「野に咲く花のように」
金澤 政孝・民子ご夫妻 長崎市在住 |
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子孫を残すために花を咲かせる植物は、受粉に必要な虫や鳥を誘うために色・形を工夫して、ランディング・スペース(足場)まであるといいます。
林芙美子の言葉を借りるまでもなく、花の命は短いのですから、チャンスが大切なのは人と同じ。
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「この世に、こんなに美しい人がいるのだろうか」
男と女の出会いの印象ですから、誰が聞いてもこのセリフはご主人だと思うでしょうね。でも、これは民子さんの言葉なんです。
「当時、同じ職場にいたんですが、ある夜、宴会で政孝さんが酔いつぶれてしまいましてね」
ここぞとばかり、民子さんはタクシーで自分の家に連れて戻り、介抱したのだとか。勿論、政孝さんも同じように好意を持っていたようです。
ところで、ご夫婦揃って“押し花”を作るのは珍しいと思いますが、経緯は何だったのでしょうか。
「息子が小学生の時、夏休みの宿題で植物採集があって、それを手伝ったのが始まりでした」
以来、民子さんは押し花の魅力に取り憑かれた。
「民子さんが草花を採集し、私がその場で押し花に加工して手伝ってたんです」と、政孝さん。
10年経ったある日、民子さんは政孝さんにも創作を勧めてみました。自分とは違う感性に気付いたのだそうです。
「嫌いではありませんでしたし、子供の頃から自然の中で生きて来ましたから、感性なんて難しいことではなく、身に付いていたんでしょう」
そう話す間も、政孝さんは創作の手を休めません。
夫唱婦随ならぬ“婦唱夫随”ですね。
「ええ、私が師匠で、政孝さんは弟子なんです。・・・ほら、それは少し大き過ぎない?」
「うるさいな。自分の考えで作ってるんだから」
おやおや、口論が始まりましたよ。でも、これは日常茶飯事なのだとか。他人の感性が混入すると、訳の解からない物になってしまうんですね。
でも、話しを伺っていると、ひとつ争えば、ひとつ謝り、ひとつけなせば、ひとつ褒め合い・・・。この繰り返しなのに気が付きました。
「こんな風ですから、人生がとっても楽しいんですよ。政孝さんのおかげで」
「いやいや、こっちこそ幸せを頂いていますよ」
まあ、夫婦喧嘩は犬も食わないと申しますが、仲の良い二人を目の前にしますと、こちらの居場所がなくなってしまいました。“あの、すみません”この続きは、私を押し花にしてからに願いますよ。
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2006年8月vol.22「よろしく先輩15」
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「あの頃のままで」
古田 滋吉・登記子ご夫妻 (有)古田勝吉商店代表
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日本に初めてラムネを伝えたのは、幕末の1853年、浦賀に来航したペリーだとされる。
それが長崎に紹介されたのが1860年。その後、明治初期に古田勝次が、今の県庁近くで製造・販売を始めた。商標に人が握手をしている図案を用いた、いわゆる“お手引きラムネ”である。
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ご主人の滋吉さんは三代目。早速ラムネをご馳走して下さいました。“ポン”と弾ける音と同時に、ほとばしりこぼれる泡・・・。いやあ、懐かしい。
ところでお二人の馴れ初めは。
「共通の知人の紹介でした。サラリーマンの時に」
「その頃、私は銀行に勤めてまして・・・」
おや、滋吉さんは学校を出てすぐに跡を継いだのではないんですね。
「ええ、大手電器メーカーの営業をしていました」
「紹介された時はサラリーマンだったのに、半年近くお付き合いをして、結婚する時は自営業者になってました」優しくほほ笑みながら、登記子さん。
それでは、プロポーズの言葉とか場所は。
「うーん、忘れましたねえ」と滋吉さんが登記子さんに目配せすると、「そうねえ・・・・」何やら意味ありげに見つめ合い、お互いに頬を赤らめてしまった。
「まあ、それらしいことも言ったんでしょうが」
すると、登記子さんは滋吉さんの横顔に、はにかむようにうなづいている。野暮な詮索は入り込む余地がなさそうです。
伝統のあるお仕事ですから、新婚時代から順風満帆だったのではありませんか。
