫妻 看護専門学校・看護師

yoroshiku_43.fw枯れた花から、細長い紐状の子房柄(しぼうへい)が垂れ下がり、土に潜ります。そこで固い殻に守られて育つのが落花生。最近の研究では、渋皮はポリフェノールが含まれていて体に良く、殻は細かく砕いて室内に置いておけばホルムアルデヒドを吸収してくれるので、シックハウス症候群に効果があることが判明。小粒ですが無駄のない食べ物なんですね。

 

 

 

 

 

二人は別の看護学校でしたが、共通の友人の紹介で知り合いました。幸利さんは優しい男性、由紀美さんは可愛い女性というのが互いの印象だったそうです。こうなりますと大恋愛劇場の開幕ですね。
「いいえ、ただの友達でしたよ」
「気心の知れた、仲良しかしら」
それではプロポーズの言葉とか、場所は・・・。
「いつの間にか自然に、そうなっていましたから」
これまた予想が外れましたよ。それでは結婚生活もごく平凡に過ごしてきたんですね。
「両方とも三交代の勤務ですから擦れ違いが多くて」
「特に、子供が出来てからは時間との戦いでしたね」
二人とも表情がこわばります。そして由紀美さんは目を潤ませました。
「子供は保育園に育ててもらったようなもの・・・」
なるほど、可愛い盛りの子供を預けての仕事ですからね。
 でも、同じ仕事ですから互いに理解があり、助け合って今日まで過ごして来られたのだそうです。
「何と言いますか、仲間同士みたいな夫婦です」
「一緒になって戦い、守り合うようなね」
「ただ、子供が病気の時は母親が側にいる方が良いだろうと、仕事を休ませたのは申し訳なかったね」
 幸利さんは神妙な目で由紀美さんを見詰めました。初めて口にする言葉なのです・・・。
 実は、そんな夫婦の苦労を、二人の男の子たちは見て育っていたんです。
「長男が二十歳の誕生日に“今までありがとう”と一泊二日の旅行をプレゼントしてくれましてね」幸利さんは唇を噛み締め、「子供に育てられたんですね、私たちは」由紀美さんは再び目を潤ませました。

 

 

yoroshiku_43_02.fw今は子供たちも大きくなり、幸利さんは看護学
校の教師になりましたから、生活も少しずつ変
化しているようです。花が枯れ落ちて地中で実
を結ぶ“落花生”のように、固い絆の殻で守り守
られる夫婦、家族。暖かな話を有難うございま
した。

 

 

2008年12月vol.50 「よろしく先輩43」

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堤けんじ・由子ご夫妻

「淡々たぬき」

堤 けんじ・由子ご夫妻 たぬき絵作家

yoroshiku_42.fw大正末期、ある狩猟家が“むじな”を二匹捕らえたが、ちょうどその時に“たぬき”の捕獲を禁じた狩猟法が制定され、これによって逮捕された。狩猟家の住む地域では“たぬき”と“むじな”は別の生き物だとされていたのに、当時の生物学では同一視されていたからでした。

 

 

 

 

 

お見合い結婚だそうですね。「新聞社の知人から話がありましてね・・・」けんじさんは、過去の事はあまり触れたくないのだそうで、照れています。
 「その方の奥さんと私が、同じように動物好きで懇意にしてたんです。それで、言われるままに或るお寿司屋さんに行ったんですけど、それらしい人がいなくて困ってたら、カウンターの中に立っているのが相手だったんです」由子さんは笑います。
第一印象はどうでしたか。
「まあ、可愛かったですね」
「優しい人という感じでした」
 けんじさんは店がありますし、デートもままならなかったのではありませんか。
「当時、彼女はバス・ガイドをしてたんですが、観光客に混じってグラバー邸を一緒に歩きましたよ」それから五ヶ月で結婚。決め手はなんだったのでしょうか。
「どちらも犬が好きでしたしね」
「私の理想は、動物好きで、お酒・煙草はほどほどで、ギャンブルをしない男性でしたから」
 今は店をやめ、狸絵一筋だそうですが、生活の変化はありますか。「主人が店をしている間は、子供たちと一緒に食事をすることがほとんどできませんでしたから、可愛そうでしたけど、それがなくなりましたね」由子さんは母親の立場で話します。
「二人の会話は、犬を通してすることが多くなりましたけど」けんじさんは絵の作風とは違って頑固者なのだそうです。由子さんにこっそり尋ねましたら、けんじさんを動物に例えると“虎”なのだそうですよ。

 

 

yoroshiku_42_02.fw現在では学問上“たぬき“と“むじな”は異なる生
物だとされています。
 それはさておき、この二人、こうして眺めて
いますと、愛情に関しては良い意味で“同じ穴の
むじな”みたいですがね。

 

 

2008年11月vol.49 「よろしく先輩42」

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山下洋史・千代子ご夫妻

「よさこい よき恋」

山下 洋史・千代子ご夫妻 佐世保市在住

yoroshiku_41.fw「初めて会ったのは、二十歳の時だったな」
 「そう、あなたが事故で足を骨折して入院して来たのよね。一目見て、素敵だなと思ったわ」
 「それは初めて聞くなあ。こっちも、小さくて可愛い看護師さんだなと、まあ、一目惚れだったけど」

 

 

 

 

 

「そのせいかしら、私が仕事の話をするのを、とても良く聞いてくれる、聞き上手だったのは」
「それに、お義父さんは、知る人ぞ知る大工の棟梁で、尊敬する人だったからな。娘さんに失礼があってもいけないだろうし」

「でも、それから五年経って結婚してみたら、何もしてくれない人だったじゃないの」
「そうだな、何もかも任せきりだったかも」
「“よさこい祭り”の衣装まで作らされてたわ」
「けど、そのお陰で一緒に参加するようになったじゃないか」
「衣装を作ってると感動が私にまで伝わってきたの。不思議なことがあるのね」
「しかも、子供たちまで巻き込んで来たよな」
「毎年六月ころから落ち着かなくなるから、自然に子供たちにも感動が伝わったのよね、きっと」
「今年で何回目になるかな、家族揃っての参加は」
「ええ・・・、四回目ね」
「子供たちもいつの間にか大きくなって来たな」
「もうひとりの大きな子供も、いつの間にか衣装作りを手伝ってくれるようになったしね」
「知らない間に、何もしない亭主を卒業してた訳だ」
「そう。“よさこい祭り”のお陰なのよ」

「結婚して二十年の間に、いろいろと変化して来たんだな」
「変わってないのは、お互いに挨拶をするように心掛けていることね」
「そうだな、これは少しも変わってないな。夫婦・家族に限らず大切なことだから」
「何もしないようだったけど、そうやって私や子供たちを引っ張って来てくれたのよね」

 

 

yoroshiku_41_02.fw「そんなに大袈裟なことじゃないけど・・・。
いや、むしろこっちのほうが感謝してるよ。い
つも有り難う」
「それじゃ、今年も子供たちや地域の人達と頑
張りましょうね」
「そう、これから先もずっと頑張ろうな」

 

 

2008年10月vol.48 「よろしく先輩41」

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中垣内真樹・優子ご夫妻

「知ってるはずなのに」

中垣内 真樹・優子ご夫妻 長崎大学大学教育機構開発センター 准教授

yoroshiku_40.fwオーストラリアに行きますと“逆さ地図”が売ってあります。南が上で北が下、東が左で西が右ですから頭が混乱してしまいます。でも、見慣れてた地図を逆様に眺めますと、新しい発見も多くあります。日本付近の地図ですと、日本海がまるで大きな湖のように感じられたり・・・。

 

 

 

 

 

二人は幼なじみだそうすね。
「鹿児島の鹿屋で、幼稚園から中学まで一緒でした」筋肉質の真樹さんは柔和な表情で話します。
その頃からお互いに気になる存在だったんですか。
「さあ、どうかしら。古いタイプの人でしたけど」優子さんは窺うように真樹さんを見詰めます。
真樹さんは関東の大学に進学しましたから、そのままずっと遠距離恋愛ですか。
「さあ、どうだろ」今度は真樹さんが見詰めます。
「彼が大学院時代に、私が遊びに行ったのがきっかけなんです」
「それから交際が始まって・・・。大学院で体育科学の研究に打ち込んでいた時に、彼女と二人で北海道に旅行をしたんですが、それが大きな転換期だったんですね」
「夏休みに一週間ほど車で出かけたんです。何の予定も計画もないままで、私は不安でしたけど」
「いつもそうなんです。フリーのまま旅行するのが好きですから」
「でも、その時に“しっかりした人だな”って改めて感じました」優子さんの言葉に、真樹さんは照れています。
幼なじみだからといって、何でも知っていた訳では無いんですね。

真樹さんが六年前に長崎へ。そこに優子さんを呼び寄せる形で結婚。交際期間が長かったんですね。
「男ですからね、しっかりした生活基盤が出来るまでは待ってもらいました」真樹さんは九州男児の目で話します。
優子さんには見知らぬ場所での生活ですが、不安はありませんでしたか。
「知り合いがいませんから、多少は心配でしたけど、彼がいますから・・・」
ああ、そうですか。訊かなければ良かった。
「“おくんち”に参加した時に、長崎の方々がとても良く受け入れて下さって、有り難かったですよ」
「今は子供に元気をもらっていますしね」

 

 

yoroshiku_40_02.fw“愛とは見詰めあう事ではなく、互いに同じ方向
に目を向けることである”と言いますが、二人は
北の大地から南の鹿屋を眺め、そして新しい人
生を互いの心の中にみつけたのでしょうね。
 

 

 
 

 

2008年9月vol.47 「よろしく先輩40」

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朝長則男・多加子ご夫妻

「地球を巡るような恋」

朝長 則男・多加子ご夫妻 佐世保市長

yoroshiku_39.fw私はレモンです。フレッシュなイメージがありますから、則男さんのトレードマークも務めてますので、本日は私がご案内致しましょうね。
 その前に少しだけ自己紹介。別名を拘櫞(くえん)と申します。クエン酸と言えばご存じでしょう。花言葉は“情熱”“誠実な愛”なんですよ。

 

 

 

 

 

そもそも、ふたりが出会ったのは青山学院大学でのこと。則男さんが、友達と旅行研究会を作って活動していた三年生の時に入学して来たのが多加子さん。勿論、則男さんには当初から気になる女性だったようですし、多加子さんの目にも頼り甲斐のある男性に映ったそうです。
 でも、ふたりは卒業して連絡が途絶えていました。そんなある日、サークルの仲間が則男さんを訪ねて来たのをきっかけに再会。ここで“焼け棒杭に火がついた”のが則男さん。
 「学生時代より、さらに綺麗になってましたね」
 「則男さんも、さらに頼もしい感じでしたよ」

 そう来れば後は簡単・・・。と思いきや、則男さんは佐世保、多加子さんは熊本ですから、ここからが大変だったようですよ。今と違ってケータイやメ―ルなんてありませんでしたからね。
 「休日には早朝から車で熊本に飛んで行きました」
 高速道路のない時代で、片道四時間も掛かったそうですよ。
 「三年と少しの間に、132回ほど通いましたね」
 則男さんは平然と話し、多加子さんは照れ臭そうに笑います。
 それにしても皆さん、考えて見て下さい。片道に四時間ってことは、往復八時間ですよ。仮に平均時速を四十キロとしても、走行距離は320キロ。その132倍だと・・・四万キロを遥かに超える距離を走った計算になります。これは地球一周より長いんです。

 

 

yoroshiku_39_02.fw「若かったんでしょうね」と、則男さんは笑いな
がら昔を振り返ります。当時は病院の事務長を
務めていたそうですが、その後に市議会議員・
県議会議員を経て市長に。車で選挙遊説をする
のは大変なことだと思いますが、若い時すでに、
“多加子さん獲得作戦”で慣れていたんでしょう
ね。恐れ入りました。
 いま私は、フレッシュなイメージだけでなく、
“初心忘るべからず”の理念も仰せ付かっておりま
す。でも、ふたりに関して”もう忘れなさい”と申
しましても・・・無理みたいですね。仲の良いこと。

 

 

2008年8月vol.46 「よろしく先輩39」

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長谷部朋香・洋子ご夫妻

「人生はノン・タイトル」

長谷部 朋香・洋子ご夫妻

yoroshiku_38.fw映画ファンの皆さんなら、お若い方でも私の事はご存知ではないでしょうか。監督の小津安二郎と申します。今日は、私の映画に出演していた往年の松竹映画のニューフェースだった朋香君と洋子ちゃんがインタビューを受けると聞きましてね、ちょっとお邪魔した次第なんです。

 

 

 

 

 

朋香君が松竹に入ったのは、昭和二十三年。ニューフェースの試験を受ける友達について来て、なんと彼の方が合格してしまったのだとか。それから六年後、俳優座から入って来たのが洋子ちゃんなんです。当時の芸名は“千村洋子”でした。ふたりは私の映画でも、『早春』『東京暮色』などで共演しているんですよ。これは後から聞いたことなんですが、一目ぼれをした朋香君が速達でラブ・レターを送ったんだそうです。当時の彼はなかなかの人気者でしたから、洋子ちゃんは喜ぶよりも驚いたようですが・・・。

