長崎くんち踊り町めぐり

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桶屋町 本踊(おけやまち ほんおどり)

1375499344_M 桶屋町は、桶職人たちが多く住んでいたことに由来しています。 
 奉納踊りは、傘鉾の「象」にちなんだものを基軸とした古式ゆかしい本踊。傘鉾は、白象の珍しいからくり時計の飾りで、エキゾチックな雰囲気が皆の目を引きます。飾り、垂ともに文化財の指定を受けているのはこの町だけです。

 

 

 

1375499411_M「新しい次の世代へ継承していくこと、世代交代も考えなければいけない時期にあると思います。私は庭先廻り担当として、踊り子さんをサポートしながら、ひとりでも多くの人に見てもらえるように、藤間金彌先生、そして町の人と協力して、作り上げていきたいと思っています。」と原さん。くんちがきっかけとなって、町がひとつに繋がり、新しい世代へと伝統が継承されていくのですね。(堀田)

 

 

 

お話・写真:原 喜一郎さん
協力:長崎くんち塾

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船大工町 川船(ふなだいくまち かわふね)

1372385523_M 船大工町は、当時、船の繋ぎ場ということで、船の修理を専門とする船大工が住んでいたことに由来しています。

 

 

 

1372385479_M奉納踊りは、網打ち船頭も華やかな古式ゆかしい川船。根曳の着物の波柄が本物の波となり、スピード感のある船廻しで、激流に立ち向かう迫力がこちらにまで伝わってきます。船廻しの時は後方が船に体重を乗せ、前輪を浮かせて、2輪で廻るというから驚きです。
「船大工町は、伝統を大切にする町です。私達は、伝統を引き継いで、次の7年後にバトンタッチしていく役目だと思っています。大人も子供と一緒に成長しながらとにかく無事で怪我なく終りたいですね。」と語る久保さん。囃子をしていた子供たちが大人になり、根曳となって戻り、船大工町の伝統は脈々と受け継がれていくのですね。(堀田)

 

 

 

お話:久保弘一さん
写真:久保弘一さん
協力:長崎くんち塾

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丸山町 本踊(まるやままち ほんおどり)

1374642510_M丸山町は、寛永19年(1642)頃にできた町で平成18年に41年ぶりに踊町に復帰しました。この町は、長崎くんち踊町の「露払い」として格別の存在です。奉納踊りは、もちろん長崎検番の芸子衆による伝統格式のある本踊。花街の歴史を担って舞うその姿は、実に艶やかです。

 

 

 

1374642530_M「丸山町らしさをどう出していくのか、粛々と動いていますよ。くんちを通じて傘鉾の方、しゃぎりの方、加勢に来て下さった方を含め、本当によかった!と感動で町がひとつになるんです。丸山町は、花街だからこそ“おもてなし”の心を大切にしています。庭先廻りでは、多くの人と触れあって、コミュニケーションを大切にしたいですね。」と山口さん。これからもくんちの原点として、本来の形を守りつつ、進化していく丸山町から目が離せませんね。

 

 

 

お話:山口 広助さん
写真:山口 広助さん
協力:長崎くんち塾

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万屋町 鯨の潮吹き(よろずやまち くじらのしおふき)

1362119631_M万屋町は、本鍛冶屋町と呼ばれていましたが、雑貨商が増えたことから延宝6年(1678)に万屋町と改称されました。
奉納踊りは、234年の伝統を誇る鯨の潮吹き。潮を吹きながら大暴れする大鯨は圧巻で、古式捕鯨の様子を3日間のストーリーで表現しています。

 

 

 

1362122350_M「僕たちは234年の歴史の中の1ページです。古い歴史ということにおごりがないよう、誇りを持って後世に伝えていきたいと思っています。歴史が深い分、皆の期待は大きいので、さすがと言われるような奉納をしたいですね。」と有谷さん。他の町内とも繋がり、踊り町全体が一つになることで、今後のくんちへの大きな原動力となっていくのですね。さて、いよいよくんち本番。勇ましい男達が、諏訪の大海原を泳ぐ大鯨へ挑みます。

 

 

 

お話:有谷 将哉さん
写真:有谷 将哉さん
協力:長崎くんち塾

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金屋町 本踊(かなやまち ほんおどり)

1374647173_M金屋町は、諸説ありますが、金物の日用品を取扱う金物業者・金属商が多く住んでいたことに由来しています。 
奉納踊りは、古典調の本踊「秋晴勢獅子諏訪祭日(あきはるるきおいのすわのまつりび)」。前に獅子舞を奉納していたことにちなみ、歌舞伎踊り勢獅子を奉納しています。駆け踊る女性2人の息の合った勇壮な獅子が見どころです。

 

 

 

1374647128_M「マンションが増えて、実は金屋町には子ども達が増えたんです。所望踊りにも子ども達を参加させていますよ。町の人との交流もくんちがきっかけで深まりましたね。町が一致団結して取り組んでいます。」と武藤さん。子どもから大人まで、色んな行事を通して町が一つになり、くんち本番を迎えるのですね。

 

 

 

お話:武藤 耕嗣さん
写真:武藤 耕嗣さん

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五嶋町 龍踊り(ごとうまち じゃおどり)

1354500510_M五嶋町は、本五嶋町と浦五嶋町に分かれていましたが、昭和10年(1935)に合併。五島の人たちが移り住んだことに由来しています。
 奉納踊りは、スピードと高さが特徴の龍踊り。以前は、本踊を奉納していましたが、平成12年より龍踊りを奉納、若い龍ならではの迫力があり、見ごたえ満点です。

