よろしく先輩

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佐々田つよし・裕美
ご夫妻

「恋のマジシャン」

佐々田つよし・裕美ご夫妻 マジシャン・ドゥー

yoroshiku_106.fw手品の起源は諸説あるようですが、最も古いのは紀元前二千五百年頃のエジプトの洞窟壁画。ただし確証はないそうで、最近では紀元前千七百年頃の古代エジプトのパピルスにある記述とされているとか。
いずれにしても、日本では縄文・弥生などの時代ですから、かなり古いのは確かなようです。

 

 

 

 

 

二人は夜間高校の先輩後輩だったそうですが、印象はどうだったんですか。
「僕には単に後輩の一人にしか過ぎませんでした」
つよしさんは無表情で応えます。
「私の方は、一目惚れでした。彼は生徒会長もしてたし素敵でしたしね」裕美さんは目を輝かせます。
互いに印象は随分違ったんですね。
「ええ。私は三回ほど告白したんですけど、振られましたよ」裕美さんは何故か微笑みながら話します。

そんな二人が接近した理由は何だったのでしょう。
「僕が大学生になってから、時々高校を訪ねてたので何となく仲よくなって、それに周囲の仲間に押されて・・・」
つよしさんは、やはり無表情。
「私は・・・、どうでしたかね、理由は解りませんでしたけど」裕美さんも無表情で応えます。

ところで、つよしさんは最近プロ・マジシャンとして活動を始めたそうですが、師匠とかいるんですか。
「いいえ、十歳の頃から独学なんです」
勉強や仕事の合間に特訓してたんですね。
「そうではなく、昔から人を楽しませたり驚かせるのが好きで、音楽もやってましたし、印刷会社でデザインの仕事もしたし、そんな中の一つがマジックだっただけなんです」

その後、つよしさんは東京に行ったそうですね。
「ええ。実は二年ほど同棲してたんですが、どうしてもバンドをやりたくて。上京する前日に婚姻届を出して・・・」
「私は妊娠してたんですけどね」裕美さんは微笑みます。
どう言うことですか。
「僕がバンドをやって、子供が生まれたら東京に呼ぶつもりだったんです」
でも一年で長崎に戻ったのはなぜですか。
「まあ、淋しかったんでしようね」つよしさんは照れ笑いをします。

「実を言いますとね・・・」裕美さんが席を外した時、つよしさんがポツリポツリと話してくれました。
「大学生の時、久し振りに彼女と会ったら、他の男の人と付き合っているのを知ったんです。そしたら急に彼女が気になり出したんですよ」
なるほど。三回も振られた裕美さんがマジックを使ったんですね。奥さんは貴方より腕のいいマジシャンかもしれませんよ、つよしさん。

 

 

2014年5月vol.113 「よろしく先輩106」

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木下健悟・和子ご夫妻

「心の瞳」

木下 健悟・和子ご夫妻 長崎県商工会青年部連合会 会長 ニュートラル+ オーナー

yoroshiku_105.fw“ものごとはね、こころで見なくてはよく見えない。いちばん大切なことは、目に見えない”世界中で今も読み継がれているサンテグ・ジュペリ「星の王子さま」の一節です。普段にはなかなか理解しがたいかもしれませんが、恋をしたり伴侶と連れ添うようになると、折に触れて沁みる言葉ですね。

 

 

 

 

 

二人が知り合った経緯はなんですか。
「飲食店の忘年会の時に。経営者だけでなく、その店のお客さん達も参加してまして」と健悟さん「私は、あるお店のお客として行ったんです」と和子さん。
お互いの印象はどうでしたか。
「彼女は純粋そうでしたね」
「主人は、何でもチャレンジするキラキラした感じでした」

すぐに交際に発展したんですね。
「いいえ・・・」健悟さんはあっさり否定し「一年後くらいからでした」にっこりと続けます。
「私は書店に勤めていたんですが、そこに主人がたまたま本を買いに来て、再会したんです」と和子さんは笑います。
健悟さん、それは偶然だったんですか。
「さあ、どうなんでしょうか」言葉を濁します。
傍らで和子さんも微笑んでいます。

それから一年半ほどで結婚したんですね。
「僕は昔から二十八歳までに結婚したいと思ってましたし」
「そう、会う度に主人はそう話してましたよ」
それは健悟さんの作戦ですか、暗に結婚を即していたのでは。
「いえ、本当に二十八歳までにと。早く独立したかったんです」

結婚してから互いの印象に変化はありますか。
「彼女はフラダンスをしたり習字、料理なんかもしてますが、きちんと家を任せられるしっかりした女性ですね」
「主人は多角的に仕事をして忙しいけど、とにかく子煩悩なんですよ」互いに微笑み合います。