 昭和三十八年。私は、還暦の歳に皆さんの世界を去りました。同時に、ふたりも映画界から退いて行きました。テレビ時代になり日本映画は衰退しつつありましたからね。私にも、多くの構想があったのですが、こればかりは叶いませんでしたよ。
 その後、朋香君は企業のPR会社を立ち上げ、新たな人生を歩み出しました。洋子ちゃんは、中学の演劇部、人形劇団、朗読会などの指導を始めました。

 九年前、ふたりは娘さんの嫁ぎ先の長崎に、長男共々移り住みました。今ではオーナー・シェフを務める長男のレストランで広報を受け持ちながら、朗読会の主宰として第三の人生を送っています。
 振り返って見ますと、私がふたりと過ごした時間より遥かに長い時が流れたんですね。
 でも、高い所からこうして眺めていますと、ふたりはあの頃と少しも変わってないんですよ。朋香君は相変わらず家庭的でハンサムだし、洋子ちゃんの愛らしい笑顔なんかスクリーン時代のままなんですからね。
 おや、インタビュアーが難しい質問をしましたよ。“ふたりの、これまでの人生を映画に例えると、どんなタイトルを付けますか”ですって。
「何かしら・・・」「うーん、困ったな・・・」 

 

 

yoroshiku_10_02.fwなるほど、これは私にも解りませんね。ただ、
ふたりを見ていますとね、夫婦に大切なものは
『共通の価値観』だと思いますよ。生涯独身だ
った私が言うのもおかしいかもしれませんが・
・・。そう、人生ってのは“筋書きもタイトルも
無い映画”なのかもしれませんね。そういえば私
の墓標にも“無”と書いてありましたっけ。

 

 

2008年7月vol.45 「よろしく先輩38」

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當麻伸二・五月ご夫妻

「大切なのは・・・」

當麻 伸二・五月ご夫妻

yoroshiku_37.fwイソップ物語に“蟻とキリギリス”の話がありますね。暑い間にコツコツと働く蟻を見て、キリギリスは笑います。でも、冬になりますと、食べ物のないキリギリスは寒さに凍えます。僅か半年のことなのに、努力の有無は運命を大きく変えてしまいました・・・。

 

 

 

 

 

「親戚から縁談を持ち掛けられたんですが、堅苦しく見合いをするより、メールの方が早いと思いましてね」伸二さんはアドレスを聞き、まだ見ぬ五月さんに直接メールをしたのだそうです。すると、養子が条件だったとか。
 「私は三人姉妹の長女ですから」五月さんは他人事のように笑います。
 初めて会ったのは、いつ、どこだったんですか。
 「昨年の十月八日に、諫早の運動公園で。初対面なのに、私は違和感を感じませんでした」五月さんは、第一印象をにこやかに話します。
 「こちらも、やはりそうでしたね。スロースターターで天然ボケなところを感じましたが」伸二さんも顔をほころばせます。
 それからちょうど二ヶ月後に結納。早いですね。
 「初デートで、彼女が石畳に靴のヒールを取られた時、ここぞとばかりに手を繋いだんですが、嫌がりませんでしたから、これは脈があると思ったんですよ」
 「彼は、会話がとぎれても気にならない人でしたし」なるほど、お互いに前向きに相手を分析した訳ですね。そして、三月末に挙式。知り合って半年たらずですが。
 「年齢の事もありますし、長く考えても意味はないですから」と、四十歳になった伸二さん。
 「私は“理想の人より違和感のない人”が良いと思いましたので、結論はすぐに出ました」と、三十歳の五月さん。さすがに大人のカップルですね。

 

 

yoroshiku_37_02.fw帰り際に、五月さんがそっと教えてくれまし
た。お腹に赤ちゃんが宿ってるのだそうです。
半年前には見ず知らずだった二人。時には蟻
のようにコツコツと、時にはキリギリスのよ
うにおおらかに・・・。愛情を育むのは時間
ではなく、お互いの長所に寄り添う心、共鳴
・共感なんですね。

 

 

2008年6月vol.44 「よろしく先輩37」

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小田楽天・万里子ご夫妻

「笑顔仕立ての心」

小田 楽天・万里子ご夫妻 カスタムテーラーオダ店主

yoroshiku_36.fwイギリスの国旗はご存知ですね。日本人なら紺地に白で縁取った赤い「米」の文字をイメージするでしょう。
 でも、その由来になると知る人は少ないようです。実は三つの国旗を重ね合わせてあるんですね。
 紺地に白い×印がスコットランド、細く赤い×印が北アイルランド、そして赤く太い十字はイングランド。

 

 

 

 

 

「うちは見合い結婚なんですよ。こんな話は照れますね」 
 そう言いながらも、ご主人は豪快に笑います。
 「ここのビルを作る時に、建設会社の社長から薦められていたんですが、ある日、彼女が突然訪ねて来たんです」
 「主人の父が気に入ってくれてまして、それで示し合わせてここに様子を見に来たんです」万里子さんはヒバリのような声で笑いました。
 楽天さん三十二歳、料理学校で助手をしていた万里子さんが二十七歳の時。第一印象はお互いに良かったそうですが、二人とも、まだまだ純情だったようです。
 そのせいでしょうか、楽天さんからの返事はないまま。
 「私は、断られたと思ってましたよ」万里子さんは囀るように話し、笑います。
 「へえ、初めて知ったなあ」楽天さんは驚きながらも豪放に笑います。会話より笑い声の多い夫婦ですよ。
 
 二度目のデートは、父親が一万円を持たせて、万里子さんの家まで連れて行ったのだそうです。
 そして三度目は、楽天さんが友人と催した忘年会に誘った時。これも友人の後押しがあったようですが。
 こうして、周囲の三重の支えがあって生まれたカップルは未だに色褪せることがありません。
 「奥さんは心が美しい人で、三人の娘たちがそれを受け継いでくれてますよ」嬉しそうに相好を崩します。
 「主人は、今でも初めての日と同じように素敵な人なんです。娘たちのお婿さんは、皆が実の息子のように親しみを込めて“とうちゃん”と呼んでくれてますもの」
 互いに見詰め合い、あとはひたすら響く笑い声・・・。

 

 

yoroshiku_36_02.fwところで、洋服は“仕立てる”と言いますね。
「大辞泉」に拠りますと「目的に合わせて作り
上げること」とあります。店内のイギリス国旗
を模ったマークを見ていますと、この夫婦は、
紹介者・父親・友人が協力して仕立てた最良の
カップルに違いありませんよ。それに、よく笑
いますもの。
 お客さんの中には、仮縫いの時だけ飛行機で
やって来る方々もいる。まさに、「笑う門には
“服”来たる」なんですね。あれれ、二人はまだ
笑ってますよ・・・。

 

 

2008年5月vol.43 「よろしく先輩36」

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関隆三・芳子ご夫妻

「手作りの思い」

関 隆三・芳子ご夫妻

yoroshiku_35.fw寺田虎彦の随筆に「茶碗の湯」があります。内容はさておき、子供心に「茶碗」だから“湯”ではなく“茶”ではないかと思ったものです。でもよく考えてみますと、お茶を飲むのに“湯呑み”、ご飯を食べるのに“茶碗”などと表現します。日本語は難しいんですね。ちなみに、木製のものは「椀」で陶磁器のものは「碗」と書きますが、どちらも俗字で、正しくは共に「盌」だとか。

 

 

 

 

 

隆三さんは体育の先生だったそうですが、焼き物を作りだしたのはどんな経緯からなんですか。
 「昔、学校が荒廃していた時期がありましてね、美術の先生と一緒に情操教育のために始めたんです」
 それが次第に高じて、毎年、卒業生全員に手作りの湯呑みを贈るようになったのだそうです。
 ところで、芳子さんと知り合ったのはどこなんでしょう。
 「私は同じ学校の看護師をしていまして、保健室に主人がよく来てましてね・・・。なかなか誠実そうな人でしたから」
 なるほど、あとは訊くだけヤボでしょうね。すると家でも学校でも一緒に過ごせたわけですね。
 「主人はバレーボール部の顧問をしてましたから、ほとんど留守でしたよ。誠実さも結婚してしまうと消えてしまいましたし。そんなものなんでしょうね夫婦なんて」と芳子さんは微笑みます。でも、隆三さんはマメな人だそうで、料理をしたりお茶を淹れたりしてくれるのだと、補足を忘れません。なるほど、言葉とは裏腹な愛情がうかがえます。粘土をこねる指先が少女のようですもの。
 「私は仲人をするたびに、“ お互いに好きで一緒になったのだから、これから先の人生でどんなことがあっても、共にスタートした結果であることを忘れないようにしなければ”と、話すんですよ」隆三さんは、そっと芳子さんの湯呑みにお茶を注ぎたしました。 

 今は二人で陶芸教室を開いていますが、奥さんは10年くらい前に始めたのだそうですね。
 「粘土は言うことをきかないから苦手だったんです」
 「それなのに、芳子が感性は私より優れてますよ」隆三さんは素直な表情で話します。“亭主の好きな赤烏帽子”だったものが、良い意味で“庇を貸して母屋を取られる”格好になったわけですね。これもまた面白いではありませんか。
 そんな隆三さんのもとには、今でも卒業生から“先生に貰った湯呑み茶碗が割れてしまいました”と、新しいものを催促する連絡が来るのだそうです。嬉しいことですね。
 「ええ。なかには、親子で私の湯呑みを持っている生徒もいるんですから、時の流れを感じますよ」隆三さんは相好を崩します。数多くの卒業生たちが“マイ湯呑み”として使ってくれているんですものね。

 

 

yoroshiku_35_02.fw私たちは、日常で使用する茶碗や湯のみが誰の
ものか決まっているケースが多いですよね。じ
つはこれ、世界でも比較的珍しい日本の食文化
の特徴なんです。“属人器”と呼びます。そう言
えば、長期出張から戻った知人が、自分の茶碗
が食器棚の最奥に押し込められていたと嘆いて
ましたね。不在がちな皆さん、たまには食器棚
を覗いてみてはいかがですか。

 

 

2008年3月vol.42 「よろしく先輩35」

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中村耕一・智美ご夫妻

「忍び会う恋」

中村 耕一・智美ご夫妻 中村輪業社長

yoroshiku_34.fw「躑躅生けて その陰に干鱈 割く女」
 これは、滋賀県甲賀郡(現・湖南市)の真明寺の句碑にある松尾芭蕉の句です。裏山から採って来たツツジを活けて、そのかたわらで当時は安い魚であった干鱈を、黙々と割いている、素朴な女性の姿が想像されますね。

 

 

 

 

 

福岡の会社仲間と沖縄旅行に出掛けた耕一さん。そこで知り合ったのが、大学生の女性グループにいた智美さん。はた目がありますから、夜中にこっそり抜け駆けをして車でデート。
 まるで青春ドラマそのままですね。
 「とんでもない。彼女の両親からは猛反対を受けましたよ」と、耕一さんはつい昨日のことのように厳しい目で話します。
 「私は滋賀県・甲賀の出身なんですが、両親には九州の男性は男尊女卑のイメージが強かったんです」智美さんは表情を変えず、「結婚どころか、交際すら認めてもらえませんでした」淡々と語りました。
 「彼女の実家に押しかけて、真冬の玄関先で父親と一時間半ほど話し、さらに翌日は母親と話し・・・、寒かったですよ」
 それでやっと許可を得られたわけですね。
 「いいえ、彼女が黙って私の背後に回って来たんです」耕一さんは、当時を思い出したように智美さんと視線を合わせました。
  こうして二人は、智美さんの卒業と同時に結婚。やっと、いつでも一緒に過ごせるようになって、良かったですね。
 「それが、主人は仕事でほとんど家にいなくて、我が家は”妻問い婚”みたいだと思ってます」智美さんは、やはり表情を変えません。
 「今、初めて彼女に話しますが、私は自分を一番に考えているんです。そして二番目が社会貢献。家庭は三番目なんです。」耕一さんは男っぽい口調で力説します。
 「でも、それでいいと思います。彼が大きくなれば、その大樹に家庭が守られるわけですから・・・。家族が増えて、私は幸せです」
 智美さんは健気な女性なんですね。
 「彼女には感謝してますよ。私がいなくても家庭を守ってくれていますし、遠い所から嫁いで来たのに、今では私より以上に地域の人々と親しいくらいですから。この変身振りは見事です」

 まるで、冒頭に掲げた芭蕉の句にある女性みたいですね。
 ところで、芭蕉と言えば一説に忍者であったとも言われています。「奥の細道」の行程や滞在日数などから、どうも単なる俳句作りの旅とは思えないと言うのです。彼のイメージからは想像がつきませんが、だからこそ忍者説があるのでしょう。

 

 

yoroshiku_34_02.fwそう、智美さんは甲賀の出身でしたね。忍術に
は土遁(どとん)の術、火遁の術、水遁の術な
どありますが、これほどまでに耕一さんを惹き
つけたのは、“好いとんの術”かもしれません。
表情を変えず淡々と話す智美さん、もしや、
「くノ一」忍者では。

 

 

2008年2月vol.41 「よろしく先輩34」

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松永秀文・智子ご夫妻

「光り輝く」

松永 秀文・智子ご夫妻 (有)MIKUTO工業 社長

yoroshiku_33.fw代表的な冬の星座に“おおいぬ座”がありますね。その主星が、全天で最も明るいシリウス。
 二月中旬ですと、八時から九時ころ南の夜空に目を向けるとすぐに見つけることができます。
 古代エジプトでは、季節の始まりを示す星と言われていました。

