松井 守男

No.1 色と光と感動と。ただ描きつづけた。

松井 守男 Matsui Morio

1942年、愛知県豊橋市生まれ。武蔵野美術大学油絵科卒業後、フランス政府奨学生として渡仏。アカデミー・ジュリアン、国立パリ美術学校に留学。
1985年、代表作「遺言」を発表し、フランス内外で絶賛を浴びる。
1998年、太陽の光を求めフランス・コルシカ島に制作の本拠を置く。フランスの芸術文化勲章(2000年)、レジオン・ド・ヌール勲章(2003年)の両賞をフランス本国で受賞した初めての日本人となり、フランスのシラク元大統領に「フランスの宝」とまでいわしめた画家。


松井 守男氏の作品

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2005年、愛知県で開催された「愛・地球博」では芸術の国フランスの公式画家に認定されフランス館に作品が展示される。2008年スペイン・サラコザ万博で再びフランス公式画家に選出と同時に、フランス政府の永久公式招待画家と指定され、今後の万博には必ず氏の絵画がフランス館に展示されることとなる。今年度5月から開催される上海万博にも展示される。 2008年から日本での制作拠点を五島市久賀島に置き、現在は、コルシカ島と五島を往復しながら制作活動を続けている。


ロベール・ショージニキ

フランスのリオン生まれ。21歳の頃から27年間、松井守男氏をサポートし続けている。松井守男作品のコレクターでもある。
独自のやり方を貫き、画商を通さない松井氏に対して、絵の世界はとても厳しかった。そのような状況から松井氏を守りたいと思い、サポートしはじめた。「彼(松井氏)は、認められる絵を描こうとか、売れる絵を描こうとはしない。他のことに目もくれずに、ただただ絵だけに集中している。彼の絵は完全オリジナルで、誰にもまねできない素晴らしいものです。」



久賀島の松井守男先生のアトリエは、廃校になった小学校校舎。自然に囲まれた美しい場所にあります。島に着いて、最初に感じたこと、それは“光”が違うということ。「自然に近づけるわけはないけれど、近づこうと思って絵を描いている。自然の中で描くことが大切。」と先生は教えてくださいました。その思いで描かれた作品だからこそ、東京やパリに持っていった時に、その光を感じ、感動するのでしょうね。


Q.1 創作するときの気持ちは・・・?

モーゼのように、大海を切りひらくつもりで描いているね。何も考えずに、大きな白いキャンバスの真ん中から描き始める。 絵には完成というものはなく、描き続けるもの。自分が種をまいて、成長していく絵を描いていきたい。絵は仕上がったところから成長していくのです。


Q.2 「コルシカ」「久賀島」という場所にこだわっていらっしゃいますよね。

パリに住んでいる画家は、20~30年経つと気候のよい南仏へ行くようになります。偶然にコルシカに行くことになり、素晴らしい自然に感動。自然の中で生きていきたいと強く思い、永住の地だと決めた。五島列島には、素晴らしい教会があると紹介され、興味を持ったのがきっかけ。キリシタン迫害・五島崩れの発端の地となった久賀島。


この島に足を踏み入れた時、昔、この地でむごいことがあったことなど想像できないほど平和で、何もなかったかのような美しい景色だった。雰囲気もコルシカ島に似ていて、人間はもう一度、自然に戻らなければならないと強く思ったのを覚えている。僕の夢は、学校で絵を描くこと。帰り際に、廃校になった校舎をたまたま見つけて、これこそ、いつも夢見ていた場所だと嬉しくなった。


久賀島のアトリエでは、絵を描きながら一人で生活をし、自分を厳しい状態にもっていっている。レストランもカフェも何もないから、「絵」を描かざるを得ない。仕方なく絵を描く。この“仕方なく”が、次第にリズムになっていき、作品ができあがっていくのです。例えれば、コルシカは“服”の部分、久賀島は“裸”の部分。両方を楽しんでいますよ。


Q.3 長崎にゆかりのある作品。

「ノーモアナガサキ」
久賀島で描いた作品。描かせてもらっているという感謝の気持ちで描きあげました。海外では、広島の原爆のことは知っていても、長崎のことを知らない人が多い。僕は、戦争を体験していないけれど、ピカソのゲルニカが歴史に残っているように、自分の傑作をつくるきっかけにしたいと思っている。


Q.4 松井守男さんが目指す生き方って何ですか?