 

 

yoroshiku_105_02.fw多忙で子煩悩と言えば、国民的アイドルだった
坂本九ちゃんを思い出します。彼の最後の歌は
観客の前で歌うことがなかったそうですが、と
ても素敵な歌なんです。YouTubeで聴くことが
できますよ。
健悟さんは和子さんと再会するまで、この歌の
心境だったのではないでしょうか・・・。

 

 

2014年4月vol.112 「よろしく先輩105」

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深山繁樹・友里ご夫妻

「実を言えば…」

深山繁樹・友里ご夫妻

yoroshiku_104.fwイチゴは誰でも知っていますが、食べている実は赤く膨らんだ部分と思っていませんか。正しくは表面にあるゴマのような粒々が実なのだとか。赤い部分は花床と言って、めしべの土台だそうです。「実」をジツと読めば「本当の」の意味になりますね。ですから、これは本当の話なんですよ。

 

 

 

 

 

繁樹さんと友理さんは同い年。同級生だったんですか。 
「いえ、全然違います。僕が洋服を買いに行った店で彼女が働いていたんです」 
「一週間後に、補正した服を彼が取りに来たんですが、私はお休みの日で・・・」 
「それで他の店員さんに僕の電話番号を伝えて貰ったんです」 
友理さんには抵抗がありませんでしたか。 
「いいえ。仕事柄、お礼の電話を入れることはよくありましたから、すぐに掛けました」  
 
 繁樹さんは一目惚れしたんですね。 
「はい。」素直に認めます。 
友理さんはどうでしたか。 
「電話で話していると共通の友達がいることが判って、皆で食事に行くことになったんです。でも友達の都合が悪くなったと、彼一人だけ来て。でも、食事をしてて素敵な人だと思いました」 
それは最初から繁樹さんの作戦だったのでは。 
「うーん、まあ・・・そうですね」

 

 

yoroshiku_104_02.fw交際半年で結婚を決めて、さらに半年後には結婚したそ
うですが、友理さんや家族は農家に嫁ぐことに問題はな
かったんですか。 
「世間では、よくそんな話を聞きますが、私も家族も何
も抵抗はありませんでしたよ。むしろ親はモノ作りなん
ていいじゃないかと喜んでくれましたよ」 
 それにしても、出会い方から初デートまでとてもスム
ースだったんですね。繁樹さんは大学を出て一年ほどアメリカに遊学していたそうですが、その時代に女性の口説き方を学んだのではないですか。 
「いえ、いえ・・・、とんでもないですよ」 
「あら、そうかもしれませんよね」 
二人はイチゴの花のように笑います。 
本当はどうだったんでしよう。まさにイチゴ一会ですからね。あれれ、このシャレだけは使わないつもりだったのに・・・。

 

 

2014年3月vol.111 「よろしく先輩104」

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平田賢史・順子ご夫妻

「海路の日和」

平田賢史・順子ご夫妻 株式会社 米粉屋

yoroshiku_103.fw広大な海の中に見え始めた小島に飛行機が着陸する。何度経験しても不思議な感慨に捉われる瞬間です。一体、島の人達はどうやってこの島に辿り着いたのだろう。無謀な冒険心からか、あるいは何某かの目的のある探検・・・。飛行機も大型船もない時代、彼らは海の果てに何を求めたのだろうかと。

 

 

 

 

 

賢史さんは五島の出身。その後、国内外の旅をしたそうですね。
「二十歳の頃にニューヨークに行って、最後は二十五歳の時に神戸から九州一周をしようとシーカヤックで出掛けました」野性味のある目で話します。
順子さんと知り合ったのもその頃だとか。
「彼がシーカヤツクで長崎に来たときに、私が働いていた知人の飲食店で出会ったんです。
一目惚れしたんですよ私」順子さんは明るく話します。
「僕は二回目に会った時にビビッと来ましたね」賢史さんも穏やかに笑います。

その後、賢史さんは福岡までシーカヤックで行き、旅を終えたんですね。すぐに結婚したんですか。
「いや、そのつもりでしたけど彼女の両親の反対に遇いましてね。なにせ無職でしたから・・・」
「彼は大工見習いなどしながら、一年後に結婚しましたよ。待っても同じことですからね。実は私は失恋したことがあって、その先はやりたいことをしようと考えてたから、困難とは思いませんでしたし」順子さんは、爽やかに笑います。
「僕たちは人生観が似てたんですよ」
「二人でワンセットかな」
「訳もなく旅をしましたけど、その体験が日常生活の目に見えない部分で生かされてる気がします。人生にムダなことはないんですね」
「そうね。それに言葉にすれば実現するものなんですよ」
今は順子さんの御父さんの始めた米粉卸から開発へと拡張していますが、将来の夢は。
「私はカフェを開きたかったから、チャレンジしたいですね」と順子さん。
「僕も応援して実現したいですね」賢史さんは野生の目に戻ります。