 

 

 

 

 

玄関ドアを開けると、明るい四人の子供たちが元気よく迎え入れてくれました。そして、部屋の奥には大型犬ボルゾイがいます。
 秀文さんは二十八歳、智子さんは二十五歳。ずいぶん早い結婚だったんですね。
 「私が二十一歳、彼女が十八歳のときでした」
 秀文さんが、とある場所で声をかけたのが交際の始まりだったそうです。
 第一印象は、お互いにとても良かったとか。
 でも、若い二人のこと。親の反対はなかったのでしょうか。
 「それは、別にありませんでした」と、智子さん。
 「むしろ、早くしなさいと言われましたね」秀文さんが付け加えました。
  まだまだ遊び盛りだったと思いますが、同世代の友達が羨ましくありませんでしたか。
 「そう感じたこともありますけど、そのぶん子供は早く手が離れますから」智子さんは話します。
 なるほど、長男が今七歳ですから、二人が四十歳前後のときには成人しますものね。
 ところで、若い時は互いに情熱がありますからいいでしょうが、子供さんが四人も出来ると感情に変化はありませんか。
 「私は特に変わりません」智子さんは首を振り、「うん、何も変わりませんね。ただ私は四人目の子供が出来てから本当の意味で子煩悩になりましたね」秀文さんは、力強くうなずきました。夫婦としてだけでなく、家庭を守る責任が増したのを実感するようになったと言います。
 すると、部屋の奥でボルゾイのシャネルが微かに唸りました。

 

 

yoroshiku_33_02.fwそう、シリウスは連星で、シリウスAとBの二
つの星が寄り添って存在しているんです。
 それが“おおいぬ座”の主星なのは、まるでこ
の家族を表現しているみたいですね。ギリシャ
語で“光り輝くもの”の意味だそうですから。
 きっときょうも、家族六人と一匹は明るく賑
やかに輝いているはずですよ。

 

 

2008年2月vol.40 「よろしく先輩33」

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栗林慧・洋子ご夫妻

「熱き思いに」

栗林 慧・洋子ご夫妻 昆虫写真家

yoroshiku_32.fwマグマの熱で、周囲の岩石の組織が変化すると変成岩になります。でも、熱が強すぎたり距離が近すぎると融けてマグマになってしまいます。
 ほどよい熱や距離が大切なのは、どこか夫婦関係 にも通じる気がしますね。

 

 

 

 

 

二人は、会社勤めをしていた頃の同僚で、結婚したのは、将来プロの昆虫写真家を目指していた慧さんが二十四歳、洋子さんが二十二歳の時。しかも、知り合って一年も経たないでゴールインしたのだそうです。洋子さんには不安はなかったのでしようか。
 「何もありませんでした。将来の事なんて誰にも判らないんですからね。若い時の結婚はいいですよ」
 「主人は真面目な人でした。だから迷わず結婚したんです。それは常々、親から言われてましたから」
 では、慧さんにはどんな女性に見えたんでしょう。
 「まあ・・・、良かったんでしょうね・・・」と、上の空。昆虫の話以外にはあまり関心がないのだそうですから、今日までの人生は洋子さんに振り返って頂きましょうか。 

  慧さんがプロとして独立したのが三十歳の時。それ以降、洋子さんも慧さんの仕事を通じて大勢の人達と出会うことになったのだそうです。
「結婚するまでの私は、何もせず漫然と暮らしていましたが、主人のヘルプをするようになって人生観が一転しましてね。昔の同級生からは、見違えるほど人が変わったと言われましたよ。そして強くなりましたね。奥さんが強くないと家庭は納まりません
から、この点も良かったですね。分野の違う人達との出会いも多くありましたし、二十二歳から一流の写真を見て来ましたので、人や物を見る目が出来ました・・・。何もかも主人のお陰です」

  二人はやがて結婚四十五年になるのだそうで、洋子さんの表現を借りると“コンビ四十五年”です。
 「夢は・・・、思えば叶いますよ・・・」

 

 

yoroshiku_32_02.fwそれまで、昆虫の世界に思いを巡らせているの
かと思っていた慧さんが、ふと、噛み締めるよ
うに話しました。「現実に・・・そうなりまし
たからね」
 そんな慧さんは、洋子さんと対照的に、若い
時のまま変わらないのだそうです。変化しない
人が、パートナーを大きく変化させて来た訳で
す。ほどよくマグマに接した石灰岩が、輝く“大
理石”に変成するのと同じように。

 

 

2008年1月vol.39 「よろしく先輩32」

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波多野徹・富佐子ご夫妻

「もしも・・・」

波多野 徹・富佐子ご夫妻 波多野アンドパートナーズ会計事務所代表社員税理士

yoroshiku_31.fw現在使われている複式簿記の基礎はベネチアの商人の記帳法で、1494年にルカ・バチオリという数学者が著書で紹介したことから世界に拡がった物だそうです。その40年前に、ご存じグーテンベルグが活版印刷を発明していましたから、多量に出版出来たんです。それまでは総て手書きで写すしかありませんでしたから、時代が少しずれていたら記帳法は今とはまったく異なっていたかもしれないとか。

 

 

 

 

 

お見合い結婚だそうですが、きっかけは何だったんですか。
 「男とはいえ、三十才を目前にしますとね、この年でしなかったら・・・何だか焦りのようなものがあって・・・」徹さんは当時の心境をそう話します。
 最近は結婚年齢が高くなっていますが。
 「早ければ良い訳ではないでしょうが、子供の事や人生全体を思えば、ある程度は年齢も大切だとおもいますよ」当時二十四才だった富佐子さんは、最近の結婚事情に首を傾げました。

 ところで、第一印象はいかがでしたか。
 「見合いですので、既に人柄などは聞き及んでましたから、予想通りに真面目な女性でしたね」
 「そう。私の方も、朗らかな人だと聞いてましたし、そんな印象を受けました」
 お見合いから二ヶ月で結婚が決まり、その二ヶ月後に挙式。スピード婚ですね。
 「それが“お見合い”の良いところだと思いますね。人生は何があるか判りませんし、互いに我慢したり譲り合ったりするのは、恋愛結婚でも同じことなんですから」と徹さんは“見合い”の良さを強調します。

 二人はもうすぐ結婚三十周年を迎えるそうですが、新聞報道によりますと、最近ある企業が、結婚三十年を迎えた人たちに調査をし、結婚生活を漢字一文字で表してもらったところ『真、和、絆・・・忍・・・愛・・・』などだったとか。さて、二人はどのような文字を思い浮かべますでしょうかね・・・。
 と、尋ねかけたところで富佐子さんが席を外しました。すると徹さんがポツリと話しました。

 

 

yoroshiku_31_02.fw「実は、私と見合のすぐ後に、彼女へ別の話が
あり、そちらへは妹を紹介したら、そちらが先
に婚約になって、ほんの少しタイミングがずれ
てたら、私も奥さんも人生が変わってたかもし
れませんよ。結婚は“込、込”良いことも、そう
でないことも。君で幸せだったと旅立てる人生
が送りたいですね」ですって。歴史だけでなく、
人間個々も“If”という綱を渡って行くんですね。

 

 

2007年12月vol.38 「よろしく先輩31」

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井手源一郎・伊寿枝
ご夫妻

「そして今は」

井手 源一郎・伊寿枝ご夫妻 棚田米農家

yoroshiku_30.fw田と畑の違いはご存知ですね。稲を作るか、穀物・野菜を作るかで区別します。でも陸稲(おかぼ)という、畑で作る稲もあります。それなら、この場合は畑ではなく田と言い換えるべきだと思うのですが、これは捻くれ者の考えでしょうか。

 

 

 

 

 

源一郎さんは農家の跡取り息子、伊寿枝さんはサラリーマン家庭の娘。文字通り“畑違い”の二人が知り合った経緯は何だったんでしょう。

「中学の同級生だったんです」
 「その事を、主人も私も知らなかったんですが、友達に教えられて思い出したんです」
 すると、昔は意識する仲ではなかった訳ですね。
 「主人はとにかく優しい人なんです。今でも私の友達が遊びに来ると、皆が羨ましがります」伊寿枝さんがおおらかに笑い、源一郎さんが照れ臭そうにうなづきます。

 それにしても、農家の仕事は大変ですし周囲の反対はなかったのですか。
 「私の高校時代の恩師は“一ヶ月も持たないだろう”と話してましたよ。でも、主人は優しい人ですから・・・」と伊寿枝さん。
 「夫婦は、もともと他人ですし、しかも奥さんは全く知らない家に嫁に来るんですからね、大事にしてあげないといけませんよ」源一郎さんは淡々と話します。
 そこに伊寿枝さんが身を乗り出して付け加えました。
 「農家の嫁になるのは大変でしょうと、よく言われますが、大切なのは自分にとって素敵なパートナーと巡り合うことなんです」
 二人は時々、他の農家の息子さん達にお嫁さんの世話をするそうですが、これも自分達の経験に裏打ちされているからこそ出来る事なんですね。
 「うちにも息子が二人いますが、それぞれのお嫁さんが“私達も、お義父さんお義母さんのような夫婦になりたい”と言ってくれるのが、何より嬉しいですね」伊寿枝さんは相好を崩して話します。

 

 

yoroshiku_30_02.fw収穫を控えた棚田の上を、爽やかな風が舞って
行きます。この米は、注文を受けた家庭にだけ
届ける、名付けて“源さん米”なのだとか。今年
も首を長くして待っている人達のもとへ、やが
て届くことでしょう。私達も、少しでいいから
棚田米なる物を食べてみたいと思ったのですが、
場所が場所だけに、この話は棚上げにしておき
ましたがね・・・。

 

 

2007年11月vol.37 「よろしく先輩30」

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川嶋勇次・亜由美ご夫妻

「夜明け前に咲く花は・・・」

川嶋 勇次・亜由美ご夫妻 長崎県営バス運転士

yoroshiku_29.fw台風シーズンですね。皆さん備えは万全ですか。
ところで、気圧を表す単位はパスカル。物理学でなじみのブレーズ・パスカルに因んだものなのはご承知の通り。大気圧は100倍を意味するヘクトを付けますが。でも、意外なのは世界初の公共交通機関を考案したのも彼なのだとか。1662年に、それまでは限られた富裕な人しか乗れなかった馬車を、皆でお金を出し合って利用できるようにした乗り合い馬車。つまり、今日のバスなんですね。

 

 

 

 

 

「子供の頃から大きな車が好きだったんです」
勇次さんは、そのまま大人になったような目で話します。なるほど、それでバスの運転手になったんですね。すると亜由美さんがガイドで、職場恋愛だったのではありませんか。
「いいえ。お互いの遠い親戚の紹介で知り合ったんです」
そうですか。今も二人ともほのぼのとした素敵な笑顔ですが、第一印象も良かったんでしょうね。
「おとなしそうな女性でしたよ」
「あら、そうだったの。私の方は優しそうな人だと思ったけど」
おやおや、いきなりオノロケですか。中学生と小学生の子供さんが二人いるとは思えませんね。いつまでも仲の良い秘訣は何でしょうか。
「思いやりでしょう」
「ええ、私もそう思います」
さて、ここから先はオフレコでと言われていましたが、皆さんにだけこっそりお話し致しましょう。
新婚当時、長距離バスに乗っていた勇次さんが、早朝の暗い国道を走って自宅の近くまで来ますと、いつも窓辺からバスに向かって懐中電灯の光がクルクル回っているのが見えたそうです。暗闇に咲いた花は、亜由美さんから勇次さんへの愛のメッセージ。
結婚当初から今日に至るまで、二人の“心気圧”は絶妙に調整され保たれて来たんですね。

 

 

yoroshiku_29_02.fwそれはそうと、パスカルはパンセの中で“人間は
弱い葦である。だがそれは考える葦である”と述
べていますね。さて、私も弱い葦ですから考え
なければ。あちらさんは今朝から機嫌が悪かっ
たようですから、そっとそっとしておきましょ
うか。気圧の谷を作らないよう、低気圧には近
付かないのが賢明ですよね、皆さん。

 

 

2007年10月vol.36 「よろしく先輩29」

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塚原祥禎・ツヤ子ご夫妻

「いつもの事だけど」

塚原 祥禎・ツヤ子ご夫妻 塚原造船所 代表

yoroshiku_28.fw南太平洋フレンチ・ポリネシアには、ヘイヴァ・イ・タヒチと言う祭があり、その中でカヌー競技が催されていますが、この風景を見ていますと、ふとペーロンを思い起こします。
 物の本によりますと、ペーロンは中国の詩人の屈原が世情を嘆き悲しんで入水を図った時、それを助けようと早舟を仕立てて捜したのが始まりだとか。今日では中国南部から東南アジアまで分布するそうですから、かなりの騒動になったものですね。

 

 

 

 

 