自由に生きるということは、たいへんなこと。いい意味でも悪い意味でも目立ってしまうから。 好きな言葉は「捨てる神あれば、拾う神あり」 がむしゃらに頑張っていれば、絶対に自分が満足できる日がやってくるはず。1967年、90歳のパブロ・ピカソに会う機会があり、その時の言葉は、僕を支えてくれた。 それは 「ピカソになろうと思うな。松井守男の絵を描け」という言葉。


Q.5 長崎にゆかりのある作品。

私は結婚していませんが、 自分なりに結婚とは、違う人と生活する喜びだと思います。一心同体というわけではないので、お互いの違いを尊重し合うことが大切。 フランスでは、結婚すると、最初に二人で絵を買います。絵を買ってから家具をそろえていくのですよ。「結婚」と「絵」とは、きってもきれない関係なのです。

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入江靖宏校長先生

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(島原市立第三小学校)

「地元愛に満ちた保護者との交流」
島原出身の入江校長先生は、昨年度この第三小学校へ。赴任時には「おかえりなさい!」と声をかけられたと言います。17年ぶりの島原は、「周りの方の島原弁を聞いて懐かしさがこみ上げました(笑)」と感慨もひとしおだったようです。入江先生を感激させたのは、保護者の方や地域の方の地元愛の深さ。「昨年度の育友会役員を務められた保護者は、全員が第三小学校の卒業生。両親ともに卒業生、という家庭も多く“地域と共働して子どもを育てる”という気概がありますね」。保護者との密な関係は、小学校のホームページを育友会が制作していることからも分かります。学校の様々な情報を明るく楽しく紹介しています。「ホームページの更新作業もあって、保護者が来校する頻度も高いんです」。保護者や地域との交流を楽しんでいる入江校長先生が目指すのは「我が子を通わせたい学校」。子どもの笑顔のために保護者と教師がタッグを組む、まさに理想の学校と言えそうです。

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矢竹武則校長先生

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(長﨑市立小江原小学校)

「“遊び”で育む絆と自信」
矢竹校長先生が取り出したのは、とある女の子からの手紙でした。「いつまでも長生きしてください」と書かれたその手紙を手に「おじいちゃんみたいなものですよ」とにっこり。子どもたちにとって家族的な温もりを感じる存在の矢竹先生は、「子どもたちと“遊ぶ”のが、何よりの楽しみなんです」と言います。サッカー少年だった矢竹先生は、休み時間、子どもたちと運動場を駆け回るそう。「サッカー、鬼ごっこ、かけっこ…なんでもやりますよ。普段は“大人と子ども”“校長と生徒”という上下のある関係ですが、遊ぶ時は別。私より子どもの方が上手だったり早かったりすれば、上下は逆転します。そういう経験が子どもに自信を与えるんです」。今は腰を痛め運動場から遠ざかっているそうですが、「早く治して遊びたい!」とうずうずしている矢竹先生なのでした。

(2014年3月取材)

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枡田忍校長先生

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(長崎市立小榊小学校)

「恩師に教わった“つながる”喜び」
「“教師になりたい!”と初めて明確に思ったのは教育実習の時でした」という枡田校長先生。「私の授業が子どもたちに伝わり、反応が返ってくる“つながる”感覚は大きな喜びでした。実習の最後にもらった手紙にも“絶対に先生になって”や“楽しかった”とあり、嬉しさに涙しました」。
 枡田先生にとって、長崎大学教育学部時代の恩師・橋本健夫教授との出会いは大きな財産になっているそうです。「橋本教授の(理科教育)ゼミでは、学生と卒業生が繋がり、交流できる場があったんです。学生の頃は教員の先輩方から話を聞き、今は学生に現場の厳しさや楽しさを伝えています」。30年以上も続いている“橋本ゼミ”の交流が、一昨年の橋本教授の退官を機に1冊の本に。「子どもたちとともに~学び続ける教師たち(長崎文献社)」には、枡田先生の新米教師時代の体験を寄稿。子どもと「つながる」ことの素晴らしさが伝わるエピソードをぜひお読みください!