 

 

yoroshiku_103_02.fwところで、冒険と探検はどう違うのでしょう
か。辞書的には前者は成功の見込みのないこ
とをすることとあり、後者は未知の地域を探
ることとあります
ただ、どちらにも共通するのは“危険を冒して
”するものだとか。
二人は夫婦になったのですし、子供も生まれ
て来るかもしれません。そうなると“危険を冒
す”わけにはいかないでしょう。天候と風を読
んで、安全な人生探検をしてくださいね。

 

 

2014年2月vol.110 「よろしく先輩103」

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矢ヶ部健・千春ご夫妻

「集中力とスピード」

矢ヶ部 健・千春ご夫妻 有限会社 茶蔵 源氏園

yoroshiku_102.fwアリストテレスの論理学や数学でなじみの三段論法。A=B、B=C、よってA=Cである。中学時代に習ったような記憶があります。数学の苦手な向きには頭の痛くなりそうな世界ですが、卑近な例を挙げますと“笑点”の“なぞかけ”も同じ構造なんですね。○○とかけて××と解く、その心は・・・。 

 

 

 

 

 

健さんは学生時代にサッカーをしていたとか。
「ええ、ゴール・キーパーでした」 
千春さんは元銀行員で、珠算の全国大会では三位入賞の経験があるそうですが、何段ですか。 
「一応、八段です」謙虚な笑顔で応えます。 
その体育会系の健さんと、文化会系の千春さんが知り合ったきっかけは何ですか。 
「銀行の先輩が、主人の姉と結婚しまして」 
「その後、なぜか私も銀行の飲み会に誘われて」二人は相好を崩します。 
 
お互いの印象はどうでしたか。 
「彼女は楽しい人でしたよ」 
「主人は真面目で優しそうでしたね」
健さんは大学を出てすぐに会社の後継ぎとして働いていたんですね。千春さんは銀行員のままだったのですか。 
「付き合って一年で結婚したんですが、三か月して父が病気になりましたから・・・」 
「それで私は行員を辞めて手伝うことに」 
 
結婚生活はどうですか。 
「彼女は頑張り屋で、私がブレーキ役ですね」  
「主人は、母や子供たちに優しい家族思い」 
「彼女は、こう見えても酒が強いんですよ」 
「店にいるだけだと人との接触が少ないから、積極的に外に出る機会を持つんです」と千春さん。 
日常生活では、体育会系と文化会系が逆転しているような感じですよ。旨く補い合っているんですね。

 

 

yoroshiku_102_02.fwさて、そんな健さんと千春さんの心の共通点を
三段論法・・・、いえ“なぞかけ”で探ってみま
しょうか。「サッカーとかけて、珠算と解く、
その心は?」

 

 

2014年1月vol.109 「よろしく先輩102」

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川上暢久・照美ご夫妻

「至上の愛を求めて」

川上 暢久・照美ご夫妻 CHEZカワカミ

yoroshiku_101.fw 墓に入るまでは、人間は幸福なりと称すべきにあらず” とは、変身物語で知られる古代ローマの詩人オヴィディウスの言葉。目先の幸不幸に一喜一憂してみても始まらないんですね。或いは辛い人生であっても、やがては最高の世界が待ち受けているのだから力強く生きよと解釈すべきなのでしょうか。

 

 

 

 

 

二人が知り合ったのはいつですか。 
「私が高校を出てホテルで修業をしている時に」暢久さんは昨日のことのように話します。 
「私は経理をしていたんです」照美さんも同じ表情で語ります。 
「彼女は溌剌とした人で気に入ったんですが、告白の勇気がなくて先輩に頼んだんです」 
「彼は仕事姿が格好良かったですね。それに美味しい物が食べられるかなって・・・」照美さんは笑います。 
 
知り合って四年半で結婚。交際は順調でしたか。 
「いや、デートで毎晩帰りが遅かったものですから、彼女の父と兄からは猛烈な反対を受けましたよ」 
「母と姉は陰から応援してくれましたけど」 
「それで、怒鳴られるのを覚悟して彼女の家に行って結婚したいと言ったんです。そしたらあっさりと許してくれましたよ」暢久さんは笑います。
「いつも遅くまで会ってたから父や兄は気がかりだったようですが、本気と判って安心したんですね」 
 