舟は杉、櫂は樫を用いるそうですが。
 「丈夫な舟と、水中でやや曲がって撥ねる櫂が必要ですから、これからの気を使うんです」
 さすがに職人さんですね。挨拶を終え、仕事の話になると祥禎さの目付きが凛々しくなりましたよ。
 ところで、現在は奥さんが入院中で一時帰宅しているだそうですが、お互いにどのような存在なのですか。
 「さあ、それは一口では表現できませんね」
 では、ご主人とツヤ子さんを舟と櫂に例えると、どちらがどちらなんでしょう。
 「それも難しいですね。夫婦は一心同体ですから。ただ、舟の打ち合わせに多くの人が来て料理や酒を出しても、本人は声を掛けてない限り部屋には入りません。台所の板場に坐ってますよ」
 これは相当な亭主関白なのかなと思いますと、ツヤ子さんが自らそうしているのだそうです。

 そんな昔気質のツヤ子さんが不在だと、困ることも多いでしょうね。
 「娘が二人いますから、日常生活で困ることはありません」祥禎さんは、優しい目で話します。「ただ、七時頃に仕事を終えて家に戻っても、娘達はまだ帰っていませんから、“お帰りなさい”とか“お疲れ様”がないんです。誰もいない所にひとりっきり・・・。普段は当たり前であることが、ふとした機会に消えてしまうと、改めて有り難みが判るんですよ。それが夫婦なんでしょうね」

 

 

yoroshiku_28_02.fwそして、ポツリとツヤ子さんが付け加えまし
た。
 「今があることを、お互いに感謝していま
すよ」
 結婚四十年を迎えたベテラン夫婦ならでは
の境地かもしれませんが、それも日々の“思い
やり”があってこそなんですね。
 私共もそう努めようと思いますけど、その
前に互いの“思い込み”をなくすのが大変そう
ですがね。

 

 

2007年9月vol.35 「よろしく先輩28」

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宮下光世・昌子ご夫妻

「愛の形」

宮下 光世・昌子ご夫婦 長崎神経医療センター院長 安永産婦人科医院理事長

yoroshiku_27.fwイギリス人の男性に“子供と奥さんとどちらかを助けなければいけない状況の場合、どちらを助けるか”と質問すると“妻”と答え、女性に聞くと“夫”と答えるそうです。日本人なら、ほとんど“子供”と言うでしょうが・・・。

 

 

 

 

 

光世さんと昌子さんは同じ年齢。しかも、診療科目こそ違え同じ仕事でもあります。そんな二人が出会ったのは、同じ国立病院に勤務している時の“独身会”と称する飲み会なのだとか。
 第一印象は特別には何もなかったそうで、結婚を決めたのは数年後。このあたりの経緯が一番知りたいところなのですが、見詰め合う二人の表情だけで解放して差し上げましょう。

 ところで、初産が遅かったそうですね。
 「三八才の時に、帝王切開しました」
 いわゆる高齢出産になる訳ですが、昌子さんの本業が産婦人科ですから大丈夫だったんですね。
 「そんな事はありません。やはり、リスクは伴います。しかも生むだけでなく、その後に続く子育てがありますから・・・」
 昌子さんは専門の立場であるより前に、ひとりの母親の顔で話します。
 それにしても、三人の子供さんに恵まれたのも凄い事ですね。
 「子供を持って知る幸福がありますからね」少し照れながら光世さんが続けます。「何よりも、子供は親の分身なんです。困った事に、イヤな所が似て来ますけど・・・」

 

 

yoroshiku_27_02.fw職業柄、どちらも多忙な二人。偶の休日にハウ
ステンボスへ出掛けるくらいしか時間が取れな
いと嘆きます。
 それならば、仕事上でも互いに助け合ってい
るのかと思いますと“仕事に関しては他人”なのだ
そうです。愛とは難しいものなんですね。

 この二人に上記の質問をしたら、どんな答が
返って来るんでしょう!えっ、わたしですか。
もちろん自信を持って“妻”と答えますよ。だっ
て、私には子供がいませんから・・・。

 

 

2007年8月vol.34 「よろしく先輩27」

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上野修・貴美子ご夫妻

「聖家族」

上野 修・貴美子ご夫婦 くるみ幼稚園園長

yoroshiku_26.fw『教育の目的とは、空っぽの心と開かれた心を入れ替えることである』と、経済誌の発行者マルコム・フォーブスは言っています。
昨今のような“詰め込み式”ではなく、子供が関心を持てば自ずと知識が入ってくるシステムを構築することなのでしょう。

 

 

 

 

 

「三才までの教育が重要なんですよ。うちでは“心・体・知恵”を基本にバランスがとれた教育につとめています」
修さんが熱く語り、貴美子さんが相槌を打ちます。でも、修さんは大学で法律を学び、貴美子さんは同じ大学の教育学部の出身なのだそうですが。
「実は、一般教養だけ同じクラスだったんです。それで何となくグループが出来て・・・」
「気が付いたら主人と二人だけになっていましてね」
なるほど、知り合った経緯は解りましたが、どうして法学部出身の修さんが幼稚園の経営に携わるようになったのですか。
「卒業後は東京で銀行の外為課にいたのですが、まあ、何となくこんなことになったようで・・・」
「幼稚園はうちの父が始めたんですけど、私は一人娘ですので、後を継ぐためには・・・」
「それで銀行を辞めて、全国の幼稚園を見て回って勉強をしたんです」

明るくて社交的な貴美子さんと、堅実な印象の修さんは、まさにベスト・カップル。そう言えばお互いに顔立ちが似てますね。
ところで、一旦は別々の世界に進んだ二人なのに、結婚の決め手になったのは何だったのでしょうか。
「私は、主人の両親と会った時に、彼に勝るとも劣らずとても素敵な方達だったので決めました」
「そう、私も同じことを感じましたね。結婚は二人だけの問題ではありませんから、親兄弟、親戚との関係はとても大切ですよね」
「素敵な相手を見つけるだけでなく、その人を取り巻く人達の存在も忘れてはならないでしょう。家族と家族の繋がりが良好であって初めて、良い夫婦になれるんだと思いますよ」

 

 

yoroshiku_26_02.fw含蓄のある言葉ですね。ですけど、話を伺って
いても一番肝腎な部分、つまり修さんが銀行を
辞めてまで貴美子さんと結婚した訳が伝わって
来ませんね。こちらは“空っぽの心”のままなん
ですよ。
“開かれた心”と入れ替えて頂けませんか、ご両人。
 

 
 

 

2007年7月vol.33 「よろしく先輩26」

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八木敏夫・光子ご夫妻

「大地と共に」

八木 敏夫・光子ご夫妻 株式会社 日野江 代表取締役

yoroshiku_25.fw一年の計は穀物を植えるに及ぶ物はない。十年の計は木を植えるに及ぶ物はない。百年の計は人を植えるに及ぶ物はない。春秋時代の管仲の言葉です。
 人生はそれほど長い訳ではありませんから、果樹を育てる仕事がいかに大変なのかが解りますね。

 

 

 

 

 

「農業は少しづつ広げていく物なんですよ」
 敏夫さんは話します。
 「作物にもよりますが育苗には7~10年もかかります。単年作と違い、子育てみたいに難しいんです」
 光子さんが敏夫さんの労をねぎらうように続けました。
 でも、それだけ時間がかかるとブームなどで消費者の嗜好が変わったりしますよね。
 「そうです。だから絶えず先を考えながら取り組む事が必要です。いいと思って飛び着くと失敗しますから、ゆっくり考えてやって行くんです。しかも、一品種で十年は持ちませんから・・・」と敏夫さん。
 「まるで結婚生活みたいね」光子さんが笑いました。

  そうですか、それだと話が早いですね。お二人はお見合い結婚だと伺いましたが、経緯は。
  「近所の人から話がありまして、親がこの娘さんなら大丈夫と言ってくれたので決めました」敏夫さんが初めて照れた笑顔になりました。
 光子さんは農家の娘さんではないそうですが、抵抗はありませんでしたか。
 「私は何も解りませんから、主人について行くだけですので・・・」
 家事、育児、仕事と大変なのではありませんか。
 「料理は最近まで義母がしてくれてましたから、私はこれもまだ卵なんです」

 ところで話は戻りますが、ご近所の方のお話ですと、敏夫さんは何か大きな夢を持っているとか。
 「ええ、中国向けの作物を計画中なんです。だから、作るだけでなくバイヤー達との信頼関係も大切になりますね」

 

 

yoroshiku_25_02.fw農薬の規制があり、しかも旨くて安い物が求め
られる時代ですから、それだけでも大変でしょ
うが、これからは人間性のように姿形のない物
まで影響して来るんですね。まさに、冒頭で紹
介した管仲の『百年の計』の部分ではありませ
んか。人と大地を相手に生きるのは、さすがに
奥深い物なんですね。
 ああ、それで思いだした。今週末は実家に戻
って菜園にナスビの苗を植えるように頼まれて
たんだ。買うほうが早くて安いのに・・・あ、
考えが浅いか。

 

 

2007年6月vol.32 「よろしく先輩25」

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浦川太一郎・敦子ご夫妻

「誰も知らないところで」

浦川 太一郎・敦子ご夫妻 クラフトベーカリー・オロン

yoroshiku_24.fw「うちの奥さんをパンに例えると、食パンですね」太一郎さんが、敦子さんを見る目を細めました。
 「主人は、そうですね、フランスパンでしょうか」敦子さんも、太一郎さんを改めて観察するように小首をかしげて言います。結婚して九年目だそうですから、こうしてマジマジと見つめ合うのは照れ臭そうですね。

 

 

 

 

 

二人が知り合ったのは、太一郎さんがパン職人の修行をしていた福岡での事。敦子さんの友人と仲の良かった太一郎さんが、いつの間にか遊び仲間に加えられていたんだとか。同じ夢を持つ若者たちなのですが、そこから先の結婚に至る詳細は“忘れた”そうですから詮索はよしましょうか。

 さて、こうして“食パン”と“フランスパン”の交際が始まった訳ですが、ちょっと今、お店がお忙しいようですので、その間、ここで皆さんと一緒に考えてみましょう。
  “食パン”とはどんなパンなのでしょうね。食べるに決まっているんですから“食”を付ける必要はないのに、と思いませんか。  もう一つ、“フランスパン”はどんなパンですか。
 語源や説とされる物は様々にありますから、あくまでも一般的に言われていることですが、“食パン”は他にも“食べないパン”があるからだとされます。油分が少ないので、デッサンをする木炭を消すのに使いますからね。これはイギリスパン。
 では“フランスパン”はどうでしょうか。これも皆さんがイメージされる物だけでなく、フランスで作るパンの総称なのだとか。つまり、こちらのご夫婦はイギリスとフランスの関係なんです。世界史で習う『百年戦争』の対戦国同士みたいですね。今も両国は、あまり仲は良くないと聞きますが・・・。
 二人の仕事は、朝の三時半ころから夕刻六、七時ころまでだそうですから、かなり大変なんですね。
 「皆さんの喜ばれる顔が私達の幸せでもあります」
 「誰もが夢をみている間に、私たちは一緒に夢を作り焼き上げているんですよ」

 

 

yoroshiku_24_02.fwなるほど、百年戦争になぞらえたのは失礼でし
たね。そう言えば、ドーバー海峡には海底トン
ネルがあり、イギリスとフランスは国際列車ユ
ーロスターで繋がってますもの。この二人も、
人知れずしっかりと心を通わせているんでしょ
うね。

 

 

2007年5月vol.31 「よろしく先輩24」

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山口広助・梅美ご夫妻

「素敵なタイミング」

山口 広助・梅美ご夫妻 料亭 青柳

yoroshiku_23.fwベートーベンの交響曲第五番『運命』は、曲頭の四つの音符の前に八分休符があります。音のない空間から始まるのですから、休符は要らないと思 うのですが、ピアノなどで試してみますと、なければ緩慢な出だしになってしまいます。

 

 

 

 

 

広助さんは大学を出ると、そのまま横浜の会社に就職をしました。そこで知り合ったのが梅美さん。でも、広助さんは退職して長崎に戻ることになります。
 「送別会のあと、最後にデートしてくれませんかと誘ったんです」広助さんは穏やかに話します。
 「私は特別な感情は持っていませんでしたし、気軽に応じました」梅美さんは明るく語ります。
 でも、それを機会に、離れて以後も電話のやりとりが続き、お互いに訪ね合うようになります。
 「私が彼を意識し始めたのは、一年ほど経ったころですね」
 こうして遠距離を越えて結婚。梅美さんは“若女将”になりました。

 慣れない世界での生活は、大変だったのでは。
 「それは何も感じませんでした。真っ白な状態からのスタートでしたから、それが良かったんだと思います。お客様をおもてなしするのも好きですから」着物の着付、茶道、華道などを習う日々が続いたそうです。
 一方の広助さんは。
 「料亭では、男はする事がないんですよ。あちこち出歩いて、いろんな人と知り合うことが営業代わりになるんです」
 なるほど、自治会や史談会など数多くの公職に就いていますね。
 「ですから、結婚してから知り合った女性の中にも、素敵な人が大勢いまして」
 「--あら、そうなの」梅美さんの言葉が八分休符のように遮りました。
 「・・・だから結婚にはタイミングが大事だし、できるだけ多くの人と接するべきですねと言いたいんですよ」広助さんは緊張した面持ちで、こちらに視線を戻しました。
 「そうね、送別会の後で誘われていなかったら、結婚してなかったかもしれないし・・・」

 

