長崎にゆかりのあるアーティストをご紹介
松井 守男
No.1 色と光と感動と。ただ描きつづけた。
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松井 守男 Matsui Morio1942年、愛知県豊橋市生まれ。武蔵野美術大学油絵科卒業後、フランス政府奨学生として渡仏。アカデミー・ジュリアン、国立パリ美術学校に留学。 |
松井 守男氏の作品
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2005年、愛知県で開催された「愛・地球博」では芸術の国フランスの公式画家に認定されフランス館に作品が展示される。2008年スペイン・サラコザ万博で再びフランス公式画家に選出と同時に、フランス政府の永久公式招待画家と指定され、今後の万博には必ず氏の絵画がフランス館に展示されることとなる。今年度5月から開催される上海万博にも展示される。 2008年から日本での制作拠点を五島市久賀島に置き、現在は、コルシカ島と五島を往復しながら制作活動を続けている。 |
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ロベール・ショージニキフランスのリオン生まれ。21歳の頃から27年間、松井守男氏をサポートし続けている。松井守男作品のコレクターでもある。 |
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久賀島の松井守男先生のアトリエは、廃校になった小学校校舎。自然に囲まれた美しい場所にあります。島に着いて、最初に感じたこと、それは“光”が違うということ。「自然に近づけるわけはないけれど、近づこうと思って絵を描いている。自然の中で描くことが大切。」と先生は教えてくださいました。その思いで描かれた作品だからこそ、東京やパリに持っていった時に、その光を感じ、感動するのでしょうね。 |
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Q.1 創作するときの気持ちは・・・?モーゼのように、大海を切りひらくつもりで描いているね。何も考えずに、大きな白いキャンバスの真ん中から描き始める。 絵には完成というものはなく、描き続けるもの。自分が種をまいて、成長していく絵を描いていきたい。絵は仕上がったところから成長していくのです。 |
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Q.2 「コルシカ」「久賀島」という場所にこだわっていらっしゃいますよね。パリに住んでいる画家は、20~30年経つと気候のよい南仏へ行くようになります。偶然にコルシカに行くことになり、素晴らしい自然に感動。自然の中で生きていきたいと強く思い、永住の地だと決めた。五島列島には、素晴らしい教会があると紹介され、興味を持ったのがきっかけ。キリシタン迫害・五島崩れの発端の地となった久賀島。 |
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この島に足を踏み入れた時、昔、この地でむごいことがあったことなど想像できないほど平和で、何もなかったかのような美しい景色だった。雰囲気もコルシカ島に似ていて、人間はもう一度、自然に戻らなければならないと強く思ったのを覚えている。僕の夢は、学校で絵を描くこと。帰り際に、廃校になった校舎をたまたま見つけて、これこそ、いつも夢見ていた場所だと嬉しくなった。 |
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久賀島のアトリエでは、絵を描きながら一人で生活をし、自分を厳しい状態にもっていっている。レストランもカフェも何もないから、「絵」を描かざるを得ない。仕方なく絵を描く。この“仕方なく”が、次第にリズムになっていき、作品ができあがっていくのです。例えれば、コルシカは“服”の部分、久賀島は“裸”の部分。両方を楽しんでいますよ。 |
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Q.3 長崎にゆかりのある作品。「ノーモアナガサキ」 |
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Q.4 松井守男さんが目指す生き方って何ですか?自由に生きるということは、たいへんなこと。いい意味でも悪い意味でも目立ってしまうから。 好きな言葉は「捨てる神あれば、拾う神あり」 がむしゃらに頑張っていれば、絶対に自分が満足できる日がやってくるはず。1967年、90歳のパブロ・ピカソに会う機会があり、その時の言葉は、僕を支えてくれた。 それは 「ピカソになろうと思うな。松井守男の絵を描け」という言葉。 |
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Q.5 長崎にゆかりのある作品。私は結婚していませんが、 自分なりに結婚とは、違う人と生活する喜びだと思います。一心同体というわけではないので、お互いの違いを尊重し合うことが大切。 フランスでは、結婚すると、最初に二人で絵を買います。絵を買ってから家具をそろえていくのですよ。「結婚」と「絵」とは、きってもきれない関係なのです。 |