「いや、とんでもない。結婚した昭和40年代は高度成長期でしたが、外国の清涼飲料に押されてラムネは時代遅れになりましたから」
「主人は深夜まで働きずくめでしたし、私は四人の子育てもありました。頑張れるんですね夫婦って」
そう振り返る二人は、笑顔で寄り添ったまま。
「“お手引きラムネ”の商標みたいに手を握り合って・・・。それが円満の秘訣かもしれませんね」
滋吉さんは、おおらかに笑い、傍らの登記子さんと初々しい眼差しを交わしている。とても、お孫さんのいる夫婦とは思えない雰囲気ですね。
飲み干すラムネ瓶の中で、ビー玉が懐かしい音を発てています。見つめ合う二人の心の中でも、若いあの頃の言葉が・・・。ほら、聞こえて来ませんか。
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2006年7月vol.21「よろしく先輩14」

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「膨らむ愛のヒミツ」
大戸 正剛・妙子ご夫妻 Farmer’s 代表 |
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パンの歴史を紐解くと、6000年前のメソポタミアに源を発すると言う。小麦粉を水で練っただけのシンプルな物だ。それが、古代エジプトで偶然にも酵母菌が混じり、今日のようになったそうだ。
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ご主人は昨年まで小学校の先生だったそうですが、よく転職を決意されましたね。
「色々ありまして・・・」正剛さんは多くを語らない。
「夫婦って、笑顔で暮らせることが一番大切ですからね」妙子さんが優しく言葉を添える。
開業して日も浅いようですが、パン作りは、いつどこで習ったんですか。
「特に習った訳ではありません。昔から何でも作るのが好きで、大工仕事もしますし、寿司だって握るんです」
庭の隅には鶏小屋があり、菜園ではローズマリーが育っている。
奥さんも一緒に作るんですか。
「ええ。この店を開くまで私は専業主婦でしたから、ウィークデーに私が準備をして、週末に主人が力仕事をしたり。何でも二人でするほうが便利だし、楽しいでしょ」
娘さんも、二匹の犬も、鶏たちも、風にそよぐ花たちも、みんな元気で明るいのはそのせいでしたか。
ところで、二人の出会いのきっかけは。
「私の兄と主人が同級生だったんですけど・・・」と、妙子さんは顔を赤らめた。でも、正剛さんは無表情を装ったまま。
「男と女はパンと同じように、小麦粉と水の関係なんでしょうね。それを練り合わせて、情熱があれば自然に夫婦になるんですよ」
でも、酵母に相当する物がなければ、今のようにふっくらした関係にはならないのでは。
「・・・・・・・・・・」「・・・・・・・・・・」
何度も何度も尋ねてみたましたが、二人は言葉をにごしてのらりくらりと躱してしまいます。そして、根負けしたのか、最後にようやく正剛さんがニッコリと一言。
「偶然ですよ。古代エジプトのパンみたいに、どこかで酵母菌が混じり込んだんでしょう」
なるほど、旨く逃げられましたね。では、企業秘密ということで、これ以上の詮索は・・・、皆さんと一緒にこっそりと、好きなようにさせて頂きましょうよ。
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2006年6月vol.20「よろしく先輩13」
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「平成・花咲爺さん」
山下 純一郎・妙ご夫妻 元西海市長
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「政治家を目指していた訳じゃないんです」
開口一番、純一郎さんはごく自然に話した。
若い頃は、真珠の養殖を初め、米軍、便利屋、タクシー乗務員など幾つもの仕事を転々としていたのだそうだ。
それでは、政治の世界に入ったきっかけは。
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「タクシーに乗っている時に、知人から町議選に出てみないかと誘われましてね。それまで子供会や青年団の世話役のようなことをしてましたから」純一郎さんが32歳の時だった。
その頃、奥さんの妙さんはガソリンスタンドの経営をしていたそうですが、生活が一転したのでは。
「今日まで、ほとんど病気がちでしたね」