(2014年2月取材)

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田中加津也校長先生

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(諫早市立森山西小学校)

「校長先生の夏休みの自由研究」
大学時代を福島県で過ごした田中校長先生にとって、3年前の東北大震災は決して他人事ではありませんでした。「震災後、連絡が取れなかった友人もいて、ひどく心を痛めていました」。その後、知人皆の無事を確認し安堵した田中先生でしたが、心はいつも東北へと向っていたと言います。「できることなら、すぐに駆けつけたかったのですが、なかなかタイミングが合わず…。2年後の夏にようやく訪れることができました」。学生の頃の友人に案内され、津波の爪痕が今なお深く残る陸前高田、気仙沼など被災地を巡ったそう。悲惨な現実の中でも、「被災地でも観光客が集まりだすと、すぐにプレハブの店舗ができている。必死に生きる人間の逞しさを感じました」。長崎へ戻ると、この体験を“校長先生の夏休みの自由研究”として壁新聞にし、子どもたちに発表しました。「被災地の今を知り、子どもたちへも知らせたかった」と田中先生。保護者からの反響も大きかったそうです。

(2014年1月取材)

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馬場登喜子校長先生

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(長崎市立仁田小学校)

「好奇心と想像力という翼を広げて」
校舎を中心に、運動場、体育館を渡り廊下で結び、空からは翼を広げた鳥のように見える仁田小学校。子どもたちにも、大空へ羽ばたく鳥のように、自らの夢を追いかけてほしいと、馬場校長先生は願っています。子どもに“夢”を持ってもらうために馬場先生が立ち上げたプロジェクトの一つが、様々な分野で活躍する「ゲストティーチャー」を招いての夢授業。プロスポーツ選手、音楽家、科学者……子どもたちは夢を叶えた一流の人が語る言葉のひとつひとつに感銘を受け、夢を持つことの大切さを感じ取ると言います。幼い頃から本が大好きだったという馬場先生は、映像が氾濫する現代だからこそ、読書によって子どもの「想像力」を磨きたいと語ってくれました。「相手を思いやる優しさも、想像力がなければ生まれません。本は世界を広げてくれるもの。好奇心の赴くままに本を取り、読んでほしいですね」。夢を抱く仁田小学校の子どもの未来は、七色に光り輝いています。

(2013年12月取材)

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鈴木徹校長先生

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(長崎市立西坂小学校)

「小ささを最大限に活かす」
長崎らしい斜面に住宅が段々と連なる高台、そこに西坂小学校はあります。校長室の窓からは女神大橋や稲佐山を一望でき、子どもたちがのびのびと育つ環境が整っているようです。「全校生徒は98名と決して多くはありませんが、その分子ども同士の絆、家庭と学校、そして地域の連携は密ですね」と語るのは鈴木校長先生。「当校は、長崎県内で最初に学校給食が始まった小学校です(1938年)。現在では、各クラスに電子炊飯ジャーを配膳し、温かなご飯が食べられる給食に取り組んでいます。生徒数が少ないからこそできる利点と言えるかもしれませんね」。1〜6年生まで各学年20名前後という“小ささ”は「家族のようです」とも語ります。「上の学年が下の学年の面倒を見、横だけでなく縦の繋がりも強いように感じます。“先生、髪切った?”なんて子どもに気づいてもらえるんですよ(笑)」。子どもとの距離が近い、温かな空気。校長先生は「西坂」という家庭を見守る父親と言えるかもしれません。

(2013年11月取材)

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嘉松弘一郎校長先生

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(長崎市立矢上小学校)

「いい顔、いい声、いい心」
「矢上は、僕にとって第二のふるさとなんですよ」。嘉松先生が新卒で赴任したのは、この矢上小学校だったそうです。「教師の何も知らなかった頃、全ては矢上の先生方、保護者の方、生徒に学びました。僕が“教師”になったのはここなんです」。奇しくも、校長としての最後の赴任地が同じ矢上小学校であったことを嘉松先生は「落在」だと言います。「僕ら教師はどこの学校に行くかを選べません。風や鳥たちによって運び落とされる“種”と同じです。それにも関わらず、教師生活の最初と最後が同じ学校になるという巡り合わせを、不思議に感じています」。音楽を専門とする嘉松先生のモットーは「楽しい歌をいい声で歌えば、自然といい表情になります。いい顔をしていれば、心も楽しく躍ってくる…音楽とはそういうものなんです」。休み時間、校庭には子どもと汗だくになって遊ぶ嘉松先生の姿が。子どもたちのいい表情、笑い声に直に触れられるこの時間を何よりも愛しんでいるのです。