普段の生活は。 
「私は子育てをせずに彼女任せで・・・」 
「でも、食事は全て彼が作ってくれますよ」 
「あとは旅行をしたり」 
「仕事も兼ねてレストランにもよく行きます」 
将来の夢はありますか。 
「私は“出会いの店”をやりたいですね」と暢久さん。 
「私は総菜屋さんかな」と照美さん。 
「高校での仕事で、お握りを作ってたんですが、何年か経って口にした人が、高校時代に食べたのと同じだと言われて驚いたりします」暢久さんは幸せそうに微笑みます。 
「そうね。当時130円だったのが、消費税が付いて137円になってたり・・・」照美さんも笑います。

 

 

yoroshiku_101_02.fwところで、照美さんの御父さんに会う前に、プロ
ポーズはしていたんですか。 
「勿論ですよ。“一緒に墓に入ろうね”って言いま
したよ」暢久さんは真顔。
なるほど。オヴィディウスの言を借りれば、この
上ない幸福な時を迎える約束をしたんですね。

 

 

2013年12月vol.108 「よろしく先輩101」

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山下祐之介・真紀子ご夫妻

「初心」

山下 祐之介・真紀子ご夫妻

yoroshiku_100.fw六世紀後半、百済から渡って来た工人は様(ためし)と呼ばれる模型を作ってから建築物を建てたと言われています。世界最古の木造建築物群として知られる法隆寺の西院伽藍も、これによって作られたようです。平安期になると指図(さしず)という図面と模型を用い、図面だけで建築されたのは鎌倉円覚寺の仏殿だとか。

 

 

 

 

 

二人が知り合った切っ掛けは。 
「知人の紹介でした27、8の頃に」と祐之介さん。
「その時に判ったんですけど、私達は学科が違いますが同じ高校だったんです」と真紀子さん。
 印象はどうでしたか。 
「一目惚れかな、押しの一手でしたね僕は」 
「彼は、爽やかな感じでしたね」 
「弁当が上手かったから家庭的かなと…。実は母親が作ってたらしいんですけどね」祐之介さんは苦笑い。 
「彼は何でも率先してする人でした。メール交換で気に入りました」真紀子さんは照れ笑いします。
 結婚して何かお互いに変化しましたか。
「喧嘩が絶えませんね」祐之介さんは腕組み。 

「最悪の事態も考えましたよ、私は」 
「家を建てようって話になって、場所や間取りでね」
「私は、小さな家でも交通の便を優先したいのに…」
「僕は、不便な場所でも大きな家にしたかったんです」
「それで険悪な雰囲気になったのよね」
「ところが、ふと思ったんです。幸せになるために結婚して、素敵な家を建てようとしてるのに、これじゃ本末転倒ですからね」 
「それで、人生設計から逆算して考えるようにしたんです」

 

 

yoroshiku_100_02.fwプロポーズにエピソードがあるとか。 
「友人が、僕の誕生日のサプライズDVDを作っ
たから彼女に出来栄えを見て欲しいと手渡しま
してね」 
「私は騙されて、見てみたら彼からのプロポー
ズだったんです」二人は懐かしげに笑います。 

 あの頃を忘れずに、祐之介さんの理想とする
模型と、真紀子さんの描く図面を上手く照合しながら、幸せな家庭、素敵な家を築いて下さいね。

 

 

2013年11月vol.107 「よろしく先輩100」

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廣田亮作・友理ご夫妻

「名画のように」

廣田亮作・友理ご夫妻

yoroshiku_99.fw ゴッホは「人の本当の仕事は三十歳になってから始まる」と言っています。彼の年譜を見ますと、なるほどその頃から本格的な絵が生まれています。 
 ゴンクールの小説に触発され日本趣味を持ち、浮世絵の収集を始め、その後に有名な“ひまわり”を描く時期を迎えています。

 

 

 

 

 

亮作さんは対馬、友理さんは長崎の出身だそうですが、知り合った経緯は。 
「僕が京都伝統工芸専門学校の陶芸コースに在籍していた時、友人から長崎の女性がいると紹介されまして。十九歳の頃です」 
「私は総合工芸コースで金属工芸を専攻してて」 
 印象はどうでしたか。 
「彼女はね可愛かったですね」 
「私は、何となく結婚するのではと予感がしました」 
二人は穏やかに振り返ります。 
 
どんな交際だったのでしょうか。 
「僕たちは近くのマンションに住んでいましたから
週末のデートでしたね」  
「二十四歳の時、お金が掛かるから一緒に住もうってことになって、結婚しました」 
長崎にお店を開いたのはなぜなんでしょうか。 
「来年生まれる子供を長崎で育てたくて…」 
「そう、やはり長崎がいいですからね」  
 