 

 

 

1354500525_M「普段の生活の中では、なかなか繋がらない人間関係の広がりもあります。くんちを通して大人から子供までひとつになり、成長していきますね。私たちも教えられている部分も多いんですよ。」と中村さん。
 若い力と皆の想いが龍に宿り、五嶋町の新たな歴史として、次の世代に受け継がれていくのでしょうね。(堀田)

 

 

 

お話:中村 重敏さん
写真:五嶋町さん
協力:長崎くんち塾

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興善町 本踊(こうぜんまち ほんおどり)

1349583069_M興善町は、町を開いた博多の豪商、末次興善氏に由来しています。奉納踊りは、能「石橋」を基にした「時秋宮日宴獅子賑」。牡丹が咲き誇る石橋で、文殊菩薩の愛獣である獅子が胡蝶と戯れる様をあらわした豪華な舞いです。約3キロ程の重さがある獅子頭の豪快な毛振りは力強く、圧巻です。

 

 

 

1349583053_M「町の人数は少ないですが、皆助け合ってここまできました。私たちは“技術の伝承”ではなく、“伝統”を次の世代に受け継いでいくことが大切だと思っています。時代とともに変化していく、これが伝統ですね。」と話す浦川さん。町の期待を一身に受けた若者たちは、その思いをこれからも次の世代へと受け継いでいくのでしょうね。(堀田)

 

 

 

お話:浦川 一孝さん
写真:山下 純一さん
協力:長崎くんち塾

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魚の町 川船(うおのまち かわふね)

1347786545_M魚の町は、中島川沿いにある町で、魚市橋が現在でも残っているように魚市場があったことに由来しています。 奉納踊りは、速さと美しさ、そして伝統を受継いできた歴史ある川船。メリハリのある船廻しの豪快さ、伝統のなかでの魅力が光ります。「今の人達が精一杯やることで、次に繋げていきたいですね。七年に一度の年の巡りあわせ、これもご縁ですし、大切にして広げていきたいと思います。

 

 

 

1347786566_Mくんちで培ったことは、色んなことに通じているんです。伝統にこだわった時に残るものがあります。追及していきたいですね。」と話す山口さん。こだわりながら、本筋は変わらずに変化していく魚の町の川船。ひとりひとりの想いが、川の流れとなって、長崎の街に感動の波を起こします。(堀田)

 

 

 

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今博多町 本踊(いまはかたまち ほんおどり)

1347781868_M今博多町は、博多商人が移り住んで、町を開いたことに由来しています。寛永11年(1634)に、今博多町の遊女である高尾と音羽の二人が神前にて「小舞」を奉納したことが、くんちの始まりとされています。
奉納踊りは、「長崎くんち本来の踊り」という優美な本踊。美しい鶴の舞は観ている人を魅了します。

 

 

 

1347781891_M「町も昔と変わり、旧来の方が少なくなりました。後継者をどう育てていくか、いつも考えていますよ。他の町との協力があるからこそ、今まで続けて来られたんです。とにかく、怪我なく無事奉納できるようにと思っていますね。」と話す岡部さん。奉納踊りのルーツといわれる今博多町の本踊。朝日を浴びた美しい鶴たちが、諏訪神社に舞い降ります。(堀田)

 

 

 

お話:岡部 栄一さん
写真:山下 純一さん
協力:長崎くんち塾

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玉園町 獅子踊(たまぞのまち ししおどり)

1347777105_M玉園町は、諏訪神社がある玉園山のすぐそばにあるということに由来しています。奉納踊りは、ダイナミックで愛嬌たっぷりな獅子踊。獅子が伸び上がって牡丹の蜜を吸い、さらに上体を回転させるアクロバティックな「花しぶり」は圧巻です。「くんちは奉納ですから、神様に対して尊敬の念を日頃から皆持っていますよ。踊りも裏方も、お互いに伝統を引き継いでいく必要があります。

 

 

 

1347777122_M次の人を育てていくこと、若い人にバトンタッチしていく時期ですね。人数が少ない町だからこそ、人との関係を大事にしていきたいと思っています。」と松永さん。諏訪神社の御膝元である玉園町。神様に見守られながら伝統を繋いできたからこそ、町の人の素晴らしい笑顔があるのですね。(堀田)

 

 

 

お話:松永 光司さん
写真:山下 純一さん
協力:長崎くんち塾

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江戸町 オランダ船(えどまち おらんだせん)

1338431096_L江戸時代に入る直前の頃に誕生した町で、江戸のように栄えることを祈願して名づけられました。
現在は長崎県庁の所在地として、出島に隣接する異国情緒豊かな町です。
 奉納踊りは、鮮やかなオランダ国旗と、マリンブルーの船体がひときわ美しいオランダ船。
口伝の歌とコンミシャーレ!の勇ましい掛声が長坂に響きます。

 

 

 

1338431114_L「くんちの稽古は、いわば修行の場、道場ですね。学校でも教わらない、大切な礼儀・作法、人間関係を学ぶ場でもあります。子供達が曳くオランダ小舟は、前回曳いた子供達が後輩の子に自ら教え、自然と絆が強くなっていますよ。」と話す三瀬さん。
先輩から後輩へ、子供の頃からのバトンタッチができているからこそ、江戸町の絆はとても強いのですね。
本番へ向けて、いざ出航。(堀田)

