| 過日、男性がひとりでおいでになりました。お話をするうちに数年前に奥さまを亡くされ、淋しい日々などなど話がはずんでおりました。そこへ私も、いつも好もしく感じている女性が、これまたおひとりで来店され、この方もお一人身ということはかねてより承っておりましたが、なぜかひらめくものがあってお二人をお引き合わせし、しばし飲食歓談。お二人の背中を押して、押しまくりました。男性の方は名刺を出し、お酒のピッチもあがります。が、女性の方は良い雰囲気の中で住所も電話番号もかたくなに拒み、奇妙な違和感として今も残っています。昨年、永くお世話をされたお母さまを亡くされ、やっと結婚というテーマを遅ればせながら自覚し、がんばるわとおっしゃっていた彼女の意外な消極的な姿勢におんなごころの不思議をあらためて感じたひと時でした。このひと時の出会いに勇気を持って挑戦してこそ未来が拓け、よしんば実らぬおつきあいだったとしても貴重な糧となってくれると思うのですが。 |

シンパシーの一文をご縁に、酊主もいろんな方とのご縁を結ばせていただいております。熱情あふれた若いこころ、あぶなっかしい背伸び、もっと自信を持って口説けよ・・・などなど、酊主の青春の光と涙と重なって、多くは語りませんが、所詮あんたの人生、あんたが乗り越えていきなはれといった話をいたします。冷たいようですが、自分を誉め、自分を責め、自分の目線で良きパートナーとの出会いを祈るのみです。
婚約も整い、結婚式、新生活の話など、これからの永い人生を忘れて、いっときの華やぎにひたるお二人の話は、我が身を振り返り、無理しなさんな、無理しなさんなと思いますが、水は差しません。そんな折、つましく、つましく男性をたしなめ、男の見栄えとこれからの二人の生活のバランスを賢く整え、漂わせる女性のひかえめな自己表現は実にこころがなごみます。幸せだなぁ、この野郎と、酊主の酒もすすみます。幸せのおすそわけは、最高の酒の肴です。人生は永い、感動はいっとき、いっときの積み重ね、幸せ重ねておすそわけのできる二人であり続けていただきたいものです。 |

最近、独身男女の集まりに2、3度参加する機会がありました。もちろんお酒を伴う会合でしたが、男女共にあまりお酒が進まない。まさにたしなむといった感じで盛り上がりません。酒の勢いでも借りて、もすこし本音をぶつけあったら、勇気も元気も、悲しみも淋しさも共有できるのではなかろうかと、実にじれったい時間が過ぎていくのみでした。
飲めても飲めなくても、ひたむきに見つめる、楽しむ、そしてテレないで一生懸命の自分を表現する努力はできるはず。その努力がお集まりの皆さまへのエチケットでは。言い過ぎや後悔があっても、言い足りないよりはよっぽど救われるのではないかと思うのですが。そんなに親しくない仲や、ましてや初対面の人なんかに本音なんぞさとられてたまるか、といった本音の本音でも結構。自己主張のぶつかりあいがあるから、ほんものの共感と反発と学びがあるのです。刺激しあいながら、発想し、変わっていく自分を実感できる喜びを楽しみましょうよ。 |

| お料理のお好きな方はご存知だとは思いますが、お魚を直火で、多分炭火なんかで焼いていた頃の母から娘へ言い伝えられてきた生活の知恵だと思うんですが、趣き深い言葉ですね。おいしく、いい色に焼きあげる母の、そのまた母の工夫が伝えられて、大げさに言えば往時の生活文化のひとつとして、今は言葉だけが生き残って、いろんな場面で重宝に使われているようです(ホント?)。強火で、いつも近くであぶられていては人間関係だって火傷します。弱火で近火だとうっとうしい。なにモタモタしてんのよ、とイヤ味のひとつも言いたくなりますよね。近くて遠きは男女の仲とか、まさに言いえて妙です。実証例を二つ、三つ。居酒屋商売をしていますと、お客様同士のご縁もいろいろ。開店最初のカップルは出張でひとりでフラリと入って来られた男性客。数ヶ月してから礼状が、はるか信州から。当店でその時知り合った女性と文通、長距離恋愛の末、結ばれたという嬉しいお便り。未だに賀状のやり取りが続いています。最近は対馬の男と築町の魚屋の娘。これまた想いはるかな日々を乗り越えて、昨年末結婚。“遠火の強火”は今も脈々と生きています。チャレンジのヒントになるのでは。 |

| 先月、長崎新聞のうず潮という欄に一文を寄せました。レイアウトに関する一考です。仲間うちでは好評でしたので再レイアウトしてここに。タイトルは二枚舌とレイアウト。事の発端は近所の食堂で朝市の魚屋さん達との小宴会中、私の舌に魚の骨が刺さったのです。痛い痛いと大騒ぎしていますと、なかの一人がその舌を切ってしまえと言うのです。えっ?と聞くと、彼いわくあんたにはもう一枚舌があるではないかと。爆笑の後の話題は最近の失言問題や裏金、欠陥商品等の二枚舌騒動へと進んでいったのです。失敗、失言、無理押しなど窮地に陥った時に、とかく後手、後手で傷口が広がってしまってから処理やとりつくろい、信用回復しなければならない場合の多くは、責任逃れの二枚舌が傷を深くしていくという事です。つまるところ問題解決のレイアウトが早期に描けていないからです。レイアウトを間違えたらすべては砂上の楼閣。生き方を含めたすべての生活文化、芸術はレイアウト次第だと思うのです。自分を素直に見つめて日々の暮らしをレイアウトできていれば、一枚の舌を裏表に使ってもきっと安定した日々と希望力がわいてきますよ。 |
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