 仕事は一緒にしていますが、役割分担は。 
「僕がロクロを廻して…」 
「私が絵付けをしています」 
「僕は彼女のカンバスになりたいんです」 
「そのカンバスに私は絵を描かせてもらうんです」

 

 

yoroshiku_99_02.fw同い年の二人は三十歳の節目を迎えます。
まさに本当の仕事が始まるんですね。 
ゴッホは「夫婦とは二つの半分になるので
はなく、一つの全体になる事だ」とも言っ
ています。 
二人は協力して一つの陶芸品を作っている
のですから、まさに「一つの全体」になっ
ているんですね。 
勝手な想像ですが、お店の名前“花と風” の
「花」は、ゴッホがユートピアの象徴とし
たヒマワリなのかもしれませんね。  

「花と風」
住所 長崎市諏訪町6-21永井ビル1F 電話 090-7384-8617

 

 

2013年10月vol.106 「よろしく先輩99」

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秋月徹雄・陽子ご夫妻

「Tea for two」

秋月徹雄・陽子ご夫妻 お茶の秋月園オーナー

yoroshiku_98.fw 現在、お茶の学名はカメリア・シネンシス。椿の仲間なんですね。でも1753年に植物学者リネンが命名したのはテア・シネンシス。このテアはオランダからヨーロッパに拡がった茶のこと。英語ではティーになっています。大雑把に言いますと、船でヨーロッパに伝えられたのはテア、陸路で伝播したのがチャなんです。

 

 

 

 

 

二人が知り合ったのはパーティーだそうですね。
「ええ。入籍はしていて結婚式をしてなかった友人のパーティーの席でした」徹雄さんは話します。
印象はどうでしたか。
「主人は優しそうな人でしたよ」と陽子さん。
「でも、博多に住む彼女に会いに行くときにBMWに乗ってましたから印象は悪かったかも・・・」
「そんなことはないですよ」陽子さんは微笑みます。

陽子さんは対馬の出身ですね。
「はい。高校を出て医療事務をしたくて博多に行ったんです」
では知り合ってからも離れ離れですね。
「私は対馬で育ちましたから、主人が連れて行ってくれる山とか洞窟でのデートは楽しかったですよ」
陽子さんは自然が大好きだからと笑います。
結婚以来、陽子さんは専業主婦だったんですか。
「はい。子育てもありますから」
「でも、この店を出すときに、女性の感性が必要だと思って手伝って貰うことにしたんです」
生活が変わったでしょうね。
「そうですね。でも改めて主人の仕事の大切さを知りましたし、お客さんとの会話方法は学ぶことが多いですし楽しいですね」
「女性の感性が導入できて助かりますよ」
双方とも互いの存在の大切さを改めて感じた様です。

 

 

yoroshiku_98_02.fw将来の夢は、のんびりと自然の中を旅する
こととか。
子育ても仕事もありますから、ずっと先に
なるのでしょうが、二人とも生き生きして
いますよ。
その時には、特別にブレンドしたお茶を楽
しんで下さいね。“ふたりでお茶を”を聴き
ながらね。
因みに高齢の方ならマリオン・ハリスの歌
声を、シルバー世代ならドリス・デイ、若
い世代だと同名異曲ですが東方神起でしょうか。

 

 

2013年9月vol.105 「よろしく先輩98」

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山田満・智春ご夫妻

「春の来た道」

山田満・智春ご夫妻 ねぎ坊主

yoroshiku_97.fw 男女は物理的な距離が近いほど、心理的な距離は狭まる。ボッサードの法則などといった難しい事は知らなくても、誰しも納得のいくことですよね。
殊に、遠距離恋愛の経験者なら“もっと近くに住んでいられたら・・・”と、別れ際に涙したことが少なからずあることでしょう。

 

 

 

 

 

満さんと智春さんは友人の紹介で知り合ったそうですね。
「その頃に働いていた店に、私の友人と一緒に来て」
満さんは大きな目を見開いて話します。
印象はどうでしたか。
「そう、彼女は佐世保出身なんですが、方言が可愛かったですよ。素朴だし」
「彼は、明るく楽しく優しい人でした」
いつでも会えて、ずっと幸せだったんですね。
「いいえ。知り合って半年後に僕が名古屋に働きに行ったものですから・・・」
「二年間は遠距離だったんです」
智春さんは笑顔で話しますが、辛かったでしょうね。
「三、四か月に一度は大阪で待ち合わせてましたよ」
「あとは、彼が毎日電話をくれましたから、繋がっていましたけどね。別れ際はやっぱり・・・」