 

 

 

お話:三瀬 清一朗さん
写真:山下 純一さん
協力:長崎くんち塾

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万才町 本踊(まんざいまち ほんおどり)

1douza_1万才町は、元亀2年(1571)に拓かれた6つの町の一つで島原町と称される町でしたが、明治5年に明治天皇の長崎行幸を記念して万才町と呼ばれるようになりました。
 奉納踊りは、「祭礼祝長崎万歳」を中心に和洋折衷で目が覚めるような本踊。シンセサイザーと三味線をミックスした現代風の音楽は、懐かしさと新しさが入り交じります。

 

 

 

1336631347_M「オフィス街なので、居住人口が少ないのが現状ですね。少ないからこそ、普段から連携を深めています。お蔭さまで、参加する子ども達が増えているんですよ。これまで裏方だった男性陣もコーラスとして参加し、町民一体となって盛り上げています。」と話す山口さん。伝統を守りながら新しいことに挑戦をして進化し続ける万才町。これからもますます目が離せませんね。

 

 

 
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お話:山口 定夫さん
写真:山下 純一さん
協力:長崎くんち塾

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榎津町 川船(えのきづまち かわふね)

1333097102_M榎津町は、筑後国榎津(現在の福岡県大川市)の家具商、指物の職人が移り住んだことに由来しています。
 奉納踊りは、嘉永2年(1849)から川船を奉納し、現在の川船は昭和26年に作られ長さ6メートル・重さ約3トンあります。
 現在、川船は7カ町が奉納していますが、その中で一番古いものといわれています。

 

 

 

1333097117_M「青年会だけではなく、子供と女子の会もあり、日頃から交流していますよ。くんちだけではなく、日頃の積み重ねが原点になっていますね。地域のコミュニティー、絆を深める様な町の在り方をいつも考えています。」と話す中尾さん。
 囃子を経験した多くの子供達が根曳となり、くんちを支える榎津町。
 町づくりの基礎となる強い絆は、きっと子供の頃から育まれた場所にあるのですね。(堀田)

 

 

 

お話:中尾 直己さん
写真:中尾 直己さん
協力:長崎くんち塾

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紺屋町 本踊(こうやまち ほんおどり)

26kouya_1 紺屋町は、慶長2年(1597)頃、中島川沿いにつくられた町で、染物屋を営む人々が集まったことに由来します。
 奉納踊りは、紺屋の布染めを再現した本踊。最初に奉納をする一番町に相応しく、優雅にたなびく真っ白なさらしが、澄んだ秋空にひときわ映えます。

 

 

 

26kouya_2「く んちでの達成感、充実感が7年間の毎日に繋がっていますね。奉納が第一ですが、文化となった今では受継ぐ責任が私達にはあると思います。それによって人の 輪が生まれるという楽しみもありますよ。一番の宝ですね。」と話す北村さん。70世帯の小さな町の中に、踊りと地方の師匠、傘鉾職人が居住する紺屋町。だ からこそ、くんちがより身近な存在として町の人の心に息づいているのですね。

 

 

 

お話:北村 直樹さん
写真:北村 直樹さん
協力:長崎くんち塾

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諏訪町 龍踊(すわのまち じゃおどり)

25suwa_1 諏訪町は、天文24年(1555)氏神様である諏訪神社が長崎で最初に勧請された場所であったことに由来します。
 奉納踊りは、青龍に白龍と子ども達の子龍、孫龍も登場する龍踊。百年以上の歴史を誇ります。

 

 

 

25suwa_2「学校では教えない子ども達の教育を大切にしています。くんちを通じて、長崎に生まれ育ったという誇りと生まれた故郷に感謝する心を忘れないでほしい。諏訪町の龍踊に出演して厳しい稽古と本番を経験し、自分自身が成長したと言われるようにしたいですね。」と話す山下さん。
 くんちで年を重ねることを実感しながら、町が子ども達を一人前に育てていく。だからこそ、次の新しい世代へのバトンタッチができるのですね。

 

 

 

お話:山下 寛一さん
写真:山下 寛一さん
協力:長崎くんち塾

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銀屋町 鯱太鼓(ぎんやまち しゃちだいこ)

24ginya_1 銀屋町は、江戸時代初期、銀細工職人がこの一帯に多く住んでいたことに由来します。
 奉納踊りは、「蓬莱鯱伝説」にちなんだ、勇壮にして華麗なる鯱太鼓。長崎大水害のような災害が再び訪れませんように、大水害から復興に立ち向かう人々に 吉祥が訪れますようにと願いを込め、昭和60年に初めて奉納されました。

 

 

 

24ginya_2「50 年先を目標に、限界に挑戦していますよ。大人も含めて笑顔であいさつできること、これが原点だと思います。原点を理解して日常となることで、コミュニケー ションが取れ、町が一つにまとまっていくことができるんです。」と語る高木さん。2007年に町名が復活した銀屋町。金色に輝く鯱が、皆の思いを乗せて天 に舞い上がります。

 

 

 

お話:高木 忠弘さん
写真:高木 忠弘さん
協力:長崎くんち塾

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八幡町 弓矢八幡祝い船・剣舞(やはたまち ゆみやはちまんいわいぶね・けんぶ)