(2013年10月取材)

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筒井昌則校長先生

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(大村市立三浦小学校)

「“チーム三浦”として」
波静かな大村湾と、飛行機が爽やかな航跡を残す青空。大村市立三浦小学校を囲む風景は、とても伸びやかです。海、山、空に包まれたこの街の人は、大きな包容力があると筒井先生は言います。「地域の人が、子どもをきちんと叱ってくれる、いつも見守ってくれているという安心感があります。学校に田んぼを作ろう!となった時も、地元の農家の方が率先して手伝ってくれました」。学校、保護者、地域が連携した「チーム三浦」で未来ある子どもたちを見守り、育てようとしています。「子どものために…とよく言いますが、僕はあえて『子どもの“将来”のために』と言うようにしています。今だけではなく、10年後、20年後を見据えた指導が必要なんです」。筒井先生の言葉で印象的だったのは「よってたかって面倒を見る」。子ども一人ひとりに、先生も街の人も“よってたかって”愛情を注ぐ…筒井先生を始め多くの人に愛され育つ三浦の子どもたちは幸せですね。

(2013年9月取材)

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元田美智子校長

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(長崎市立朝日小学校)

「心を柔軟に」
「おはようございます。頑張って学校に来ましたね」。玄関前で子どもたちに明るく声をかけることを日課としている元田校長先生。昼休みになると、校長室の前には先生と遊びたい子どもたちが続々と集まってきます。朝日小学校に赴任したのは今年の4月。3月までは、長崎大学教育学部附属幼稚園の園長でした。
 国際人育成の朝日小では①小学校英語活動 ②日本人としてのアイデンティティの育み ③タフな心と身体づくりを重点化しながら取り組んでいるそうです。
 将来、国際人となる子どもたちが健やかに育つためには地域との連携が不可欠と考える元田先生は、地域のお祭りや自治会の懇親会などへ積極的に足を運んでいます。
 これからの子育てに望むことは「心の柔軟性」。「こうでなくてはいけない、○○らしく…といった固定概念にとらわれず、それぞれの人の持ち味、良さを認めてと」語ってくれました。

(2013年8月取材)

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大島智子校長

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(長崎市立晴海台小学校)

「出逢いに感謝」
名前の通り、晴れた日には紺碧の海を見渡す高台に位置する「晴海台小学校」。昭和62年、晴海台団地の造成とほぼ同時期に開校したそうです。今年で教員歴37年を迎える大島校長先生は「教師という仕事は、出逢いに支えられている」と言います。「26歳から32歳までの若き日を壱岐で過ごしました。着任した当初はホームシックになって落ち込んだりもしたのですが、周りの方たちに助けられましたね。同期の先生たちが励ましに来てくれたり(笑)。保護者の皆さんもとても温かくて。校長になって初めての赴任先も壱岐だったのですが、若い頃を知っている島の方々が、“おり”と迎えてくださって、とても心強かったですね」。 今でも教え子たちから届く年賀ハガキが何よりの楽しみだという大島先生。「多くの出逢いと巡り続ける“縁”に支えられて続けてこられました。教師になって本当によかった」。柔らかな笑顔が全てを物語っていました。

(2013年7月取材)

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小川博行校長

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(長崎市立女の都小学校)

「いつかのメッセージ」
現在児童数が249名の女の都小学校。「父の実家が対馬だったので、長崎には憧れがありました」と教えて下さったのは、東京出身で教職37年目の小川博行校長先生。高校二年生までは、警察官になろうと思っていたようですが、「取り締まるのもいいけれど、人を育てるという仕事もいいのでは…」と考え、教員の道へ進んだそうです。
 そして何より、全校集会の時、ギターを演奏する先生として有名です。「1年生から6年生の児童にメッセージを伝えようと考えると難しいんです。しかし、子どもたちは歌をすぐに覚えますよ。その歌のメッセージが、いつか届くようにと思いを込めています」情熱あふれる小川校長先生の心は、将来子どもたちの心を後押しする力になるのでしょうね。