これからの夢はありますか。
「店を増やしたいですね」と満さん。
「時間があれば旅行をしたいですね」と智春さん。
「そう。新婚旅行をしてないから東京か・・・。」
「スペインね」智春さんが間髪を入れず話します。
「でも、子供は四人欲しいから、難しいけどね」
「ずっと先の楽しみにしてますよ」と智春さん。
「ふたりともスポーツを見るのが好きですから、暫くはそれを楽しみますよ」二人は見詰め合って、ほのぼのと笑います。*以下一行の余白を*
ところで店名の由来は、満さんが大のネギ好きだからだそうです。メニューにもネギを使ったものが多いんです。
このネギ、私たちが食べている部分は葉なんですね。俳句の季語では冬。でも、先端にできるネギ坊主は花で、こちらは春の季語。
文字通り、長い長い冬の先に春が訪れる。まるで満さんと智春さんの、これまでの人生みたいですよ。
ボッサードの法則も、真の愛情には当てはまらないんですね。むしろ、心理的な距離を近づけると物理的な距離は狭まると、二人を見ていると思います。

 

 

yoroshiku_97_02.fw「ほろ酔い酒場 ねぎ坊主(ねぎぼんず)」
住所:長崎市船大工町5-39 睦美ビル2F
095-823-9336

 

 

2013年8月vol.104 「よろしく先輩97」

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吉田太・綾子ご夫妻

「真実は…」

吉田太・綾子ご夫妻

yoroshiku_96.fw往年の映画「ローマの休日」で知られる“真実の口”
サンタ・マリア・イン・コスメディン教会の片隅には、今も多くの観光客が訪れ記念写真を撮る長蛇の列が並びます。嘘偽りがあれば、差し入れた手を食いちぎられるというジョークが人気の理由ですね。

 

 

 

 

 

二人が知り合った経緯は。 
「私は佐世保の銀行に勤めていたんですが、研修で長崎に来る時、何度かここに食事に来ていたんです」 
穏やかに綾子さんが話ます。 
印象はどうでしたか。 
「僕の方はお客さんの一人としか・・・」と太さん。 
「そうね、言葉を交わすことはなかったわね。でも、ある日、先輩に焚き付けられて・・・」綾子さんは微笑みます。 
 
 
「彼女は人柄が良く、気を使わずにすむ感じでした」 
「彼は知識が豊富で頭のいい、私とは違う世界の人」 
結婚してから相手の印象に変化はありますか。 
「彼女はもともと喧嘩をしたことがないって人だったようですが、でも強くなりましたね」太さんは苦笑いを浮かべます。 
「彼は、結婚前に思っていた以上に私とは遥かに違った世界の人みたいですよ」と綾子さん。  
 
ところでプロポーズの言葉は。 
「僕は何も言ったことないんですが・・・」と、太さんは綾子さんの表情を窺いながら応えます。 
「いいえ、ちゃんと言ったんですよ。でも彼は覚えがないって言い張るんです」綾子さんは少し不満げに太さんを見つめます。

つまり、太さんが忘れたってことですか。
「いえ、本当に言ったことはないんですよ」
「言われました。でも記憶にないの一点張りですから、その言葉はお墓まで私一人の心に仕舞っておくことにしているんです」綾子さんは教えてくれませんでした。

 

 

yoroshiku_96_02.fw“真実の口”の顔は、海の神トリトンだと言われ
ます。 
法螺貝を吹いて、波をたてたり鎮めたり・・・。 
そうだ、太さんが以前料理の勉強に行ったイタ
リアに二人で出掛けませんか。その時、どちら
の言い分が正しいかトリトンの口に手を入れて
みては。 
但し、波風が立っても知りませんよ、ご両人。

 

 

2013年6月vol.103 「よろしく先輩96」

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渡瀬俊英・靖子ご夫妻

「恋のシャッターチャンス」

渡瀬俊英・靖子ご夫妻

yoroshiku_95.fw先年、テレビドラマを切っ掛けにブームとなった坂本竜馬。懐手の写真はあまりにも有名ですね。以前は撮影者は上野彦馬とされていましたが、最近では彼の弟子の井上俊三が撮ったものだと言われます。 
当時は感光するのに時間が掛かったようですから、撮る方も撮られる方も大変だったでしょうね。

 

 

 

 

 