SONY DSC 八幡町は、天台宗の山伏が正保3年(1646)に京都山城国から八幡宮をここに祀ったことに由来します。
 奉納踊りは、八幡神社の開祖・大覚院存性坊が山伏だったことにちなんだ、弓矢八幡祝い船・剣舞。八幡さまの御遣いである白鳩が矢箱から放たれ、舞い飛ぶ なかでの力強く豪快な船廻しには圧巻です。

 

 

 

23yahata_2「学 校では教わらない、しきたりを子供たちに教えていますよ。くんちが縁で繋がっている人もたくさんいます。くんちは、人づくり、町づくり。町一丸となって取 り組んでいきたいですね。」と話す橋本さん。将来を担う子供たちが、町に、地域にあたたかく育まれてきたからこそ、心を一つに進んでいくことができるので すね。

 

 

 

お話:橋本 清さん
写真:橋本 清さん
協力:長崎くんち塾

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西濱町 龍船(にしはまのまち じゃぶね)

22nisihanomachi_1 西濱町は、寛文12年(1672)に濱町を分割して出来た町で、現在は浜の町と銅座町に合併されていますが、昔の町名で出場しています。
 奉納踊りは、長崎くんち最大級の曳物、龍船。屋形が開き、舞台となるほか、龍が口から煙を吐きながら豪快に廻る様子は迫力満点。その大きさとスピードに圧倒されます。

 

 

 

22nisihanomachi_2「“く んちに出るのが当たり前”ではないんです。年長者になるにつれて重みも違いますし、町の看板を背負ってたつプレッシャーはありますね。」と語る木下さん。 薄れてきた町内のコミュニケーションが、くんちによって深まり、強い絆となる。龍船に込められた熱い思いは、ずっと消えることはないでしょう。

 

 

 

お話:木下 政幸さん
写真:木下 政幸さん
協力:長崎くんち塾

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麹屋町 川船(こうじやまち かわふね)

21koujiya_1 麹屋町は、かつて大きな泉や井戸があり、水が豊富で麹を作る店などが多かったことに由来しています。
奉納踊りは、緋鯉と真鯉の乗った豪華な川船。現存する川船では最大級であり根曳は総勢22名、演技の途中で水を噴く趣向も川船では麹屋町だけの演出です。

 

 

 

21koujiya_2「町の団結力はとても強いですよ。世代から世代へ伝統を引き継ぎ、繋がってきているんです。県外に出ても、また長崎に戻ってきたいなと思えるようにしたいですね。」と語る楊さん。学校では味わえない経験、感動がくんちにはあるといいます。自治体での教育が、子供たちを育て、今日まで繋がってきたのでしょうね。

 

 

 

お話:楊 爾嗣さん
写真:山下 純一さん
協力:長崎くんち塾

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本古川町 御座船(もとふるかわまち ござぶね)

20motofuru_1 本古川町の前身である古川町は、中島川沿いで最も古い外町のひとつとして、くんちが始まった寛永11年(1634)に早くもくんちの当番町として歴史に記されている町です。
奉納踊りは、和楽の伝統から生まれた格調あるしらべにのせて曳かれる御座船。かつて諏訪神社の雅楽師達が住んでいたこの町は「お囃子の本古川町」として有名です。

 

 

 

20motofuru_2「本古川町は現在、町名として残っていませんが、七年に一回だから、伝統を守っていく気持ち一筋でやっています。どの町も同じですが、並大抵な努力じゃないんですよ」と語る古田さん。くんちにかける強い思いがあるからこそ、今日まで、伝統が受け継がれてきたのですね。

 

 

 

お話:古田 滋吉さん
写真:山下 純一さん、古田 滋吉さん
協力:長崎くんち塾

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小川町 唐子獅子踊(こがわまち からこししおどり)

19kogawa_1 小川町は、立山から流れる岩原川が小川(こがわ)と呼ばれたことに由来しています。 奉納踊りは、東長崎の中尾地区に200年以上も伝わる獅子踊りと、庭清めの意味を込めて子供達が踊る唐子踊り。華やかで、どこか愛嬌のある獅子の息の合った舞いが見どころです。「伝統芸能を継承していくという強い思いがあります。

 

 

 

19kogawa_2中尾の芸能を奉納させていただいて、こういう素晴らしい芸能も近くにあるんだと知ってもらえたら嬉しいですね。」と語る中山さん。元々途絶えてしまったこ ともあり、くんちを理解する人も少ない中、平成9年に復活。本気で残していこうと、人が人を動かしているからこそ、素晴らしい伝統芸能が今日まで継承され ているのですね。

 

 

 

お話:中山 正道さん
写真:山下 純一さん
協力:長崎くんち塾

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樺島町 太皷山 コッコデショ(かばしままち たいこやま こっこでしょ)

18kabashima_1樺島町は、天正3年(1585)にできた町で、長崎港外樺島の人達が移り住んだことに由来しています。
 奉納踊りは、勇壮で豪快な太皷山(コッコデショ)。堺から長崎までの航海の様子を再現しています。約1トンの太皷山を空中に舞い上げ、片手で受け止めた時の迫力は、圧巻です。

 

 

 

18kabashima_2 「演技している人たちの太皷山に対する思い、気迫を見てほしいですね。伝統を受け継ぐことで、自分の生まれた町を大切に思い、皆が協力することの素晴ら しさを感じてほしいと思っています。」と語る山崎さん。町の熱い思いが親から子へと継承され、大きな期待を一身に受けながら、太皷山は長崎の空に力強く舞 い上がります。