(2013年4月取材)

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倉本龍弥校長

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(長崎市立城山小学校)

「ターニングポイント」
児童数が、544名の城山小学校。
倉本龍弥校長先生は、教職33年目。大学時代は、 家業を継ぐ予定でした。それが教育実習時、子どもたちから「先生に向いてるよ」と、背中を押されて、 教職に。
サッカー部顧問の経験もあり、自ら「厳しい先生」とおっしゃいますが、多くの卒業生に慕われ、同窓会では、人気者です。愛情溢れるお人柄が、まっすぐに子どもたちに伝わるのでしょう。阪神淡路大震災を体験。被災者支援活動に携わりました。この経験で、命と平和の尊さを、 心から知りました。
東日本大震災では、いち早く募金を集め、被災地へ届けました。毎月9日の平和祈念式では、倉本校長先生の平和への祈りが、全校生徒に受け継がれています。

(2013年3月取材)

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馬場昭洋校長

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(長崎市立佐古小学校)

「5分間のハッピータイム」
現在、児童数が84名の佐古小学校。
校長室の前に全校生徒の“夢”が張り出してあります。「地域を好きになること、学校を好きになること、人を好きになること、誰かの役に立ちたいと思うことが、夢へと繋がっていくんですよ」と、目を輝かせて話して下さったのは、教職33年目の馬場昭洋校長先生。
「毎日朝一番の5分間を“ハッピータイム”と言って、夢に向かって努力していることを形にする時間なんです」
全校生徒が“ハッピーカード”に現状を記入。そして、カードを見せてくださいました。カードのコメントは、全て馬場校長先生が丁寧に行っています。
「校長先生へ…」という言葉から始まり、まるで交換日記のようにつづられる内容は、夢であふれていました。日々の積み重ねが、大きな夢へ繋がっていくのが見えた気がしました。

(2013年2月取材)

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増田修次校長

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(長崎市立山里小学校)

「平和リレー」
現在の児童数が741名の山里小学校。
「地域の運動会があったり、行事の炊き出しを婦人会の方が行ったり、地域との繋がりが強い学校ですね」とお話しくださったのは、教職35年目の増田修次校長先生。
平和学習が盛んなイメージの山里小学校。
「小学生の時は、どうして平和学習が繰り返し行われるのか理解できませんでした。今になって、どれほど大事なことか分かりました」という卒業生が、自分の子どもにも平和学習を受けさせたいと、保護者となって戻ってくることもあるそう。“さるくコース”の一つにもなっている学校は、誰でも出入りできるオープンな場所です。
「山里小学校は、地域が作っている学校かもしれませんね」と、増田校長先生は終始笑顔。地域と親子の平和リレーですね。

(2013年1月取材)

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中村光則校長

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(諫早市立喜々津小学校)

「交換日記は道しるべ」
児童数が604名の喜々津小学校。
「子どもに関わることができるのは、幸せですね。感情が豊かで、ストレート。それを受け止めて、私たちも考えさせられますよ」と、子どもたちと同じ目の輝きを持つのは、教職35年目の中村光則校長先生。
 子どもたちが登校してくる時間に通学路を歩き回って、毎朝子どもたちと触れ合うのが日課になっているそうです。
 中村校長先生が担任をしていた時、児童と交換日記をしていたそう。
 そのうち同じ教職の道を進んだ教え子から「児童とのコミュニケーションに迷ったら、先生とやり取りを読み返しています」と連絡があったそうです。
 かつての小学生の交換日記は、今では大切な道しるべ。
 心から子どもたちと関わるからこそ、生涯の恩師になれるんですね。

(2012年12月取材)

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福田清文校長

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(諫早市立飯盛西小学校)

