長崎ゆかりの素敵なご夫婦をご紹介
古田滋吉・登記子ご夫妻
「あの頃のままで」
古田 滋吉・登記子ご夫妻 (有)古田勝吉商店代表
日本に初めてラムネを伝えたのは、幕末の1853年、浦賀に来航したペリーだとされる。
それが長崎に紹介されたのが1860年。その後、明治初期に古田勝次が、今の県庁近くで製造・販売を始めた。商標に人が握手をしている図案を用いた、いわゆる“お手引きラムネ”である。
ご主人の滋吉さんは三代目。早速ラムネをご馳走して下さいました。“ポン”と弾ける音と同時に、ほとばしりこぼれる泡・・・。いやあ、懐かしい。
ところでお二人の馴れ初めは。
「共通の知人の紹介でした。サラリーマンの時に」
「その頃、私は銀行に勤めてまして・・・」
おや、滋吉さんは学校を出てすぐに跡を継いだのではないんですね。
「ええ、大手電器メーカーの営業をしていました」
「紹介された時はサラリーマンだったのに、半年近くお付き合いをして、結婚する時は自営業者になってました」優しくほほ笑みながら、登記子さん。
それでは、プロポーズの言葉とか場所は。
「うーん、忘れましたねえ」と滋吉さんが登記子さんに目配せすると、「そうねえ・・・・」何やら意味ありげに見つめ合い、お互いに頬を赤らめてしまった。
「まあ、それらしいことも言ったんでしょうが」
すると、登記子さんは滋吉さんの横顔に、はにかむようにうなづいている。野暮な詮索は入り込む余地がなさそうです。
伝統のあるお仕事ですから、新婚時代から順風満帆だったのではありませんか。
「いや、とんでもない。結婚した昭和40年代は高度成長期でしたが、外国の清涼飲料に押されてラムネは時代遅れになりましたから」
「主人は深夜まで働きずくめでしたし、私は四人の子育てもありました。頑張れるんですね夫婦って」
そう振り返る二人は、笑顔で寄り添ったまま。
“お手引きラムネ”の商標みたいに手を握り合って
・・・。それが円満の秘訣かもしれませんね」
滋吉さんは、おおらかに笑い、傍らの登記子さん
と初々しい眼差しを交わしている。とても、お孫さ
んのいる夫婦とは思えない雰囲気ですね。
飲み干すラムネ瓶の中で、ビー玉が懐かしい音を
発てています。見つめ合う二人の心の中でも、若い
あの頃の言葉が・・・。ほら、聞こえて来ませんか。
2006年7月vol.21 「よろしく先輩14」