 

 

 

お話:山崎 猛さん
写真:山下 純一さん、山崎 猛さん
協力:長崎くんち塾

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出島町 阿蘭陀船(でじままち おらんだぶね)

17dejima_1出島は、寛永13年(1636)にできた扇型の人工島です。慶応2年(1866)からは外国人居留地に編入され、市街の一町として扱われるようになりました。
 奉納踊りは、出島にゆかりの深い阿蘭陀船。オルゴールのネジを巻くように40秒かけて一回転する、静と動の調和は見事で、美しさ、優雅さの中に力強さがあります。

 

 

 

17dejima_2「感謝の心を持って参加したいですね。裏方も含めて色んな人たちのサポートがあるからこそ、今の自分たちがあるんだと思います」と語る馬場さん。出島町には青年部がないため、縦のつながりを大事にしています。小屋入りも終わり、いよいよ本番。今から楽しみですね。

 

 

 

お話:馬場 政隆さん
写真:山下 純一さん
協力:長崎くんち塾

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東古川町 川船(ひがしふるかわまち かわふね)

16higashifurukawa_1東古川町は、昭和41年(1966)の町界町名変更で本古川町の一部などと合わせて古川町となっていましたが、平成19年(2007)に41年ぶりに東古川町の町名が復活しました。
 奉納踊りは、ししとき川と中島川にちなんだ川船。 本 物の葦の飾付けが印象的です。船頭の網打ちの際に根曳衆が唄う「船唄」、そして、スピード感のある船廻しには圧巻です。

 

 

 

16higashifurukawa_2「町名が復活してから初めてのくんち。町自体の人数は少ないですが、一丸となって、思いも新たに頑張りたいですね。」と語る荒木仁さん。東古川町の新たなスタートとなる今年のくんちを通して、さらに町の絆は深くなるのでしょう。

 

 

 

お話:新ヶ江 憲和さん
写真:山下 純一さん 、新ヶ江 憲和さん
協力:長崎くんち塾

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大黒町 唐人船・本踊(だいこくまち とうじんぶね・ほんおどり)

15daikoku_1大黒町は、寛文の大改革(1672年)により恵美須町から分かれ、恵美須・大黒の縁起により町名がつけられました。 現在の大黒町辺りが長崎港の奥の入江 で、そこに唐人船が入港していたことから、明治15年より唐人船を奉納。今年は長崎検番の芸妓衆と唐人船の調和が最大の見どころです。

 

 

 

15daikoku_2「町内に新しいお店が増 え、くんちをきっかけに新しい人達との交流を図りたいと思っています。とにかく、自分たちができる最高の奉納となるよう、本番に向けて頑張っていくだけで すね。」と語る藤本伸さん。新しい人達にも、くんちの参加を積極的に呼び掛けています。くんちがあるからこそ、町が一つにまとまるのですね。

 

 

 

お話:新ヶ江 憲和さん
写真:山下 純一さん 、新ヶ江 憲和さん
協力:長崎くんち塾

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新橋町 本踊(しんばしまち ほんおどり)

14shinbashi_1新橋町は、はじめ毛皮屋町、のちに「東新橋」が架かったことにちなんで町名を新橋町と改称しています。
 奉納踊りは、本踊り。オランダさんのコミカルな掛け合いの踊りが見どころの阿蘭陀万歳。長唄舞踊「おらんだ万才」が町検番に伝わり、昭和26年(1951)に新橋町が初めて長崎くんちに奉納しました。

 

 

 

14shinbashi_2「くんちも、変わらないように変わっていかなければと思っています。続けることの大切さを実感しますね」と語る本馬さん。町内の人口、子供も減ってきたといいます。町を超えた、人と人との繋がりがあるからこそ、次世代へくんちを継承していくことができるのですね。

 

 

 

お話:本馬 健三さん
写真協力:山下 純一さん
協力:長崎くんち塾

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賑町 大漁万祝恵美須船(にぎわいまち たいりょうまいわいえびすぶね)

13nigiwai_1賑町は、昭和38年(1963)に、材木町や今下町、周囲の町の各一部が合併して新しく誕生した町です。
 奉納踊りは、町内に恵美須神社が祀られていたことに由来した恵美須船。曳き物は川の船が多い中、唯一の海の船で、最大級の大きさ、重さを誇ります。

 

 

 

13nigiwai_2「町自体が大きな家族のよ うな感じですね。町の活性化だけではなく、長崎も元気にしていきたいと思っています」と語る青年部の皆さん。様々な踊り町の練習場所となる中央公園のお世 話を、毎年ケガなく練習できるよう、賑町の人が中心となって行っています。町の結束力が強いからこそ、息の合った豪快な船廻しがきまるのですね。

 

 

 

お話:賑町青年部
写真協力:山下 純一さん
協力:長崎くんち塾

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西古川町 櫓太鼓・本踊り(にしふるかわまち やぐらだいこ・ほんおどり)

12nishihuru_1西古川町は、中島川沿いにできた町で、寛文12年(1672)に「古川町」を西古川町、本古川町、東古川町に分割されたことに由来しています。
 奉納踊りは、相撲の閉開幕を合図する櫓太鼓、弓取り式など、相撲ゆかりの踊り。江戸時代に九州で唯一、長崎で大相撲が行われており、西古川町がその興行を一切取り仕切っていたことに因んでいます。