「あったかポスト」
現在児童数が69名の飯盛西小学校。  「地域には県の無形民族文化財“田結浮立”に携わる子どもたちがいて、地域と深い関わりを持っています」と、教えてくださったのは、教職32年目の福田清文校長先生。
 福田校長先生は、2年前より職員室の前に「あったかポスト」を設置したそうです。
 「いいことをしたり、いいことをしてもらったり、いいことをしているのを見たときに、その気持ちを紙に書いてポストに入れるんです」そう言って、これまでポストに投函された手紙を見せてくれました。
 児童が児童に「ありがとう」や「嬉しかったです」と書かれた手紙からは、純粋な思いが伝わってきます。
 人の良さを見つける力を教えてくれる「あったかポスト」は、きっと生涯の宝物になりますね。

(2012年11月取材)

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西村敏彦校長

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(長崎市立戸石小学校)

「変わらない愛情」
現在の児童数は344名の戸石小学校。
「子どもたちの本質は、変わっていませんよ」とおっしゃるのは、教職37年目の西村敏彦校長先生。担任時代は、小規模な学校で、子どもたちと密に関わる機会も多かったと言います。「変わったのは子どもたちではなく、世の中の変化です」と西村校長先生は思いを巡らせているようです。
 「いろんなことが両極端になっている気がしますね。構いすぎたり、構わな過ぎたり」今は入学式はじめ、授業参観にも両親がそろって参加することも珍しくないそうです。一方、両親とも忙しいので十分に構うことができないこともあるそう。「しかし、“幸せになってほしい”という子どもたちに対する愛情は、みんな一緒ですよ」西村校長先生は、最後に柔らかく包み込む笑顔でおっしゃいました。

(2012年10月取材)

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森恵司校長

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(佐世保市立黒髪小学校)

「言語活動の充実」
現在の児童数が493名の黒髪小学校。「小学生の時から、いつか島の役に立つ仕事がしたいと思って教職に就きました」と話すのは、教職30年目、五島出身の森恵司校長先生。
 特に熱心に活動していることが「言語活動の充実」だそうです。「以前に比べると、生活習慣が変わり、会話が“単語”のみになっているのが気になります」とおっしゃいます。言葉を使うことは、創造性が必要。「相手のことを思いやり、今の自分の気持ちを言葉にできるように“ラブレター”を書くことを提案したいです」と森校長先生は楽しそうにお話くださいました。「ラブレターの相手は、家族でも友人でもいいんです。相手の気持ちを想像しながら、今の気持ちを表現することが大切だと思います」便利になった今だから、手書きのラブレターは思いが伝わりそうですね。

(2012年9月取材)

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西本博行校長

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(佐世保市立大塔小学校)

「輝く大人に会ってほしい」
現在の児童数は524名の大塔小学校。
「自己犠牲ではなく、他人にも自分と同じように優しく接することができる子どもになってほしい」とおっしゃるのは、教職31年目の西本博行校長先生。
「中学校の頃から、将来学校の先生になろうと思っていましたが、真っすぐではなかったですよ。
回り道しましたね」と懐かしむように教えてくれました。
「子どもたちの“できた!”“嬉しい!”“楽しい!”と純粋に思う時の“目の輝き”は昔から変わらない」と優しくお話しくださいました。
「だからこそ、子どもたちには、憧れになるほど輝いて仕事をしている大人にたくさん会ってほしいですね」と目を輝かせてお話くださる西本校長先生。
その思いは、将来に向かう子どもたちにじんわりと届くのでしょうね。

(2012年8月取材)

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吉田幸典校長

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(佐世保市立広田小学校)

「基本はパッション」
県内で最も児童数が多い広田小学校。現在1020名の児童が毎日通っています。
職員室の前にずらりと並んだ写真は、町内会の人々。
教職34年目の吉田幸典校長先生は「知らない人ではなく、地域とつながっている学校だからこそ大切」とお話しくださいました。
 「基本は、パッションです」とおっしゃる吉田校長先生は、児童とも保護者とも真剣に向き合います。
「私が転勤になって、船に乗って港を出たとき、それまで手を焼いた子どもたちが佐世保港口の岸壁に並んで手を振ってるんです。
それを見たとき、心から教員になった喜びを感じました」
色あせることのない当時のことを思い出し、目頭を熱くし「元気な子どもたちがいる学校こそ、本当のパワースポットですよ」と、吉田校長先生から情熱あふれる笑顔をいただきました。

