長崎にゆかりのあるアーティストをご紹介
山本 早苗
No.8 透き通った白い影をあつめて
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山本早苗 Yamamoto Sanae長崎県生まれ。 |
山本 早苗氏の作品
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美術大学の絵画科に進んだ山本さん。大学3年生の時、版画を専攻。それ以来、大きな作品から小さな作品まで数多くの版画の制作を続けています。アトリエには、大きな銅板プレスの機械をはじめ、これまでの作品や画材が整然と並んでいます。木版画、銅版画、リトグラフ、コラグラフなど 一点の作品に様々な版種・技法を併用して複雑なテクスチュアを作り上げます。版は全て自分で作り、手すき和紙に自分で摺ります。版ごとに色を変え、多様な版を摺り重ねて作品をつくっていきます。一つの作品を制作するのに、大きいものでは30~40回の版を重ねて仕上げていくそうで、体力と根気が必要とのこと。 |
Q.1 作品を創作するときの気持ちは・・・?10代の頃から絵を描いているのですが、小さい頃から感じたものを覚えていて、それを記憶の引き出しに入れていくんです。私の頭の中にはカメラがあって、情景を克明に覚えることができるんですよ。日常の繰り返しのなかでふとした瞬間、その引き出しから何かが溢れてきて絵になる。何かが私のなかで震えるんです。音叉がふれるみたいにね。 |
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どういう時に湧き上がってくるのかは、自分でもわからないのですが、風が吹いてきた時に、ふいに描きたくなったり、偶然の力が必要になってきます。悲しくなった時にも描きたくなりますね。描きたくない時は、庭の手入れをしながら溢れてくるまで、ひたすらじっと待つんです。 なかなか難しいのですが、空気の震えのようなものを描きたいと思っています。光と影の儚さ、とらえようと思ってもとらえられないものに、すごく惹かれることが多いですね。 |
Q.2 なぜ「長崎」という場所なのですか。長崎という場所は独特な土地がらで独特な文化的背景を持っています。 私は飯盛町(現、諫早市)生まれ、18歳まで育ちました。物心ついたころから飯盛町 と長崎の街中を行き来し、高校時代はどっぷりと「長崎」にひたりながらも、東京と長崎を行き来して過ごしました。 長崎の自然や文化の中で自我や感性を培い、それを外から眺める視線も 培いました。大げさにいえば「長崎」が私の原点です。18歳で上京し15年ほど暮らし たあと子どもを産み育て、制作していく場所として私の「原点」である長崎を選びここに戻りました。 |
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Q.3 長崎にゆかりのある作品。「雨シリーズ」 |
Q.4 目指す生き方って何ですか?多くのものは望まずに、家族が健康であたり前に暮らせればそれでいいと思っています。花や野菜を育てながら、自然の移り変わりを肌で感じて穏やかに生きる。日曜の朝は鳥の声を聞きながら、庭のテーブルでお茶をいただく。そういった、日々の暮しの傍らに音楽や本があれば嬉しいですね。 |
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Q.5 山本早苗さんにとって、結婚とは・・・?憧れですね。人は一人では生きられないと思うんです。結婚というものを、あまり仰々しく考えすぎないこと。人は年をとっていけば、最後は助け合っていかなければならないですし、家族は大切だなと感じています。 |