 

 

 

12nishihuru_2「西古川町は、史料が残っ ていないことも多いのですが、町の伝統を次世代へ繋いでいきたいと思っています」と語る岩永さん。伝えられる櫓太鼓の音曲には譜面がなく、過去の演奏から 全てを復元。「今後は、貴重な財産である櫓太鼓の音曲も残していきたいですね」。くんちをきっかけに“町”として地域との繋がりができてきたからこそ、今 の踊り町があるのでしょうね。

 

 

 

お話:岩永 和之さん
写真協力:山下 純一さん
協力:長崎くんち塾

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油屋町 川船(あぶらやまち かわふね)

11aburaya_1油屋町は、元和2年(1616)頃、油座として町が形成され、長崎一帯の油の販売権を取り仕切っていたことに由来しています。
 奉納踊りは、力強い根曳唄が印象的な川船。油屋町の囃子は一度打ちだすと、奉納の最後までとまることがありません。

 

 

 

11aburaya_2 「荘厳さ、素朴さ、豪快さの3つをテーマに、メリハリをつけています。川船の奉納は、まだ6回目。これから確立していく部分も多いですが、いいところは 伝えていってほしいですね」と語る松尾さん。昭和55年に何か新しい事をと考え、取り入れた「根曳唄」は、松尾さんが作詞作曲を手がけています。「諏訪っ こくんちがある諏訪小学校が校区ということもあり、くんちが子供達の身近にあることは素晴らしいことだと思います。先達の意思を受け継いで、形を変えない ように頑張るだけですね」小さい頃から培ってきたくんちへの思い、町の仲間との意思の疎通があってこそ、豪快に船は大きく廻るのですね。

 

 

 

お話:松尾 小太郎さん
写真協力:山下 純一さん
協力:長崎くんち塾

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新大工町 詩舞・曳壇尻(しんだいくまち しぶ・ひきだんじり)

10shindaiku_1 新大工町は、長崎の町の発展に伴い、本大工町に加えて新しく大工職人が集まって造られたことに由来しています。
 奉納踊りは、袴姿の若い女性が吟詠に合わせて凛と舞う詩舞と、囃子を奏しながら山車を豪快に曳き廻す曳壇尻。川船とは違い、“式打”というお囃子の奉納をします。

 

 

 

10shindaiku_2 「お諏訪さまの御膝元と して、皆誇りを持っていますよ。7年間でどれだけのことができるか、次回の奉納がより良くなるよう話し合い、勉強を重ねています。7年は あっという間に来ますよ」と語る山口さん。平成17年に“新大工町くんち研究会”を立ち上げ、町を挙げてくんちの継承に力を入れています。「くんちは町の 総合力が如実に表れます。だからこそ、くんちを通して町民の絆を強めていきたいですね」。全盛期は12ヵ町も奉納していた曳壇尻。詩舞も含めて現在唯一の 奉納町として、大切に将来へ繋げたいと力が入ります。町の結束力が強いからこそ、脈々と受け継がれてきたものがあるのですね。

 

 

 

お話:山口 康平さん
写真協力:山口 康平さん・山下 純一さん
協力:長崎くんち塾

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籠町 龍踊り(かごまち じゃおどり)

9kago_1 唐人屋敷に隣接する籠町は、竹籠の職人が、集まっていたことに由来しています。
 奉納踊りは、300年以上の歴史を持つ勇壮な龍踊り。籠町が長崎の龍踊りの原点です。

 

 

 

9kago_2「どの町も同じだと思いま すが、目標は、お諏訪さんで素晴らしい踊りを奉納すること。とにかく体に覚えこませることですね。稽古の時の皆は、とても生き生きしていますよ。」と語る 白水さん。籠町の人が少なく、他町の人がほとんどのなか、気持ちを一つに奉納したいと声を強めます。他町の力があってこそ、くんちで奉納ができるのです ね。  「昔からの龍踊りを伝えていってほしいと思います。皆のくんちへの思いは、とても強いんです。龍踊りに携わらせてもらえることを、誇りに思っているんで すよ。」伝統を守っていくこと。代が変わっても、その熱い気持ちは子供たちへ受け継がれていくのですね。

 

 

 

お話:白水 仁さん
写真協力:山下 純一さん
協力:長崎くんち塾

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馬町 本踊(うままち ほんおどり)

8uma_1銅座町は1724年(享保9年)、鋳銅所があったことから「銅座町」と呼ばれるようになったと言われています。
 奉納踊は「南蛮船」でポルトガル船を再現した5トンにも及ぶ大きな船を豪快に引き廻します。船は平成15年奉納時に長崎大学の協力により本物に忠実な装 飾で再現され、ランプや船尾に使用されている色付ガラスなど、細部にまでこだわった美しく勇壮なものになっています。お囃子や先曳きの子供達の衣装は一人 ひとり違い、南蛮屏風からそのまま抜け出したようで、とても綺麗です。銅座町は以前、引きだんじりを奉納しており、南蛮船は平成22年で4回目の奉納とな ります。
 今回、長采を務めることになった新ヶ江さん。銅座町が、くんちをきっかけに盛り上がり、 町内の一人ひとりが一丸となっ て一生懸命に取り組みたいと話 します。

 

 

 