(2012年7月取材)

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山本一臣校長

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(佐世保市立宮小学校)

「可能性は無限大」
現在、生徒数が142名の宮小学校は、1年生から6年生まで1クラスずつ。
教職27年目の山本一臣校長先生は、民間企業に8年勤務していたと言います。
「夏のレクレーションキャンプで子どもたちと触れ合っていたんです。そのうちに、人と関わる仕事がしたいと思いました。一回の人生ですからね」と柔らかい笑顔で教えてくれました。

 勉強が嫌いで、社会に出て勉強の大切さに気付いたと言う山本校長先生。
子どもたちには「限界を自分で決めないで、やればできると信じてほしい」と伝えたいそうです。
学校は、いろんなタイプの先生がいて、違う目線で同じ目標なのがいいと話します。
自らの経験を通して伝える言葉は、多くの子どもたちの将来を力強く後押しするのでしょうね。

(2012年6月取材)

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小澤明校長

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(長崎市立桜町小学校)

「よく遊び、よく学べ」
現在の児童数が480名の桜町小学校。
教職36年目を迎える小澤明校長先生は「以前と比べると、児童の体力が落ちてきたような気がします」とおっしゃいます。
校長先生のモットーは「よく遊び、よく学べ」。スポーツも“遊び”のひとつとして楽しんでほしいと言います。スポーツを通し、できた仲間は絆が強い、と経験から感じるそうです。
 先日、教え子が子どもを連れているところに遭遇し、嬉しかった校長先生ですが、後日、その生徒から「お会いできて嬉しかった」との喜びの手紙が届き、さらに感動。
校長先生は、教え子たちが中学校を卒業する時手紙を送ったそうです。数名の教え子から喜びの返事があり、手書きの手紙だから伝わる思いや、感動を味わったと言います。
純粋な“感謝”の思いは、“感動”となって戻ってくるのですね。

(2012年5月取材)

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於保孝一校長

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(長崎市立大浦小学校)

「バランスの取れた人づくり」
3校が合併して5年目を迎える大浦小学校。
 現在の生徒数は507名。
「小学校は、人間形成の基盤を作ります。変わらないものを教えるのが、学校の役目でしょうね」
 真っ直ぐに、力強く話をしてくださったのは、教職34年目の於保孝一校長先生。
 学校も、住みよい町づくりのためのもの。「子どもがいる地域に学校があり、コミュニティができる。
 コミュニティを作るために大切なことは、信頼です。挨拶ができる、約束を守るなど、当たり前のことを当たり前にできることは大切です」時代に合わせて変化していくのは教育環境ですよ、と教えてくださいました。
 地域と家庭と学校が連携し、子どもたちにたくさん経験をさせ、心も体もバランスよく育てることが必要、と言う於保校長先生には、これまでに出会った生徒とこれから出会う生徒の両方が見えているようでした。

(2012年4月取材)

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本多留男校長

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(長崎市立西浦上小学校)

「意欲ある“夢持つ子”」
児童数739人の西浦上小学校の本多留男校長先生は、教職36年目。最初に受け持った生徒は6年生。その頃の生徒は48歳になるそうです。「子どもたちはいつの時代も一生懸命ですよ。打てば響く、という感じがあります。逆に言えば、打たなければ響かないと思いますよ」と本多校長先生は言います。
 住んでいる人や年代が変わっても、本質的なものは変わらないと、感じるそうです。「子どもたちに必要なことは“意欲”だと思います。本校では“夢持つ子”と呼んでいます。どんなこともいいので、何かに対して夢を持ち、前向きに取り組もうとすることが大切。その気持ちを持たせることも、私たちの役目だと思います」と本多校長先生は最後に教えてくださいました。

(2012年3月取材)

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松尾 広幸 校長

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(長崎市立戸町小学校)