俊英さんの御祖父さんは彦馬の一番弟子だそう。 
「1901年に開業したんです。父が跡を継ぎ、私も高校を出て父の許で働くようになりました」 
気のせいか、俊英さんの顔つきは歴史上の人物写真のように見えます。 
ところで、二人はどんな経緯で知り合ったんですか。 
「私は日銀長崎支店に勤めてましてね。そこに主人が出入りしてまして」靖子さんは微笑みます。 
「支店長の交代する時とか、集合写真を撮ることがありましてね。その時に出会ったんです」
お互いの印象はどうだったんでしょうか。 
「まあ、一目惚れですね。一週間でプロポーズをしましたよ」峻英さんは相好を崩します。 
靖子さんに戸惑いはありませんでしたか。 
「いいえ。私もこの人と結婚するのではと、予感がしましたから・・・」肖像写真のような笑顔です。

仕事柄、休みが取れないのではありませんか。 
「そうですね、家族には申し訳ないですが」 
将来、のんびりできるようになったら、何か夢はありますか。 
「沖縄に行きたいですね」 
「そう。明るい日差しの中で過ごしたいわね」 
二人は息も夢もぴったり一致しているよう。

 

 

yoroshiku_95_02.fw写真を取り巻く環境も、昨今は大きく変化して
います。アナログからデジタルに、勉強も怠れ
ませんね。 
「まあ、仕事ですからね。頑張らないと」 
俊英さんは凛々しく語ります。
それにしても、出会いからプロポーズまでのス
ピードは凄いですよね。御祖父さんの渡瀬守太
郎から受け継ぐ進取の気性は、写真の世界に留
まらず、恋の道にも行かされていたんですね。
ピントもシャッターチャンスも、いやはやお見事です。

 

 

2013年4月vol.102 「よろしく先輩95」

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川添哲雄・満子ご夫妻

スパイシー・ラブ

川添 哲雄・満子ご夫妻 カレーハウス「シェてつお」オーナー

yoroshiku_94.fwマングローブや菜の花が一つのものではなく総称であるように、カレー粉も幾種類ものスパイスを混ぜたもの。だから組み合わせや量の加減を考えると無限に近く、一口にカレーと言ってはいますが奥の深い世界なんですね。

 

 

 

 

 

二人が知り合った経緯を教えて下さい。
「私が島原高校で教鞭をとっていた頃、知人の紹介で知り合いました」と哲雄さん。 
「だけど主人は器械体操部の顧問をしてて忙しいものですから、進展がなかったわね」満子さんは笑います。

その後はどうなったんでしょうか。
  すると満子さんは改めて笑顔で答えます。
「先輩に助言を受けて暑中見舞いの葉書を出したんです」
  「私は字が下手だから返事が書けなくて、思い切って電話で誘ったんですよ。その方が早いから」哲雄さんは照れながら話します。

初めてのデートはいかがでしたか。
「私は父から“お前はお金を貯めなさい”と言われて育ちましたから、結婚は考えてなかったですし、彼女の顔も見なかったですよ」 

「私もそうでしたけど、別れ際にチラリと彼の顔を見た瞬間“結婚しよう”と思いました」と満子さん。 
「それからは、会う度に好きになっていきましたね」

哲雄さんは照れ笑い。
「こちらも、多忙な主人のために毎朝弁当を作って届けました」 
「それが凄い弁当で、三段重ねだったりして…」 プロポーズの言葉は覚えてますか。 
「まあ…、私が五島に転勤がきまった時に」 
「一緒に来ないかって…。あれですよね」
   知り合って三か月で、哲雄さんは満子さんの両親に挨拶に行ったそうです。

 

 

yoroshiku_94_02.fwところで、先生が何故カレー店を出したんです
か。「昔から私はカレーが好きでしてね。でも
奥さんは苦手で作らないから自分でよく作って
たんです」
「諫早でカレーのコンテストがあった時、参加
を勧めてみたんです。そしたら見事に優勝して
…」「退職したら店を出そうと決めてたんです
が、待ちきれなくて、三年を残して開店したん
です」
「私の誕生日にね」満子さんは微笑みます。  
 将来は、沖縄か東南アジアに移転して、多くの人達と出会いたいと話す二人。せめてレシピだけでも教えて欲しいのですが、これは企業秘密でしょうね。いえ、例え教えられても“満子さんへの愛”というスパイスは哲雄さんしか持っていませんから、無駄ですよね。お御馳走さまでした。

 

 

2013年3月vol.101 「よろしく先輩94」

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八木一郎・道子ご夫妻

「さん、さん、sun」

八木 一郎・道子ご夫妻 長崎さるくガイド

yoroshiku_93.fw「人の行く裏に道あり花の山…」京都で過ごした学生時代、観光客の訪れることもない山里で満開の桜を見つけたときに、ふと思い出した千利休の言葉です。細い疏水の一面を覆うピンクの穏やかな流れは、文字通り”春の来た道”のようでした。