8uma_2平成15年に新ヶ江さんは、添根曳として参加。しかし初日の演技で肉離れをおこし、注射を打ちながら痛みをおしての演技となりました。今年は怪我をし ないよう、余力を持って体力面、メンタル面を仕上げて挑みたいと力が入ります。「お囃子をしていた子供達が、今では根曳の主力に成長しました。時間が経つ のは早いものですね。町内の人間関係は最も大事なこと。くんちに関わることで皆に地域をより好きになってもらい、町に愛着を持ってほしい」と語ります。
 新ヶ江さんの話をきいて、外から見ているだけではわからない、くんちに対する思い、熱い心が伝わってきました。今年のくんちはいつもとはまた違う気持ちを感じられそうです。

 

 

 

お話:川内 修さん
写真協力:タシロフォート
協力:長崎くんち塾

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築町 御座船 (つきまち ござふね)

7tuki_1八坂町は、明治4年(1871)、今石灰町と新石灰町が合併され、八坂神社の名前に因んだことに由来しています。
 奉納踊りは躍動感溢れる川船。三つの車輪を持つ船体は砲台のあとを利用しており、方向が変えられる前輪には舵がついています。他の川船にはない、スピードのある船廻しは圧巻です。

 

 

 

7tuki_2「町全体の仲が良いので、息があったところを見てほしいですね。船は一人では廻せませんから。」と語る脇山さん。日頃から他の活動も一緒にしているた め、アットホームな町の雰囲気が伝わってきます。「私達がくんちに出られるのは皆のおかげなんです。踊り町だけではなく、長崎の街全体で盛り上げていきた い。見てくれて、盛り上げてくれる人たちがいるから私達がある、ということを忘れないでほしい」と笑顔で話します。一つの目標に向かって、練習を積んでい る皆さんは輝いていて、まるで大きな家族のように感じました。

 

 

 

お話:中嶋 毅さん
写真:山下 純一さん
協力:長崎くんち塾

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八坂町 川船(やさかまち かわふね)

6yasaka_1八坂町は、明治4年(1871)、今石灰町と新石灰町が合併され、八坂神社の名前に因んだことに由来しています。
 奉納踊りは躍動感溢れる川船。三つの車輪を持つ船体は砲台のあとを利用しており、方向が変えられる前輪には舵がついています。他の川船にはない、スピードのある船廻しは圧巻です。

 

 

 

6yasaka_2「町全体の仲が良いので、息があったところを見てほしいですね。船は一人では廻せませんから。」と語る脇山さん。日頃から他の活動も一緒にしているた め、アットホームな町の雰囲気が伝わってきます。「私達がくんちに出られるのは皆のおかげなんです。踊り町だけではなく、長崎の街全体で盛り上げていきた い。見てくれて、盛り上げてくれる人たちがいるから私達がある、ということを忘れないでほしい」と笑顔で話します。一つの目標に向かって、練習を積んでい る皆さんは輝いていて、まるで大きな家族のように感じました。

 

 

 

お話:脇山 信人さん
写真:山下 純一さん
協力:長崎くんち塾

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筑後町 龍踊り(ちくごまち じゃおどり)

5tikugo_1銅座町は1724年(享保9年)、鋳銅所があったことから「銅座町」と呼ばれるようになったと言われています。
 奉納踊は「南蛮船」でポルトガル船を再現した5トンにも及ぶ大きな船を豪快に引き廻します。船は平成15年奉納時に長崎大学の協力により本物に忠実な装 飾で再現され、ランプや船尾に使用されている色付ガラスなど、細部にまでこだわった美しく勇壮なものになっています。お囃子や先曳きの子供達の衣装は一人 ひとり違い、南蛮屏風からそのまま抜け出したようで、とても綺麗です。銅座町は以前、引きだんじりを奉納しており、南蛮船は平成22年で4回目の奉納とな ります。
 今回、長采を務めることになった新ヶ江さん。銅座町が、くんちをきっかけに盛り上がり、 町内の一人ひとりが一丸となっ て一生懸命に取り組みたいと話 します。

 

 

 

5tikugo_2平成15年に新ヶ江さんは、添根曳として参加。しかし初日の演技で肉離れをおこし、注射を打ちながら痛みをおしての演技となりました。今年は怪我をし ないよう、余力を持って体力面、メンタル面を仕上げて挑みたいと力が入ります。「お囃子をしていた子供達が、今では根曳の主力に成長しました。時間が経つ のは早いものですね。町内の人間関係は最も大事なこと。くんちに関わることで皆に地域をより好きになってもらい、町に愛着を持ってほしい」と語ります。
 新ヶ江さんの話をきいて、外から見ているだけではわからない、くんちに対する思い、熱い心が伝わってきました。今年のくんちはいつもとはまた違う気持ちを感じられそうです。

 

 

 

お話:新ヶ江 憲和さん
写真:山下 純一さん 、新ヶ江 憲和さん
協力:長崎くんち塾

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鍛冶屋町 宝船・七福神(かじやまち たからぶね・しちふくじん)

4kajiya_1銅座町は1724年(享保9年)、鋳銅所があったことから「銅座町」と呼ばれるようになったと言われています。
 奉納踊は「南蛮船」でポルトガル船を再現した5トンにも及ぶ大きな船を豪快に引き廻します。船は平成15年奉納時に長崎大学の協力により本物に忠実な装 飾で再現され、ランプや船尾に使用されている色付ガラスなど、細部にまでこだわった美しく勇壮なものになっています。お囃子や先曳きの子供達の衣装は一人 ひとり違い、南蛮屏風からそのまま抜け出したようで、とても綺麗です。銅座町は以前、引きだんじりを奉納しており、南蛮船は平成22年で4回目の奉納とな ります。
 今回、長采を務めることになった新ヶ江さん。銅座町が、くんちをきっかけに盛り上がり、 町内の一人ひとりが一丸となっ て一生懸命に取り組みたいと話 します。