 

yoroshiku_23_02.fw人生にはどこかで分岐点がある物ですが、二人
のように、別れ間際の八分休符にも似たタイミ
ングが、その後の人生を大きく変えたことを考
えますと、正直な言葉にまさる運命はないのかもしれませんね。ですから、こちらもですね、
正直に申します。先程から足がシビレてましてね、延ばしてもいいですか・・・。言い出すタ
イミングを逃して・・・しまいましてね・・・。

 

 

2007年4月vol.30 「よろしく先輩23」

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佐々野利春・恵利ご夫妻

「浮雲」

佐々野 利春・恵利ご夫妻 ささの耳鼻咽喉科クリニック院長

yoroshiku_22.fw“今一言・・・今一言の言葉の関を、踰(こ)えれば先は妹背山”
 現在では古典のジャンルになるようですが、明治二十年に出版された二葉亭四迷の小説の一節です。
言文一致運動の先駆けとなった頃の作品で、江戸時代の文体を模していますから解りにくいかもしれませんが、『あと一言、肝腎な言葉が言えたなら結婚できるのに』となるでしょう。今も昔も、愛の世界への入り口を抜けるのは多難ですね。

 

 

 

 

 

「主人は口数の少ない、人見知りをするタイプなんです」隣に座る利春さんをみつめながら、恵利さんは笑います。
 「彼女は逆に、よく話をするんですが。私は苦手でして」利春さんは、すがるように恵利さんを見つめました。お見合い結婚だと伺いましたが、お互いの第一印象はどうだったのでしょう。
 「主人は、普通の人でしたね。でも、眼鏡の奥はとても優しい目をしていました」
 「私は、明るい女性だなと・・・」二人は見つめ合いながら、しきりに照れています。先日、結婚十年目を迎えたとは思えない、恋人同士のような雰囲気です。
 年齢が一回りほど違うそうですが、決め手になったのはどんな点なのですか。
「趣味や好みは違いますが、価値観が同じなんですね」利春さんが、きっぱりと話します。
 それを受けて、恵利さんはうなづきながら「肝心なことは言葉にしないと伝わりませんから、これも大きな決め手だったと思いますよ」
 でも、利春さんは口数が少ないのでは。
「“うちに来ませんか”と言われて、遊びに誘われたのかと思ってたら、それがプロポーズだったんです」恵利さんは、明るく笑いました。
 当時、恵利さんはイタリアに留学中で、お見合いの翌日には、残りの四ヶ月の勉強のために日本を離れたのだそうです。

 

 

yoroshiku_22_02.fw「だから、夏に知り合って、最初のデートは冬
でしたよ」利春さんは当時を思い出したように
ため息をつきました。なるほど、言文ではなく
“言動一致”しようにも、相手が目の前にいない
のですからね、身も心もポッカリと浮かんだよ
うな時だったことでしょう。でも、話しを聞い
てますと、こっちが浮いて来るんですけどね、
ご両人!

 

 

2007年3月vol.29 「よろしく先輩22」

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石松隆和・史子ご夫妻

「せっせっせーのよいよいよい」

石松 隆和・史子ご夫妻 長崎大学工学部教授

yoroshiku_21.fwロボットと聞くと何を連想しますか。日本人なら、世代を超えて『鉄腕アトム』と答えそうですね。時代の最先端どころか、遥か未来への夢がひろがります。でも、ロボットとおぼしき物が考案されたのは随分昔のことのようです。最古の記録とされるのは、紀元前八世紀、ホメロスの叙事詩『イリアス』に登場する鍛冶の神へーパイトスの作った、身の回りの世話をする“黄金の少女”だとか。

 

 

 

 

 

「私もアトムを作りたいと思ってましたよ」
 大学で介護用ロボットの研究開発を手掛ける隆和さんは目を輝かせます。
 「しかし、自分の傍らに寝たきりの親がいて、人類の未来だとか夢だとか言ってられないでしょ。現実に役立つ物でなければ意味がないと思いましてね」
 側で、大学のピアノ講師を勤める史子さんもうなづいています。
 「私はピアノ曲だけでなく、“わらべ歌”を通して子育ての支援をしているんです。手遊び歌でスキンシップをとることって大切ですよね」

 隆和さんの実家は福岡の農家。そのせいでしょうか、子供の頃から開けっ広げな性格で、幼い子やお年寄りが大好きなのだとか。一方の史子さんの実家は福岡の病院。では、知り合ったきっかけは・・・。
 「主人が大学院時代に私の弟妹の家庭教師をしてまして・・・」
 そこで、一目惚れですか。
 「とんでもありません。玄関のチャイムが鳴ったから出てみると、ビーチサンダルに短パン姿の男の人が立ってまして驚きましたよ」と史子さん。
 「ラグビーの練習帰りでしたから。でも、こっちだって、何だこの女はと思いましたがね」
 結局、史子さんのお父さんが二人を飲みに連れて行き、それから本格的な交際が始まったのだそうです。でも、決め手は二人とも話してくれません。 

 

 

yoroshiku_21_02.fw二人の生い立ちや仕事を伺っていますと、対照
的な世界を想像してしまいますが、見つめあう
目の表情からは、子供の興じる“手遊び歌”で、
互いの左右の手をクロスして合わせるような温
かさが伝わって来ました。人間好きだからこそ
出来るロボット、人間好きだからこそ伝えたい
歌。二人を結びつけた決め手は、“わらべ歌の
心”なんですね。

 

 

2007年2月vol.28 「よろしく先輩21」

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弟子丸昭・久美子ご夫妻

「春がいっぱい」

弟子丸 昭・久美子ご夫妻 長与町在住

yoroshiku_20.fwヴィヴァルディの『四季』をご存知でしょう。十二曲からなる合奏協奏曲集の最初の四曲を春・夏・秋・冬と名付けてあります。その最初の曲がホ長調の『春』ですね。ソネットと言う短い歌が付いていて、第一楽章は“春が来て、小鳥がうたい小川がささやきながら流れます。でも、急に暗雲が漂い、雷が襲って来ます”とありますが・・・。

 

 

 

 

 

「定年後の人生は、まさに“春”ですよ」
 昭さんは、言葉より饒舌な笑顔で話します。現役時代は機械の設計士でしたが、三年前に退職して一年経つと、様々な事にチャレンジしようと決心したのだとか。
 「お陰で私は助かりました。だって、一日中家にいて周りをウロウロされると、こちらのペースが乱れますからね」久美子さんはホッとしたようです。
 まず、昭さんは男性料理教室に通い始めました。すると自然に家事も分担できるようになったとか。
 「初めて海外旅行に行って、語学の必要性に目覚めましてね、二人で英会話も習いだしたんです」
 「私が以前からしていたソフトテニスにも参加するようになりまして、買い物も二人でしますし、今ではほとんど一緒に行動しますよ」と、久美子さんは喜んでいます。二人のペースが生まれたんですね。
 昭さんは他にも、子育て支援のファミリーサポートや車椅子ボランティアの活動に参加、充実した日々なのだと生き生きとした笑顔で話します。
 この春からは、英語圏の若い人を対象にホームステイも受け入れているそうですが。
 「ええ。私たちにも二人の息子がいますが、独立して出ていきましてね、どこかで誰かのお世話になっているはずですから」と久美子さん。
 「そう、その分をこちらは違う誰かのために役立つことができれば」昭さんは当然のことのように、笑顔で続けます。「回り回って皆が幸せになれるじゃありませんか」

 入社まもない昭さんが、部品の注文に訪れていた町工場。そこの娘さんに仄かな思いを寄せ、経営者である父親づてに交際を申し込んだ。
「第一印象は、キザで感じが悪かったんですよ」
久美子さんは当時を振り返ります。
「でも、付き合ってみるととても優しくて・・・」

 

 

yoroshiku_20_02.fwヴィヴァルディの『春』第一楽章のソネットは、
雷の後で、“前にもまして楽しい歌がはじまる”と
結びます。二人の門出の春も、定年後の春も、
ちょっとした暗雲の先に広がっていたんですね、
皆さん。

 

 

2007年1月vol.27 「よろしく先輩20」

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鐘ヶ江管一・保子ご夫妻

「思い出は伏流水に似て」

鐘ヶ江 管一・保子ご夫妻 元島原市長

yoroshiku_19.fwヨーロッパ・アルプスの山歩きをしますと、氷河から解け出した小川のせせらぎを耳にすることがよくあります。 歩き疲れた足を浸し、顔を洗ってしばしの休息。雄大な景色の中でホッとするひと時です。
 でも、冷たく心地好いこの水は飲むことができません。岩肌を流れる硬水のままだからです。

 

 

 

 

 

さて、島原半島に目を移しましょう。
  普賢岳に降る雨や雪が地中に浸透し、やがて裾野の島原に湧水となって現れます。
 その島原で、戦後再開した旅館の経営者だった管一さんがお見合い結婚したのが、やはり雲仙の温泉旅館の娘、高校を卒業して間もない頃の保子さん。
 従業員約八十名の中に、若くして嫁いで来たのですから大変だったでしょうね。
 「三男二女を育てながら頑張ってくれましてね、内助の功には感謝していますよ」そう応えてくれたのは管一さん。保子さんはただ微笑んでいるだけ。
 
 その後、管一さんは島原市長を務めることになります。保子さんは以前にも増して苦労されたのではないでしょうか。
  「いいえ。旅館業をしていた時は私も働いてましたが、市長になってからは養ってもらってましたからね、とても楽になりましたよ」
 しかし、平成三年六月に普賢岳の大災害が起こりました。管一さんは自ら陣頭指揮に当たることになります。
 「あの時も、『災害時ではあるけれど、平常心を忘れずに頑張って下さい』と励ましてくれました」
 管一さんは、しみじみと保子さんの存在の大きさを語ります。
 
 二人が若い頃、まだ島原は全国に知られる観光地ではありませんでした。管一さんは市、観光協会、旅館組合の代表者と宣伝隊を作り、地名入りのハッピを着て旅行代理店回りを続けたと言います。
 その後、県教育委員長、市長と多忙な人生を歩み、引退後には『普賢、鳴りやまず』を上梓し、その印税の総てを義援金として寄付を続けています。

 

 

yoroshiku_19_02.fwそれでも保子さんは表舞台に出ることなく、管
一さんを陰から支えて来たのです。
 もちろん管一さんは、そんな保子さんに感謝
の気持ちを忘れたことはありません。
 「世界のあちこち、殆どの国を一緒に旅行し
ましたよ」
 名水百選の町。二人の愛情も、深く静かに湧
き出ているようですね。

 

 

2006年12月vol.26 「よろしく先輩19」

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隈部清久・浩美ご夫妻

「陽のあたる場所」

隈部 清久・浩美ご夫妻 南島原市在住

yoroshiku_18.fw「私はカギっ子でしたから、家族のためにいつでも家にいてあげられる専業主婦にあこがれていたんです」小柄な浩美さんは木漏れ日のように微笑みました。その横で巨漢の清久さんが、お日様みたいに明るくうなずいています。

 

 

 

 

 

二人が知り合ったのは、福岡の大学時代。
バレーボール選手の清久さんが三年生の時、運営委員長を務めた福岡県リーグの大会に出場していたのが、他校の四年生だった浩美さん。一つ年上です。
「三日間の大会で、第一印象は感じが悪かったんですが」と浩美さんは当時を振り返ります。
「でも、大会が終わると、私に“ユーモア賞”をくれたんです」
どう言うことなんですか、清久さん。
「賞状が一枚余ってましたから、自作で賞をあげたんです」清久さんは含み笑いをしています。
「賞状には彼の名刺も付いてましたけどね」
それは公私混同ってことじゃないですか。
「まあ、委員長権限ですよ」大きなお腹を揺すって清久さん。
さすがにバレーボール選手ですね。最初に悪い印象を与えておいて、最後は好印象で決める。これはまさに“ひとり時間差攻撃”ですよ、やりますね。

一年先に卒業した浩美さんは、地元の福岡で小児歯科の受付兼保母をし、清久さんは卒業と同時に郷里の布津へ戻りました。そして一年後に結婚。
「私は誰も知らない町に来ましたから、少しでも知人を作ろうと、誰彼なく挨拶をしていました」
視力の弱い浩美さんは、田圃で働く人と間違えて案山子(かかし)にまで声を掛けたと笑います。
しかも、浩美さんは運転免許を持っていませんから、どこに行くにも清久さんと一緒。
「ですから、“お願いします”とか“ありがとう”とか、自然な気持ちを言葉で伝えるんですよ」
「子供たちにも挨拶は厳しく言い聞かせます。親がしないなら、子供も挨拶なんて出来ませんからね」
清久さんは厳しい表情で、そう続けます。

南太平洋の島々。強烈な太陽の光が降り注ぎ、それが大きな樹木を育んでいます。そしてこれらの木々は、足下に爽やかな陰を宿します。だから誰もが大きな木の下で憩います・・・。

 

 

yoroshiku_18_02.fw二人の様子を見ていますと、ふとそんな情景が
浮かびました。壁のあちらこちらに、三人の子
供達から送られた、お父さんお母さんへの手作
りの感謝状が貼ってあります。なんともすがす
がしいではありませんか。勿論これらの賞状に
は、下心見え見えの“名刺”は添付されてはいま
せんが。あ、失礼、清久さん。

 

 