二人は、親の決めた話で結婚したのだとか。お互いに19歳の時だった。今では考えられない事ですね。
「私の親が、三日間だけ行って来いと言うものですから、そのつもりだったんですけど・・・、34年経ちましたよ」妙さんが声を発てて笑い、ご主人が気恥ずかしそうに視線を宙に逸らせた。
でも、その間に落選も経験されたと思いますが、その時はどのように過ごしてきたんですか。
「町議で一度、町長で一度の落選をしましたが、鶏卵の販売をしていた兄のもとで配送の手伝いをしていましたよ」
もともと政治家になろうと思っていなかったのなら、それを機に辞めようとは考えなかったのですか。
「政治は花と同じなんです。放っておけば咲くのではなく、咲かせないといけない。そして、咲かせっ放しでもダメになる。咲けば、咲かせ続けることが大事なんですよ。家庭もそうでしょ、結婚すればそれでいい訳ではない。しっかり維持して行かないと・・・」
ところで、純一郎さんは立派な体躯をしてらっしゃいますが。
「若い頃、相撲や陸上競技、ソフトボールなどで優勝したり、県の代表になったりしました。スポーツを通じて、多くの仲間もできましたよ」
「私たちは、大勢の皆さんに支えられて来たんですね」妙さんが、しみじみとした口調で付け加えた。
さて、新生・西海市ですが、まだ“市の花”は決まってないようです。これから西海にどのような花が咲くのか、いえ、純一郎さんはどのような花を咲かせるのでしょうか。きっと、西の海に映える夕陽のような大輪の花なのでしょうね。
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2006年5月vol.19「よろしく先輩12」
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「蜜蜂とタンポポ」
福崎 明人・正美ご夫妻 大村市在住 |
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春の花に色付き始めた野原を舞う、蜜蜂。
彼等は、毎秒250回の羽ばたきで飛び回り、時にはホバーリング(空中静止)をしますが、学問的には詳しいメカニズムは未だに解明されていないのだそうです。この可愛い生き物によく似た乗り物が、ご存知ヘリコプター。
明人さんは海上自衛官で、対潜ヘリコプターのソーナー(音響測深)が専門。仕事がら、プライベートでも颯爽とした方なのでしょうね。
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「とんでもありません。少しもハッキリしない性格なんですよ」奥さんの正美さんは言下に否定する。
二人が知り合ったのは、正美さんの知人を通じて始まったグループ交際だったとか。
プロポーズは、どこでどんな風に?
「さあ・・・、 どうだったか。忘れました」と、明人さんは照れくさそう。
「待っていられませんので、私の方から、結婚の意思があるかどうか確認したんですよ」正美さんが呆れたように応える。
新婚当時、正美さんの好きなオペラ鑑賞に行くと、明人さんは隣でうとうとしていたし、今でも、明人さんの好きな温泉に行けば、正美さんはさっさと上
がってしまうのだそうで。
「でも、夫婦って性格がまったく正反対だからいいことも多いんですね」と、柔らかな笑顔で付け足す。
ところで、ご主人はお若く見えますが、定年間近だそうですね。
「あと2、3年です」
自衛官は、部隊の精強性を維持するため、若年定年制がとられ、五十代半ばで辞めることになるのだ そうだ。
一方、正美さんは四年前からインナーウェアーの販売代理店を始めた。
「それまでは専業主婦でしたが、今からはどんどん飛び回ります。有り難いことに、主人が転勤族でし たから、私もあちこちに友達ができましたしね」
なるほど、二人は人生のターニングポイントも擦れ違うんですね。羽を休めようとする蜜蜂の明人さんと、タンポポの冠毛を持つ花実のように風に舞って行こうとする正美さん。
でもね、皆さん。ご主人の名誉のためにお話ししておきますが、帰り際に明人さんが密かに教えてく れたんです。
「私はソーナーの専門家ですからね、彼女の心の中はお見通しなんですよ」って。
やはり、二人は本当に似合いの夫婦なんですね。
*ソーナー…一般的にはソナーですが海上自衛隊ではソーナーと呼ぶようです
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2006年4月vol.18「よろしく先輩11」

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