 

 

 

4kajiya_2平成15年に新ヶ江さんは、添根曳として参加。しかし初日の演技で肉離れをおこし、注射を打ちながら痛みをおしての演技となりました。今年は怪我をし ないよう、余力を持って体力面、メンタル面を仕上げて挑みたいと力が入ります。「お囃子をしていた子供達が、今では根曳の主力に成長しました。時間が経つ のは早いものですね。町内の人間関係は最も大事なこと。くんちに関わることで皆に地域をより好きになってもらい、町に愛着を持ってほしい」と語ります。
 新ヶ江さんの話をきいて、外から見ているだけではわからない、くんちに対する思い、熱い心が伝わってきました。今年のくんちはいつもとはまた違う気持ちを感じられそうです。

 

 

 

お話:新ヶ江 憲和さん
写真:山下 純一さん 、新ヶ江 憲和さん
協力:長崎くんち塾

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元船町 唐船祭(もとふなまち とうせんまつり)

3motohuna_1元船町は、1904年に大波止海岸前の海を埋め立てて作られ長崎港開港当時、唐蘭船の寄港する大きな波止場で、元は船町だったことに由来しています。

 奉納踊りは、鎖国時代の唐船貿易を再現した異国情緒豊かな「唐船祭」。航海安全の神として媽祖様が乗った唐人船と、子ども達の明清楽の舞で構成されています。

 

 

 

3motohuna_2「人と人との繋がりが、日々くんちへ向けての町内活動の延長線です」と語る中川さん。昔からの人がいなくなり、くんちへの参加者も少なくなってきたと言 います。「若者達には先輩の背中をよく見てほしいと思います。そして、目標に向かってチャレンジしてほしい。くんちを存続させるのも“人”です。全てにお いて人間関係が大切だと感じています」と力が入ります。人と人との強い繋がりがあってこそ、その延長線上に今の長崎、そして私達があるのですね。

 

 

 

お話:新ヶ江 憲和さん
写真:山下 純一さん 、新ヶ江 憲和さん
協力:長崎くんち塾

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東濱町 竜宮船(ひがしはままち りゅうぐうせん)

2higashihama_1東濱町は、長崎の港に面した浜辺にあり、1672年に東西に分割されたことに由来しています。

 奉納踊りは、優雅で女性的、美しい曲線の白龍が印象的な
「竜宮船」。デザインは、かっぱの絵で有名な長崎市出身の漫画家、清水崑氏によるものです。重厚な廻しは圧巻で、車輪と石畳が擦れる音は、龍がないているかのように諏訪神社に響きわたります。

 

 

 

2higashihama_2今回が4度目の参加となる本田さん。 「目立つポジションだけが決してスターではない。個人ではなくみんなで作り上げ、それぞれが支えあって尊敬しあう 関係でありたいと思っています。みんな一生懸命だから輝いてみえる。若者達には自分がやることに関しては手を抜いてほしくないし、くんちに対する熱い思い を持ってほしい」と語ります。積極的な若い人たちが増え、東濱町がより活気づいてきたそうです。

 

 

 

お話:本田 時夫さん
写真:山下 純一さん
協力:長崎くんち塾

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銅座町 南蛮船 (どうざまち なんばんせん)

1douza_1銅座町は1724年(享保9年)、鋳銅所があったことから「銅座町」と呼ばれるようになったと言われています。
 奉納踊は「南蛮船」でポルトガル船を再現した5トンにも及ぶ大きな船を豪快に引き廻します。船は平成15年奉納時に長崎大学の協力により本物に忠実な装 飾で再現され、ランプや船尾に使用されている色付ガラスなど、細部にまでこだわった美しく勇壮なものになっています。お囃子や先曳きの子供達の衣装は一人 ひとり違い、南蛮屏風からそのまま抜け出したようで、とても綺麗です。銅座町は以前、引きだんじりを奉納しており、南蛮船は平成22年で4回目の奉納とな ります。
 今回、長采を務めることになった新ヶ江さん。銅座町が、くんちをきっかけに盛り上がり、 町内の一人ひとりが一丸となっ て一生懸命に取り組みたいと話 します。

 

 

 

1douza_2平成15年に新ヶ江さんは、添根曳として参加。しかし初日の演技で肉離れをおこし、注射を打ちながら痛みをおしての演技となりました。今年は怪我をし ないよう、余力を持って体力面、メンタル面を仕上げて挑みたいと力が入ります。「お囃子をしていた子供達が、今では根曳の主力に成長しました。時間が経つ のは早いものですね。町内の人間関係は最も大事なこと。くんちに関わることで皆に地域をより好きになってもらい、町に愛着を持ってほしい」と語ります。
 新ヶ江さんの話をきいて、外から見ているだけではわからない、くんちに対する思い、熱い心が伝わってきました。今年のくんちはいつもとはまた違う気持ちを感じられそうです。

 

 

 

お話:新ヶ江 憲和さん
写真:山下 純一さん 、新ヶ江 憲和さん
協力:長崎くんち塾

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