2006年11月vol.25 「よろしく先輩18」

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児玉盛介・涼子ご夫妻

「町の幸せ売り」

児玉 盛介・涼子ご夫妻 西海陶器株式会社 代表

yoroshiku_17.fw世界最古の土器は、青森県蟹田町で発掘された1万6500年前の物らしい。しかし、焼き物の器は昭和45年に長崎県で見つかった1万2000年前の豆粒紋土器だとされます。縄文時代初期の物。
 器と言えば、もちろん食べ物を煮炊きする道具だから、これによって食文化が大きく変化したことは想像に難くありませんが、今日では転じて『人間の才能・器量』の意味にも使われますね。

 

 

 

 

 

「うちの奥さんはもともと器の小さいやつでしてな・・・」
 盛介さんは、涼子さんをそんな風に評します。
 「いきなり知人を連れて帰ると、『部屋はちらかってるし、食べ物も大した物が無いし、なぜ前もって連絡をくれなかったの』ってうるさくて」
 「当然でしょ、みっともないんですから」
 でも、そんな奥さんも、いつの間にかおおらかになったとか。
 「人間は誰だってね、急に招待されて豪華な接待を受けられるなんて思わないでしょ。それを教えたんですよ」盛介さんはお腹を揺すって笑う。
 ところで盛介さんは交友関係も広いと伺ってますが、これも『器』の広さ・大きさなんですね。しかも、ホームステイを受け入れたり、世代を超えた若い人達に建物を提供したり。
 「そう。私は好奇心が強いですから、自然に人が集まったり、紹介されたりするんですね」
 それじゃ、涼子さんとも自然に。
 「いや、この人は私の父が見つけたんですよ」
 「私は東京で非常勤の音楽教師をしていたんですけど、波佐見に引き上げたら、お話がありまして」
 「三代目の私は、当時、東京の会社を任されてましてね、だから、この人はまた東京へ来たんです」
 決め手は何だったんですか。
 「タイミングでしょうね。そろそろ結婚も考えなければならない年齢でしたし」と涼子さん。
 「私は商売をしてますからね、しっかり者の奥さんでないと困りますから。父はいい人を見つけてくれましたよ」盛介さんは照れながらも真顔になった。

 

 

yoroshiku_17_02.fw陶芸の世界には『焼き物を育てる』という言葉
があります。長年使用しているうちに、独特の
色合いや“味”が出て来るんですね。これは夫婦
の人生にも言えそうですが、どうも先程から見
ていますと、本当に器が大きいのは涼子さんの
ようですよ。時間を掛けて、手のひらの上で“育
てて”いたんですね。

 

 

2006年10月vol.24 「よろしく先輩17」

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古賀重廣・美津子ご夫妻

「バラ色の人生」

古賀 重廣・美津子ご夫妻 古賀電気工事 代表

yoroshiku_16.fw美津子さんの第一印象は、優雅なペンギンでした。小柄だけど、背筋の伸びた、気品のただよう、まさに南極の女王様。
重廣さんは対照的に、すらりと長身な方。
しかし、人は見かけによらぬもの。
「私はダンスを始めて10年ですが、それまではトライアスロンをやってました」。

 

 

 

 

 

若い頃から水泳が得意だったそうで、まるで、一日中でも泳げる白熊みたいな人なんですね。これまた、北極の王子様ではありませんか。

二人は、勤めていた会社で知り合った社内結婚。
その頃、美津子さんは日舞を習っていたそうですね。
「ええ。結婚して子育てをするうちに、靴だけあれば出来るダンスに転向したんです」
でも、鉄人レースをしていた重廣さんが、なぜ、まったく違うダンスに転向されたんですか。
「二人で、映画『シャル・ウィ・ダンス』を観に行きまして、感動したのがきっかけなんですよ」
それにしても、何時間も自転車を漕ぎ、泳ぎ、走る競技に比べると、物足りなくはありませんか。
「とんでもない。ダンスで初めて肉離れを経験したんですよ。僅か1分30秒の間に総ての技をこなす、大変なスポーツなんです」

ところで、男と女を巡る格言や箴言の多くは、互いの違いを示唆するものばかりですが、二人はどうなのでしょう。
主人がダンスを始めてから、会話がさらに増えましたね
「そう、その話題になると止まりませんね」
私の誕生日には毎年バラの花をプレゼントしてくれているんです
なるほど、『愛はしばしば結婚の果実である』とモリエールが言っていますが、あれですね。

 

 

yoroshiku_16_02.fwバラと言えば、確かローマ神話の女神“アウロ
ラ”はバラ色の指をしています。この名前に由
来するオーロラは、知性と創造性を象徴する
光で、南北両極で同じ時に同じ様に見えるそ
うです。相反する極に住む“ペンギンと白熊”
ですが、同じ光の下で暮らしているんですね。
まさに、遠くて近きは男女の仲。
そうだ、こちらも負けずに、今夜はバラを買
って帰りま・・・、いや、止めときましょう。
不慣れな事をすると、有らぬ疑いを掛けられる
のがオチでしょうから。

 

 

2006年9月vol.23 「よろしく先輩16」

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金澤政孝・民子ご夫妻

「野に咲く花のように」

金澤 政孝・民子ご夫妻 長崎市在住

yoroshiku_15.fw子孫を残すために花を咲かせる植物は、受粉に必要な虫や鳥を誘うために色・形を工夫して、ランディング・スペース(足場)まであるといいます。
 林芙美子の言葉を借りるまでもなく、花の命は短いのですから、チャンスが大切なのは人と同じ。

 

 

 

 

 

「この世に、こんなに美しい人がいるのだろうか」
 男と女の出会いの印象ですから、誰が聞いてもこのセリフはご主人だと思うでしょうね。でも、これは民子さんの言葉なんです。
 「当時、同じ職場にいたんですが、ある夜、宴会で政孝さんが酔いつぶれてしまいましてね」
 ここぞとばかり、民子さんはタクシーで自分の家に連れて戻り、介抱したのだとか。勿論、政孝さんも同じように好意を持っていたようです。

 ところで、ご夫婦揃って“押し花”を作るのは珍しいと思いますが、経緯は何だったのでしょうか。
 「息子が小学生の時、夏休みの宿題で植物採集があって、それを手伝ったのが始まりでした」
 以来、民子さんは押し花の魅力に取り憑かれた。
 「民子さんが草花を採集し、私がその場で押し花に加工して手伝ってたんです」と、政孝さん。
 10年経ったある日、民子さんは政孝さんにも創作を勧めてみました。自分とは違う感性に気付いたのだそうです。
 「嫌いではありませんでしたし、子供の頃から自然の中で生きて来ましたから、感性なんて難しいことではなく、身に付いていたんでしょう」
 そう話す間も、政孝さんは創作の手を休めません。
 夫唱婦随ならぬ“婦唱夫随”ですね。
 「ええ、私が師匠で、政孝さんは弟子なんです。・・・ほら、それは少し大き過ぎない?」
 「うるさいな。自分の考えで作ってるんだから」
 おやおや、口論が始まりましたよ。でも、これは日常茶飯事なのだとか。他人の感性が混入すると、訳の解からない物になってしまうんですね。

 

 

yoroshiku_15_02.fwでも、話しを伺っていると、ひとつ争えば、ひと
つ謝り、ひとつけなせば、ひとつ褒め合い・・・。
この繰り返しなのに気が付きました。
 「こんな風ですから、人生がとっても楽しいんで
すよ。政孝さんのおかげで」
 「いやいや、こっちこそ幸せを頂いていますよ」
 まあ、夫婦喧嘩は犬も食わないと申しますが、仲
の良い二人を目の前にしますと、こちらの居場所が
なくなってしまいました。“あの、すみません”この
続きは、私を押し花にしてからに願いますよ。

 

 

2006年8月vol.22 「よろしく先輩15」

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古田滋吉・登記子ご夫妻

「あの頃のままで」

古田 滋吉・登記子ご夫妻 (有)古田勝吉商店代表

yoroshiku_14.fw日本に初めてラムネを伝えたのは、幕末の1853年、浦賀に来航したペリーだとされる。
 それが長崎に紹介されたのが1860年。その後、明治初期に古田勝次が、今の県庁近くで製造・販売を始めた。商標に人が握手をしている図案を用いた、いわゆる“お手引きラムネ”である。

 

 

 

 

 

ご主人の滋吉さんは三代目。早速ラムネをご馳走して下さいました。“ポン”と弾ける音と同時に、ほとばしりこぼれる泡・・・。いやあ、懐かしい。
  ところでお二人の馴れ初めは。
 「共通の知人の紹介でした。サラリーマンの時に」
 「その頃、私は銀行に勤めてまして・・・」
 おや、滋吉さんは学校を出てすぐに跡を継いだのではないんですね。
 「ええ、大手電器メーカーの営業をしていました」
 「紹介された時はサラリーマンだったのに、半年近くお付き合いをして、結婚する時は自営業者になってました」優しくほほ笑みながら、登記子さん。
 それでは、プロポーズの言葉とか場所は。
 「うーん、忘れましたねえ」と滋吉さんが登記子さんに目配せすると、「そうねえ・・・・」何やら意味ありげに見つめ合い、お互いに頬を赤らめてしまった。
 「まあ、それらしいことも言ったんでしょうが」
 すると、登記子さんは滋吉さんの横顔に、はにかむようにうなづいている。野暮な詮索は入り込む余地がなさそうです。

 伝統のあるお仕事ですから、新婚時代から順風満帆だったのではありませんか。
 「いや、とんでもない。結婚した昭和40年代は高度成長期でしたが、外国の清涼飲料に押されてラムネは時代遅れになりましたから」
 「主人は深夜まで働きずくめでしたし、私は四人の子育てもありました。頑張れるんですね夫婦って
 そう振り返る二人は、笑顔で寄り添ったまま。

 

 

yoroshiku_14_02.fw“お手引きラムネ”の商標みたいに手を握り合って
・・・。それが円満の秘訣かもしれませんね

 滋吉さんは、おおらかに笑い、傍らの登記子さん
と初々しい眼差しを交わしている。とても、お孫さ
んのいる夫婦とは思えない雰囲気ですね。
 飲み干すラムネ瓶の中で、ビー玉が懐かしい音を
発てています。見つめ合う二人の心の中でも、若い
あの頃の言葉が・・・。ほら、聞こえて来ませんか。

 

 

2006年7月vol.21 「よろしく先輩14」

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大戸正剛・妙子ご夫妻

「膨らむ愛のヒミツ」

大戸 正剛・妙子ご夫妻 Farmer’s 代表

yoroshiku_13.fwパンの歴史を紐解くと、6000年前のメソポタミアに源を発すると言う。小麦粉を水で練っただけのシンプルな物だ。それが、古代エジプトで偶然にも酵母菌が混じり、今日のようになったそうだ。

 

 

 

 

 

ご主人は昨年まで小学校の先生だったそうですが、よく転職を決意されましたね。
「色々ありまして・・・」正剛さんは多くを語らない。
「夫婦って、笑顔で暮らせることが一番大切ですからね」妙子さんが優しく言葉を添える。
開業して日も浅いようですが、パン作りは、いつどこで習ったんですか。
「特に習った訳ではありません。昔から何でも作るのが好きで、大工仕事もしますし、寿司だって握るんです」
庭の隅には鶏小屋があり、菜園ではローズマリーが育っている。
奥さんも一緒に作るんですか。
「ええ。この店を開くまで私は専業主婦でしたから、ウィークデーに私が準備をして、週末に主人が力仕事をしたり。何でも二人でするほうが便利だし、楽しいでしょ
娘さんも、二匹の犬も、鶏たちも、風にそよぐ花たちも、みんな元気で明るいのはそのせいでしたか。
ところで、二人の出会いのきっかけは。
「私の兄と主人が同級生だったんですけど・・・」と、妙子さんは顔を赤らめた。でも、正剛さんは無表情を装ったまま。
男と女はパンと同じように、小麦粉と水の関係なんでしょうね。それを練り合わせて、情熱があれば自然に夫婦になるんですよ
でも、酵母に相当する物がなければ、今のようにふっくらした関係にはならないのでは。
「・・・・・・・・・・」「・・・・・・・・・・」

 

 

yoroshiku_13_02.fw何度も何度も尋ねてみたましたが、二人は言葉
をにごしてのらりくらりと躱してしまいます。
そして、根負けしたのか、最後にようやく正剛さ
んがニッコリと一言。
「偶然ですよ。古代エジプトのパンみたいに、ど
こかで酵母菌が混じり込んだんでしょう」
なるほど、旨く逃げられましたね。では、企業
秘密ということで、これ以上の詮索は・・・、皆
さんと一緒にこっそりと、好きなようにさせて頂
きましょうよ。

 

 

2006年6月vol.20 「よろしく先輩13」

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山下純一郎・妙ご夫妻

「平成・花咲爺さん」

山下 純一郎・妙ご夫妻 元西海市長

yoroshiku_12.fw「政治家を目指していた訳じゃないんです」
 開口一番、純一郎さんはごく自然に話した。
 若い頃は、真珠の養殖を初め、米軍、便利屋、タクシー乗務員など幾つもの仕事を転々としていたのだそうだ。
 それでは、政治の世界に入ったきっかけは。

 

 

 

 

 

「タクシーに乗っている時に、知人から町議選に出てみないかと誘われましてね。それまで子供会や青年団の世話役のようなことをしてましたから」純一郎さんが32歳の時だった。
 その頃、奥さんの妙さんはガソリンスタンドの経営をしていたそうですが、生活が一転したのでは。
 「今日まで、ほとんど病気がちでしたね」