 

 

 

 

 

知り合ったきっかけは何だったんですか。
「道子さんも私も教員でした」
「一郎さんが二十二歳、私が二十歳の時でした」
「二部授業と言いましてね、一つの教室を使って、午前中が私で、午後からは道子さんのクラスが授業をしました」
「それがきっかけかしらね」
二人は、目を細めて微笑みます。
印象はどうだったんでしょうか。
「私が道子さんに、まあ、一目惚れでしたね」
「一郎さんは、ちょっと不良っぽかったわ」
どんなお付き合いだったんでしょう。
「しばらくは同じ小学校の勤務だったんですが、そのあと三年間一郎さんが五島に赴任することになりました」
「当時、遣り取りした手紙が二千通以上もあるんですよ」道子さんは若い娘さんのように笑います。
「大きな段ボール箱に一杯ありますよ」一郎さんも青年のように語ります。
単純計算しても、お互いにほぼ毎日手紙を書いたことになりますね。

共働きだと、家事、育児など大変だったのでは。
「若い頃は一郎さんの母もいましたから、助けて頂いてましたけど、あとは分担してきましたよ」
「料理も育児もね。こどもを寝せつけるのは僕は上手ですよ」
「私たちは、二人で一人前なんです」と道子さん。
「結婚ってのは忍耐力ですね。これ人生に通じますよ」一郎さんは、言葉を確かめるように頷きます。

共通の趣味はありますか。
「私も道子さんもビールやお酒が好きでしてね」
「よく喋り、よく笑い、よく飲みます」
「あとは旅行かな。定年後しばらくは、日本列島の主な半島、岬を北から南と巡りました」
「奥の細道の旅では、東京深川から、岐阜大垣までと芭蕉の足跡にこだわりました」

 

 

yoroshiku_93_02.fw二人の話を聞いていますと、互いに「さん付
け」でよんでいます。そんなところにも、人
知れぬ思いがあるのでしょうね。まるで穏や
かな春の光のように目を輝かせていますもの。
「…いずれを行くも、散らぬ間に行け」
先の、利休の言葉はそう続きます。
二人の春は、まだまだ続きが長くありそうですよ。

 

 

2013年2月vol.100 「よろしく先輩93」

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久松徳伸・万佐子ご夫妻

「愛の真向勝負」

久松徳伸・万佐子ご夫妻 久松鮮魚店

yoroshiku_92.fw空手を習っていた頃、師範がよく口にしていた言葉に「空手に先手なし」があります。血気盛んな高校生でしたから、街を歩けば、誰彼なく喧嘩を挑みたくなるもの。そんな無謀な心を戒める、今にして思えば有難い教えだったのですね。 二人は法政大学の出身だそうですが。 「ええ、空手部の先輩後輩でした。彼女は学生連盟の日本初の女性有段者(黒帯)なんです」穏やかに徳伸さんは話します。

 

 

 

 

 

当時の印象はどうでしたか。 「彼女は愛想が良くて、でも芯の強いタイプで、まるでリンゴみたいな女性でしたよ」 「彼は、駆け引きをしない男らしいタイプですね」 万佐子さんは奥ゆかしく話します。 卒業後、七年間は東京住まい。 徳伸さんは各種アルバイトをし、万佐子さんは四年間ほど都の職員として養護学校に勤めたと言います。 「魚屋の跡継ぎは決まっていましたから・・・」と、徳伸さん。それまでの執行猶予期間だったんですね。

万佐子さんは福島県・猪苗代の出身だそうですが、長崎に嫁ぐのに抵抗はありませんでしたか。
「そう・・・、正直に言えば不安もありましたけど」
「でも彼女の母親が強く後押しをしてくれまして」
「仕事も不慣れで大変でしたけど、なんとかなるものなんですよ。だから四人娘たちにも“好きな人と一緒になりなさい”と教えて来ました」
数年前に徳伸さんが病に倒れ、それ以降は役割を入れ替えて仕入れをするようになった万佐子さんは白虎隊の剣士のように凛々しく話します。それもそのはず、高校時代はスキーで国体に出場経験があり、剣道も有段者なんです。

 

 

yoroshiku_92_02.fw学生時代は、周囲の目がありますから、大っぴ
らに付き合うのは難しかったようですが、それ
でもこんなに強い愛を育んで来た二人。
空手に先手なし”とは言いますが、愛に関して言
えば“先手必勝”なんでしょうね、徳伸さん。

 

 

2013年1月vol.99 「よろしく先輩92」

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