「自己指導能力」
 児童数735人の戸町小学校のテーマは「愛いっぱい」と、教職33年目の松尾広幸校長先生が教えてくださいました。まずは、自分を愛し、必要とされていると感じてほしいと、言います。
 これまで務めた学校のうち、2つの閉校を経験したそうです。閉校に至るまで、それから児童の新たな学校に向けての取り組みを通し、地域の理解と協力の大切さを感じてきたそうです。
 校長先生は“自己指導能力”を大切にしていると言います。「今の自分の課題はどんなことで、どうしたらクリアでき、自分に自信がつくのか。目的は“今”ではなく、児童の未来。他人と触れ合うことで自分を見つめる必要があります」最後に「それが私たちの役目です」と力強く付け加えました。

(2012年2月取材)

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山本元之校長

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(長崎市立伊良林小学校)

「当たり前にできる大切さ」
児童数661人の伊良林小学校の山本元之校長先生は、教職30年目。昨年“ながさきくんち”にも参加するほど地域を大切にしているそうです。伊良林小学校の児童は、地域の方から見守られている印象を強く受けると言います。大人に対して、挨拶はもちろん心の通った会話ができるそうです。「子どもたちは以前から変わりませんよ。変わったのは、子どもたちの育つ環境や大人たちではないでしょうか。大人は子どもたちに対して環境を整える。夢や希望を持っている人と出会わせたり、体験を聞かせてあげることが必要だと思いますよ」と校長先生は教えて下さいました。
 校長先生のモットーは「凡事徹底」当り前のことを当り前にできることの大切さ、そこから生まれる感動を伝えたい、と最後にお話しくださいました。

(2012年1月取材)

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濱田和英校長

濱田和英校長kou_6
(長崎市立高城台小学校)

「感謝を表現」
現在長崎市内で児童数が一番多いのは、開校4年目の高城台小学校。教職36年目の濱田和英校長先生は、朝から校門の前で子どもたちと挨拶を交わし、気になる生徒の下駄箱を確認に行くそうです。登校していることが確認できると、嬉しいと同時に、感謝の気持ちになるそうです。校長先生は、登校してくれる子どもたちと教職員に気持ちを込めて、毎日下駄箱の上を拭いているそうです。
 生まれも育ちも地元の校長先生は、現在学校と地域の人々のふれあいの場として“コミュニティスクール”を行っています。「こんなことをしたいと思った時、地域の人から声が上がったんです。思いが重なったんですね」と笑顔。「来年で定年です。最後に地域に恩返しをさせてもらっていると言う気持ちです。これからも続けてほしいです」と穏やかに付け加えました。

(2011年12月取材)

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島田 博志 校長

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(長崎市立桜が丘小学校)

「親子で参加」
開校19年目の新しい桜ケ丘小学校は、児童数438人。正面玄関は公園のようなゆったりと明るいイメージがあります。「6年生が自主的な活動で、ひとりひとりが決めた場所を朝から掃除しているんですよ」そう教えてくれたのは、教職30年目の島田博志校長先生。「以前は“こうしなさい”という教えが多かったように思いますが、今は“それぞれに合った教育”へと変化しています」
 島田校長先生は「宇宙の学校 ながさき教室」という会を行っているそうです。1年ごとに入校があり、参加は必ず“親子”。活動3年目で、毎年180家族ほどの応募の中から、60家族が抽選で選ばれるそうです。家族で科学実験や体験を行い、発表会などもあるそうです。子どもだけでなく、家族で参加する。島田校長先生の地域との関わりが、大きな化学反応を起こしているようですね。

(2011年11月取材)

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大野義満校長

大野義満校長kou_4
(南島原市立口之津小学校)

「変わるもの、変わらないもの」
校舎が“船”のデザインになっている口之津小学校。児童数は現在243名。教職36年目の大野義満校長先生は「以前に比べると若い職員は減りましたが、女性の職員は増えましたね。女性に生活力がついたことを感じます」と学校現場の変化を感じると言います。以前は、集まってお酒を飲む場がコミュニケーションになったり、そこでカップルができることも多々あったと言います。
 校長先生は「子どもたちが夢や希望を持つことで主体的に学び、活動ができます。職員は勉強だけでなく、目標を抱かせることも大切」だと言います。学校に比べ、周辺の地域は「変わらないなあ」と思うことが多いそうです。以前、船員の町だったという地域の人々の思いが、学校の形になったようです。子どもたちは、教える前に、周囲の大人から学んでいるのかもしれませんね。

(2011年10月取材)

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