 二人は、親の決めた話で結婚したのだとか。お互いに19歳の時だった。今では考えられない事ですね。
 「私の親が、三日間だけ行って来いと言うものですから、そのつもりだったんですけど・・・、34年経ちましたよ」妙さんが声を発てて笑い、ご主人が気恥ずかしそうに視線を宙に逸らせた。
 でも、その間に落選も経験されたと思いますが、その時はどのように過ごしてきたんですか。
 「町議で一度、町長で一度の落選をしましたが、鶏卵の販売をしていた兄のもとで配送の手伝いをしていましたよ」
 もともと政治家になろうと思っていなかったのなら、それを機に辞めようとは考えなかったのですか。
 「政治は花と同じなんです。放っておけば咲くのではなく、咲かせないといけない。そして、咲かせっ放しでもダメになる。咲けば、咲かせ続けることが大事なんですよ。家庭もそうでしょ、結婚すればそれでいい訳ではない。しっかり維持して行かないと・・・」

 ところで、純一郎さんは立派な体躯をしてらっしゃいますが。
 「若い頃、相撲や陸上競技、ソフトボールなどで優勝したり、県の代表になったりしました。スポーツを通じて、多くの仲間もできましたよ」

 

 

yoroshiku_12_02.fw「私たちは、大勢の皆さんに支えられて来たん
ですね」妙さんが、しみじみとした口調で付け
加えた。
 さて、新生・西海市ですが、まだ“市の花”は決
まってないようです。これから西海にどのような
花が咲くのか、いえ、純一郎さんはどのような花
を咲かせるのでしょうか。きっと、西の海に映え
る夕陽のような大輪の花なのでしょうね。

 

 

2006年5月vol.19 「よろしく先輩12」

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福﨑 明人・正美ご夫妻

「蜜蜂とタンポポ」

福﨑 明人・正美ご夫妻 大村市在住

yoroshiku_11.fw春の花に色付き始めた野原を舞う、蜜蜂。
彼等は、毎秒250回の羽ばたきで飛び回り、時にはホバーリング(空中静止)をしますが、学問的には詳しいメカニズムは未だに解明されていないのだそうです。この可愛い生き物によく似た乗り物が、ご存知ヘリコプター。

 

 

 

 

 

明人さんは海上自衛官で、対潜ヘリコプターのソーナー(音響測深)が専門。仕事がら、プライベートでも颯爽とした方なのでしょうね。

 

「とんでもありません。少しもハッキリしない性格なんですよ」奥さんの正美さんは言下に否定する。
二人が知り合ったのは、正美さんの知人を通じて始まったグループ交際だったとか。
プロポーズは、どこでどんな風に?
「さあ・・・、 どうだったか。忘れました」と、明人さんは照れくさそう。
「待っていられませんので、私の方から、結婚の意思があるかどうか確認したんですよ」正美さんが呆れたように応える。
新婚当時、正美さんの好きなオペラ鑑賞に行くと、明人さんは隣でうとうとしていたし、今でも、明人さんの好きな温泉に行けば、正美さんはさっさと上 がってしまうのだそうで。
でも、夫婦って性格がまったく正反対だからいいことも多いんですね」と、柔らかな笑顔で付け足す。

 

ところで、ご主人はお若く見えますが、定年間近だそうですね。
「あと2、3年です」
自衛官は、部隊の精強性を維持するため、若年定年制がとられ、五十代半ばで辞めることになるのだ そうだ。
一方、正美さんは四年前からインナーウェアーの販売代理店を始めた。
「それまでは専業主婦でしたが、今からはどんどん飛び回ります。有り難いことに、主人が転勤族でし たから、私もあちこちに友達ができましたしね」
なるほど、二人は人生のターニングポイントも擦れ違うんですね。羽を休めようとする蜜蜂の明人さんと、タンポポの冠毛を持つ花実のように風に舞って行こうとする正美さん。

 

 

 

yoroshiku_11._02.fwでもね、皆さん。ご主人の名誉のためにお話し
しておきますが、帰り際に明人さんが密かに教
えてく れたんです。
「私はソーナーの専門家ですからね、彼女の
心の中はお見通しなんですよ」って。
やはり、二人は本当に似合いの夫婦なんですね。

 

 

*ソーナー…一般的にはソナーですが海上自衛隊ではソーナーと呼ぶようです

 

 

 

2006年4月vol.18 「よろしく先輩11」

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陳東華・楊智香ご夫妻

「あなたに首ったけ」

陳 東華・楊 智香ご夫妻 ホテルJALシティ長崎 代表

yoroshiku_10.fw日本の古語に「山際」と「山の端」があります。「やまぎわ」は山に接する空の部分、「やまのは」は空に接する山の部分。どちらも似たような物で、使い分けるのは難しいのですが、それにしても何故こんな言葉が生まれたのでしょうか?

 

 

 

 

 

「うちの奥さんは、まあ、穏やかな人ですね」
ご主人の陳さんが評すると、
「主人も、まあ、穏やかな人ですよ」奥さんの楊さんも同じ答え。

 

それならば“似た者夫婦”なのかと思うと、
「微妙に違うんです」と、ご主人。
「そう。夫婦って共通の世界を持つのが大切なんですが、でも、お互いに違った方向から接することも必要だと思いますよ」奥さんが補足する。そして、ふと見つめ合う視線は大地と空が接するように、ごく自然。まさに「山際」と「山の端」の関係だ。

 

二人が知り合ったのは、長崎生まれの陳さんが京都で過ごしていた学生時代。京都生まれの楊さんはまだ高校生だったが、華僑協会で中国語を習った時の先生が陳さんだった。
その後、楊さんは高校を卒業して華僑協会に勤めるようになり、そこで仄かな愛が生まれたとか。
陳さんは福建省出身華僑の四代目、楊さんも同じく福建省出身華僑二代目だった。そんな共通の世界が二人を強く結びつけたのだろうと、お互いに若き日々を振り返る。
「それに、結婚って相手の人柄ですよ」
「そうね。この人となら苦労を共にするわよって気持ちがないといけませんよね」

 

現在、陳さんは『上海遊友倶楽部』の代表として、何度も多くの人を上海に案内しているが、この時も奥さんは写真撮影などで、ご主人の仕事をバックアップしている。日常でも、自宅と仕事場の送り迎え
の車の運転は奥さんの役目だとか。

 

ところで、国籍は中国のままだそうですね。
「はい。別に拘りがある訳ではないんですが、必要性も感じませんから」と、陳さん。
「そうね。お互いが“心のふるさと”同志なのよね」二人は頬を紅くして見つめ合う。

 

 

yoroshiku_10_02.fwあれあれ、新婚さんと話しているような雰囲気
になって来ましたよ。母国愛もさることながら、
夫婦愛が一番よろしいようで・・・。
それじゃ、お邪魔にならないうちに、私たち
も退散することにいたしましょう。

 

 

2006年3月vol.17 「よろしく先輩10」

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松尾雄二・ふみ子ご夫妻

「心に虹を持つ」

松尾 雄二・ふみ子ご夫妻 漁師

yoroshiku_09.fw遠くに天草から雲仙方面までを望む、長崎半島最南端の脇岬漁港。
雨上がりの雲の切れ間に薄青い空が拡がっているが、海上に漁船の行き交う姿はない。
「土曜は漁協が休みだから、休漁日なんです」

 

 

 

 

 

銜え煙草の雄二さんが、向かいの岸壁を指差した。
幾人かの男達が、やはり銜え煙草で網の手入れをしている。
その頭上を、先程からウミネコの群が舞っている。あたかも駄々をこねる子供たちのように、出漁を懇願しているかのようだ。このウミネコ、夫婦の絆が とても強いとされるが・・・。

 

結婚は早かったそうですね。
「20歳のときに・・・」ふみ子さんが雄二さんに目配せをして応えた。二人は中学、高校の同級生だった。友達と数人のグループで付き合ううちに、ごく自然に結ばれたらしい。
子沢山の夫婦と伺いましたが。
「五人です」ふみ子さんが伏し目がちに応え、雄二さんが照れ臭そうに指を五本立てた。一番上の娘さんは既に17歳だという。
二人の様子を眺めていると、ウミネコより遥かに仲睦まじいようだ。

 

それにしても雄二さんの船には無線のアンテナが多いんですね。
「ええ。通信用もありますが、他船の情報をキャッチしながら、その日の最良の漁場を探るためにも必要なんです」と、雄二さんは漁師の顔になった。
船の名前は『第一久丸』となってますが、どんな由来なんですか。
「私の母親の名前を一文字取って付けたんです。向こうのが、兄の『第二久丸』です」
雄二さんは、がっしりとした体躯で、まさに海の男の典型なのだが、母親を慕う気持ちは、まるで子離れを強いられるウミネコの子みたいだ。

 

ところで、ふみ子さんの左手の指輪、素敵ですね。
「あ、これ、結婚10年目に買ってくれた・・・」
「スイート・テン・ダイヤモンドです。釣った魚にも、たまには餌をやらないと」雄二さんの顔がほころび、見る見る赤くなった。

 

 

 

yoroshiku_09_02.fwそれじゃ、そろそろ20年目のプレゼントも考え
ないといけませんね。
「私には、煙草をやめてくれるほうが、もっ
と嬉しいのに」ふみ子さんは、プレゼントのこ
とよりも雄二さんの健康を気遣う。何とも睦ま
じい夫婦だ。
そういえば、五人の子供たちも笑顔がとても
綺麗で、目が輝いている。さっき、背後の天草
方面の空に、アーチ型の淡い光の筋が見えた気
がしたのは、この家族7人の心の底からの優しさ
が織り成した、虹だったのかもしれない。

 

 

2006年2月vol.16 「よろしく先輩9」

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石橋義昭・政代ご夫妻

「笑う鯨」

石橋 義昭・政代ご夫妻 石橋貝産物 代表

yoroshiku_08.fwインドネシアのレンバダ島民は生存捕鯨を認められた人々だが、漁に出る船では話をしないという。鯨は人間の言葉を理解すると信じられているからだ。
それと同じ理由ではないのだろうが、ご主人の義昭さんはいたって無口。
そもそもお二人のなれそめは?

 

 

 

 

「・・・そんなことは、忘れたですね」
あとはシジミのように口をつぐんだまま。
「私は森山町の農家の出身なんですが、ある時この店で住み込みで働く事になりまして。主人の姉たちに気に入ってもらえて、それで・・・」
こちらも言葉を抑え、店の奥で包丁を使う義昭さんに目配せをしている。
しかし、ご主人はまんざらでもなさそう。いえ、ちょっと照れくさそうな笑顔だ。
鯨はもとより、貝類も昨今は漁が減っているようですが?
「そう、厳しいですね。ですけど農家の仕事に比べると、商売のほうが楽ですよ。動きが全然ちがいますから」と、政代さんは気丈に応える。その間も義昭さんは無言で包丁の手を休めない。それなのに、政代さんの言葉には微妙に口許を暖めている。
鯨は、人間には聞こえない低周波で数千キロ離れていても交信できると言うが、まさにそれかもしれない。二人には周囲の人には気付かれることのない特殊なコミュニケーション法があるのだろう。

 

 

yoroshiku_08_02.fwそんな妄想を巡らせていると、義昭さんが奥から鯨の切り身を店頭に持って出て来た。「これを写真に撮りませんかって」と勧めてくれたのは、政代さん。義昭さんは無言のまま、見栄え良く並べている。ふーん、以心伝心!「夫婦に言葉は要らんでしょ」と、義昭さん。まるでこちらの質問を予期していたように一言。そして満面の笑顔。その背後で政代さんも同じ顔。この二人、絶対に鯨にちがいありませんよ。

 

 

 

 

 

 

2006年1月vol.15 「よろしく先輩8」

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リー・フレイク、ウー・ハージョンご夫妻

「ふたりぼっちの世界から」

リー・フレイク、ウー・ハージョンご夫妻

yoroshiku_07.fw「私は東洋人類学を学ぶために韓国の大学に留学しました」アメリカのユタ州出身の御主人、フレイクさんは流暢な日本語で話す。以前にも日本で暮らしたことがあり、今は長崎の高校で英語指導教師をしている。
「主人とは、同じ大学に通うバスの中で知り合いました」

 

 

 

 

 

家で韓国語を教えている奥さんのウー・ハー・ジョンさんも、なかなかの日本語。二人は英語・韓国語・日本語が話せるそうで、日常会話は英語が中心なのだそうだ。

 

それにしても、お互いに親兄弟と離れた日本での生活に、不安や不便を感じないのだろうか?
「食べ物も含めて、特に問題はありませんね」二人は異口同音にそう話す。
「でも、韓国では親兄弟の絆が深いから、私の家族は寂しがっています」奥さんはアメリカとの違いを語ってくれた。それを受けて、ご主人は、 「外国で生活をすると、自分の国のことがよく分かるようになりますよ。色々な事が違いますから」
「そう。だけど希望があって、愛情があれば世界中どこでも暮らして行けると思います」
なるほど。それに可愛い子供さんも生まれたばかりですからね。
「まだ三ヶ月で名前は世娥(セア)と言います。娥は“美しい”の意味です」
産着の中を覗き込む二人の表情は、世界共通。
「子供ってすごいと思います。本当の自分を教えてくれるんですよ」ふと、ご主人が真顔になった。
「私は自分のことを優しい人だと思ってましたが、世娥が泣き出すと苛々することがあるんです」
「私も気付かなかった彼の一面です」奥さんも困惑の笑みを浮かべた。
「そんな時は私も反省させられますよ」
さすがに“この世で一番美しい娘”なんですね。
お互いに母国を離れ、二人きりで始めた新婚生活ですが、今は世娥ちゃんが最初に話す言葉がどの言葉なのか、二人で楽しみにしているとのこと。小さな小さな手のひらと同じように、家の中で言葉の花が咲き始めるのも、もうじきですね。

 

 

2005年12月vol.14 「よろしく先輩7」

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山口徳之・あゆみご夫妻

「そよ風の中の二人」

山口 徳之・あゆみご夫妻 VOICE代表

yoroshiku_06.fw漢和辞典によれば、“若”の文字は元来『したがう』の意味だった。それが国語になって『わかい』と転化した物らしい。詳細な歴史は知る由も無いが、若い時は先人・長老・経験者の言葉に従うべきだとする思想かもしれない。ところが・・・。

 

 

 

 

 

「私は誰の言うこともまったく聞きませんでしたね。親であれ先生であれ」五島出身の徳之さんはそう振り返る。

 

それが高校二年のある日、身内の一言に強い衝撃を受けたのだそうだ。
「ぶらぶらしてないで床屋にでもなってみなさいって言われたんです。生まれて初めてのショック、まさに言霊ですね。」卒業と同時に上京、美容院で見習いとして働くことにした。
「21歳の時、ヘアー・カットのモデルになった18歳の女子高校生の髪を、自分の好みで仕上げたら泣き出してしまったんです。短過ぎるって」
すると横に座っているあゆみさんがほほ笑んだ。
なるほど、合縁奇縁ってやつですね。
「私が25歳、彼女が22歳の時に結婚しました。でもまだ私は独り立ちをしていなかったので、彼女の身内からは猛反対を受けました」
それでも言うことを聞かずに?
「ええ。今に見てろって・・・若さですね」
埼玉出身のあゆみさんを伴って、身寄りのない長崎で“VOICE”を開いた。お客さんの声を聞く意味合いなのだが、家庭内はそうは行かなかった。

 

「随分苦労を掛けました。二人とも郷里を離れてますから、二人の子育ても親の協力を得ずに頑張ってくれてますし。今、初めて言いますが、彼女の愛情は男女を越えた“博愛”ですよ。ギブだけでテイクがないんです」心なしか徳之さんの目が潤む。それを優しい笑顔で受け流して、あゆみさんは話す。
でも、若いっていいですよね。若いから出来ることって沢山ありますから。最近は結婚年齢が遅くなってますが、勿体ないなって思います。その間に幾つもの思い出を作れるのに
そう。喧嘩だってしますが、時間の風化に任せるんじゃなく、互いに聞く耳を持って話し合うことにしてます。だから、いい思い出に変わるんです
話しながら、徳之さんは風に揺れるあゆみさんの前髪を優しく撫で上げる。
先程から何かすがすがしい物を感じていたのは、窓からの風だけではなく、二人の間から醸し出されるハーモニーなのかもしれない。

 

 

2005年11月vol.13 「よろしく先輩6」

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御崎喜嗣・静香ご夫妻

「フライパンの詩(うた)」

御崎喜嗣・静香ご夫妻 ホテルニュー長崎レストランハイドレンジャ調理部長

yoroshiku_05.fw調理と料理はどう違うのだろうか。
強いて言えば、調理は包丁を用いることで、料理はその他に煮炊きなどの加熱をする部分までを含み、さらには完成品自体も表すようだ。“魚を調理した”と言えば、三枚おろしにするようなことで、決して“煮魚”にはなっていないから・・・。

 

 

 

 

こうして一応の解答を出したつもりでいると、喜嗣さんの名刺には「調理部課長」とある。一般的には「料理長」だから、ここでも調理と料理の区別がつかなくなってしまう。
「でも、調理・料理は理屈ではありません。じっと先輩の動きを“見る”ことなんです」

 

若い頃、美容師になるつもりだった喜嗣さんは、アルバイト先のホテルの厨房で皿洗いをするうちに、この道に入ったとか。
「ある時、キャベツを切らせてもらったら合格しました。次に料理を作ってみろと言われ、それまで見ていたまま作ると、これも一発で合格しました。いつも側で動きを見ていたのがよかったんですね」
静香さんとは、福岡のホテル時代に知り合われたそうですが、決め手は何だったでしょうか。
「ええ、そのころ私はフロント係で主人が厨房にいまして、いつも見掛けてましたから・・・」
やはり“見る”のが大切なんですね、男女も
そう言って喜嗣さんはひとしきり笑ってから、
「結婚を考えている時に母が亡くなり、体の不自由な父の面倒をみるため私は長崎に戻ることにしたんです。正直なところ、彼女とのことは諦めるつもりでした」と話す。そんな事情を承知で静香さんはついて来たのだとか。
字は違いますが“看る”って勉強なんですね。主人が先輩の仕事を“見る”のと同じかもしれません」と、静香さんは噛み締めるように語る。

 

喜嗣さんは、2000年にドイツで開催された4年に一度の『料理オリンピック』の日本代表6人の中に選ばれ、世界の32ヶ国から参加した人達を相手に銀と銅のメダルを獲得している。
「母親の料理が根底にあるんです。お袋の味です」
「主人はいつもそう言います。ですから私も3人の子供のために“お袋の味”を伝えたいですね」
今日も、喜嗣さんのフライパンがお客さんの舌を魅了し、静香さんのフライパンが“おふくろの味”を生み出していることだろう。

 

 

2005年10月vol.12 「よろしく先輩5」

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前田健二・光江ご夫妻

「白い恋人たち」

前田健二・光江ご夫妻 ステージ21

yoroshiku_04.fw1871年(明治4年)に「士農工商四民の斬髪勝手たるべき事」という太政官布告が出された。世に言う『断髪令』である。こうして、丁髷(ちょんまげ)を結う“元結い”から“散髪”の時代が到来する。ものの本によれば、一般的に滋賀県から東では「床屋」だが、以西では「散髪屋」と呼ぶらしい。ただ、九州では混用される地域もあるようで、ここ長崎では「床屋」が多いと聞く。

 

 

 

 

ところがこの店は“STAGE21”とだけある。さぞや若い経営者の方だろうと思っていたら、ご主人の健二さんは来年還暦を迎えるとのこと。
随分モダンな名前ですね。
「ええ、実はこれなんです」健二さんが鏡に向かってスイッチを入れると、なんとその向こうにテレビが映った。お客さんが散髪をしながら見ることができる仕掛け。その商品に由来する大阪の先輩の店名を引き継いだのだそうだ。

ところで、お二人はお見合い結婚だそうですが。
「はい。見合いをして6ヶ月と1週間で結婚しました。でも主人はAB型で繊細、私はO型でスッキリタイプ。性格が正反対ですから、喧嘩も多いですよ」と光江さん。
手先の器用な健二さんは裁縫もするという。
「だけど、夫婦は正反対の性格のほうがいいと思いますね」そう言って光江さんが店の表を指差した。理髪店のクルクル回る看板だった。赤は動脈、青は静脈、そして白が包帯だとか。
「例えて言えば、男性的な私が赤で、細かい主人が青じゃないかしら」
それじゃ、白は。
「さあ、正反対の二人の間の“溝”でしょうか…」光江さんは考え込む振りをし、物静かな健二さんが照れくさそうにほほ笑む。
「いつも一緒だから、接着剤か」
「そう、24時間一緒。たまに私が街に出掛けると、必ず携帯電話が鳴るんです。少しでも離れてると、お互いに不安なんですよ。一緒にいるのが当たり前になってますからね」と光江さん。
なるほど、それじゃ休日も御一緒ですね。
「盆休みと正月はあちこち旅行しますよ」
「主人が車好きで、今年も盆休みに石川県の『松井秀喜記念館』に行ったよ、…ね。」
二人は秘密を共有する子供みたいに見詰め合った。
なんだ、白は二人を結ぶ“愛情”って言いたかったんですね。

 

 

2005年9月vol.11 「よろしく先輩4」

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竹山鉄郎・満子ご夫妻

「魔法の階段」

竹山 鉄郎・満子ご夫妻 諏訪の杜 たけやま

yoroshiku_03「出会った頃は、一年のうち360日はデートしてましたね」
一歳年上の満子さんは御主人と顔を見合わせて、明るく、そしてとても照れくさそうに笑った。鉄郎さんも、店の片隅にしつらえた瀟洒なカウンター越しに、まるで30数年前の青春時代に戻ったような目で、顔を赤らめている。
二人は共通の友人を通して知り合った。以来、ほとんど毎日デートをしていたと言うから驚きだ。

 

 

 

 

スタンダールの『結晶作用』を思い出す。冬場、ザルツブルグの塩坑の奥深くに投げ込まれた小枝が、寒さでダイヤモンドのように結晶を付けてきらめいている。恋をすると、平凡な相手なのに美しく見える。その例えである。つまり“あばたもえくぼ”だ。
知り合った当時、御主人はサラリーマンだった。それが、23歳の時、三代目として稼業を継ぐことになった。
「その時“私は酒屋さんに嫁ぐんだな”って、漠然とですが予感がしてましたね」
では、プロポーズはどちらから、どんな言葉だったのでしょう。
「特に・・・」ご主人は坊主頭を撫で、二人は見詰め合った。6年の交際で、お互いよく解っていたし、改めてプロポーズをする必要はなかったようだ。
それなら夫婦喧嘩などないのかと思うと、「とんでもない。毎日、最低でも2度くらいはやりますよ」と鉄郎さん。
おや、小枝の結晶は解けてしまったのか・・・。
「でも、お客様商売ですから嫌な表情で店には出られません」満子さんも真顔になって、「だけど二階から下りて店に来ると、元に戻ってるんです」
夫婦ですからね。自分が考えているようなことは相手も考えているんです。」鉄郎さんは言う。
「そう。だからプロポーズと同じで、仲直りの言葉はいらないんです」
どういうことなんですか。
階段を下りる間に自分の心を入れ替えるんです。すると相手も同じ気持ちになる」満子さんは笑い、
「だから、大喧嘩をした記憶なんて、ねェ・・・」
鉄郎さんも黙ってにこやかにうなづいている。
夫婦円満の秘訣は、住居と店を峻別する“階段”
の存在にあった。それが二人の間で暗黙のうちに培われた人生の知恵だったのだ。
50歳を過ぎたこの二人。どうやら小枝の結晶は生涯解けそうにないようだ。

 

 

2005年8月vol.10 「よろしく先輩3」

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濱美智広・鈴玉ご夫妻

「夢のあとさき」

濱 美智広・鈴玉ご夫妻 中華料理 華豊 代表

yoroshiku_02熊本に中華料理店を営む家族があった。その店の長男と懇意にしていた男子短大生が料理に関心を持ち、いつしか同居するようになる。家には同じ短大に通う同学年の娘がいた。
「世間体があるから入籍しなさい」娘の母親に諭され、二人は結婚。娘はすでに店を手伝うことになっており、男も市役所に採用が決まっていた。

 

 

 

 

「公務員と結婚できたんですから、生活は安定しますよね」奥さんの鈴玉さんはとても嬉しかったと言う。ところがご主人の美智広さんは、そのまま店を手伝うと言い出した。「自分の人生は自分が主役でいたいと思いましてね」当時の心境を振り返る。
しかし、五年後、奥さんは再びご主人の思いがけない言葉を耳にする。身寄りも何もない長崎の南高来・加津佐町で独立すると言うのだ。「家族の中の歯車の一つだと気付きまして。だから皿・鉢を義兄から貰い、僅かな積立をはたいてジャガ芋畑の真ん中にポツンと店を開いたんです」
開店当初は農家の方々を中心にお客はどうにか来てくれていた。
「それが四月下旬にパッタリ途絶えましてね。後で解ったんですが、農家は収穫期で忙しかったんです」と、奥さんは笑う。
客足が戻り、辺りの生活に慣れ始めた頃、また転機が訪れた。
「深夜に利用してくださる方々が増え、次第に世間話や将棋をする溜り場になって、正直なところ大変でした。主役はお客様だったんですね」御主人は苦笑い。
奥さんは体調を壊したと言う。三人の子供に構う暇もない、言い争いの日々。それを見兼ねた御主人の両親が、役所を辞めて手伝ってくれることになった。「お陰で地域の人たちが“仲間”として認めて下さったんです」奥さんは感謝を忘れない。
地元の人々や肉親に支えられた二人は、数年前に店舗を200人近く収容できるビルに建て替えた。今では、長女と婿そして長男が店を手伝っている。
「子供たちが“親の働く姿がなによりの財産だから”と言ってくれたときは・・・なぁ」
御主人からそう投げ掛けられた奥さんは「この主人と一緒に、この仕事ができたからよかったんです。どちらが欠けてもダメだったでしょうね」瞼から何かを振り払うように唇を結んだ。
二人は今年で結婚30周年、そして独立開業25周年の節目を迎えた。

 

 

2005年7月vol.9 「よろしく先輩2」

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